帰省 広島から島根への旅編 其の壱 ~2017年12月28日~2018年1月2日~

12/30(土) 泊2→出雲大社…古代出雲歴史博物館→稲佐の浜(いなさのはま)→日御碕(ひのみさき)→美保関(みほのせき) 福間館離れ橋津屋泊3

昨晩は、23時過ぎ東京から息子も広島に到着しました。明日になるかも?と言っていたけれど、仕事を頑張っておえてきてくれました。えらかったね~!(^^)!

6時40分ホテル川島ロビーにて娘夫婦と待ち合わせ。7時ニッポンレンタカーへ。いったん母の自宅へ戻り、姉一家と合流。ナビに頼らず、一般道で出雲方面に向かう。さすが~♡

途中、三次あたりは、霧に包まれている。雲海で有名な場所になりました。

三次を過ぎ、道の駅布野(ふの)、近くの圭の助というお店ダチョウのお肉が食べられるそうです。この先、ダチョウ牧場もあります。

11時20分出雲大社に到着。まずは、姉一家おすすめの八雲というお蕎麦屋さんで昼食。

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割子そばが有名よ~ 出雲そばは「挽きぐるみ」といって、一番粉から三番粉までを混ぜ合わせて作るので色が黒っぽい(灰緑色)のが特徴です。
観光案内所で車いすを借りて、出雲大社参拝へ。

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出雲大社には、現在46羽のウサギたちがいます。
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通常、7年~8年に一度、付け替えが行われます。 出雲大社のしめ縄は制作に1年半~2年はかかり、しかも手作りだそうです。
歩いて、古代出雲歴史博物館へ移動。

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山茶花も咲いています。
古代出雲歴史博物館では、’’出雲の神楽を支える’’特別展期間中でした。

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この出雲神楽の面は桐で作られています。(石見神楽の面は和紙で作られています。)
車で稲佐の浜へ移動。歩いても行ける距離です。途中に出雲阿国のお墓もあります。

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稲佐の浜に着くころには日も傾き始めていました。
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旧暦の10月10日には、出雲大社に集まる全国の神々がこの浜から出雲へ上陸すると伝えられ、今なお神迎えの神事が行われています。近年急速に砂浜が広がり、弁天島へ歩いて行けるようになりました。
日御碕は、主人や両親と行ったことがありますが、’’こんなところじゃったっけ???駐車場が広うなったね。’’と主人が不思議そうにしています。灯台にはのぼれませんでした。

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そんなところまで行っちゃあ怖いよ~
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私の好きな形の岩♥およそ1,600万年前に噴火した流紋岩だそうです。このような岩石の割れ方を柱状節理と呼び,流出した溶岩が冷却するときに割れたもので,四~六角柱が組み合わさった幾何学的な形状をしています。
今晩は、紅ズワイガニが一杯付きとみんなでウキウキと宿に向かう。カニがど~んとお皿に乗っているイメージでしたが、食べやすいように切り分けてあり、思ったより小ぶりだったので、もう少し存在感があるかと思ったねとあとで話しました。味は濃くてとてもおいしかったです。みその部分は苦手なので、主人に食べてもらいました。

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食事の大広間には、勝海舟、与謝野鉄幹、晶子夫妻、高浜虚子などの書がありました。上村松園からのはがきにも驚きました。社長が来てくださり、昔の美保関が日本の漁業、海運、軍事のかなめの場所であったこと等、また後醍醐天皇島流しの時代から海上交通の要所であったことを教えていただきました。
福間館は1717年江戸時代創業し、現在に至っています。

昭和2年8月24日、海の八甲田とも言われた、60数隻の日本海軍連合艦隊が美保関湾に集結し折からの台風接近のもと実戦さながらのが徹夜の訓練行われ、
軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨(わらび)」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の2つの別個の衝突事故が発生し、119数名の命が奪われたそうです。神通艦長は、水城圭次大佐でした。福間館には、水城圭次さんが大正15年に書いた’’平和な海が続きますように’’という意味の書があり、社長のこの書への思いが深いというお話しをしていただきました。水城圭次さんは44歳で軍事会議で判決が出る前に自殺されたそうです。(砲術のエキスパートだったキャリアがたたり、左の聴力はなく右耳も聞こえにくかったようです。)

さて、離れに戻り、女性群は、本館のお風呂へ、男性軍は離れのお風呂に入りました。お風呂では、4人女子トークに盛り上がりました。’’なかなか帰ってこんけん、どこか買い出しに行っとったかと思うた’’と言われてしまいました。母は、今回は一緒に入れず残念でした。今度は、もう少し早めに計画を立てて、入りやすいお風呂のあるところを探そうと思いました。

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離れの二階から見た路地
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お月様にきれいな輪っかがかかっています。母と、’’明日は雨降りになるね~’’とはなしました。
おまけ~  美保関に住んでいる方々(美保神社の氏子)は、本当に鶏肉や鶏卵は食べないの???

答え 食べません(たまに食べるけれど進んでは食べません)

美保神社の祭神であり大国主命の御子神である事代主命は、ゑびす様とも呼ばれますが、毎晩のように中海を渡って東出雲の揖屋神社のあたりに住んでいたミゾクイ姫のもとに通っていました。

ある日、一番鶏が時間を間違えて、まだ夜もあけない夜中のうちにトキの声をあげました。

あわてたゑびす様は、船を漕いで戻る途中に櫂を流してしまいます。

しかたなく左足を櫂のかわりにして漕いでいると、なんとワニ(サメ)に足をかじられてしまいました。

ゑびす様がいつも片足を曲げているのは、この時の傷のせいだと言われています。

やっとの思いで美保関に帰ってくると、今度は正確なトキの声が聞こえてきました。

怒ったゑびす様は、にわとりを忌むものとされ、そして美保神社の氏子は鶏を食べなくなったのだそうです。

神楽の事代主命が片足を上げて跳ぶように舞うのも、このように足が悪いからだとされています。

福間館社長さんから教えていただいた続きでした。。。

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