1/8(土) 中山5時53分→6時31分八王子6時34分→7時26分高麗川7時28分→8時59分高崎9時25分→10時05分上州富岡→富岡製糸場→上州富岡12時39分→13時19分高崎→高崎市役所展望台→高崎15時36分→16時10分深谷16時23分→16時37分熊谷17時20分→送迎車→行田(ぎょうだ)ハナホテル泊1
駅前は、一昨日に降った雪の影響が残ってます。👇
一昨日の駅前広場
子供たちは大はしゃぎ😁でした。。。
八王子から八高線に乗り換え。。。
八高線って?
こたえ。。。八王子(東京)と倉賀野駅まで(群馬)を結んでいる路線です。八王子駅からの電車は高崎駅行きです。
拝島駅でどっと人が降りていきました。どうしてこんなに人が降りるのかな?
こたえ。。。青梅線五日市線中央線、西武鉄道の乗り換え駅になっています。
丹荘駅(たんしよう)のプレートないよ⁉️
こたえ。。。2019年駅舎の建て替え工事が完了し、新駅舎が供用されました。その後、プレートだけ、抜かれたままになっているようです😔
神流川(かんながわ)を渡ります。
神流川(かんながわ)って?
こたえ。。。関東一綺麗とも言われる清流で、上野村にある三国山に源として、長さは87.4kmあります。
おまけ。。。三国山(みくにやま)は、富士山の眺望を楽しめる、初心者でも登れる山だそうです。
高崎駅に到着‼️
八高線は倉賀野駅までのはずだけど、この先はいけないですね。。、😅
おまけ。。。八高線は、埼玉県唯一の非電化路線だそうです。
神奈川県にも非電化路線はあるの?
こたえ。。。1991(平成3)年春まで『JR相模線』が非電化路線でしたが、現時点非電化路線は姿を消しました。
車両は、キハ111-207(1996年3月製造)
上信電鉄に乗り換え。。。
階段を降りて、
ホームの先に、
上信電鉄の改札口があります。
上州富岡駅までは810円
こちらの切符がお得🎫
富岡製糸場見学割引乗車券を買いました😀
改札口の先に、
上信電鉄の電車が見えてきました😉
電車に乗ります🚃
下仁田(しもにた)駅行きです!!
早速、車内に入りましょう〜
ぐんまちゃんがお出迎え🐴
天井や
吊り革にぐんまちゃん🐴
ここにも、ぐんまちゃん🐴
高崎駅を出発〜😁
線路が、まっすぐに続いていますねえ〜
甘楽町(かんらまち)に到着‼️
見どころいっぱいありそうですが、通過。。。
上州富岡駅に到着‼️
車両は、クモハ502!
いつ製造されたの?
こたえ。。。1979年7月に製造されました。
2両編成でした❗️
お冨ちゃんってだあれ❓
こたえ。。。冨岡のマスコットキャラクターです。年齢はずっと14歳!10月3日(10(と)と3(み))生まれ😁
富岡製糸場に向かいましょう〜
お腹もすいたし、朝ごはん何処かで食べれないかなあ〜
下仁田ネギだ!安い😳
しかし、ネギはすぐには食べれない。。。
富岡製糸場まであと300メートル👌
わーい🙌今川焼、見つけた😀
焼きたてカスタードをパクリ^ ^
富岡製糸場入り口が見えてきました。
富岡製糸場は、いつできたの?
こたえ。。。1872(明治5)年です。
見学券お持ちの方の入り口から入場〜
10時30分スタンダードガイドツアーにギリギリ間に合いました😊
正面に見えていた『東繭倉庫(東置繭所ひがしおきまゆじょ)』から説明が始まります。
当時のレンガ積みかたは❓
こたえ。。。フランス式です。
よく見ると、一段にレンガの長手と小口を交互に積んであります。
ヤマニの刻印のレンガ🧱
小さくて分かりにくいけど、しっかり刻印は残っています。
ヤマニの刻印って?
こたえ。。。「ヤマニ」の刻印は、当時甘楽町に築かれた専用の窯で焼かれたれんがに残るマークです。
漆喰のネジ
おまけ。。。建物のずれは、150年経った今でも
±2センチの誤差しかありません。
富岡製糸場は、国宝→世界遺産登録❌ではなく、
世界遺産登録→国宝⭕️に指定されました。
おまけ。。。(重要文化財指定:平成18年7月5日)
(世界遺産登録:平成26年6月25日)(国宝指定:平成26年10月17日)
世界遺産に登録されているのは、「富岡製糸場と絹産業遺産群」となってます。
何の目的で大きな製糸場がつくられたの?
こたえ。。。産業や科学技術の近代化を進めるために外貨獲得が必要でした。そのため生糸の輸出に力を注ぎました。
どうしてこの地が選ばれたの?
こたえ。。。古くから養蚕が盛んで広い土地と豊かな水があったからです。
設立指導者は誰?
こたえ。。。設立指導者には生糸技術者ポール・ブリュナをはじめとする、10人ほどのフランス人を雇いました。
おまけ。。。製糸場で働く女性の募集をかけたのですが、これが一向に集まりませんでした。その理由は???
こたえ。。。その理由は、フランス人が飲む赤ワインを日本人が「生き血」と疑い、「富岡製糸場へ行くと外国人に生き血をとられる」という、今では考えられないようなデマが流れたためです。
(アソビューホームページより)
東置繭所(ひがしおきまゆしょ)
繭を何トン保管できたの?
こたえ。。。32トンです。
柱や梁を木材で造り、骨組みの間に煉瓦を積み上げる工法のことをなんて呼ぶの❓
こたえ。。。木骨煉瓦造(もっこつれんがづくり)と呼びます。
通し柱は、どんな木が使われているの❓
こたえ。。。妙義山の杉の木が使われています。梁が2本「挟み梁」(はさみばり)という構造で、吾妻山の松の木が使われているそうです。
この建物はなあに?
こたえ。。。、女工館です。
フランス人女性教師4名の宿舎として建設されました。
建物の特徴は?👇
菱組天井です。→コロニアル(植民地的)様式って呼ぶそうです。
植民地的ってどういうこと?
こたえ。。。当時のヨーロッパ諸国の植民地であった東南アジアなどの暑い国で生まれた様式です。 床が高く、窓には風通しのよい板戸が取り付けられ、ベランダの天井の板が格子状に組まれています。
おまけ。。。長崎のグラバー邸が日本最古のコロニアル様式の建物です。
この建物はなあに?
こたえ。。。繰糸場です。
どうして屋根が高くなってるの?
こたえ。。。繰糸場内は、蒸気換気のため桁行(けたゆき)全長に排気のための越屋根(こしやね)を設けています。
屋根には、鬼瓦👹
下のまあるい瓦はなあに?
こたえ。。。丸いのは太陽、その下には波模様。日の出を表現しているそうです。
東置繭所につづき、この建物も国宝なんです😳
最初のレンガ積み🧱
一年後のレンガ積み🧱
上手に積めるようになりました😁
中に入ってみましょう〜
この建物の特徴はなんでしょう?
こたえ。。。柱が一本もないことです。『トラスの小屋組』です。
『トラス』の意味は?
こたえ。。。部材同士を三角形につなぎ合わせた構造形式を「トラス構造」と呼びます。
桁行(けたゆき)はどのくらいあるの?
こたえ。。。140メートルあります。
座席は決まっていたの?
こたえ。。。新人が奥の席でした🤔
上を見上げると、腰屋根の内側や様子が分かりますね🙂
どうして部屋の中は白く塗られているの?
こたえ。。。天井が真っ白なのは、窓から入る光の中で少しでも明るい中で仕事をするためです。
沢山の窓から、光が差してきて明るい〜🌞
この機械はなあに?
こたえ。。。フランス式繰糸機(器)復元機
創業当時はフランスから輸入された300釜の繰糸器が並んでいました。
現存する機械はあるの?
こたえ。。。唯一市立岡谷蚕糸博物館に展示されています。
実演時間もあります😏
1966年ごろに設置された日本製の自動繰糸機が並んでいます。
当時、どんな音が響いていたんでしょうね♫
この看板はなあに?
こたえ。。。昭和62(1987)年3月で操業停止された際の作業伝言板。27中(=デニール)の生糸を繰るためには、8~10個の繭数が正常だと伝えています。
女工さん達はの年齢は?
こたえ。。。15歳から25歳くらいでした。
勤務時間は?
朝9時から16時45分、7時間45分勤務でした。
おまけ。。。見張りがいなくなると(フランス人帰国後)は、12時間働かされたそうです。
お休みは?
こたえ。。。日曜日と年末年始10日間休みでした。
お給料は?
こたえ。。。年俸制だったそうです。
1等工女 23円、2等工女 19円50銭、等外工女 11円50銭。
「現在に換算すると⁈」の質問をよく受けるそうですが、答えは難しいけれど、当時としては好条件だったそうです。
おまけ。。。工場内には、フランスの香水・化粧品・衣料品などが並んでいたそうで、お給料からの差引も制度もあり、お嬢様(女工)たちには、お小遣いをそちらにつぎ込んでしまい、年末年始帰省できない人もいました。
富岡製糸場で3年契約を終えた女工は故郷へ戻り、全国に紡績業を広めていきました。
お風呂はあったの?
こたえ。。。お風呂はありましたが、ゆっくり浸かる時間はなく、歩きながら入ったそうです。
女工さんの楽しみは?
こたえ。。。ひと月に3回の赤飯と塩鮭の食事でした😍
糸繰りといえば、「あゝ野麦峠」の劣悪な女性労働のイメージがありましたが。。。ここでの生活はずいぶん恵まれていたのですね❣️
次の施設は何かな?
診療所です🏥
いつ建てられた建物なの⁈
こたえ。。。昭和15(1940)年に建てられた3代目の診療所です。
おまけ。。。創業当初から診療体制が整っていて、官営時代には治療費・薬代を工場が負担するなど厚生面が充実していたそうです。
こちらは病室→結核にかかる女工さんも多かったそうです。
この建物はなあに?
こたえ。。。フランス人指導者のポール・ブリュナ一家4人が暮らしていた『ブリュナ館』です。
何坪あるの?
こたえ。。。300坪です😳
地下には、
ワインと食料の貯蔵庫もありました。
ブリュナの給与は?
こたえ。。。月給750円でした。当時の日本の総理大臣の月給が800円だったそうです。
ようけもらっとっとんじやねえ🤗
ブリュナ館は、ブリュナ一家が帰国後、何に使われていたの?
こたえ。。。工女たちに読み書きや和裁などを教える学校としても使われました。
ガイドツアー最後の建物に到着!!
『寄宿舎』が見えてきました。
2棟の寄宿舎の呼び名は?
こたえ。。。北側に「浅間寮」、南側は妙義寮。 昭和15(1940)年に、工女を確保するために建てられました。
建物内はどんな風になってるの?
こたえ。。。15畳の部屋が2棟で32室あります。
ひと部屋に何人で使っていたの?
こたえ。。。12人です。
製糸場停止後、どうして壊されなかったの?
こたえ。。。片倉工業社長・柳沢晴夫氏の「売らない・貸さない・壊さない」の三原則のもと、壊されず残りました😼
おまけ。。。 群馬は、「かかあ天下と空っ風」と言われますがどうして?
こたえ。。。古くから絹産業が盛んな上州(群馬県)では、女性が養蚕・製糸・織物で家計を支え大活躍しました。夫たちは「俺のかかあは天下一!」と呼び、これが上州名物になり、「かかあ天下」という言葉が生まれました。現代では活躍する女性像の代名詞となっています。
鏑川(かぶらがわ)
妙義山⛰
ブリュナ一家の住んだベランダからは、
こんな景色が見えてました。
故郷のフランスの景色に似ていたそうです。
柱に当時の落書き?が残ってます😁
右端の平たい山はなんていう山?
こたえ。。。荒船山(あらふねやま)です。
高圧変電所の中の古いカレンダー🗓
検査人館のそばを通って
東置繭所に行ってみましょうー
改装工事のそばを通り抜けて、
東置繭所に到着‼️
窓は閉ってます。
鼠小僧の落書き😁みつけた
階段を下りて、
一階へ。
次の建物は何かな?壁沿いを歩いて行きます。
壁に刻印見つけました。
たくさんの種類の刻印がありますね😍
あの煙突は当時のものなの❓
こたえ。。。当初から数えて4代目の煙突です。コンクリートで作られています。
こちらは当時の煙突👇

見えてきた建物はなあに❓
こたえ。。。👇
国宝に指定されている、西置繭所(にしおきまゆじょ)です。
いつ保存修理が終わったの?
こたえ。。。「西置繭所(にしおきまゆじょ)」は2020年に保存修理を終え、グランドオープンしました。
その前に、ブリュナエンジンの復元機の建物へ、見学順序が決められています。
ブリュナエンジンの復元機
最後の見学場所、『西置繭所』に到着!!
こちらの壁は工事前の様子を残してあります。
片倉の袋に入ってるのは、繭でしょうね。
ベランダからの眺め。。。
こちらの床は当時のままだそうです。
この木はなあに?
こたえ。。。高野槙(こうやまき)です。
富岡製糸場の全体図
冨岡製糸場とデザインの中央には市の花「サクラ」と、「繭」をモチーフにした4つの笑顔のマンホールです。
ちょっと急ぎ足で駅に向かいましょう〜
小道を通っても、駅までの案内はしっかり、迷わないね☺️
路地を抜けて、
上州富岡駅に到着‼️
繭の時計をみーつけ!
可愛い電車がやってきた^ ^
こんな電車🚃
運転席
デハ252って?
こたえ。。。上信電鉄250形電車は、1981年に登場した上信電鉄の通勤形電車です。
浅間山見えてるね😍
高崎駅に到着‼️
観光案内所でオススメ場所を教えてもらい出発ー😍
ト音記号♬の柵😊
f(フォルテ)😊のマーク
高崎祭りの山車と花火のデザイン
振り返ると高崎駅が見えます。
ハーブのオブジェの向こうに、目指す展望施設が見えてきました!
凍った高崎城のお堀を通り、
北村西望(きたむらせいぼう)の像があるね!!
大分の町にも同じ像があったね。
五線譜の柵♪
五線譜のベンチ😁を見ながら、
群馬交響楽団は有名だもんね🎼
市庁舎に到着‼️
21階の展望室に上がります😊
遠くまでよく見える🥰
雪を被った山は谷川岳
赤城山、前橋方面
高崎駅方面。。。
浅間山は、富士山のようなきれいな形だね^ ^
高崎白衣大観音
群馬音楽ホール『群馬シンフォニーホール』
観光案内所に立ち寄ってよかった❣️
市庁舎のだるま
群馬シンフォニーホールを通り、
高崎城乾櫓(いぬいやぐら)へ
高崎城は誰が築城したの?
こたえ。。。井伊直弼です。
乾櫓は、群馬県のお城で唯一の現存建造物なんです。東門も同じく、現存建物です。
バイオリン型の電話BOX☎️
電話ちゃんと入ってますよ!!
群馬シンフォニーホールは成人式の会場になってます。
スズラン百貨店に寄り道。。。
屋上から景色を眺めてみようー
屋上は閉鎖中だ😞
地下まで降り、イチゴジュースを飲んで、ひと休み🥤
元気を取り戻したよ〜
お堀ぞいをあるき、
南銀座を通り抜け、高崎駅へ。
高崎駅から深谷駅に向かいます。
深谷駅で途中下車❗️
東京駅に似ている深谷駅の建物が気になってました。駅をひと回り。。。
どうして煉瓦🧱を使った建物にしたの?
こたえ。。。1914年に建てられた東京駅丸の内口駅舎には、深谷市にある日本煉瓦製造株式会社製のレンガが使われました。日本煉瓦製造株式会社は、深谷市出身の実業家 渋沢栄一が作った、日本で最初の機械式レンガ工場。今はなき日本煉瓦製造株式会社ですが、赤坂迎賓館や帝国ホテルなどのレンガもここで作られています。
そんな東京駅との繋がりから、平成8年に深谷駅が改修する際、東京駅を模して建てられました。(トラベルupホームページより)
煉瓦パネルはいくつ使ったの?
こたえ。。。50万個です。改修費用に35億円かかりました。
大河ドラマ館、行く時間がなくて残念😌
渋沢栄一柄のバスがやってきました。
構内は、大河ドラマで有名になった『渋沢栄一』一色です😊
熊谷駅に到着!!
まずは夕飯の買い出し。。。
カラーのマンホール見つけた^ ^
どうしてラグビーなの?
こたえ。。。春の全国高校選抜大会が熊谷ラグビー場(埼玉県熊谷市)で開催されています。
ラグビータウンですね🏉
出発時刻5分前、ホテル送迎場所に到着!
もう送迎車が停まってる。。。、
私ひとりを乗せて、送迎車にてホテルへ。
ホテルに到着❗️

靴を脱いで部屋の中へ。
コンパクトだけどゆっくりできそう〜
お惣菜を食べて、明日に備えて早めにおやすみなさい💤
1万6661歩、歩きました。