5/28(火) 羽田空港0時05分EK313→6時20分ドバイ空港8時55分EK127→12時55分ウィーン空港→ハイリゲンシュタット(ベートーヴェンの遺書の家→ベートーヴェンの散歩道)→アーコテルウィンベルガーホテル泊1
いよいよ出発の日になりました
仕事を終えて、家に戻り楽譜とパスポートとカードと現金を再確認して、出発!
リムジンバスで友達と一緒になり心強い、オケ参加の方と3人でバスに乗り込みます
27日21時集合時間まで、現地通貨に両替
USドル→ユーロに両替するには、日本円に戻しての両替になるとのこと、急遽手持ち現金1千円残して残りをユーロに両替💦
初っ端からのアクシデント^^
なんとかこの後は何事も起きませんように🙏
出国手続きをして、機内へ

機内の席は、中央列通路側を予約
ノンストレスです🤗
お隣の席のご夫婦は、これからギリシャに向かうそうです

空きスペースでストレッチ
飛行機は、ほぼ満席🈵でした




私のひとり後ろで、ここまでと区切られる

座席数はいくつあったの?
こたえ。。。514席です



何メールあるの?
こたえ。。。829.8メートル→世界一高い高層の建築物です






約ウィーンまでは約6時間の飛行時間





ガイドさんの説明が始まりました
1954年まで空港ドイツ軍が使っていた、どうして?
こたえ。。。1938年5月14日にドイツ空軍の軍用空港として開港したからです
オーストリア8つの国囲まれてる
8つの国はどこ?
こたえ。。。ドイツ、スイス、イタリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、リヒテンシュタイン、スロヴァニアです

サングラスを持ってきて良かった🕶️
時差はどのくらいあるの?
こたえ。。。夏時間は、7時間足すと日本時間になります
オーストリアの人口は?
こたえ。。。約900万人
ウイーンの人口は?
こたえ。。。。約200万人 札幌市の人口とほぼ同じくらい、世界で住みやすい町ベスト3に選ばれてます
住みやすい街に選ばれる決め手は⁈
こたえ。。。ウィーンの魅力は安定性と優れたインフラ、充実した教育·医療サービス、豊富な文化や娯楽の機会などに支えられている(やまとごころjpより)
オーストリアのスリの手口ってどんなの?
こたえ。。。カバン開けて盗んだあと、カバンは閉める →お行儀の良い手口で盗まれます
『手を離れたら人のものと思って気をつけてください』と。。。気をつけよう〜

ウイーン水は飲めるの?
こたえ。。。100キロ離れたグロースグロックナーから水を引く、石灰ミネラル多い水、1ユーロで売ってるが、水道水も飲めます→ウィーン市内では、蛇口をひねればいつでもアルプスのおいしいわき水みずが飲めるんですよ😉
グロースグロックナーって?
こたえ...オーストリア最高峰の山です
標高は?
こたえ。。。3798メートルです
午前中の観光地、ハイリゲンシユッタットに向かいます
基本コースでも無料で観光できます
ベートーヴェンお勉強タイムが始まりました🎵
ドイツベートーヴェンの父ってどんな人⁈
こたえ。。。のみすけ→アルコール依存症だったそうです
ベートーヴェンがウイーンにきたのはいつ?
こたえ。。。1787年です
16歳のベートーヴェンは、尊敬するモーツァルトに会うため、音楽の都ウィーンを訪れますが、母親が危篤だという知らせを受け、モーツァルトのレッスンを受けず、二週間程度で帰郷します
ベートーヴェンは誰の弟子になったの?
こたえ。。。交響曲の父、ハイドンです
いつウイーンに戻ってきたの?
こたえ。。。20過ぎて(22才)ハイドンの弟子として、ウイーン戻りました
ベートーヴェンはいつから耳が聞こえにくくなったの?
こたえ。。。26歳ごろから次第に耳が聞こえずらくなりました
おまけ...音楽家として聴覚を失うことが致命傷になると分かっていた彼は、周りの人に気づかれないために、人との距離を置き始めました
数年後、ついにベートーヴェンの友人の一人で医者でもあったシュミット氏に難聴である事を打ち明けます
30代になる頃には、日常生活にも支障をきたすほどの症状でした。
親友のお医者様が進めたのが、『ハイリゲンシュタットの温泉地』(温泉は枯れてしまった)での療養です
初めてお引越ししたのはいつ?
こたえ。。。1802年4月23日ゲオルギオスの日です
ゲオルギオスの日ってなあに?
こたえ。。。ゲオルギオスが殉教した命日とされるのが4月23日です
殉教って⁇
こたえ。。。殉教(じゅんきょう)は、自らの信仰のために命を失ったとみなされる死のことです(ウィキペディアより)
ベートーヴェン失恋💔のあとに、ハイリゲンシュタットに引っ越したって本当?
こたえ。。。ハイリゲンシュタットに引っ越しをする前の同年1802年、ベートーヴェンはイタリア出身の貴族出身で教え子でもあったグイッチャルディに大失恋をしています。彼はこの彼女に無償でレッスンをし、ピアノソナタ「月光」を捧げています。ある日、彼女の母親はベートーヴェンの留守宅に多額の金額をレッスン代として置いていきました。この時ベートーヴェンは身分違いの恋が成就出来ない事よりも、彼女への無償の愛の証がお金に換算された事に深く傷ついたのです。
ある日、アパートの近くにある教会の鐘の音がいつもの時間になっても聞えません。不思議に思ったベートーベンが教会まで行ってみると、鐘は左右に大きく揺れていました
ほとんど耳が聞こえないことに絶望したベートーベンは1802年、32歳の時にこの家で弟と甥宛に遺書を書きました(現地ガイド発信!ウイーン最新情報ホームページより)
『ハイリゲンシュタット遺書』ってどんな内容だったの?
こたえ。。。自害を考えるほど絶望の淵にあったベートーヴェンが、「死から自分を救ってくれたのは芸術であり、自分が果たすべきことを成し遂げないうちにはこの世を去ることはできない」という前向きな内容でした(婦人画報ホームページより)
ハイリゲンシュタットから9月にはウイーンに戻る、そんな生活をしていたそうです

ベートーヴェンが亡くなったのはいつ?
こたえ。。。1826年3月26日、56歳の生涯でした。
葬儀には何人くらい参列したの?
こたえ。。。2万人以上が参列しました。
亡くなるまでの30年間、どのくらい引越したの?
こたえ。。。80回以上引っ越し繰り返したそうです
どうしてそんなに引越しをしたの?
こたえ。。。①家が汚すぎて大家さんから退去させられたから
②近隣の住民と揉めたから、そして自分の作品を盗まれないように居場所を眩ませたかったから……
③掃除が大の苦手だったベートーヴェンが、毎回「今回こそはきれいに使う」と意を決して新しい家に引っ越していたという説あります(ONTOMOホームページより)







どんな博物館なの?
こたえ。。。かつて温泉保養地だったこの地域で、ベートーヴェンが療養のために住んでいたアパートが現在博物館になっています。




この建物はかつて自家製のパンを販売するパン屋さんだったそうです



こたえ。。。ピアノソナタ17番第三楽章「テンペスト」の音楽です
おまけ。。。ベートーヴェンの弟子であったツェルニーが「ハイリゲンシュタット滞在中に窓から見える馬車の規則正しい走りを見てこの曲を着想した」と書き残しています。
ここでは《テンペスト》や「交響曲第3番」が書かれました。









ピアノについてる箱はなあに?
こたえ。。。難聴だったベートーヴェンのために特別に作られた、金属の箱型の枠が取り付けられています
枠には名前がついてるの?
こたえ。。。【プロンプターボックス】と名前がついてます
ペダルも5つあるね⁇

こたえ。。。5つのペダルを持つのは、シュトライヒャー製です
今のピアノと違うね! どうして?
こたえ。。。ベートーヴェンが生きた時代、ピアノという楽器はスピーディーにバージョン・アップされてました
ベートーヴェンのお気に入りは???
こたえ。。。ナネッテ.シュトライヒャー(1769〜1833)とその夫が経営する『シユトライヒャー社のピアノです
どうしてシュトライヒヤーのピアノがよかったの?
こたえ。。。メーカーの中でも、ベートーヴェンがもっとも気心知れた間柄で、他のメーカーのピアノのメンテナンスや改造までお願いできてた会社のピアノだったからです(ONTOMOホームページより)

【プランブターボックス】をつけると、どんな風に聞こえるの?
こたえ。。。スピーカーの役割を果たします


こたえ。。。1817年、ドイツのメルツェルが発明したメトロノームはベートーヴェンが最初に使用したと記録が残っています。
メトロノームを作るキッカケは?
こたえ。。。難聴で音が聞こえずらくなったベートヴェンにとって視覚的にテンポを把握出来るメトロノームは作曲する際に役に立ったようです。
また、自分が作曲した曲をいい加減なテンポで演奏されないように、数値化した「正確なテンポ(メトロノーム表示)」を記載したともいわれています。




ベートヴェンの臨終の際に切り取ったものです⤵️
化学検査から肺炎の治療のため、大量の鉛塩が摂取されていたことが分かっています。


第四室「Verdienen」生計へ


これまでの作曲家とベートーヴェンの決定的な違いはあるの?
特定の宮廷や教会に雇用されることなく作曲を続けたこと。彼は実質的にフリーランスを貫いた史上初の大作曲家です
0p.=作品番号を記した史上初の作曲家なんだって🎼(柴田克彦(音楽ライター参考)

こたえ。。。『ルドルフ大公』です
ベートーヴェンとの関係は?
こたえ。。。彼らの出会いは、1803年もしくは1804年にルドルフ大公がベートーヴェンにピアノのレッスンを頼んだことでした
ベートーヴェンは、彼の才能と熱心さに感心し、やがて師弟関係を超えた友情が芽生えました
彼らは、音楽や政治、哲学など様々な話題で語り合いました。ベートーヴェンは、ルドルフ大公に多くの作品を献呈しました。
その中には、『ハンマークラヴィーア』や『ミサ・ソレムニス』などの傑作があります。
『ミサ・ソレムニス』は、今回私たちが歌う曲だね😊


こたえ。。。竪琴です
どうして竪琴を持ってるの?
こたえ。。。。ピアニストであるベートーヴェンにあえて古代神話のイメージが強い楽器を持たせてます
右手の奥の景色はどこ?
こたえ。。。アポロンの神殿を描いています。



これは、なんでしょう?



当時の物なんだって!
ベートーヴェンも使ってたのねえ🎵

時間に限りがあるからねえ〜

このドアはなあに?
こたえ。。。彼が亡くなったと知ると、人々は住んでいた家のドアや床も持ち運び出し、またベートーヴェンの毛髪も切り取り、ほとんど髪はなくなってしまったそうです。
博物館にはそのドアが展示されています。(家庭画報ホームページより)


ベートーヴェンがなくなったのはいつ?
こたえ。。。1827年3月27日です
デスマスクは誰が保管していたの?
こたえ。。。ピアニストでもあり作曲家のフランツ リストが所有していました。
隣にある瓶詰めは?
こたえ。。。ベートーヴェンが口にしたというスモモのコンポート瓶詰めです

こたえ。。。ベートーヴェンの棺の鍵です🔑




中庭から見えるドアの先には、



音を強化する『プロンプターボックス』だね😊

友達と一緒に座わって、パチリ📷

デージーかな?








おまけ。。。この時代は貸アパートには家具、食器などが全て備わっていたので、スーツケース一つで引っ越すことが可能でした。



ベートーヴェンは天気の良い日には上記の絵のように近所に散歩に出かけ、頭の中で曲を構想していました。交響曲「田園」第二楽章は散歩道にある小川からインスピレーションを受けています。現在、その散歩道はベートーヴェンの散歩道(Beethovengang)と呼ばれています。








ベートーヴェンのいた頃に菩提樹はあったのかな⁇?


「ベートーヴェン・ミュージアム」の近くには、ベートーヴェンの暮らした家がいくつもあるそうですが、どこなのかなあ~



こたえ。。。営業中の目印です→松の枝



ここは、『プファールツ広場』

伝統的なワイン居酒屋「マイヤー・アム・プファールプラッツ」











「おしまい」って意味






レンガを漆喰で固めてあるんだって!



お散歩してみたいなあ〜


ベートーヴェンの散歩道って?
こたえ。。。ベートーヴェンは自然を愛し、この博物館から歩いて10分ほどの川沿いの小径をよく散歩していたといいます(家庭画報ホームページより)
交響曲第6番「田園」の構想が練られた散歩道😍





この小径の横を流れている小川、シュライバーバッハ(Schreiberbach)というそうですが、交響曲6番田園の第二楽章につけられた表題「小川のほとりの情景」の小川が、まさにここなんだそうです。(クラッシック音楽と食べ物と。。。ブログより)


















バスに戻り、ホテルに移動ー

ウイーンから16.5キロ離れています








お部屋は2階


友達に教えてもらったジェラード屋さんは遠いいので、口コミの高いお店へ







言語を押して、

1番上の一回券がフリー切符か選んで購入できます😊

明日からの移動の準備はバッチリ👌
みんなと一緒で心強い

階段の上まで上ってみましょう〜


階段途中に⤵️



こたえ。。。20セント払うと、体重?を測ることができます
どうして街の中のあちこちにあるの?
こたえ。。。1888年、皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の在位40年を記念した博覧会での、オーストリアの工業製品の展示の中にこの体重計が含まれており、その後ウィーン市街に設置されるようになったということです(『バカロレアの哲学』裏メニュー|ウィーンまかない編より)
おまけ。。。当時、公衆の面前で体重を測ることに対する恥じらいやためらいはなかったそうです
体調管理の方が大切だもんね🩵



開業は1858年、第二次世界大戦で、駅舎は破壊され、戦後新たに駅舎が建てられました。2008年から2011年の間に大幅な改修工事が行われ、今の形になりました



夕食のパンをゲット🍞



台座プレートになんて書いてあるの?
こたえ。。。皇后エリザベート
1837年12月24日生、1989年9月10日命この皇后エリザベートの像は、ウィーン西駅に、「皇后エリザベート西鉄道」の命名の際に立てられました。
1860年、Hans Gasser作。
1945年にひどく損傷を受けたが、1984年にニーダーエーストライヒ州の展覧会のために修復された。(舞台はウイーンホームページより)
エリザベートってどんな人なの⁇
こたえ。。。オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃及びハンガリー王妃。シシィの愛称で親しまれている。16歳でハプスブルク家に嫁ぎ、三女一男(長女は早世)を得るが、姑との確執などで宮廷を離れ、放浪の皇妃となる。欧州、トルコ、アフリカなどを回った。美と健康の追求や馬術競技にも熱意を傾けた。1898年スイスでイタリア人に刺殺される。(オージオホームページより)


「歌に出てくるから、意味が分かるね!」と話す笑
🎵HALT HALT LASS SEHEN OF ELIAS🎵心の中でメロディ出てくる(マタイ受難曲)
私はこのメロディが思い浮かんだけど、みんなはどこのフレーズが思い浮かんだのかな⁇

スープご馳走になりまーす😀
お互いの同室の友達はオプショナルのお食事中です❣️

今日から3日お世話になります😊
ベートーヴェンの存在が近くなり、
交響曲第6番『田園』を聴きたくなりました🎵
また明日ー
おやすみなさい💤