11/20(日) 泊1→西桑名5時48分→6時37分阿下喜(あげき)6時38分→7時26分西桑名→桑名町巡り→近鉄桑名14時22分→14時29分冨田14時42分→15時31分西藤原16時21分→17時07分冨田17時16分→17時49分名古屋→地下鉄東山線名古屋17時55分→18時栄→名古屋東急ホテル泊2
早起きできました😁
274車両はいつ頃製造されたの?
こたえ。。。 1977(昭和52)年10月、北勢線の近代化を図るため廃車になる220形などの代わりに新造された車両です。
だんだん明るくなってきた。
西桑名駅に到着。
ホテルで朝食を食べて出発ー
入ってみよう〜
こたえ。。。宝暦3年から5年というわずかな期間に行われた宝暦治水では、80名以上の薩摩藩士が犠牲となりました。大工事をみごとに完成させた薩摩藩士の功績を称え、彼らのことを薩摩義士と尊称するようになりました。(治水神社ホームページより)
こたえ。。。👇
六華苑に向かいましょう〜
どうして御殿を建てたの?
こたえ。。。👇
出口を出て水路沿いにしばらく歩くと、煉瓦造りの給水塔があるそうです。
行ってみよう〜
六華苑に向かいましょう〜
六華苑ってなあに⁈
こたえ。。。二代諸戸清六の邸宅でした。
いつ完成したの?
こたえ。。。大正2年(1913年)に完成しました。
歴史案内人が史跡・名所の案内をしてくれることになりました。
この建物は、山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の邸宅です。
最初にするのは洋館
洋館は誰が設計したの?
こたえ。。。「日本近代建築の父」と呼ばれたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルです。
桑名市にコンドルの建築があるというのは、諸戸氏の偉大さを感じます。
「いだてん」の撮影にも使われました。
暖炉に憧れる人が多いけれど、ススがたくさん出てたり、薪をたくさん使うので薪の置き場所も必要なので、なかなか大変なのだそうです。
煙突のすす払いもしなきゃ、サンタさんも入って来られないね😁
和風建築の建物に移ります。
和風建築を設計したのはだあれ⁈
こたえ。。。伊藤末次郎です。
外に出てみましようー
併設のレストランは、1人で行くには高級なので、次回にとっておくことにしました。
その先に神社が見えてきました。
東国から来た旅人たちは、七里の渡しから桑名に着くと、この鳥居をくぐって伊勢国に入りました。
あの看板はなんだろう。
ありました。👇
行きに通った『かとれあ』に行ってみよう〜
どこでご飯食べようかな〜
冨田駅に到着。
「皆様にごめいわくをおかけします。保々駅きで車両変更します」のアナウンスが流れる。
こたえ。。。E102号蒸気機関車は1931年汽車会社製三岐鉄道開業に用意された機関車、その後大阪セメント伊吹工場に移籍。
そこでもセメント列車を引いた「セメント機関車」廃車後も工場内に保存され、2001年三岐鉄道に里帰りしました。
沿線に車輌の保存を積極的に行っている三岐鉄道。
終点の西藤原には当鉄道で活躍した機関車たちが展示されています。
(三岐鉄道ホームページより)
どんな見どころがある駅なの?
こたえ。。。👇
滞在時間が限られているのに、構内でのんびりしすぎました。
駅を出てしばらく歩いていたら、おばあちゃんがいたので「こんにちは」と声をかける。
おばあちゃんのお話が止まらない😆
「魚屋さんもなくなってねえ。週1回JAの車来てくれなかったら、生活できん。」
「ATMもなくなった。」
おばあちゃんの家の前まで15分ほど一緒に歩きました。87歳なんだって!!
よく歩けてすごいなー
うちの母は、89歳でひとり暮らしのことを話すと、「それじゃあ私は弱音を吐かずもう少し頑張らんとね。」と。。。
「家も少ないこの場所で1人で暮らしているんだ」と思うだけで、涙が出そうになる。
「帰りに時間があったら寄っていってね。1人やけ、寂しいんよ」と声をかけてもらい、お別れする。
「1日誰とも話さんかった」という母の言葉が聞こえてくるよう。
夕方になって暗くなると、余計に寂しくなるね。
おばあちゃんと別れて猛ダッシュで聖宝寺に向かう。
おまけ。。。神使い『猿』の近江の日吉山王社からの分祀の神社でした^ ^
藤原岳の標高はどのくらいあるの?
こたえ。。。標高1144メートルあります。
出発時間まで看板をパチリ📸
冨田駅で近鉄に乗り換え名古屋へ。
名古屋から地下鉄に乗り、栄で下車。地下鉄から地上に出ると、名古屋のテレビ塔が見えました。
明日は名古屋市内をぶらりして犬山駅に向かいましょう〜
2万2538歩、歩きました。
明日に続く。。。