九州旅行〜2020年10月31日〜11月8日〜大分編〜

主人の勤続35周年のお祝い旅行の始まりです。

残念ながら、この時期に海外は行けないので、

クラッシックホテルパスポートのスタンプ制覇のため、旅行先は九州に決めました。

10/31(土) センター南7時40分→8時40分羽田空港10時JAL663便→11時40分大分空港12時03分→13時12分大分駅→ホテル日航大分オアシスタワー泊1

羽田空港行きバスはセンター北駅経由し、乗客10人で出発‼️

好天に恵まれ道路も混雑している箇所があり、60分→80分かかる予想とのことだったけれど、45分で到着❗️

久しぶりのリムジンバス、車窓の景色にウキウキ😁
バス1050円→電車550円=500円
バスを降りたらところに、オリンピックグッズがあり、お上りさん気分😚
長崎に飛ぶのも候補の一つだったけど、欠航になってる🙁

ラウンジで休憩〜        ラウンジはほぼ満席。親子連れもチラホラいます。

「あくまでそれはメモだよ、Qアールコードの方を持って、分かってるよね。」彼女の声は聞こえてこない。彼氏らしき男の人がずっとこの調子でいちいち細かく指示している。

気を取られていたら、あ、もう離陸15分前だ!急いで搭乗口へ。

搭乗口に出発10分前に到着。席番号50番以降の搭乗のアナウンスが流れています。私は、席番号30番あたりなので、トイレに行く時間も充分ありました😋

空港からの富士山🗻

9日間九州旅行の始まりです🥰

三浦半島と房総半島の一部がよく見えました🙂

大分空港から大分駅までのバスの運賃は1550円、結構高い。バスは、海岸線を通り、高速道路を通って駅に向かいます。所要時間は65分、約63キロあります。遠いねえ〜

バスの中から山が見えてきました。とんがった山は鶴見岳かな⁈

大分駅に到着❗️

このニワトリの像はなあに❓

こたえ。。。「ぶんぶん鳥」というらしい?製作は、セントくんを手がけた籔内 佐斗司(やぶうち さとし)さんです。

どうしてニワトリなの❓

こたえ。。。それは、大分が九州7県の中で最も東に位置しており、一番最初に朝日が昇るからです。

観光案内所に直行して、半日観光できる場所を教えてもらいました。

主人と合流〜
この像は、だあれ❓

こたえ。。。大友 宗麟(おおとも そうりん)です。

どんな人だったの❓

こたえ。。。戦国大名から安土桃山かけての武将でした。キリシタン大名として知られています。

案内所で教えて頂いたルートでホテルへ。
セントポルタ中央町アーケードを通りながら、お昼ご飯のお店を探します。

「カレー屋さんもあるよ」と。。。ググってみると洋食屋の老舗らしい。。。

『老舗』の言葉に弱い私、入ってみることにしました^ ^
私は、鳥カツカレーを注文🍛

運んでいる料理を見てびっくり、ボリュームありすぎ😥

「ご飯少なめでお願いします」と伝える。間に合った。。。

ご飯少なめでこのボリューム😱

お腹いっぱいになりました。。。

まだ14時過ぎなのに、チェックインさせてもえらえました。

部屋から煙が見える?なんだろう。。。
主人が「八幡製鉄所大分だと思うよ」と教えてくれました。

2020年4月1日に、大分製鉄所が、八幡製鉄所及び光チタン部と統合して日本製鉄九州製鉄所大分地区となったそうです。
通ってきたガレリア竹町アーケードが見える🙂
遠くに見える山は久住連山だと思うんだけど。。。

GO TOキャンペーンの電子クーポンを取得するのに悪戦苦闘したあとに、大分城址公園・府内城跡方面に向かいましょう〜

赤レンガ通りを横切り、
お洒落なカフェとお土産物やがあるという赤レンガ館へ。
日本近代建築の父、辰野金吾が設計した建物です。東京駅を設計して人でしたね❣️
昔のレンガが残ってる。
柱も当時のままかな?
明治.大正時代のレンガは、レンガのつなぎ目が盛り上がってるんだったね!
お洒落な通りを府内城方面に向かって歩きます。
アクアパークから音楽が聞こえてきました🎷
ジャズフェスタで賑わってます😀

彫刻通りを歩きます。

西洋医術発祥の地なんだって‼️👇
こちらは、県庁‼️
どこかで見たことのある像なあー
北村西望(きたむらせいぼう)の作品です。

北村西望ってどんな人⁈

こたえ。。。長崎市の平和公園の平和祈念像の制作者です。

この作品は?👇

こたえ。。。朝倉丈夫の『みどりのかげ』
二代目のブロンズ像なのですね。

朝倉丈夫ってどんな人なの?

こたえ。。明治から昭和の彫刻家です。号は紅塐(こうそ)「東洋のロダン」と呼ばれました。

この像はなあに❓

こたえ。。。天正少年使節としてローマに渡った伊東・ドン・マンシヨの像です。

おまけ。。。フランシスコザビエルの滞在をひとつの契機に,大分市(当時は府内と称した)は,キリスト教布教の拠点のひとつとなりました。
この地を治めていた大友宗麟(ドン・フランシスコ)や有馬晴信,大村純忠らは,ローマ教皇に少年使節を派遣することにしました。
宗麟は自身の名代として,遠縁の13歳の伊東マンシヨ(1569頃-1612)を選抜しました。
この一行が「天正少年使節」で,伊東マンシヨはそのリーダーでした。

使節団は天正十年(1582)に長崎を出港し,1584年にリスボンに上陸。1585年にローマに入り,大歓迎の中,グレゴリウス13世に拝謁しました。
伊東マンシヨは,天正十八年(1590)に帰国を果たしましたが、時は秀吉による禁教の世に代わりつつありました。
その後は隠れキリシタンへの布教活動などを続け,慶長十七年(1612)に長崎で病没しました。
(マンシヨが1585年にヴェネツィアを訪問した時に制作されたと思われる肖像画が,2014年にミラノで発見され,日本で2016年に公開されました。)


この像はなあに?

こたえ。。。西洋音楽発祥の地記念碑です。

おまけ。。。大分は日本におけるキリスト教の中心地となり,早い時期から西洋文化が取り入れられました。教会が建てられ,やがて聖歌隊も結成されて,オルガンの伴奏で聖歌が歌われました。

前にも調べたことを思い出しました😜
やっと、府内城跡に到着‼️
「中には入れないので、お堀を一周してみてくださいね」と教えて頂いていたので、ひと回りしてみましょう~
サギがいる。
夕日色に染まってきましたね♪


安土桃山時代に作られた当時はこんな建物だったのかな?

府内城ってどんなお城なの❓

こたえ。。。府内城は、海城です。豊臣秀吉に仕えた石田三成の妹婿・福原直高から竹中重利が引き継ぐ形で増改築を行い1602年に完成しました。

大分城は、別名・府内城(ふないじょう)とも呼ばれていました。

海城ってなあに?

こたえ。。。本丸・二ノ丸の本城部と連結する南北二口は廊下橋であり、これを落とせば完全な浮城となるため、海城と呼びました。


お城のお堀、半分くらい歩いてきました😊
人質櫓(ひとじちやぐら)だって‼️👇
桜の葉っぱ色ついていいですねえ🍁
ここが一番高い場所、天守閣があった場所でしょうね。
復元された府内廊下橋
水が出てるよ、なぜ?

こたえ。。。 大分市の城址公園(府内城史跡)の堀の汚濁水を排除し、さらにヘドロを浚渫した後、 オゾン処理・砂ろ過で高度処理して、修景用水の水質基準を満たす処理水を送水して堀を甦らせたそうです。
何おしやべりしてるのかな?
城内は、コロナの影響で入らないのね^^
水の中に白く見えるのは、ぜんーぶ魚🐟
高崎山のタイル

歩道にお猿さん
マンホールにもお猿さん🐒
ハロウィンソフト👻
ノスタルジックな雰囲気の通り、歩いてみましょう〜

大分の名物なんでもある食堂
りゆうきゆうのお刺身と、豊後牛のすき焼き。いただきまーす♪
ハロウィン🎃の日の満月🌕

街中も月明かりで明るい
夜景を見ながらおやすみなさい😴

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