パンケーキ🥞を食べに表参道を目指す。娘は午後から仕事なので、車で出発~

信号待ちをしていると、無表情の作業着を着た男性(30代かな?)が私たちの車に向かって歩いてきます。
‘‘なになに、ここは車道ですよ(-_-;)、まさかドアを開けるの?’’と、 殺気のようなものを感じた。 ドアがロックされてない。即座にロックをかける。’’え、後方は空いたままだ!’’
すぐさま娘がドアをロックしました。
その数秒後、後方のドアに手をかける男性。ドアが開かないとわかると、無表情のまま、立ち去っていきました。
危害を加えられなくてよかったとはおもうけれど、平常心ではいられない私。。。
しかし、娘は平気な顔をして、’’どうしてドキドキするの?ロックしたから入れないでしょう`’と。
変態なのか???酔っぱらっていたのか??病気なのか???
とにかく、車に乗ったらすぐにロックはかけましょう。


駐車場に到着!

表参道の駐車場は、料金がお高いのでこちらに車を駐車して歩きます。


1985年のこどもの城会館に合わせて作成した作品が「こどもの樹」です。
「こどもの城」 は2015年に閉館しましたが、
岡本太郎のオブジェ は残されたのですね。

それなのに、今年はインフルエンザではなく、新型コロナウィルスが日本で広がりつつあり、どうか早く終息しますように。

こたえ。。。 元スマップの香取慎吾が、11日間をかけ、無償で制作に取り組んだ作品です。
テーマはなあに???
こたえ。。。テーマは、 「Be the Difference」 除幕式は、 2020年2月6日に行われたそうです。出来立てのほやほや。
「Be the Difference」 ってどういう意味???
こたえ。。。「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています」(新約聖書 ローマ12:6)と「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから」「その賜物を生かして互いに仕えなさい」(新約聖書 ペトロ〈一〉4:10)から導かれた経営スローガンで、青山学院が経営上の判断をする際に最上位に置くべき価値観を分かりやすく表現したものです。 青山学院大学ホームページより

表参道にある建物はおしゃれだなあ~


一枚一枚のパンケーキが大きくて、時間をかけてゆっくりといただきました。
隣のカップルは、食べきれなかったようです。
せっかく表参道まで来たので、どこか行くところはないかなあと探してみたら、
近くに岡本太郎記念館があるようです。行ってみましょう~
岡本太郎記念館に到着!

まだ、開館前だね…
同じように開館を待つ若い男性が一人。
寒いので、日の当たるところで待ちます。
開館時間まであと10分弱。
岡本太郎の自宅を建築したのは誰???
こたえ。。。 坂倉準三 (さかくら じゅんぞう、1901年(明治34年)5月29日 – 1969年(昭和44年)9月1日)
1937年に建築部門のグランプリを受賞して一躍、世界的評価を受けることとなります。

こたえ。。。 より多くの人が文化芸術に触れ、豊かで創造性のある暮らしを営むことに貢献したいという願いのもとに設立されました。
当財団は、展覧会事業を通して人々が現代アートに親しむことのできる環境をつくること、表彰事業を通して未来へ文化をつなぐアーティストの活躍の機会を増やすことを目的に活動をしています。
設立者はだあれ???
こたえ。。。 設立者・会長 前澤 友作
現代芸術振興財団 より
なんだかおかしいな?と調べてみたら、
現代芸術振興財団 と岡本太郎 現代芸術振興財団 とは異なることがわかりました。
岡本太郎 現代芸術振興財団 ってなあに???
こたえ。。。岡本太郎は、父岡本一平から相続した南青山の自宅兼アトリエおよび自己の所有する資産の大半を 拠出して“現代芸術”の振興を目的とする財団法人の設立を計画し準備を進めて参りましたが、志なかばにして病に倒れ実現を見ることなくこの世を去りました。遺族で当財団の設立代表者でもある岡本敏子が故人の遺志を受け継ぎ、岡本太郎の遺産の大半を出捐 (しゅつえん) することによって本財団の設立が実現することになりました。《平成8年11月》
岡本太郎 現代芸術振興財団 ホームページより
出捐 (しゅつえん) ってなあに???
こたえ。。。 当事者の一方が自分の意思で、財産上の損失をし、他方に利益を得させることです。

岡本太郎といえば、1970年に大阪で行われた日本万国博覧会の「太陽の塔」 が思い浮かびますよね。私も、広島から夜行SLに乗って見に行きました。
「太陽の塔」 は、一番存在感のある建物でした。
やっと開館時間になりました。

写真展があるんだね。
岡本太郎ってどんな人???
こたえ。。。 80年代、「芸術は爆発だ!」という言葉で、一躍世間の注目を浴びました。「凡人の理解を超えた変わり者」というタレントのイメージもありますが、画家・写真家・彫刻家・建築家・思想家の顔を持ち、芸術家という言葉にはとうてい収まり切らないスケールの大きな人物でした。
まず、二階から見学❗️

おまけ。。。 42歳の時に太郎は、当時72歳だった天才画家・ピカソのアトリエを訪れ、本人と創作について語り合ったそうです(゚д゚)!
1957年日本各地を精力的に取材した「芸術風土記」を『藝術新潮』に連載。しました。


1951年、太郎40歳の時、東京国立博物館で縄文土器を見て衝撃を受ける。


こたえ。。。 158cmとかなり小柄だったそう です。





こちらの部屋はなあに???
こたえ。。。 ここは、岡本太郎が1996年に84歳で亡くなるまで生活していた、アトリエ兼住居です。代表作である、大阪万国博の太陽の塔もここから生まれました。






お庭に出てみると、

岡本太郎自身の墓碑にもなっている作品、「午後の日」

‘’かおなし’’みたい。。。
「無籍動物」



青山通り沿いに、いつか行ってみたいと思っていたブルーノートがありました。
ブルーノートって???
こたえ。。。1988年 N.Y.の名門ジャズ・クラブ “Blue Note” の姉妹店 としてオープンしました。


渋谷方面にに戻ります。
途中、エスカレートを下り、娘オススメの青山ブックセンターへ寄り道。


ここで娘とお別れ、仕事前に付き合ってくれてありがとう😊



東急東横店は誰が建築したの????
こたえ。。。 坂倉準三 です。岡本太郎記念館を建築した人でしたね。


こたえ。。。 昭和26年から28年までのたった2年間、当時の東館屋上とまだ4階までだった西館屋上をつないだ空中ケーブルカーです。
デパートの中にある銀座線の乗り場も変わっちゃうんでしょうね。
偵察に行ってみましょう~



工事は着々と進んでるんですね。
新しい町だと思っていても、また古くなり建て替えられる。自分が育ってきた景色をたくさん写真に残しておきたいなと思います。
人混みの苦手な私でも、今日は、朝早い行動で大都会をゆっくり味わうことができました。
新型コロナウィルス感染が落ち着いたら、またぶらりと旅に出かけてみたいですね~