5/19(金) 新横浜17時29分のぞみ53号→21時07分広島21時19分→21時47分宮島口 宮島コーラルホテル泊1
一昨日から膀胱炎になりました。新幹線は、窓側席だったので思うようにトイレに行くことができず、ながーく感じました。ホテルに着いたときは、ほっとしました。こんな状態で、明日の弥山ハイキングに行けるかな?下りはロープウェイを使えばいいかな?とかいろいろ考えましたが、結論は出ないまま、眠っていました。
5/20(土) 泊1→宮島口松大汽船7時30分→7時40分180円→大聖院8時05分→8時20分あずまや8時55分仁王門→9時05分弥山山頂9時25分→10時05分大聖院→10時30分宮島港→10時40分宮島口→ひろしま美術館→恩師宅→実家
今朝は、昨日の症状が改善されました✿
しかし、朝の時点では下りはロープウェイを使おうと決めていました。早朝散歩で、フェリー往復とロープウェイ片道1000円と通常よりも360円安いチケットを見つけたので、これを使うぞ!と決めて、7時15分の船に乗るため桟橋までやってきました。
しかし、お得な切符は7時半にならないと買えないということで、仕方なく通常切符を購入して7時15分の船に乗ろうとしました。乗る直前に、気を利かせた船員さんが30分のフェリーに乗った方が得だからそうした方がいいと勧めてくれました。それもそうかと思い、また改札口まで戻りました。そうしたところお得な切符を買えるのが30分からだから、30分発の船には間に合わない、45分の船になるといわれ、がっくり。。。ここで30分のロスタイムはきつい。。。というのもホテルのチェックアウトが11時のため、シャワーを浴び着かえる時間を確保するためには少しでも早めの船に乗らなければならないのです。波立つ気持ちを抑えて、優柔不断な自分の判断が良くなかったと思い直し、心を落ち着けました。結局通常の切符を買い30分の船に乗りました。
このとき、下りはロープウェイを使うのをやめようという気持ちになり、宮島発10時30分の船に乗れるように頑張って歩こう!と覚悟を決めました。通常登山口から山頂までは1時間半から2時間(休息含む)と書いてあったので1時間半では必ず登ってやるぞ~とやる気満々になりました。
水分補給は途中たっぷりしつつも、わき目も振らず山頂を目指しました。山頂が近づくにつれて何やら音がします。中学生らしき男子三人組の1人が楽しそうに笛を吹いているではありませんか(笑)。おはよう~と元気に声をかけてくれました。
男の子たちもいなくなり、もう山頂には誰もいません。。。10分ほど景色を楽しんだ後、帰り道も同じ道を下りました。ぼつぼつと登ってくる人たちに出会いました。妊婦の外国の女性の方もいました。日本人の感覚では考えられない光景です。
青色の糸トンボや蝶々、トカゲを見つけました。。しかしのんびりする余裕もなく、小走りでの下山です。急いだ成果もあり、10時27分に桟橋に到着。予定どうりの船に乗れたので心から頑張った自分を褒めてあげたいと思いました。
宮島に行ったのに紅葉まんじゅうを食べないで帰るなんて初めてです。市内行きの電車に乗り、うとうとしているうちに街の中心地に到着。
まだ時間があるので、ひろしま美術館の常設展とピーターラビット展へ行くことにしました。自分へのご褒美は、美術館内のアンデルセン経営のレストランのランチ。ピーターラビット展開館中の特別メニュー(キッシュのセット)をいただきました。常設展では、ピカソ、ルノワール、ゴッホ、ルオー、セザンヌ、藤田嗣治等、たくさんの絵画を鑑賞できます。常設展は人も少なくじっくりと鑑賞することができます。
さて、早めに先生のご自宅付近に到着したので、時間つぶしに近くをぶら~り。それでも時間を持て余し、少し早めにお宅へ伺わさせて頂きました。
先生は、大正15年生まれ。当時女性が入学できる大学は日本で3校しかなかったそうです。大学院を卒業されていらっしゃいます。
60歳から始められた書道は、全国大会でも優秀賞入選される腕前。書を見せて頂いたり、大学院の修了書等を見せて頂いたり、ほかにも先生の大切にされてらっしゃる品を見せていただいたりしました。。これは形見分けよと言いながらペンダントと’飛鳥’と書かれた掛け軸をいただきました。落款を目の前で押してくださいました。これで、思い残すことはないわなんておっしゃられるので、なんだか寂しい気持ちになりました。。。5月8日に退院されたばかりで体調も万全ではないのにもかかわらず、私に食べさせようとザラメのおせんべいや最中、お土産、亡くなった父へのお供えの品も準備してくださっていました。
先生は、短大時代クラスに溶け込めなかった私をいつも優しく見守ってくださってました。月日が過ぎてから感じることですが。。。学生時代、研究室で私の知らない世界のことをたくさんお話いただいたり、先生手作りのお弁当を持ちハイキングに行ったり、奈良に泊まりがけで行き、宿坊体験や仏像の素晴らしさを教えて頂いたりしました。私の結婚後も、お付き合いは続き、子供たちにとっても大きな影響を与えてくださっています。
私の家族と一緒に上高地に行った頃が、人生の一番いいときだったわ、老いには勝てないわね。とお話しされます。
握手をして、また遊びに行かせていただく約束をしてお別れしました。8月か9月頃に再会できるように計画を立てようと思います。
やっと実家に到着。母は、本日デイサービスに出かけていました。夕食は、広島風お好み焼き。お好み焼き店’’五右衛門’’でそばとうどんのミックス+豚玉子イカ天入りでつくってもらいました。食後のデザートは’ちからのうどん’のあんころ餅ときな粉(あんこなし)のおはぎです。
5/21(日) 祖母二十五回忌、父三回忌法要→岩国錦帯橋→岩国国際観光ホテル
浄土宗の実家は、南無阿弥陀仏と唱えながら木魚をたたきます。開祖は法然上人です。一般民衆にも仏教の教えを説いた方ですと、バイク好きの住職様からお話を頂きました。私たちが、何の知識もないと思われたのでしょうね。
心の温かい住職さんで、永代供養をこちらのお寺でお願いした父の気持ちが理解できます。
17時岩国駅から送迎車に乗り、ホテルへ向かいました。夕食は、岩国寿司定食。
夜は、母と仲良く手をつなぎ、大浴場へ。錦帯橋のライトアップの終わった時間で、私たちを含め二組しかいませんでした。
5/22(月) 泊2→岩国城→錦帯橋→岩国駅10時40分→11時32分広島12時17分のぞみ24号→15時54分新横浜
6時から一人で早朝散歩。岩国城までのロープウェイの始発がまだだったので。歩いてお城へ。
10時過ぎホテルの送迎車で、岩国駅に向かい、広島駅で母とお別れしました。
送迎車の中で、一躍有名になった岩国の銘酒獺祭(だっさい)の話になりました。つぶれそうだった酒屋を二代目の研究熱心な店主が新しいお酒’’獺祭’’で立て直したそうです。獺祭が有名になると、他の酒造会社も影響を受けて、雁木(がんぎ)(ANAのファーストクラスのお酒として使われている)等、次々と有名なお酒が世間に出回るようになったそうです。
内緒話♥辛口のお酒の好きな人には、村重酒造の日下無双がおすすめだそうです♥
母は一昨年股関節の手術をしました。一年経過し、少しづつ歩けるようになりました。電車に乗ったり、温泉に入るのをとても喜んでくれました。また計画立てましょう~