JALどこかにマイルの旅in徳島 2020年1月17日〜19日徳島.鳴門(第九の里周辺)編

1/17(金)  羽田空港19時40分JAL465→21時徳島空港→22時徳島駅徳島ターミナルホテル泊

仕事を終え空港へ。

晩御飯を食べようと思っていたのに、3/28まで改装中😓柿の葉寿司を買う。

飛行機に乗ります。

まずは音楽チェック!

JALクラッシックはベートーベンの第九の曲が入っている!
わーい。早速聞かなきゃ。。。しかし、離陸の時、タイミング悪く第九の合唱の部分で途中でアナウンス😖

今日の座席のカバーは、ミッキーだね。!いつから変わったんだろう❓と思いながら、前のシートを見てました。

あら、飲み物のカップまで、ミッキーマウスになってる。可愛い😍

着陸のアナウンスの時、この飛行機がミッキーマウス仕立ての機体だと知る…

ミッキーマウス仕立ての飛行機だと、機内もサービスのカップもミッキーマウスになるんですね。

どうして乗るときに気づかなかったのでしょう😅

アナウンス、またもや第九の合唱とかぶる 😖

阿波踊り空港に到着‼️

飛行機を降りて、機体を見ようと思ったけど、ちょうどタラップや建物の壁で可愛い機体を見ることができず🥺初めての体験だったのに。。。残念。

空港を出て、リムジンパスにて徳島駅に向かいます。

徳島駅に到着‼️

阿波踊りポスト📮
徳島駅構内にランの花がいっぱい🌸🌼🌸
クレメントホテルは豪華そうー

今夜は格安ホテル4600円よ。どんなホテルかな?

見えてきた…駅からあるいて1分くらい。。。

受付で明日の第九の里の行き方を尋ねたところ、バスの時間を調べてコピーも下さいました。感じの良いホテルです🙂よかった。

明日の早朝、受付にあった絵葉書のところに朝日を見に行きたいと伝えたら、行き方と歩いては大変だからと貸し自転車のキーも貸してくれました。

これで、明日の準備はバッチリ👌

禁煙室シングル→禁煙室ツインに変更してくれていました😛

広めのお風呂にゆっくりつかり、明日の目覚ましをセットして寝ます。

部屋の中がなかなかあったまらず、隣の布団もかけて寝ました。

明日は早起きしよう~

1/18(土) 泊1→サイクリング吉野川朝日と徳島城跡→ホテル→市内ぶらり→徳島駅10時58分→11時19分板東→霊山寺1番札所→第九の里.ドイツ館→レンタサイクル→大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) →ドイツ公園→極楽寺2番札所→賀川豊彦記念館→ドイツ館16時34分→17時8分鳴門駅17時30分送迎車→鳴門ベイホテル泊2

朝日を見に出発〜
この歩道橋から何か見えそう〜お城の方が見えるかな❓と上がってみる。
線路が通っていました。こんもりした林の中に城跡があるんでしょうね。

昨日いただいた地図を頼りに、

橋のたもとまでやってきました❗️
結構長い橋だなあ〜何メートルあるの???
こたえ。。。1137メートルあります。

ビュンビュン車が通る。

カモメみーつけ🐦
前に見える山は、眉山。あとでロープウェイでのぼるよ🚡
朝日がでてきました😉絵葉書で見たのとは少し違うような気がします…

逆の方向がオレンジ色だったから、夕日だったのかもしれませんね。

高校生らしき子供たちが、みんな私を追い抜いていきます。学校があるんだね。
あの船はなんだろう❓漁に出ているのかなあ~
あの渦はなんでしょう〜
鳴門の渦潮🍥のよう🤨
グランドですね〜(*’▽’)
渦巻でグランドを整備するんですね。

ギアがついてない自転車なので、朝からいい運動になります。

お城の山が見えてきました。すけとうばしを渡ります。→ 助任川(すけとうがわ)
川の土手の石垣が面白いよー
変わってるよね!
ここに自転車を置いて、城跡に行ってみましょう〜
結構登りますね😓
あ、石垣が見えてきた😁
最後の登り…
石垣に隙間があいてるね。
城内でもっとも古いとみられる、本丸東側の石垣。いかにも古くて荒々しさがありますね。
本丸跡に到着❗️
街が見える🤗
東の方はまだ朝日の余韻が残ってます^ ^
眉山も近くに見えてきました。
この下辺りが徳島駅ね。
祠がありました。
あの石はなんだろう❓

近くに行ってみると、

手水があったのかな❓

こちらの標高は61メートルです。

階段と山道を下り、

自転車でお堀の周りを走ります。

どうやら、わたしが登ったのは裏道だったようです。

こちら側は、よく整備されています。

駅のほうに向かいます。

ここにはどんなお魚がいるでしょう❓

こたえ。。。↓

タイ、ボラ、スズキなど、海の魚たちも住んでいます。そういえば、高松城のお堀も海の魚たちが住んでいました😊
昔はこんな門だったんだって‼️

今は?
こんな風になりました。
鷲の門(わしのもん) っていう名前がついています。

明治41年に現在の水平橋に架け替えられた 下乗橋

どうして下乗橋(げじょうばし)って名前が付いたの???

こたえ。。。 橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから由来です。

あなたはだあれ?
こたえ。。。 蜂須賀 家政(はちすか いえまさ) です。
父( 蜂須賀正勝 )の代わりに阿波国の大名に任じられて徳島藩祖となりました。
無風なので、水面が鏡の役割を果たしています。


石垣の緑色の石はなあに??

こたえ。。。 阿波青石(あおいし)、地元では単純に青石と呼ばれる阿波の名石 です。

徳島駅❓と思ったら、8620形式機関車が保存されていました。
昭和44年7月22日まで現役でした。
機関車の保存地区ですね〜
徳島駅の裏にあるのは???

こたえ。。。徳島運転所(とくしまうんてんしょ)です。徳島県徳島市にある四国旅客鉄道(JR四国)の車両基地で、運転士・車掌も所属しており、徳島駅に併設されています。
転車台のようなものが見えます。なあに❓
こたえ。。。 大正10(1921)年に完成した転車台です。

徳島駅駅ビルのJRホテルクレメント徳島の客室は、転車台を含む駅構内を一望できるビューポイントだそうです。今度は、ホテルクレメントに泊まってみたいですね。

水道局の機械に阿波踊りの絵が。。。😁
ポッポ街ってなあに❓
こたえ。。。 汽車ぽっぽが名前の由来で、1971年に出来たまだ新しい商店街です。
機関車🚂のタイル
アーケードの中を
自転車を押して歩いてみます。
徳島駅に到着‼️

ホテルに戻り、昨日の食べきれなかった柿の葉寿司を食べる。

歩いて、眉山ロープウェイに行きましょう🚡
標識がしっかりあるから迷いません😊
橋を渡ると、
ロープウェイ乗り場が見えてきました❗️
ロープウェイが今上がっていったからしばらく来ないねー
えー😱
ガイドブックには、年中無休って書いてあったのに…
最新情報を調べてなかった😔
ポスターを写真におさめる。。。

どこに行こうかな❓

観光案内所で相談してみる。近くに’’瑞巌寺っていう、お庭のきれいな場所があるけれど、もしかしたら、猪が出ているので、お庭は閉まってるかもしれません…‘’とのこと。境内には入れるそうなので、行ってみましょう〜

学校の近くに、立派な像が立ってます。

モラエスさんってだあれ❓
こたえ。。。 元ポルトガル神戸総領事モラエス (1854~1929年) は、
亡き妻の故郷徳島を愛し、徳島で生涯を終えました。
あれは何のマンホール❓
こたえ。。。水準点のマンホールです。色がついていて珍しいマンホールです。

学校の脇を山のほうに向かって歩いていくと、

瑞巌寺の山門が見えてきました。

参道の石も、お城の石垣と同じ青石が使われているのですね。
手水に鬼瓦🙀
その先に、鳳翔水がありました。柄杓があったので、飲んでみました。あま〜い💦

鳳翔水(ほうしょうすい)って???

こたえ。。。 眉山湧水群のひとつ で 「鳳翔山瑞巌寺」境内に湧き出る名水 です。

家紋は卍
やっぱり、お庭は拝観できません…
庭園を覗ける場所がありました❣️

同じように、残念そうに歩いている人がいます。奄美大島からひとり旅できたそうです。今日は阿波池田に泊まって、明日大歩危小歩危に行く予定だそうです。

‘’人の少ないところが好きなのよ‘’と。

大通りを通って、徳島駅に戻ります。

懐かしい電話BOX📞

アーケードを歩いていると、

NPO子育て支援ネットワーク徳島の建物が目に入りました。ちょっとのぞいてみる。
あら、こっちにも…

近づいてみたら、中から係の人が出てきてきました。’’どうぞ見ていってください’’と。。。声をかけてくれました。

徳島の木を使ったおもちゃや遊具があります。

☺️15年前から徳島県、徳島市のNPOとして運営しているそうです。

こういう時に、保育科の血が騒ぐんですよね‼️

案内してくれたれた方は、子供とたまたまこの前を通り、施設を利用するようになったそうです。

子育ては、孤独になりがちだから、気軽に立ち寄ってみんなが楽しく集まれる場所があるっていいよね❣️

こちらは、スキップの森です❗️

見学させていただきありがとうございました🤗

駅に向かって歩いていると、パンの焼けるいいにおいが漂ってきました。

美味しそうなパン屋さん🍞
焼きたてベーグルを買いました❗️
川沿いで、さっそくパクパク🥯おいしい~

新町橋を渡ってしばらく歩くと、
徳島駅が見えてきました。
そごうは開いてるのかな❓前を通ってみることにしました。
そごうはもう開店していました。
眉山やさらばじゃ👋

そごうの前遊歩道のタイル→県の鳥がサギと渦潮ですね。
徳島駅に到着❗️→アンパンマン列車は四国の中を5路線走っています。
10時58分板野行きに乗ります。
緑色の電車が止まってます😁
さあ、1番札所とドイツ村に向けて出発〜
あんぽ柿をパクパク。甘くて美味しいー
ひとつは、夜のデザートにとっておこう😉
切符は板野まで買ってますが、’’あれ❓私は坂東で降りるんじゃなかったっけ???’’と気づく😳

みんなが降りたあとに気づき、急いで車掌さんに確認してみる。

’’ここですよ’’と。。。差額100円は現金で返却してくれました。
優しい〜🥰 対応をありがとうございました😞

坂東駅で下車!

乗り過ごさなくて本当によかった。。。。
坂東の駅ホーム🚉

同じ駅で韓国人の親子もおりて、地図を見ながら悩んでいる様子でした。

パンフレットがあったので、渡してあげました。

駅を背にして、まずは広い通りに向かいます。
霊山寺までは、案内もあるので、迷わずにたどり着けそうです。
第九アジア初演から100年も経つのですね。第九の記念館に行くのも楽しみ❗️
門前通りって書いてあるから間違いないね😌
英語の表記がないから外国人にとっては難易度高そう~
やっと、案内が出てきました。
今年、初めて見たスミレ。
四国八十八ヶ所の1番札所が見えてきました😆
「竺和山・霊山寺」 (じくわざん。れいざんじ)

門の前に誰か立ってるよ。

お遍路さんの人形でした😁足元は、わらじなのかな❓

境内のパンダ🐼もおで迎え。。。→ お寺を訪れる子供たちを喜ばせようと設置されたものらしいのです。
何を見ててるの???
見上げると、こんな風に見えるよ。
こんなに立派なお堂です。
先にこちらにお参りしなければいけなかったようです。

鳴門から、車で来ていた方が教えてくれました。’’この後どこへ行くの?’’と

これから第九の里と答えると、

良かったらそこまで乗せてあげるよと親切に声をかけてくれました。

歩いても20分で行ける場所なので、景色を見ながら歩いていきますねとお伝えする。

またどこかでお会いするかもしれないですねとお別れする、
不動明王がいらっしゃいました。
団体の人たちもいなくなり、静かになりました。
本堂にもお遍路さんがいます。
足元に注目、パンプス履いてます😁
入り口の池。顔を踏まれちゃったね🥺

お寺の出口で、先程の方とお会いし、第九の里までの道順を教えてもらいました。

お昼ご飯は、第九の里が道の駅になってるから、そこで食べたらいいらしいです。

誰もいないし、第九を口ずさみながら歩きました♫
ドイツ館が、見えてきた‼️
ベートーベンの像もありました‼️
怖そう〜
演奏会までには、第九も、ミサソレムニスもちゃんと練習します。許して〜😖
鳴門は、日本での第九初演の地なのです❗️

記念館をじっくり見学しますしょう😊
捕虜の収容所は5箇所もあったのですね。

私のほかに、ドイツ人のご夫婦と通訳の人と3人と、日本人観光客数人だけでした。

記念館で無料のレンタサイクルを借りて、大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) とドイツ公園に行ってみましょう~

しばらく誰も乗っていないので、乗りにくいかもしれませんと言いながら、自転車をきれいに拭いて貸してくださいました。

荷物も預かってくれました😉

行ってきまーす!

まず道の駅方面へスロープを使って降りてみましょう〜
こちらの物産館は国登録有形文化財、旧板東俘虜収容所を移築したものです。

大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) に到着!

自転車は、綿菓子の出店のそばに置かせていただきました。

ピカチュウの舞掛けだね🤪こちらの狛犬の舞掛けは季節ごとにかわるそうです。ハロウィン柄もあったそうです。
御神木の大楠は樹齢千年だそうです。

この御神木のそばで、先程の方にまたあいました。

’’ドイツ橋がこの先にあるから行ったほうがいいよ‘’とのこと。

‘’あとで行ってみよう〜‘’

鳴門の方々は、初詣はだいたいこちらの神社にお詣りするそうです。

神社の裏手を進んで行くと、まずは眼鏡橋を見つけました。

眼鏡橋

眼鏡橋って誰が作ったの???

こたえ。。。板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)の所長 松江豊寿陸軍中佐(1917年以後同大佐) は、 捕虜らの自主活動を奨励した。 捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行った ため多くの捕虜が感謝しその土木技術を生かして池を掘ってドイツ式のメガネ橋を作ったそうです。同じ時期にドイツ橋も作られたそうです。

捕虜らの自主活動 ってなあに???

こたえ。。。捕虜た ちはパンを焼くことや新聞を印刷すること  楽器を演奏することはもちろん ビールを飲むことも許されていました 。捕虜たちはこうした人道的な配慮に応え  音楽やスポーツ 産業活動などを積極的に展開し、 そうした活動を地域の人々にも伝え、やがて地域の人たちは捕虜たちをドイツさんと呼ぶほど、交流が広がり友情も芽生えました。

また少し進んでいくと、ドイツ橋がありました。

ドイツ橋
自転車🚲に乗り、黒松の並木道を通り抜けます。
遠くから見えた、大きな鳥居もくぐります。
ドイツ館が見えます。山の上に見える塔はなあに❓
こたえ。。。 日独友好と恒久平和を願い、昭和58年(1983年)標高120mの丸山山頂に建設された,ばんどうの鐘 です。
この橋は、アーチ型になってますね。なんていう橋でしょう???
こたえ。。ばんどうドイツ橋です。👇

四国横断自動車道の鳴門と板野を結ぶ区間 にあります。

ドイツの捕虜施設があった場所に行ってみましょう〜

現在、ドイツ公園として整備されています。

ドイツ兵の慰霊碑です。
日本各地で死亡した85名のドイツ兵士の
合同慰霊碑が建立されています。

第一次世界大戦当時、鳴門市の板東俘虜収容所で何人の捕虜が生活していたの???

こたえ。。。ドイツ兵約953人が暮らしていました。

どうしてここに赤十字の碑が建てられたの???
こたえ。。。 。 日本赤十字社徳島県支部では 板東俘虜収容所跡地に、 赤十字ゆかりの地モニュメント を設置し 、 この地で展開された人道的な史実を後世に伝えています。

ドイツ記念館にいたドイツ人夫婦たちとすれ違いました。ここに来るというのは、 板東俘虜収容所 と関係のある親族がいたのかしらね。。。

こちらは、給水施設
収容所跡は少しだけレンガなどが残っていました。
昔の収容所
こちらも給水所。ほかにもパン製造所などもありました。

バスの時間まで余裕がありそうなので、2番札所極楽寺に行ってみることにしました。

極楽寺に到着!

エネルギッシュな仁王様です。
江戸時代  作者は勇渾 と極楽寺ホームページに書いてありました。
この階段の上に本堂があります。本堂にお参りをさせていただきました。

そろそろ、第九の里に向かいましょう~

バルトの庭って見学できるのかなあ~???

道の駅まで戻ってきました。

賀川豊彦記念館のチケットを持っていました。行ってみなきゃあ。

賀川豊彦ってどんな人なの❓
(かがわ とよひこ、1888年(明治21年)7月10日 – 1960年( 昭和35年)4月23日 )

こたえ。。。友愛。互助。平和のために生涯をささげた人です。賀川豊彦は若き日、神戸のスラムに身を投じて貧しい人々の救済に専念しました。壮年時代には、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動に献身し、 関東大震災が発生するや、東京にて、被災者救済 に力を尽くしました。
1951年に日本生協連初代会長に就任しました。

自転車を返却に行きましょう

ドイツ記念館入り口カラフルな置物があります。
徳島の観光地が描いてある豚さんね。靴下も履いてあったかそう~

自転車を返却して、荷物を受け取ります。ありがとうございました。

バスの時間を確認します。

ちょっと早めの夕飯、鳴門のわかめうどんを頂きます。

お夜食にイチゴとパンを買いました。

バスが来ました。本数が少ないので、ちゃんと乗れてよかった。

乗客は一人だけね。鳴門駅に向かいます。離合もできないくらいの細い道も通ります。
鳴門駅に到着!
「うずしおくん・うずひめちゃん」

ホテルの送迎車までの時間、駅の周りを散歩。

お夜食にカールも買ってしまいました。

ここにもアジア第九初演の地と書いてありますね。ここから先には線路はありません。
終着駅ですね。

鳴門駅構内にいたら、ホテルの方が呼びに来てくれました。この時間の送迎は私一人でした。感じの良い方で、いろいろ話しているうちにホテルに到着しました。

温泉に入ってゆっくり休みます。おやすみなさい。


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