30数年前、奈良の法隆寺木造観音菩薩立像(百済観音)に出会ってから、なんとなく百済の都ってどんなところうだろう~?と秘かに思っていました。ついに、訪れるチャンスがやってきました。
きっかけは、主人が会社の方から、扶余ロッテリゾートホテルに一度泊まってみたらいいよ、と教えていただいたことでした。それじゃあ扶余に一度行ってみようかという話になり、私はホテルよりも扶余に行ける!ってほうにウキウキしていました。残念ながら、扶余には宿泊施設が少なくて、お目当てのホテルは満室でしたが、あきらめきれない私は、Booking.comのサイトからバスターミナル近くのモーテルに空き室があるのを見つけました。(予約は息子に手伝ってもらいました。英語入力はやっぱり不安。。。)予約したのが6月だったので、もう少し早くに予約すればお目当てのホテルの空き室があったかもしれませんね。(モーテルとは、日本でいう民宿のようなビジネスホテルのような施設です。♨マークが目印です。)ちょっと当初の目的からかわってしまいましたが、行けることになりました。ルンルン♡
7/14(金) 前泊 成田アパホテル泊1
私と娘は、仕事終わってからホテルに集合。娘は、0時19分京成成田駅に到着しました。駅までお迎えに行き、ホテルのラジウム人工温泉にてゆっくりと疲れを癒しました。
7/15(土) 成田山新勝寺→成田空港9時50分JAL957便→13時05分釜山
13時半主人と合流 地下鉄→釜山駅14:55KTX(往復1人71400ウォン)→16:13 大田テジョン駅着
タクシー(8700ウォン)→バスターミナル17時05分バス(7100ウォン)→18時45分扶余バスターミナル→スーモーテル(荷物を預ける)→宮南池クンナムジ(睡蓮祭り2017.07.07 ~2017.07.16)→モーテル泊2
早朝、成田山新勝寺にお参り。8年前の大晦日に、私の実家の両親と一緒に宿泊した旅館の前も通りました。みんなで初詣に行った頃が懐かしいね~とはなしながら、成田山新勝寺までお散歩しました。ゴールデンウィークは主人の両親と大晦日は私の両親とよく旅行をしていました。
無事、釜山に到着!天気予報では、今日と明日は雨の予報でしたが雨は降っておらず、バンザーイ♥いざ扶余に向けて出発。ソウルからであれば、直通のバスが出ているようですが、プサンからのアクセスは複雑だし、時間もかかります。
新幹線は快適でしたが、タクシーもバスも運転はとても荒いです。ですが、眠さのほうが勝っているので、シートベルトを締め移動中はお休みモードです。
扶余バスターミナルに到着!モーテルはどこにあるんだろう???困っている様子を見て、バスターミナルで掃除をされていた方が、親切に教えてくださいました。本当に助かりました。
コンビニで、明日の朝食を買い、モーテルに戻る。すでに22時過ぎています。明日の予定を立ててと、おやすみなさーい。
7/16(日) 泊2→扶蘇山城プソサンソン→定林寺跡チョンリムサジ→扶余国立博物館→扶余バスターミナル14時15分→15時45分大田バスターミナルタクシー(7000ウォン)→大田駅18:33KTX(慶州経由)→20:14 釜山駅着地下鉄→下端ハダン駅バス→主人宅泊3
6時に朝食を食べて、7時に出発。荷物は、モーテルに置かせていただき身軽に出発!(^^)!まずは扶蘇山城(106メートル)へ。ちょっとしたハイキング気分が味わえます。
暑さで新しいお店に入る気力もなくなり、昨晩食べたお店に再入店することにしました。お店の方も覚えてくれており、ニコニコしながら迎えてくれました。なんだか自分の家に帰ってきた気分♥♥♥昨日気になっていたメニューと海鮮うどんを注文。美味しい~◎元気が出る~
これからバス移動~お休みタイムに入ります!
大田到着。駅近くの市場やアーケードを散策。湿気が多く、暑くてのどが乾きます。涼しいところに避難したいです。ですが、カフェを探すが見つからず。結局コンビニで飲み物を買い待合の椅子で休憩。。。
店員さんに見覚えあり。昨年のコダンポンハイキングの帰りに入ったお店でした。
今日も一日良く歩きました。万歩計は、29950歩。
7/17(月) 泊3 5時50分車→6時半釜山空港7時50分→9時50分成田空港
出勤前の主人に車で送ってもらいました。楽ちん楽ちん(^^)/
東京駅で、息子と待ち合わせ。3人でお昼ご飯を食べ、主人に頼まれたベルト2本をみんなで選びました。
息子はこれから仕事へ、娘は浜松に戻り、夕方から吹奏楽の練習に行くそうです。私は、まっすぐ家に帰ります。
主人は、初めての韓国での鉄道移動、タクシーバスと大変だったようですが、娘が一緒でとっても嬉しそうでした(^_^.)
おまけ。。。扶余で食事をした店員さんが、日本人の顔立ちとよく似ていたので気になり調べてみました。
その昔、百済の滅亡後、数万人規模の人たちが日本各地に亡命し、高麗川、高麗郡、高麗山、高麗駅、高麗という地名などが残っています。百済人は扶余族の王族であり、朝鮮には漢人、倭人(日本列島に住んでいた民族または住民)、ツングース系のワイバク族が住んでいました。朝鮮人というくくりはないということがわかりました。少しだけ、韓国という国を知ることができた旅でした。