群馬の旅~ 渋川~四万温泉編~2019年10月4日〜8日〜

10/6(日)  後閑9時10分→9時36分渋川→町散策→渋川12時08分→12時48分中之条12時55分バス→13時35分四万温泉→積善館泊3(→四万川ダム→日向見温泉)

窓を開けると、手が届きそうなところに大きな柿の木がありました😊
朝ご飯を食べて、近くの神社までお散歩〜
宿のオーナーのお父様(都筑理さん)が戦友をしのんで建立した慰霊塔です!
田園風景を通り抜け、
今日お祭りだという神社へ

わんわん、シャカシャカ、カンカンいろんな音がずっと流れてくる。何だろう?

このスピーカーから流れてきてたのですね。
栗が落ちてる🌰

宿の入り口に
明徳寺城の城跡 の標識が。。。宿の前を通り過ぎたところに、

明徳寺城の城跡 の跡がありました!!

明徳寺城の城跡ってなあに??

こたえ。。。 明徳寺城は、南北朝時代に沼田氏によって築かれましたが、
天正18年、秀吉による小田原征伐(おだわらせいばつ) →天正18年(1590年)
豊臣秀吉が北条氏を降伏させ天下を統一した  が行われ、北条氏滅亡後に沼田領が再度真田氏の所領となると明徳寺城は廃城となりました。

板長さんに、車で後閑駅まで送ってもらいました。
駅から 三峯山(1122メートル)が見えます。山頂にはパラグライダーもあるそうです。
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電車がやってきました。

裾野の広い赤城山に向かってはしる。

次の沼田駅から、口紅つけてイヤリングをつけた女の子がたくさん乗ってきました。お友達同士みたい。

沼田を過ぎ、赤城山は見えなくなる。

さっき乗ってきた女の子たちの会話が聞こえてきます。前に座っている4人組、1番大きな3月生まれの女の子が仕切っている。

お誕生日がいつ?~始まり、靴の大きさ、友達のお財布、定期入れなど持ち物を一つずつチェックしながら、’’見ないで’’という女の子にも無理やり’’見せて’’と言いながら、仕切りの女の子が落ち着かない様子でお友達の持ち物をあさりながらしゃべり続けている。

他の女の子が、仕切りの女の子に’’リュックの中見せて’’というと、’’私のリュック、あさるんじやねえ’’と大きな子が威嚇するような声を上げる。目が笑ってないな。

他の3人、これで楽しいのかな❓と思いながら見ていたら、

仕切る女の子は、時折貧乏ゆすりをしている。

彼女は、ずっと中心になって喋ってる。

子供の世界もなかなか大変そうだ!と思ってみているうちに、渋川駅に到着~

ぐんまちやんのお出迎え~こんにちは😃
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今日はお祭り♡

メインの通りは歩行者天国です!

榛名グラスのお店で娘と私のネックレスを買いました🤩
とんぼ玉で作っているそうです!素敵なネックレスがたくさんありました。
メルカリに出店しているから見てね♡

歩行者天国の終わりに近づいたあたりに山車が止まっています。

SNSで写真をどんどんアップしてくださいとアナウンスが流れる。

山車の人形

渋川山車祭は1年おきに行われるそうです。

渋川山車祭ってどんなお祭り???

こたえ。。。祇園祭が発展したお祭りです。 1年おきに、開催されます。

右に行くと、へそ石、へそ地蔵。行ってみましょう~
へそ地蔵へそ石に到着‼️

へそ石って誰がここに置いたの???

こたえ。。。 西暦802年、蝦夷を討伐した征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が帰京の途中、渋川市に立ち寄り「ここは日本の中心地である」と「臍石」(へそいし)を置いた、というエピソードが残されています。

お地蔵さまにもへそがついています(笑)

渋川はちょうど日本の真ん中にあるんだね。
しかし、沖縄のあたりは含まれていませんね。
ベンチもへそマーク笑

なのにどうしてここが日本のへそなの???

こたえ。。。 日本の北端部・北海道の宗谷岬と南端部の鹿児島県佐多岬を結んだ直線のちょうど真ん中の場所に位置していることが根拠です。

しかし、日本のへそと呼ばれる場所はほかにもあります。

日本のへそ候補地はいくつあるの????

こたえ。。。 東から、群馬県渋川市・栃木県佐野市・山梨県韮崎市・長野県辰野市・岐阜県関市ときて、西は兵庫県西脇市までが日本の6つが「へそ」を名乗っています。

そうそう、ここで忘れてはならないものがありました。

観光案内所で教えて頂いた色つきのマンホール^ ^
色つきのマンホール全国制覇する人も結構いて、
”ここが最後のマンホールです’’と来る人もいるそうです❣️

駅近くのルナ喫茶店でモーニングを食べながら電車の時間まで休憩)^o^(

500円だよ~

外を眺めていると、たくさんの荷物をカートに入れた老夫婦➕老婆3人組が見えます。駐車場まで歩いていき、車に荷物をのせています。フリーマーケットで何を買ったのかな❓

今度は、杖をつきながら、ピンクのカートにいっぱい荷物を入れたおばあちゃまが歩いています。

時間にゆとりを持って移動。

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お腹に顔を描いて歩いている人もいます。
へそ祭りってあるんですね😆


さとちゃんの前を通り、渋川駅へ。
渋川駅から大学時代の仲間と合流🙂

みんなに会えてうれしい~

降り損ねず、、無事に中之条駅に到着‼️

ここからバスに乗って四万温泉に向かいます。
バスは、トウモロコシ畑やリンゴ畑の中を走り抜けます🍎

四万温泉に到着♨️

ここに宿泊できるのね♡
まだ、14時前なのに部屋の中に入れて頂きました。
まずは、お茶とお菓子を頂きます。
食事まで時間はたっぷりあるので、電車の中で調べた四万川ダム湖に行ってみることにしました。
片道歩いて50分、距離は3キロ余りあります。

この道のりを何の躊躇なく歩こうというのが、ワンゲル仲間のすごいところですね(笑)

温泉街を抜けて、
川のほとりを歩いていくと、
正面にダムが見えてきました。
‘’なあんだ、思ったより近かったね。でもダムの上に上がる階段がないね〜’’???

と思っていたら、 ダム湖に行くのを諦めた人達が車道をおりてきました…

この車道を上っていくんだ!!

つづら折りの坂道を登っていくと、

やっと着いた!!四万ブルーと言われるダム湖。
やっぱり、50分かかりました。
雨という予報もありましたが、青空も見えています。
資料館の模型
私たちは、このくねくねした道を歩いてきたのですね。
季節によって水の色は変わるそうです。
ダム湖に別れを告げ、温泉街に戻りましょう~
カラーマンホール見ーつけ!
 可愛いニホンカモシカの親子のデザインに「SIMAGAWA 四万川ダム」「電気」文字入り。

寄り道して、

日向見温泉♨️に立ち寄ってみましよ!
薬師堂がありました。
お堂は、国宝かと思いきや、旧という文字が書き足してあります。

日向見薬師堂 の由来は???

こたえ。。。 永延3(989)年のころ、源頼光の家来、碓氷貞光(うすいのさだみつ)が越後から木の根峠を越えて日向見で夜を明かすことにして、谷川の音に心を静めて一晩中お経を読んでいました。夢の中に現れた一人の童子から「あなたの読経の真心に感心し四万(よんまん)の病気を治す温泉を与えよう、われはこの山神である。」と神のお告げを聞き、目を覚ますと枕元に温泉が湧き出ていたという伝説があります。 このめでたいしるしに感じ、お堂を建てて本尊の薬師如来の像をまつりました。

というわけで、ここが四万温泉発祥の湯があるのですね →四万温泉の起源その 1(その2説もあり)

こちらの温泉は15時まで無料で入浴できます♨️

温泉街にも行ってみましょう~

行きには気つかなかった滝を見つけました…
温泉街までもう少し。。。

温泉街まで戻ってきました。

昭和初期の四万温泉♨️を見つけました。

何をしてるのでしょう???先輩が聞いてくれました。

明日の午後からお祭りがあるので、準備をしているそうです。

どんなお祭りなの???

こたえ。。。 毎年10月7日・8日の二日間、四万温泉では湯前神社秋季大祭が行われます。 地元の女の子がきれいな装束に身を包んだ手古舞 (てこまい) さんを先頭に、2台の山車がひかれ四万温泉内を練り歩きます。
旅館の前で止まったときには振る舞いの御神酒やお菓子をいただ
きながら、お客様に楽しんでもらうそうです。 

手古舞 (てこまい) ってなあに???

こたえ。。。江戸の祭礼において、山車を警護した 鳶職(とびしょく→
高所での作業を専門とする 職人)のことです。
現在一般には、この「てこまえ」の姿を真似た衣装を着て祭礼その他の催し物で練り歩く女性たちのことをいうそうです。

温泉水飲んでみました。
ちょっぴりしょっぱい…

ホテルに戻り、お風呂に入って晩御飯🍚

本館宿泊者は、お弁当って書いてあったけど、想像以上のご馳走ですね🤗

食後のデザートは別料金ですが、
’’食べる!!’’で意見一致😜
部屋の中からこんな風情のある街並みが見えます。

夕食後、館内を案内していただきました。

立ち入りが出来ない部屋からスタートです。

どうして千と千尋の神隠しで千尋が働く油屋のモデルとなった宿 の一つと言われるようになったのでしょう???

こたえ。。。 宮崎駿ジプリ原画展の際、日テレが積善館の風景を紹介したことが始まりです。

どんな建物なの???

こたえ。。。日本最古の湯宿建築であり、重要文化財指定 されています。二階建てで始まり、明治時代になって3階部分が増築されました。

本館は江戸時代の建物です。→ 創業324年だそうです。


部屋からの眺め
お風呂に向かうアーチ型の壁が見えます。

前新(まえしん)→元禄の湯のある建物、向新(むこうしん)建物からなる。

こちらの部屋は日帰り専用の部屋です。

四万温泉は、昔から病を治すと口コミで広がり、山を越えて越後から来ていた湯治客もいたそうです。食事は、ご飯と味噌汁だけだったので、他のものはお互いに作ってシェアしていたそうです。

本館は、客室リフォームが出来ないので、エアコンも付けることが出来ません。 屋根はこけら葺き屋根で、100年に一度くらい改修が必要だそうです。建物を維持していくのも大変なことですね。

カーペットがひいてある場所は、外廊下だったそうです。
3階を増築しても耐える太い梁
ここに注目⬇︎
息子が、お母さんをおんぶして♨️までやってきました。孝行息子ですね。
’’元禄の湯’’に向かう廊下
 ’’元禄の湯’’は、前新(まえしん)の建物の 1階部分 にあります。
その中に 蒸し湯があります。
どんな 蒸し湯 なの???

こたえ。。。壁をくり抜いたような小部屋の中にタイル張りの寝椅子があり、中に入ってドアを閉めると、小部屋は蒸気で満たされます。閉所恐怖症の人は入れないですね。四万温泉の蒸し湯は、積善館にしか残っていません。

馬つなぎ柱→外側にそれて、柱の内側がすり減っていますね。

おまけ。。。本館の建物(2階まで)が建てられたのが、元禄4年(1691年ごろ)その頃には縁側もありませんでした。元禄の湯がある場所にも、小さなお風呂が新湯川に沿って建てられていました。当時は、ここが広いスペースになっており、昔の湯治客はこの柱に馬をつないで、荷物の積み下ろしをしていたようです。

当時の湯治ってどんなふうだったの???

こたえ。。。湯治客はのお客様は、ほとんどが自炊でした。滞在も2~3週間から1か月。ですから、湯治に来るときは、馬の背に食料や布団などを積んで峠を越えてきていました。昭和の初めまで、そんな風景が見られたそうです。

現在の湯治客の滞在期間はどのくらい???

こたえ。。。多くは、2連泊。長い人で6日。最高は14日間という方もいらっしゃいましたとのこと。

資料室も案内してくれました。

その奥に、

上段の間があります。
名主の家に限って設けることを許された客室で、代官及び手代(代官の下役の地方役人)の休憩、宿泊用の部屋として使われていました。
桃山様式の組子細工

大正時代、上野から渋川駅まで電車が開通し、湯治客が増えたため山荘を増築したそうです。 山荘には、上段の間を模して組子細工が施してあるそうです。

おまけ。。。四万温泉の起源その2
平安時代の初期、征夷大将軍として蝦夷征伐に向かう坂上田村麻呂が、この地で入浴したことが始まりという説。

四万温泉 で一番の老舗はどこ????

こたえ。。。四万 たむらです。

創業はいつ??

こたえ。。。室町時代です。(たむらの祖・田村甚五郎清政が四万温泉に来たのは室町時代永禄六年(1563年)でした)

昔の写真の山口館は、たむらさん系の宿だそうです。

関さんは後から 四万温泉 に移り住んだのですね。

こちらは昔の宿泊代金表です。

1円→今の値段2万円だそうです。
外国人は5円→今の値段で10万円!(◎_◎;)

山荘に空き室があり、部屋を見せて頂けることになりました♡


浪漫 のトンネルをくぐり、
突き当りのエレベーターに乗ります。
館内は少し複雑なので、道しるべがあります。

エレベーターで1階あがり、 「浪漫の山荘」 へ。

改装後、2ばん目に新しい部屋、萌木の部屋を見せて頂けることになりました。

モダンな作りです。
ここが入口
おじゃまします。
半露天風呂あり
上段の間にあった組子細工もあります。
床の間もあります。

本館に戻りましょう~

ここの階段を下りて本館にも行けます。

ドアを開けると、

本館入り口が見えてきました。

大切に建物を保存したいと思っているので、火事が一番心配ですとおっしゃってました。


手前の建物(前新)は、誰も使っておらず、ライトアップのために電気をつけているそうです。
橋を渡った先の建物(向新)は、従業員の寮だそうです。

20時過ぎから21時までゆっくり案内してくださりありがとうございました。

最後にみんなで一緒に写真を撮りました。

丹前事件!?のお詫びの気持ちもあったようです。

明日は、草津温泉から合流する仲間が一人増えます。おやすみなさい~

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