日光.奥日光と日光金谷ホテルの旅〜2019年12月6日〜7日〜その弍〜

12/7(土) 泊1→日光山輪王寺→東照宮→家光大猷院→14時10分ホテル14時半→18時自宅

朝食の時間まで、スケートリンクがあった場所に行ってみよう〜

このドアの先の階段を上るのですね。
景色の良い場所に出てきました。


プールもあります。
こんな場所もありましたが、今は使われていないようです。
小さなプールの奥が、スケートリンクになるんでしょうね。
2020年は1月26日にスケートのイベントが開催されるそうです。
ホテルの屋根のとんがってるのは何かなあ〜
煙突のように見えますが。。。
階段の天井は、円形のオシャレな形ですねー

日光金谷ホテルの始まりはいつ???

こたえ。。。 1873年(明治6年)、東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が、
アメリカ人、J.C.ヘップバーン(ヘボン)博士 に人格・才能を認められ、 自宅の一部を外国人の方の宿泊施設とした 「金谷カッテージ・イン」を開業したと伝えられています。これが「金谷ホテル」の始まりです。

どうして世界に日本のリゾート地として知られるようになったの???

こたえ。。。 1878年(明治11年)には、ヘボン博士の紹介によって
「金谷カッテージ・イン」に訪れた英国人旅行家イザベラ・バード女史がつづった
「日本奥地紀行」や、当時の在日英字新聞などで紹介されるや、
「金谷カッテージ・イン」は「日本のリゾート避暑地=日光」のホテルとして、
地位を確実なものとしました

金谷ホテルとして開業したのはいつ???

こたえ。。。 1893年(明治26年)に、日光山内をのぞむ現在地に、
2階建て洋室30室の「金谷ホテル」として営業を開始します。

どうして日光は、 日光は国内外の要人の交歓・社交の場としてさらに発展。したの???

こたえ。。。 大正時代に入り日光御用邸が開設されると、
「金谷ホテル」も、1922年(大正11年)の英国皇太子殿下のご宿泊をかわきりに、外国王室、国内宮家のご宿泊という栄を受けるようになりました。

増築はいつから始まったの?

こたえ。。。 別館(昭和10年)、第二新館(昭和36年)の増築、開業当初の趣を残しながらも近代的ホテルとして今日に至っています。
金谷ホテルホームページより


2005年 日光金谷ホテルの本館、新館、別館、竜宮が国指定登録有形文化財に登録されました。

部屋に戻ります。まだ朝食まで時間がありそうです。

昨日、ハンドクリームを買ったら、オマケをたくさんくれたので、並べてみました😁
白髪染めトリートメント、化粧水、カイロ、シャンプーサンプルなど…
部屋の中の机
引き出しのとって。
天井の形が気に入りました😚モダンなお部屋でした。

朝ごはんの時間になりました。
楽しみー

どこの席に座るのかな?
今朝は、入り口からすぐの席。
こちらがホテル自慢のオムレツね❣️
大谷石の暖炉、写真を撮らせていただきました😊
博物館にいるような気持ちになります。
昔の食器、和の雰囲気を出してますね。
ロビーは吹き抜けになってます。
レストラン入り口のスタンドも素敵ですね。
室内の至る所に、色んな細工を見ることができます。
象さんの彫刻→ミニ東照宮のイメージです。
昔懐かしいバスの写真も飾ってありました。


狛犬のような彫刻
ロビーのクリスマス🎅

ホテルの中も、たっぷり鑑賞させて頂きました。クラッシックスタンプも、東京ステーションホテルに続き、2個たまりました。

準備をして、日光の社寺の見学に行きましょう〜

昨日より気温は上がりそです☺️
ホテル入り口のポスト📮
クラッシックカー。結婚式の時に使うそうです。
蔵には何が入っているのかな?
別館入り口の彫刻。
建物内は、また本館とは違う雰囲気です。
絨毯が白ですね。
まんまる電気
色々違ってそれがまた良いですね。
同じ電気にしないところに惹かれます。
階段の手すりもシックな雰囲気です。
尾長鶏の彫刻
ライオン🦁ですね。

お庭も散策をして、日光の寺院にいきます。

宿泊したのは、右の建物の最上階です。
大谷川辺りにきました。ここから、神橋に行くには、もう一度ホテルに戻らなければならないようです。
ホテルの正面口を出て坂を降ります。
紅葉🍁がまだ残ってました。。。
金谷ベーカリーの横を通り、
神橋のそばを通り、

大谷川の川の音を聞きながら、静かな道を東照宮へ向かいます。

途中に輪王寺宝物殿にて風神.雷神象公開中のお知らせが…

宝物殿、入ってみようかね。お庭も散策できます。
琵琶湖を模した形の池のある小堀遠州が手掛けたお庭にヤマガラがいました😀

宝物殿の向かいに、

大きく高くそびえる三仏堂(さんぶつどう)があります→日光山内最大の木造建築です。

ここで身を清めて中に入りましょう〜

誰が支えてくれてるの❓

天邪鬼ですね。陰で支えたり、踏み潰されていたり、踏ん張っているね。😅人間世界も同じかな?と思ったり。。。。
三体の御本尊が祀られています。
輪王寺のポスターより

三体の関係は❓

こたえ。。。右から父(千手観音)、母(阿弥陀如来)、子供(馬頭観音)

仏像の高さはどのくらいあるの❓

こたえ。。。約7.5メートルあります。

平成大修理完成を記念して、御本尊三体とご縁を結ぶ、5本の綱がありました。

日光山は誰が開いたの?

こたえ。。。776年に勝道上人が開山しました。

どんな人だったの???

こたえ。。。 勝道上人は栃木県芳賀の生まれ。西暦766年日光開山、西暦782年男体山頂を極め中禅寺湖を発見し、湖畔に二荒山神宮寺(中禅寺)を創建した僧侶です。

ここは、三仏堂の出口です。水が外に流れやすくなるよう、階段のあたりが斜めになっています。右に少し傾いてます。

三仏堂の中で説明を聞いたあと、数珠を売っている売店に導かれて行きます。

数珠の使い方の説明があり、自分の干支の数珠を買えます。

私も、少し前に来た時に家族の数珠を買いました。説明を聞くと欲しくなりますよ。

数珠は、お守りにもなるし、肌身離さずいつも持ち歩く鞄に入れてくださいね。

最後に使った人と一緒に、もやすして、疑念が残らないようにします。

娘にあの数珠は?って聞いたら、どこにあるんだったっけと…😞

東照宮に向かいましょうー

拝観券を買うのに大勢の人が並んでいます。日光に来たからには、見逃せないスポットですもんね。

表門の仁王さま→東照宮の最初の門です。

狛犬も一緒にパチリ
いつも目を引く想像上の像。耳がふわふわしてますねえ
色鮮やかになってました。言わざるがなかなか難しい…

陽明門に到着❗️

2017年公開してから初めて来ました。

これでもかというくらい細かい細工に圧倒されます。
見応えたっぷりの500体を超える彫刻
ここだけ、じっくり見に来てもいいくらい。
おまけ。。。この陽明門は508体の彫刻で埋め尽くされおり、そのうち人物の彫刻は156体あります。
特に人物の彫刻に関しては、この陽明門と唐門にしか存在せず、また、唐獅子の彫刻は陽明門に集中しています。
何人の職人で彫刻してのでしょうかね。宮大工を全国から集めたという話もありますが。。。
門をくぐった先の柱→完成の模様

魔除の逆さ柱→未完成の模様

どうして模様が逆さのままなの❓

こたえ。。。’’完成は崩壊の始まり’’ わざと完璧にしないそうです。

狛犬もカッコイイよ!

陽明門って誰が建てたの???

こたえ。。。 日光東照宮の陽明門は、徳川家康公の21回忌にあたる1636年(寛永13年)に徳川家光公によって造り替えされたものです。

どうして陽明門っていう名前を付けたの???

こたえ。。。京都御所には「6つの御門が存在する」と伝えられていますが、実は12の門が存在し、この内、東の門の名前を「陽明門」と呼びます。

つまり、この日光東照宮を造営する時に、京都御所の東の鎮守としてこの日光東照宮を造営し、京都御所を守護すると言う意味合いで「陽明門」の名前を付けたと考えられます。

唐門→貝殻で作られた塗料胡粉(ごふん)で白く塗られてます。
眠り猫の門をくぐって奥宮に行きます。

長い階段が続く。

若者カップルの声が聞こえてくる。。。‘’年々ここを登るのがしんどくなる’’😁

丸みを帯びた狛犬。団子鼻親近感あるわ、
対で並んでるけど、こちらの方が新らしそう〜

真ん中の石を兜石(かぶといし)と言います。

何に使うの❓

こたえ。。。祭礼時に立てる、幡用の穴を隠すために使われるそうです。

どうやって使うのかな❓
家康は寅年だったので、寅の彫刻があちらこちらにありました。
眠り猫の裏は雀の彫刻。戻ってきましたね。


奥宮の屋根。徳川家の門で飾られてます。
東照宮大権現→ 徳川家康の神号。1617年、後水尾天皇から勅諡ちよくしされたものです。

どんな意味があるの???

こたえ。。。「東に照る(東方薬師瑠璃光)如来が権りに現れた神」という意味なのだそうです。

どうして薬師如来なの???

こたえ。。。 家康の両親は薬師信仰に篤かったそうです。家康は、峰の薬師(三河の鳳来寺)に祈願して生まれたので、薬師如来の生まれ変わりだといわれています。
屋根に龍🐉がいます

どうして逆立ちしてるの?


薬師堂、別名「本地堂」 にて「鳴き龍」 を見学の後、東照宮宝物殿の中のタリーズで休憩〜

娘は、あと一つどこか見たら帰ろうと言うので、輪王寺大猷院(たいゆういん)へ行くことにしました。

二荒山神社の分岐を大猷院に向かいます。
仁王門を通り、
日光の社寺の中で最大の門 ’’二天門’’ を通ります。
二天門は、牡丹の花に彩られています。

たくさんの金彩が使われているので、別名【金閣殿(きんかくでん)】と呼ばれています。

誰を祀っているの❓

こたえ。。。三代将軍家光公です。

二代将軍はどこに祀られているんだったっけ❓
 こたえ。。。 増上寺です。二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍 のお墓があります。

さっき見た兜石と同じよね。石をのけると穴が開いてるんだね。
本来は周りに石は置いてないのよ。

そろそろホテルに戻りましょう。注文しておいた100年カレーパン受け取りも忘れないようにね。

まだ、時間に余裕があるので、天然のスケートリンクと木彫りの里工芸センターに寄って帰ることになりました。

アイススケート場は、人がほとんどいません。滑りたい放題だね❗️

木彫りの里は、シーンとしていたので入らず、日光駅の前を通って帰ります。
JR日光駅

息子にカレーパンを届けてあげようと思ったけど、いないらしい。

カレーパン3個が私たちの夕飯のメインディッシュになりました。

クラッシックホテルに宿泊するのが一番の目的でしたが、中禅寺湖の温泉や日光の社寺もゆっくり拝観できて楽しい旅になりました。また一緒にお出かけしようね😺

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