韓国扶余(プヨ)への旅 2017年7月14日~17日~

30数年前、奈良の法隆寺木造観音菩薩立像(百済観音)に出会ってから、なんとなく百済の都ってどんなところうだろう~?と秘かに思っていました。ついに、訪れるチャンスがやってきました。

きっかけは、主人が会社の方から、扶余ロッテリゾートホテルに一度泊まってみたらいいよ、と教えていただいたことでした。それじゃあ扶余に一度行ってみようかという話になり、私はホテルよりも扶余に行ける!ってほうにウキウキしていました。残念ながら、扶余には宿泊施設が少なくて、お目当てのホテルは満室でしたが、あきらめきれない私は、Booking.comのサイトからバスターミナル近くのモーテルに空き室があるのを見つけました。(予約は息子に手伝ってもらいました。英語入力はやっぱり不安。。。)予約したのが6月だったので、もう少し早くに予約すればお目当てのホテルの空き室があったかもしれませんね。(モーテルとは、日本でいう民宿のようなビジネスホテルのような施設です。♨マークが目印です。)ちょっと当初の目的からかわってしまいましたが、行けることになりました。ルンルン♡

7/14(金) 前泊 成田アパホテル泊1

私と娘は、仕事終わってからホテルに集合。娘は、0時19分京成成田駅に到着しました。駅までお迎えに行き、ホテルのラジウム人工温泉にてゆっくりと疲れを癒しました。

7/15(土) 成田山新勝寺→成田空港9時50分JAL957便→13時05分釜山

13時半主人と合流 地下鉄→釜山駅14:55KTX(往復1人71400ウォン)→16:13 大田テジョン駅着

タクシー(8700ウォン)→バスターミナル17時05分バス(7100ウォン)→18時45分扶余バスターミナル→スーモーテル(荷物を預ける)→宮南池クンナムジ(睡蓮祭り2017.07.07 ~2017.07.16)→モーテル泊2

早朝、成田山新勝寺にお参り。8年前の大晦日に、私の実家の両親と一緒に宿泊した旅館の前も通りました。みんなで初詣に行った頃が懐かしいね~とはなしながら、成田山新勝寺までお散歩しました。ゴールデンウィークは主人の両親と大晦日は私の両親とよく旅行をしていました。

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クラシカルな宿を求めて宿泊しましたが、もう閉館にされているのかな?
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朝から気温も30度近くあります。今年は空梅雨のようです。
マロンドカフェでモーニングを食べて、空港へ。

無事、釜山に到着!天気予報では、今日と明日は雨の予報でしたが雨は降っておらず、バンザーイ♥いざ扶余に向けて出発。ソウルからであれば、直通のバスが出ているようですが、プサンからのアクセスは複雑だし、時間もかかります。

新幹線は快適でしたが、タクシーもバスも運転はとても荒いです。ですが、眠さのほうが勝っているので、シートベルトを締め移動中はお休みモードです。

扶余バスターミナルに到着!モーテルはどこにあるんだろう???困っている様子を見て、バスターミナルで掃除をされていた方が、親切に教えてくださいました。本当に助かりました。

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スーモーテル 部屋の中に蚊を見つけた娘は、必死に殺虫剤でやっつけてくれました。今晩の宿は、3人分で120000ウォンです。ロッテリゾート1人分の代金よりも安いのでこのくらい仕方ありません。。。
せっかくだから、蓮料理を食べようということになり、ガイドブックに載っているお店へ。しかし、夕飯のメニューはないとのこと。仕方なくその先まで歩いていたら、道路が歩行者天国になり大勢の人でにぎわっています。屋台で何か食べれそうだねと向かってみることにしました。睡蓮祭りは、夜のライトアップでにぎわっています。焼き鳥の串刺しを2本買って宮南池のあたりを散策。派手な演出で、とても活気もあります。広い駐車場は、自家用車と観光バスで満車です。路上駐車もいっぱい。。。

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お祭り会場に到着!
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綺麗に咲いとるね~
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宮南池。所どころに写真スポットも準備されています。
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造花を使って派手めな演出です。
睡蓮の花は大きくて見ごたえがあります。お祭りを十分満喫して、先ほど夕食メニューのなかったお店に立ち寄り、睡蓮饅頭を購入し、麺類が食べられそうなお店を見つけました。やっとご飯が食べれます。

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メニュー左の欄 一番上のヘムルカルプス(海鮮うどん) 下から三番目コンククス(冷たいゴマうどん) を食べました。ちなみに下から二段目のサリは替えうどんのことだそうです。
海鮮うどんは、乾燥ホッキガイとあさりで出汁をとってあり、あっさりとしたスープで日本人の口によくあいます。キムチは、マイルドなお味でした。ペクチュとコーラを頼んでも17000ウオンでした。(日本円で1700円くらい)

コンビニで、明日の朝食を買い、モーテルに戻る。すでに22時過ぎています。明日の予定を立ててと、おやすみなさーい。

7/16(日) 泊2→扶蘇山城プソサンソン→定林寺跡チョンリムサジ→扶余国立博物館→扶余バスターミナル14時15分→15時45分大田バスターミナルタクシー(7000ウォン)→大田駅18:33KTX(慶州経由)→20:14 釜山駅着地下鉄→下端ハダン駅バス→主人宅泊3

6時に朝食を食べて、7時に出発。荷物は、モーテルに置かせていただき身軽に出発!(^^)!まずは扶蘇山城(106メートル)へ。ちょっとしたハイキング気分が味わえます。

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白馬江の遊覧船が見えます。あとで乗ります。  扶蘇山城(プソサンソン)は、百済が中国・唐と新羅の連合軍に滅ぼされるまでの約120年間(538年~660年)、王都・泗沘サビの繁栄を支えた砦です。
百花亭(ペッカジョン)と皐蘭寺(コランサ)は工事中でした。桟橋まで下り、白馬江(ペンマガン)の遊覧船に乗りクドゥレ渡船場へ。白村江(ハクスキノエ)の戦いの白村江とは、現在の錦江(クムガン)別名白馬江のことのようです。

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百済の滅亡時、約3,000人の宮廷女官が扶蘇山の断崖・落花岩(ナッカアム)から白馬江に身を投げたと言い伝えられています。彼女たちを追慕するため、落花岩の近くに六角亭・百花亭が建てられました。
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桟橋近く、オニユリが沢山咲いていました。
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クドゥレ渡船場へ向かいます。乗船客は5人。片道4000ウォンです。
バスターミナルで、帰りのバスの時間を確認し切符を購入。定林寺址へ。

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定林寺址 サルスベリの花が満開です。鎮魂の意味があるそうです。
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1400年前の石塔
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定林寺址 石仏 高句麗時代
そろそろおひるごはんの時間です。昨晩行ったお店は、夕飯メニューはなかったけれど、お昼のメニューはあるにちがいないと三度目の入店。’’あら、また来たの?’’という表情で困っている感じ。。。。なにやら必死に説明してくれます。2年前から、お食事メニューはなくなったと言っているのではないか???ということでやっとあきらめがつきました。(+_+)しつこくてごめんなさい。だってガイドブックに載っているんだもん。。。

暑さで新しいお店に入る気力もなくなり、昨晩食べたお店に再入店することにしました。お店の方も覚えてくれており、ニコニコしながら迎えてくれました。なんだか自分の家に帰ってきた気分♥♥♥昨日気になっていたメニューと海鮮うどんを注文。美味しい~◎元気が出る~

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昨日気になっていたフォッサムの小を注文。茹で豚肉です。なんでも巻いて食べるのが好きなのね。
さて、元気を取り戻し、扶余国立博物館へ。

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扶余国立博物館入口に咲くノウゼンカズラ
538年,(日本書紀によると552年。元興寺縁起などでは538年),百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりです。百済の都は日本とつながりが深い都ですね。ここから、奈良の都へとつながる。。。

これからバス移動~お休みタイムに入ります!

大田到着。駅近くの市場やアーケードを散策。湿気が多く、暑くてのどが乾きます。涼しいところに避難したいです。ですが、カフェを探すが見つからず。結局コンビニで飲み物を買い待合の椅子で休憩。。。

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大田テジョンの駅前広場
新幹線の中でまたもや爆睡。。。

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釜山駅まで帰ってきました。
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小雨が降ってる?と思ったら噴水ショーの水しぶきでした。
晩御飯は主人の家の近く、カルビの専門店に入る。もう22時なのに、お店があいていていてよかった)^o^(

店員さんに見覚えあり。昨年のコダンポンハイキングの帰りに入ったお店でした。

今日も一日良く歩きました。万歩計は、29950歩。

7/17(月) 泊3 5時50分車→6時半釜山空港7時50分→9時50分成田空港

出勤前の主人に車で送ってもらいました。楽ちん楽ちん(^^)/

東京駅で、息子と待ち合わせ。3人でお昼ご飯を食べ、主人に頼まれたベルト2本をみんなで選びました。

息子はこれから仕事へ、娘は浜松に戻り、夕方から吹奏楽の練習に行くそうです。私は、まっすぐ家に帰ります。

主人は、初めての韓国での鉄道移動、タクシーバスと大変だったようですが、娘が一緒でとっても嬉しそうでした(^_^.)

おまけ。。。扶余で食事をした店員さんが、日本人の顔立ちとよく似ていたので気になり調べてみました。

その昔、百済の滅亡後、数万人規模の人たちが日本各地に亡命し、高麗川、高麗郡、高麗山、高麗駅、高麗という地名などが残っています。百済人は扶余族の王族であり、朝鮮には漢人、倭人(日本列島に住んでいた民族または住民)、ツングース系のワイバク族が住んでいました。朝鮮人というくくりはないということがわかりました。少しだけ、韓国という国を知ることができた旅でした。

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