12/30(土) 泊2→出雲大社…古代出雲歴史博物館→稲佐の浜(いなさのはま)→日御碕(ひのみさき)→美保関(みほのせき) 福間館離れ橋津屋泊3
昨晩は、23時過ぎ東京から息子も広島に到着しました。明日になるかも?と言っていたけれど、仕事を頑張っておえてきてくれました。えらかったね~!(^^)!
6時40分ホテル川島ロビーにて娘夫婦と待ち合わせ。7時ニッポンレンタカーへ。いったん母の自宅へ戻り、姉一家と合流。ナビに頼らず、一般道で出雲方面に向かう。さすが~♡
途中、三次あたりは、霧に包まれている。雲海で有名な場所になりました。
三次を過ぎ、道の駅布野(ふの)、近くの圭の助というお店ダチョウのお肉が食べられるそうです。この先、ダチョウ牧場もあります。
11時20分出雲大社に到着。まずは、姉一家おすすめの八雲というお蕎麦屋さんで昼食。
観光案内所で車いすを借りて、出雲大社参拝へ。
歩いて、古代出雲歴史博物館へ移動。
古代出雲歴史博物館では、’’出雲の神楽を支える’’特別展期間中でした。
車で稲佐の浜へ移動。歩いても行ける距離です。途中に出雲阿国のお墓もあります。
日御碕は、主人や両親と行ったことがありますが、’’こんなところじゃったっけ???駐車場が広うなったね。’’と主人が不思議そうにしています。灯台にはのぼれませんでした。
今晩は、紅ズワイガニが一杯付きとみんなでウキウキと宿に向かう。カニがど~んとお皿に乗っているイメージでしたが、食べやすいように切り分けてあり、思ったより小ぶりだったので、もう少し存在感があるかと思ったねとあとで話しました。味は濃くてとてもおいしかったです。みその部分は苦手なので、主人に食べてもらいました。
福間館は1717年江戸時代創業し、現在に至っています。
昭和2年8月24日、海の八甲田とも言われた、60数隻の日本海軍連合艦隊が美保関湾に集結し折からの台風接近のもと実戦さながらのが徹夜の訓練行われ、
軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨(わらび)」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の2つの別個の衝突事故が発生し、119数名の命が奪われたそうです。神通艦長は、水城圭次大佐でした。福間館には、水城圭次さんが大正15年に書いた’’平和な海が続きますように’’という意味の書があり、社長のこの書への思いが深いというお話しをしていただきました。水城圭次さんは44歳で軍事会議で判決が出る前に自殺されたそうです。(砲術のエキスパートだったキャリアがたたり、左の聴力はなく右耳も聞こえにくかったようです。)
さて、離れに戻り、女性群は、本館のお風呂へ、男性軍は離れのお風呂に入りました。お風呂では、4人女子トークに盛り上がりました。’’なかなか帰ってこんけん、どこか買い出しに行っとったかと思うた’’と言われてしまいました。母は、今回は一緒に入れず残念でした。今度は、もう少し早めに計画を立てて、入りやすいお風呂のあるところを探そうと思いました。
おまけ~ 美保関に住んでいる方々(美保神社の氏子)は、本当に鶏肉や鶏卵は食べないの???
答え 食べません(たまに食べるけれど進んでは食べません)
美保神社の祭神であり大国主命の御子神である事代主命は、ゑびす様とも呼ばれますが、毎晩のように中海を渡って東出雲の揖屋神社のあたりに住んでいたミゾクイ姫のもとに通っていました。
ある日、一番鶏が時間を間違えて、まだ夜もあけない夜中のうちにトキの声をあげました。
あわてたゑびす様は、船を漕いで戻る途中に櫂を流してしまいます。
しかたなく左足を櫂のかわりにして漕いでいると、なんとワニ(サメ)に足をかじられてしまいました。
ゑびす様がいつも片足を曲げているのは、この時の傷のせいだと言われています。
やっとの思いで美保関に帰ってくると、今度は正確なトキの声が聞こえてきました。
怒ったゑびす様は、にわとりを忌むものとされ、そして美保神社の氏子は鶏を食べなくなったのだそうです。
神楽の事代主命が片足を上げて跳ぶように舞うのも、このように足が悪いからだとされています。
福間館社長さんから教えていただいた続きでした。。。