7/25(金) 泊2→皿倉山ケーブル乗り場→東田第一高炉跡→若戸大橋→火野葦平(ひのあしへい)旧居「河伯洞」(かはくどう)→高塔山(たかとうやま)→長府街歩き→広島→宮島国民宿舎泊3
激しい雨音で目が覚める。。。
朝ご飯を食べ終わるころ、外が明るくなってきた。どうやら、雨は小康状態のよう。。。
予約した金額で泊まれたのかな?ドキドキしながら、チェックアウトの手続き。。。お会計10350円でした(´▽`) ホッ
さあ、出発~
八幡の町をめぐってみましょう~
八幡東田(やはたひがしだ) ってどんな町なの??
こたえ。。。 日本近代製鉄発祥の地 であり、 「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」 として、 平成27年7月5日に世界遺産登録 されました。
その構成資産である官営八幡製鐵所の関連施設は、製鐵所の構内に立地していることから現在一般には公開されていません。
製鉄所眺望スペースもありましたが、まだ閉まっており、見ることはできませんでした。残念😢
高炉(こうろ)ってなあに??
こたえ。。。 鉄鉱石を溶かし、銑鉄(せんてつ)を生産する施設です 。
銑鉄(せんてつ) ってなあに??
こたえ。。。 溶鉱炉によってつくられた高炭素の鉄。
炭素を4%前後含む溶融状態の鉄とする。これを銑鉄といいます。
難しいなあ~(-_-;)
博物館でいつかゆっくり勉強しましょう〜
ケーブル乗り場の駐車場までしか、車は入れません😓
山上は、雲がかかっているので、ここで景色を眺めることにしましょう〜
おまけ。。。 皿倉山から見おろす、北九州港工業地帯の洞海湾の夜景は、奈良の若草山、山梨の笛吹川フルーツ公園と並んで新日本三大夜景の一つにも選ばれています。
次は、私の行きたかった、若戸大橋(わかとおおはし)に向かいます。
若戸大橋ってどんな橋???
こたえ。。。1962年の開通当時、東洋一の長さを誇り、日本の長大吊り橋の先駆けとなりました。
すべて日本独自の技術で完成した吊り橋で、その技術は関門橋、本州四国連絡橋と 大規模な吊橋へと花開いていきました。
50年くらい前に、父が鈍行電車を乗り継ぎ広島から下関へ、この橋を見たいと連れてきてくれたことがありました。工場地帯にある赤い橋くらいしか印象に残っていませんでした が、「東洋一の夢の吊橋」とよばれていたこともあったのですね !
若戸大橋渡ります。2018年から通行料は無料になりました。
橋を渡りきると、高塔山(たかとうやま)の看板がありました。景色が良さそうなので行ってみましょう~
途中に、火野葦平旧居『河伯洞』の看板を見つける。。。
Uターンして寄ってみることにしました。
素敵なお庭が見えてきました。
こちらのお庭で、ライオンを飼っていたことがあったそうです(*’▽’)
開館時間はまだですが、家の中もどうぞと、お庭を掃除中のご主人らしき方が声をかけてくださる。
建物の中からはも、どうぞお入りくださいと奥様が声をかけてくださる。
河伯洞を管理されているのは、火野葦平の三男の玉井史太郎氏さんでした😳
恥ずかしながら、 火野葦平 の作品はまだ読んだことがありません。
卓上の色紙に何が書いてあるの?
こたえ。。。 「足は地に 心には歌と翼を ペンには色と肉を」って書いてあります。
火野葦平 (1906~60年) ってどんな本を書いたの?
こたえ。。。 昭和13年「糞尿潭」 (ふんにょうたん) で第6回芥川賞を受けたのち、「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」の三部作を発表し、朝日文化賞を受け、戦記作家として地位を築いた。敗戦後は追放の身となりましたが、解除されてからは精力的に「花と龍」など北九州を歩合とした作品を書き、流行作家として活躍しました。
「河伯洞」は、父・玉井金五郎が息子、葦平のためにとその印税によって建てたものです。葦平は、戦地での戦友達の苦労への思いから、後々もこのことを負担に感じていたといいます。
おまけ。。。 三男の玉井史太郎さん は、「平和を願い、困っている人、貧しい人の側に立つ。そうした素朴な正義感を貫いた」中村哲 (なかむら てつ、1946年9月15日 – 2019年12月4日) さんのいとこにあたります。
中村さんは小学2年の頃まで近所に住み、よく一緒に遊んだそうです。アフガンでの活動を始めた後も、帰国すると多忙の合間を縫って顔を見せたそうです。
「河伯洞」 をゆっくり見学し高塔山へ。
展望台に行ってみましょう~
あのお堂はなんだろう❓
「かっぱ封じの地蔵尊」って書いてあります。
高塔山公園の説明書きには、人々を困られていたカッパを地蔵の背中の大釘に封じ込めた話が記されていました👇
現在、若松地区では、愛嬌あるカッパに親しみを込めて毎年夏に「河童まつり」「火まつり」が行われています。
若松の人たちが「カッパ地蔵」とカッパに大変愛着を持っていることを感じました。
広島に帰りましょう〜
こたえ。。。門司の地で砂糖をつくり続けて100年の伝統企業です。
明治37年鈴木商店により創業されました。
社名変更や工場の分離・独立などを経て平成13年に現在の関門製糖になりました。 ばら印とスズラン印の砂糖を製造しています。
長い歴史の中で、赤煉瓦の建物は壊されることなく残されていて、貴重な歴史を感じることができます。
「門司港サイロ」って何の会社のの???
こたえ。。。 門司港運株式会社のグループの関連会社で家畜用飼料の原料穀物をサイロで保管しています。
トンネルを抜けて、本州に向かいます!
シームレス鋼管って何だろう???
こたえ。。。 鋼管(スチールパイプ)の管に溶接による継ぎ目を生じさせない製法、および、同製法で製造された鋼管のこと です。
何に使うの???
こたえ。。。 つなぎ目がなく高強度なのが特徴で、石油・天然ガスの掘削や発電所のボイラーチューブ、産業機械や自動車の構造材などに使われています 。
行ってみたかった長府に寄ってくれました🤩
わーい、わーい😻
長府観光会館に車を止め、散策に出発~
こちらのカモは、
こちらのカモは、これから何を始めるの???
こたえ。。。道真公が大宰府に向かう途中に、自分の姿を井戸に映したといわれている井戸にちなみ、”御影(みかげ)の井戸”と呼ばれ ています。
井戸に自分の姿を映した道真公は、ひどく淋しい気持ちになってきて、水にうつった自分の顔にむかい、「都を離れてすでに百日以上になる、ずいぶんやつれた顔になったな、しかし、もう二度とこの土地にくることはなし、この井戸で、私の顔をみることもあるまい」と筆と紙をとり出し、自画像を書きはじめましたそうです。
名前はなあに???
こたえ。。。ハグロトンボ(羽黒蜻蛉、カワトンボ科のトンボ。別名ホソホソトンボ)
功山寺(こうざんじ) は、長府毛利家の菩提寺です!
お参りさせていただきましょう~
仏殿の中には、こんなに美しい仏像がいらっしゃるようです。
国宝の仏殿 は、 いつ建立されたの???
こたえ。。。 建立は鎌倉後期の1320年(元応2年) です。
建立年代が判明している禅宗仏殿では最も古い建物で す。
隣の建物が法堂
拝観料を払って、拝観させて頂きます。
お庭を覗くと、
おまけ。。。 龍馬没後、慎蔵は約束を果たし、おりょうは長府南の浜の慎蔵宅で慶応4年3月まで過ごしています。
しかし、暗くなると
主人に教えてもらわないと、見過ごすところでした😥
武家屋屋敷を通って駐車場に向かいましょう~
中国自然歩道ってなあに???
こたえ。。。中国自然歩道(ちゅうごくしぜんほどう)は、中国地方5県にまたがる全長約2,200kmの長距離自然歩道です。全ルートが一つながりになっているそうです。
駐車場手前の石橋。
観光会館でお土産を買って、
主人行きつけのあさり汁の美味しいお食事処にお昼ご飯を食べに行きましょう。
お昼ご飯は、息子にごちそうになりました。おいしかったね、ありがとう。
広島に着くころに、雨はやみました。
お寺まであと少し。
お盆の分もお参りして、
レンタカーを返却し、JR広島駅から宮島口へ。
接岸します。
宿の送迎車が待ってくれていました。
先にお風呂に入って、PM7時からの夕食でちょうどいいねえと話していたら、
夕食は、食べるのに夢中で写真も撮るのも忘れていました。
と思っていたら、
貸し切りでお風呂に入れたし、夕食も私たちだけだったし、ソーシャルディスタンスバッチリ👌 ということで、気持ちを収めました。
この宿は、主人が泊まってみたいなあと思っていたそうです。よかった!(^^)!
おやすみなさい。