6/14(日)近鉄奈良8時47分→薬師寺経由→大和郡山城経由→9時49分法隆寺12時13分→12時20分片桐小学校→慈光院13時20分→近鉄奈良→なら町散策→近鉄奈良→バス→JR奈良16時53分→17時43分京都18時10 分こだま748号→21時29分新横浜







春日大社の釣燈籠(つりとうろう)を模した珍しいもので、昭和58(1983)年にはオードリー・ヘップバーンがこのシャンデリアをバックに家族写真を撮ったそうです。






鳥居の付いた暖炉も見えますね。
【花嫁】上村 松園 の絵もあります。




ロビーに置かれている「平成の大時計」は、平成2(1990)年の今上天皇即位を記念して設置されたもの です。

ゆっくりと寛げます❣️

何の曲を弾いたのかな?
アインシュタインは、他にも楽器が弾けたの?
こたえ。。。ピアノよりバイオリンを弾くことが多かったそうです。ベートーベンのソナタのレントの部分(ゆっくりの部分)をよく弾いていたそうです。
これはなんでしょう〜

横浜市の給付金、昨晩主人に記入してもらいこちらのポストに投函しました😙

大正3(1914)年に大正天皇即位記念として本館のいたるところに備え付けられた、美しい彫刻のスチーム暖房。2017年まで現役で使用していましたが、2018年に惜しまれながら引退したそう です。










鹿も来るそうです。。。




修理の時点で、自動演奏機能は取り外したそうです。
ピアノの中を開けて見せてもらいました。

館内の説明を聞かせて頂いたり、こちらの要求を言葉に出す前に察して動いてくださるホテルの方々の接客が素晴らしいなと思いました。館内の説明をしてくださったのは、総支配人の岡さんでした。接客とは。。。と大切なのは真心ですね。
明治42年(1909年)に東京駅丸の内庁舎を設計した辰野金吾の設計によ る「桃山御殿風檜づくり」 の本館は、一見ホテルに見えないですね。

ちょっと一言つぶやき。。。。
来週以降に宿泊できたらよかったなあ。。。どうして来週以降にしなかったの?
新型コロナウイルスのこともあり、事前に宿泊日をホテルと交渉しましたが、20日、27日土曜日は満室につき、13日しか予約を取れませんでした😞
もう少し先で旅行したかったですが、宿泊券の有効期限が今月末でした😖



法隆寺に向かいましょう^ ^

ホルダー付きでお得ですよ‼️
個人的には、ホルダーに鹿🦌のシールを貼りたいなと思いましたが。。。😛


次は、大和郡山駅を通ります。





こたえ。。。法起寺です。
しばらく走り、法隆寺前バス停に到着しました。
松の木が植えられた法隆寺の南大門まで参道を歩きます。

南大門は1438年(室町時代)に再建された門
この階段を上がり、法隆寺に向かいましょう〜仁王さんはいません。
左下端に、法隆寺の七不思議のひとつ 鯛石(たいいし)があります。
大雨により大和川が氾濫した時も、不思議なことにこの鯛石の所までしか水が上がって来なかったと言います。


こたえ。。法隆寺の七不思議として知られる伏蔵(ふくぞう)
法隆寺の伏蔵は、開けてはならないタイムカプセルとして守られてきました。
おまけ。。。 「腹蔵(ふくぞう)無くおっしゃって下さい」の意味は、
心中に隠し立てをすることなく、包み隠さずおっしゃって下さい。といった意味になります
残りの法隆寺七不思議はなんでしたっけ???
こたえ。。。
「因可の池(よるかのいけ)の蛙には片目が無い」「法隆寺伽藍には蜘蛛の巣が無く、雀の糞も見当たらない」「法隆寺には雨が降っても地面に穴が開かない」
「 五重塔九輪の鎌 」でしたね。

主人が、久しぶりに来たと嬉しそうです。来れて良かったね❣️
バイク旅行では、奈良には行かないもんね。
中門の柱は、どうして5本もあるの❓
こたえ。。。聖徳太子の祟りが門の外に出ないためにという説もありますが、解明されていないようです。

こたえ。。。法隆寺は、「711年(和銅4年)に造立された」という記述が残されています。
何で作られているの?
こたえ。。。塑像→粘土で作られています。現存している日本最古の金剛力士です。

正面を向いて立っており、金網もなく、鑑賞しやすいですね。
西円堂にやってきました。

西円堂っていつ作られたの❓
こたえ。。。現在の建物は、1250年(建長二年)に再建されたものです。
誰が創建したの❓
こたえ。。。聖徳太子の3夫人の1人橘夫人の発願により行基菩薩によって、創建されたと伝えられています。




韓国の百済から仏教は伝わってきた、世界最古の木造建築の寺院が残っているんですもんね🥰

こたえ。。。五重塔は下の階から「地」、「水」、「火」、「風」、「空」と、五大(古代インド哲学や仏教において、万物を構成するとされる5つの要素)を示しており、仏教的な宇宙観が表されていると言われています。昨日見た石塔と同じですね。

こたえ。。。垂木勾配を緩くしたままにする為日本独特の屋根の上に屋根を設けるという形式の屋根では現存最古ものです。構造については複雑でうまく表現できません。ご本尊は薬師如来三尊像です。

大講堂前の大灯籠 元禄七年(1694年)の五代綱吉生母桂昌院の刻印が見える 法隆寺の伽藍は桂昌院によって修造された そうです。


今でも時間を知らせるために鳴らしているの❓
こたえ。。。昔は時間の告知のために鐘をついていましたが、今では年中行事のみに使われています。

五重塔と金堂 縦位置ではなく横位置で並んでますね。
木造建築がよくここまで残ったものですねー
金堂には何の仏像あるの???
こたえ。。。国宝・釈迦三尊像
アルカイックスマイルをたたえる釈迦三尊像ですね。










柱ひとつでこんなに楽しめました😉


クーラーの効いた涼しい館内で、玉虫厨子にも久しぶりに会えました‼️
夢殿に向かいます。


築地塀(ついじべい) 土壁は縦にもラインが入っています。どうして??
こたえ。。。水平にランを付けるときに、一気に施工できないので縦のラインを入れたそうです。


八角円堂 の中に何があるの???
こたえ。。。聖徳太子の等身像とされる救世(ぐぜ)観世音菩薩像を安置しています。


斑鳩町といえば、世界遺産にもなっている「法隆寺の五重塔」。それに「竜田の川の錦なりけり」の竜田川と紅葉が描かれ、町の木「クロマツ」と町の花「サザンカ」が添えられている。さらに、周囲には法隆寺五重塔の高欄と同じ「卍崩し」の模様になっています。
12時13分のバスに間に合いそうです。バス停まで頑張って歩くよ。



慈光院のバス停よりも、ひとつ前のバス停で降りた方が近いような気がして、運転手さんに確認。
一つ手前、片桐小学校で下車❗️



こたえ。。。 茶道石州流宗家は. 徳川幕府四代将軍徳川家綱より幕末まで. 茶道指南役 をつとめ 武家茶道 の原点. ともいえる茶道である。
茶道石州流宗家 ホームページより






‘’お茶をご準備しますのでどうぞ’’と。


こちらの家紋だそうです。



住職さんにどうやってきれいな形に木を刈るのかと質問しています。さて、どうやって手入れをするのでしょう???
こたえ。。。一種類の木ではなくいくつかの植物で構成されている。→木の隙間から手入れできる
地面は平たんに見えるが築山という形になって傾斜がついている→奥のほうは木の高さは低くなっているので剪定できる。。。とのことでした。

’’そもそも茶の湯というのは茶を点てるだけではない。’’ って言われてました。門を入って、部屋までたどり着くまでおもてなしずっと続いている、すべて合わせて茶の湯ってことだそうです。
境内全体が一つの茶席として造られて いるのですね。

300年前から変わらない建築物と庭園を静寂な空間で愉しめました。


前の池は慈光院の所有地だったそうです。
お庭も歩いてみたかったけれど、時間が無くなってしまいました。バスは1時間に1本しかないので仕方ないですね。
バスが来るまで、私は日陰で待ってました。主人は、日の当たるバス停の近くにいてくれました。
ありがとう〜

近鉄奈良駅まで戻ってきました。
まずは餃子の王将でお昼ご飯。昨日に引き続き、お昼ご飯はおいしくお安くあがりました。
奈良町あたりを散策〜

ここは、奈良町にぎわいの家という町屋です。





この先に、庚申堂があるようです。行ってみよう~



こちらは、元興寺 (がんごうじ) 塔址

現在奈良町と呼ばれる広大なエリア全体が元興寺の境内でした 。

「塔跡」にあった五重塔は、江戸時代末期(1859年)に焼失するまでは、奈良の名所として知られ、伝承では72メートルですが、少なくとも興福寺の五重塔(約51メートル)をしのぐ高い塔だったそうです。
たくさん咲いている花は何だろう???
こたえ。。。 ハルシャギク(キク科ハルシャギク属の一年草 )

塔跡から出土した元興寺塔跡土壇出土品と、薬師如来立像(国宝)は、奈良国立博物館に寄託されています。

元興寺塔跡の隣に神社があります。賑わっているようなので寄ってみましょう~

ならまちで古くから「ごりょうさん」と親しまれている御霊神社
縁結びのスポットのようです。




これにより、古都奈良のイメージを表現しているそうです。

浄瑠璃寺、法隆寺までの距離が書いてあります。法隆寺までは、15,3キロもあるんだね。
奈良駅までバスで移動〜

ここを通る人たちが、みんな優しそうな表情で見上げてみてます。
奈良駅から主人は、新大阪方面の電車へ、私は京都にむかいます。
またねー

いただきまーす🥰
主人は、関西までの移動は会社で認められていましたが、私は、人込みを避けて気を付けていたとしても、やっぱり申し訳ないなあという気持ちでした。
おしまい。