九州旅行〜2020年10月31日〜11月8日〜原城跡〜口之津(くちのつ)港〜長崎グラバー園編

11/4(水)泊4サイクリング→原城跡→ホテル→原城10時52分(13分遅れ)バス→11時10分口之津(くちのつ)港→町散歩→口之津港13時27分→15時02分諫早駅15時35分→15時54分長崎駅→ 大浦天主堂下車→ ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル(チェックイン)→グラバー園→ホテル泊5

朝散歩に出発〜

玄関の前の獅子はなんだろう❓

北村西望(きたむらにしも)作だって❗️

平和祈念像を作った人でしたね。

北村西望(きたむらにしも)の出身地はどこ?

こたえ。。。ここ南有馬村出身です。。

生家は残ってるの❓

こたえ。。。西望公園に、北村西望記念館「西望生誕の家」として保存されています。

朝日は見れるかな?
海岸に行ってみましょう〜
そろそろ有明海から朝日が出てきそう。。。
後ろに見える丘が原城本丸跡です。
お日様が雲の上から出てきました🌞

土手に上がって見てみましょう〜

密猟禁止!の看板。漁協に管理されてる場所なんだ。
うっとり〜向かい側は天草の島々ですね😉
この先に、阿蘇山火山の大火砕流の地層があるようです。ブラタモリで見ました。あとで見に行きましょうー
雲仙普賢岳は雲の中ですね☁️
あの平な島は湯島です。「談合島」とも呼ばれます。どうして❓

こたえ。。。一揆勢の首謀者がしばしば湯島で会合を開いたからです。
ホテルから850メートルで本丸に行けるのね😉楽しみー
レストランから雲仙の山々が見えます‼️
昨晩は真っ暗で何も見えなかったもんね。
この料理はなあに?

こたえ。。。具雑煮(ぐぞうに)です。

どんな料理なの❓

こたえ。。。島原地方の郷土料理です。モチの他に鶏肉、蒲鉾、野菜などを入れた具だくさんのお雑煮です。

具雑煮の起源は?

こたえ。。。寛永14(1637)年島原の乱で原城に籠城(ろうじょう)した一揆軍が、兵糧(ひょうろう)として蓄えたもちと海や山から集めた材料で作ったのが起源とされています。

ホテルで借りたレンタサイクルに乗って出発〜

電動自転車です。楽ちん〜
なんと無料で借りられます🥰

この白い層が、阿蘇山火山の大火砕流の地層です。

いつ頃噴火のしたの?

こたえ。。。約9万年前に阿蘇火山が噴火しました。

ここから先は行き止まり。

引き返し天守閣跡に行ってみましょう、

この先、町までつながっていたそうです。
あら、田んぼが見えてきた。

坂道を上って行くと、

今度は畑がみえてきました。
何を植えてるの❓

こたえ。。。玉ねぎの苗を植えています。
何をしているの?
こたえ。。。畑に線を引いています。何を植えるのかな〜

丘の上にきました。

広くて、眺めの良い段々畑です🙂

原城に到着‼️

天草四郎率いる島原、天草一揆の終結の地です。

天草四郎はどのくらいの期間、原城に立て篭もったの❓

こたえ。。。1637年12月3日から約3ヶ月(88日間)立てこもりました。(兵糧攻め→総攻撃のうえ落城)

天草四郎ってどんな人だったの?

こたえ。。。イケメンで頭が良く、優しい性格で、首にロザリオをつけていました。本名は、益田四郎時貞と言います。わずか16歳の少年でした。

どうして大将になったの?

こたえ。。。キリスト教(カトリック)の宣教師からの予言があったからです。

洗礼の名前は❓

こたえ。。。ジェロニモ、その後、フランシスコに変わりました。

一揆で生き残った人はいるの❓

こたえ。。。1人(山田右衛門作やまだえもさく)だけ生き残りました。

おまけ。。。天草四郎と首謀者たちの首は、出島でさらされたと伝えられています。

島原.天草一揆は、キリシタンの脅威を幕府に認識させました。

👇

1639年ポルトガル人追放、ポルトガル船キリスト教禁止

👇

鎖国確立→全国的なキリスト教摘発を開始。

一揆の後に何か変化はあったの❓

こたえ。。。農民の年貢が1年間免除され、藩政の再建が行われました。

参考資料(南有馬小学校6年、知られざる原城の歴史大発見より)

ここから本丸を目指します。
お城の仕組み👇
本丸跡が見えてきました。
このお地蔵様はなあに?👇
ホネカミ地蔵っていうんですね。
お地蔵さまの裏にも地蔵塔がありました。
戦争が起こらない世界を望みます。
本丸跡が近づいていましたね。
埋門(うずみもん)跡を通り、
本丸門跡を抜けます。
ここは、本丸の北側にある石垣破却の痕跡。
一揆の時に壊された石垣がそのまま残っているんですね。
普賢岳(1359メートル)が顔を出しました😉
平成新山が1番標高が高くなりました。標高はどのくらいあるの?

こたえ。。。1488メートルあります。
本丸跡に到着‼️
この辺りにいます。
あの鳥はなんでしょう❓
ジョウビタキです。
天草の墓碑です。本丸で首を切られ、長崎でさらし首にされたのでしたね。

墓碑の前で手を合わせます。
自転車で上がってきた道がくっきり見えます❣️

天草四郎像見つけた❗️

こちらの像も、彫刻家・北村西望氏の作品です。
本丸にも礼拝堂があったそうです。この辺りなのかな。
十字架は塔の上にあるんですよ。
天草諸島が見えてます😊
昨日はあっち側にいたんだね。熊本を通ってよくここまで移動してきました。

ここは、世界でたった3ヶ所、期間限定でしか見られない奇跡の絶景、南島原のリソサムニューム礁を見ることができます。

いつか見に行きたいです。

その時もまた、原城温泉真砂に泊まりたいです。

リソサムリユーム看板の下の海🏖
この辺りで見られるのですね。
こちらは口之津港方面。
埋もれたお地蔵さま
当時のままのものなのかは、よくわかりません。
空堀(からぼり)
4キロの水堀があり、有明海からの潮の満ち引きにより、攻めにくいお城だったそうです。

キリシタン記念館に向かいましょう〜

気持ちのいい一本道を通り、

広い通りに出て、坂道を上り、有馬キリシタン遺産記念館に到着‼️

時間が20分ほどしかなく、少し急ぎ足になってしまいました😅

自転車を一生懸命に漕いで、

ホテルに到着🏨

バス停まで送迎車で送ってくれました🥰本当に居心地の良い宿でした。

10分以上過ぎてもバスがきません。
心配になり、バス会社に連絡を入れました。「運休にはなってないのでもうしばらくお待ちくださいね」と。。。😌
昨日も遅れていたし、運休になっていないとわかり安心しました。

バス停の周りを散策〜

桜の時期はきれいなんでしようね。
本丸までは900メートルの看板と、
原城温泉真砂への看板がありました。
民家のない原城跡を抜けていくのだから、暗くなると道は真っ暗になります。
ホテルの方も心配してくれて、バス停まできてくれたのですね。
まわりはこんなにのどかな風景😻

15分弱遅れてやっとバスがきました。

口之津港に到着‼️
諫早行きのバスの時間を確認🚍
口之津港から天草の鬼池港までは、フェリーで30分で行けます。
ポルトガル帆船のマンホールです。

口之津港ってどんな場所だったの❓

こたえ。。。天然の良港で、1567年にトリスタン・バス・デ・ベイガ船長のポルトガル船3隻が入港し南蛮貿易港として栄えた場所です。
明治時代には、黒いダイヤと呼ばれた三井三池炭鉱の石炭の積出港として繁栄しました。

口之津歴史民俗資料館を見学します。

石炭だけでなく「からゆきさん」たちの涙も海へと運んだと書いてありました。

「からゆきさん」って?

こたえ。。。明治から大正にかけて出稼ぎに行った人たちのことです。「口之津はからゆきさんの輸出港でもあった」とあります。行き先は世界津々浦々の娼館(しょうかん)でした。

船底で運ばれる途中死ぬ者も多く、無事目的地に着いても身に覚えのない膨大な借金を背負わされ、死ぬまで苦界に身を置いた人たちのもいたそうです。

おまけ。。。受付の男性の方は、奥様が神奈川県大和市に住んでいるとのこと😧ご主人が、口之津出身だそうです。

急に身近な人に感じました笑

アーチ橋を渡りに行きましょう〜

海沿いを歩きます。
イカダにイカリ⚓️❓
なんばん橋を渡ります。
口之津港方面
反対側は小さな湾になってます。
橋を下ると、
口之津歴史民俗資料館分館がみえてきました。
対岸はバスで通りましたね。
口之津歴史民俗資料館分館ってどんな建物なの❓

こたえ。。。1899年(明治32)年に建てかえられた口之津町唯一の明治洋風建築・旧長崎税関口之津支庁(県指定有形文化財)でした。閉館あと、建物を利用して活用した口之津の歴史と人々のくらしを紹介する資料館として開館しました。
奥のレンガは古そうです🧱
口之津港が遠くに見えます。
なんばん橋は、口之津のシンボルなんだって!!

港の近くに戻って、どこかご飯を食べに行きましょうー

天草に向けてフェリーが出航⛴
階段の上には何があったのかなあー
飛び出し注意の看板いいね🤗
九州自然歩道の看板、もしやさっきの階段は口之津教会跡だったのかしら?
なんの花のマンホール❓

こたえ。。。町の花「ハマユウ」を描いたマンホールです。
八雲神社
八百万の神を祀ってあります。
レンガ塀が町の中にたくさん残ってます。
道端のお地蔵さま
ぶつぶつ模様の入った石です。
ここにもレンガ塀が残ってます。
「青一髪」ってどんなお酒?

こたえ。。。長崎県産の大麦のみを使用した本格麦焼酎。4年以上もの熟成貯蔵による深いコクとまろやかさが特徴の人気銘柄です。
島原バス車庫
カステラを買おうと思ったのにお休みだ。カフェも閉まってる😱

他のお店も軒並みお休み😰

お昼ご飯は、港に戻って何か買って食べることにしました。

お腹すいたあ〜

足取りも重くなりました。。。
港に到着〜

店員さん、まさかの藤沢市の方でした。この場所が気に入ってここで暮らす事に決めたそうです。

おねえさんオススメのジャガイモパイを買いました。

長崎は、ジャガイモ伝来の地なんですよ。生産量も日本有数。

どこからジャガイモは伝来したの?

こたえ。。。じゃがいもは、約400年前の慶長年間(1600年前後)にインドネシアのジャカルタから長崎に入ったと言われています。名前も「ジャガタラ」に由来しているそうです。

諫早行きのバスがきました。

早速いただきまーす。

どちらもとっても美味しかったよ😘
海岸線を走るので、最高の景色を楽しめます。
だんだん畑は至る所に見られす。マチユピチユの景色の重なりました。

バスは諫早バスターミナルに到着します。歩道を渡り諫早駅に向かいます。

諫早駅から電車で長崎へ
本諫早行きの黄色の電車🚃

九州の電車は色鮮やかですね。 
長崎行きの青い電車に乗ります。

長い長いトンネルを抜けて、長崎駅に到着❗️

駅前は大工事中👷‍♀️

ホームは、新駅に到着するので、市内電車乗り場まで遠いー
しばらく歩いて、旧長崎駅ホームに到着。
旧ホームを歩きます。
旧長崎駅ホームの最終地点。
長崎駅前のポスト📮

荷物を持っての移動は疲れるなあ~

駅前から路面電車に乗る。新地中華街で降りるのを間違え、出島で下車してしまう😣

自信を持ってピンポンを押し、さっさと降りた私。。。😞主人も声を掛ける隙がなかったようです。

新地中華街まで歩き、大浦天主堂まで電車に乗る。

ホテルに到着❗️
部屋も広くてきれい〜

元気を取り戻し、グラバー園へ。
ホテルで入園券をもらいました😋
旧グラバー邸は来年10月末まで修繕工事中なんですって‼️
長いエスカレーターに乗って1番高い場所に向かいます。楽チンだ😛

エスカレーターは新しくできたんだね。
夕日の時間に間に合いそうー
旧三菱第2ドックハウスに到着❗️
どんな建物なの❓

こたえ。。。船を修理する間に船員が宿泊する施設です。1972年に三菱造船株式会社より移築復元されました。
ここはドックハウス前の庭園。
2階に上がると、長崎港と夕日が見えました❣️
あそこに見える橋はなあに❓

こたえ。。。女神大橋です。女神大橋(ヴィーナスウィング)は、長崎港によって分断されている長崎市南部・西部を最短距離で結んでいます。
長崎港をアップ。
異国情緒が漂ってます。
こちらは旧ウォーカー住宅。大浦天主堂近くにあった建物を移築しました。
屋根は日本瓦です。
左の教会が大浦協会、右の教会が世界遺産の大浦天主堂です。
自由喫茶室は、日本初の西洋料理店を1878年に移築した建物です。

ゆっくりお茶をしてみたいなあ〜
「マダムバタフライ」を演じた三浦環(みうらたまき)像。朝ドラの「エール」にも日本が誇るプリマドンナとして出ていますね。
ここはリンガー邸、重要文化財に指定されています。開放的なベランダが印象的でした😊
建物内には、2013年改装中の奈良ホテルから見つかった、極東一豪華なホテルとうたわれたナガサキホテルのカトラリーが展示されていました。
リンガー邸に住んでいたのはどんな人なの❓

こたえ。。、貿易やホテル業などさまざまな事業を行なったイギリス人一家が住んでいました。
ここから女神大橋の全景が見えました。
秋の薔薇🌹あま〜い香りが漂ってます^ ^
丸い柱なベランダは、オルト邸❗️

大浦天主堂を手がけた建築家、小山秀之進(こやまひでのしん)が設計しました。

他にどんな建物を設計したの?

国指定重要文化財グラバー邸(木造)、国指定重要文化財リンガー邸、三角西港の築港並びに洋館建築があります。

リンガー邸も設計したのですね‼️

あたりもだんだん暗くなってきました。
閉館時間が迫ってきました。
向こうに見える鉄塔の立ってる山が稲佐山。明日夜景を見に行く山です♪
出口に向かいましょう〜
暗くて迷子になりそう☹️

グラバー園に来たのに、グラバー邸は見れませんでした。工事中の様子を見ることができたのにちょっぴり残念。。。

大浦天主堂の前を通り、ホテルの前を通り、「四海樓」(しかいろう)へ。

あら、電気が消えてる。15時までの時間短縮営業だったそうです☹️

中華街に行ってみようー

大浦天主堂の電停を通り、
中華街に到着〜
主人はちゃんぽん
私は皿うどんを食べました😉

主人は汁まで飲み干していました。美味しくてよかったね。

ぶらぶら歩いてホテルに戻りましょう~

明日の朝散歩も楽しみー

おやすみなさい😴

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