5/29(水)泊1→シェーンブルン宮殿&ウイーン市内観光→オペラ座→国立図書館プランクザール→シュテファン大聖堂→ペーター教会(オルガンコンサート)→ホテル→楽友協会(地下ガラスの間)前日練習→ホテル泊2
朝散歩へ

ドアはブルー



OPは午前中のみ予約しました♪

ウルバン・ロリッツ・プラッツトラム駅の上から、朝日を見てみよう〜


おまけ。。。ペレスはドイツのビール🍻



アップして見てみよう〜














中を覗いてみると、





セファリアギガンティア



スーパーマンかい🦸♂️



Google先生に感謝🥲

ホテルに戻って

大好きなスイカ🍉たくさん食べました😆


『シェーンブルン宮殿』に向けて出発〜





左手にライオン

日本の狛犬と関係あるのかな🤭
狛犬の語源は???
こたえ。。。狛犬の起源でもっとも古い説では、古代オリエント時代だといわれています
かつてオリエントでは獅子を守護神として信仰する文化がありました。その獅子が狛犬となって世界に広がったとのことです(アニラボホームページより)




ガラスがとまってる笑



近くに、『ウィーン馬車博物館ヴァーゲンブルク 』があるんだって!

こたえ。。。18世紀にはパリ・ロンドン等で手工業による時計産業が発達していました
日時計の時代から、精度が上がる時計ができるきっかけになったのは?
こたえ。。。1582年頃にガリレオ(イタリア)が『振り子の等時性(とうじせい)原理』の発見です
『振り子の等時性原理』って?
こたえ。。。同じ長さの振り子がゆれる周期は、振り子の重さや(振れ幅が大きくなければ)振れ幅にはよらず一定になります。これを振り子の等時性といいます。
振り子の揺れた回数を数え、それに振り子の周期をかければ、その間の時間を測ることができます。(国立天文台暦計算室ホームページより)
ゼンマイ式になったきっかけは?
こたえ。。1656年頃にホイヘンス(オランダの数学者・物理学者・天文学者)がそれを時計の振り子に応用する振り子時計の開発により、画期的に時計精度が向上しました。
(日本時計協会ホームページより)
日本に伝わったのは?
こたえ。。。1873年(明治6年)には八角型や四つ丸型のぜんまい式振り子時計(ボンボン時計とよばれていた)が初めて輸入されました






こたえ。。。グロリエッテです
ウイーンの街を一望できるんだって!!

健脚向きコース(小走りコース)デス😅

パンダ🐼もいるんだって!!

やっと丘のふもとについた^ ^
『ネプチューンの泉』→ギリシャ神話の海神ネプチューン(ポセイドン)に祈りを捧げる女神ティネスなどの彫刻が見られます。
小走り気味に移動〜
次は、彫刻の後ろ姿を見るとのこと^ ^

宮殿が黄色だね!
シェーンブルン宮殿は、『マリア・テレジア・イエロー』と呼ばれています
部屋はいくつあるんだろう⁈
こたえ。。。全部で1400室もあり、賃貸の部分もあり一般の人も住めます🫢
そのうち何室見学するの?
こたえ。。。28室です
賃貸のお部屋のお家賃は?
こたえ。。。50平米で50ユーロ位だそうです
住みたい人は多いの?
こたえ。。。多くありません
どうして?
こたえ。。。買い物に行くのに不便だからです

本当のヒダに見える。。。
何を持ってるの?

どんどん進みます


噴水は10時から動くそうです☹️





こたえ。。。6/7ウイーンフィル野外演奏会の準備です🎶
演奏会聞いてみたいな





だれが泉を見つけたの?
こたえ。。。1696年頃にマティアス皇帝が狩猟に出た際にこの地に美しい泉を発見しました
美しい泉→シェーナー ブルンネン
『シェーンブルン』の語源の由来です
マティアス皇帝って?
こたえ。。。神聖ローマ皇帝。在位1612-19年。ハプスブルク家の皇帝マクシミリアン2世の第2子です(コトバンクホームページより)









宮殿の建造を命じたのは誰?
こたえ。。。レオポルト一世です 1695年のことでした
建設のため、貴族の後援者から推薦された建築家は?
こたえ。。。ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハです
フィッシャー・フォン・エルラッハ(1656-1723)の代表作は?
こたえ。。。『オーストリア国立図書』です
どんな建物を依頼したの?
こたえ。。。当時最高の宮殿と言われていたフランスのヴェルサイユ宮殿を凌ぐ物を設計するように依頼しました
建物は予定通り完成したの?
こたえ。。。財政や政治的理由により、壮大な宮殿は建造されませんでした(書籍 世界遺産を旅する4より)
その後、18世紀の半ばに孫の女帝マリア・テレジアにより建築を再開。ニコラウス・パカッシが拡張・改装を担当しました
シェーンブルン宮殿は一年中使われてたの?
こたえ。。。ハプスブルク家が夏の休暇を過ごす場所として利用されていました。
今は?
こたえ。。。皇帝カール1世が国事から退くことを宣言して以降、シェーンブルン宮殿の所有者はハプスブルク家からオーストリア政府へと変わりました(NEWTホームページより)

こたえ。。。ハプスブルク家の紋章『双頭の鷲』です
どうしてハプスブルク家が権力者になったの?
こたえ。。。政略結婚により広大な領土を獲得し、大貴族となったからです
「戦いは他のものにさせるがよい、汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ」と言ったのは誰⁈
こたえ。。。マクシミリアン一世(1493-1519)です
ハプスブルク家の家訓でした



建物見学始まりまーす
気づいたら、みんなとはぐれて、
オケメンバーと館内巡りすることになりました


178年続いた家系図です!



こたえ。。。フランツ1世は、ハプスブルク家のマリア・テリジアに見初められて、恋愛結婚をしました
非常に楽天的で、流れるままに流され、自分に許された環境の中で自らの幸福を追い求めるという人物であったらしい。美しいものが好きで、金貨や宝石を収集し、賭け事や芝居や狩りに熱中し、非常に享楽的であったともいわれている(サロン.マリー.アントワネットホームページより)

『女帝マリア・テレジア』
夫フランツ1世亡き後、15年間、自らの死まで喪服だけの生活を送ったと言われる。夫との間には16人の子供をもうけるが、末娘のマリア・アントニーア(マリー・アントワネット)はフランス国王ルイ16世の王妃となりました

宮殿外観のバロック様式に対し、内部はロココ様式でオーストリアの芸術や文化の水準の高さがうかがえます。
バロック様式って?
こたえ。。。バロック様式の建築は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった総合芸術となっていることを特徴としています
ロココ様式の特徴は?
こたえ。。。ロココ様式の建築は、曲線を多用する繊細な装飾であるロカイユ装飾が天井周りに多く使われ、壁と天井の境界が明確でなくなるのがロココの特徴です。
ロカイユ装飾って?
こたえ。。。貝殻、植物の葉のような自由な曲線を抽象彫刻で複雑・優美に配したものです。
大規模・重厚なバロック様式よりは、小規模小規模なサロンを好む繊細な趣味が基調にあります(ロイヤルソファーズホームページより)

この大広間には3つの天井フレスコ画があり、グレゴリオ・ジュリエルミ(1714 1773)によるもので、1760年~1761年にかけて描かれました。



2024年2月1日よりシェーンブルン宮殿 写真、ビデオ撮影可能になりました

皇帝主催の舞踏会やウイーン会議(フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序の回復を図った会議)
レセプションに使われたお部屋です。
モーツァルトが演奏したのはどこだろう?

こたえ。。。マリアテレジアが大のお気に入りだった日本や中国の漆器が並んでいます(地球の歩き方より)





モーツアルトが御前演奏した場所です😀
モーツァルトが何歳の頃?
こたえ。。。6歳でした(1762年12月)
演奏エピソード🎵
モーツァルトはマリア・テレジアらの前で演奏して拍手喝采を受けますが、その後、磨き上げられた床で滑って転んでしまいます。するとひとりの少女が駆け寄り、助け起こしました。この少女が7歳のマリー・アントワネットでした🎶
この時モーツァルトは、「きみは優しい。大きくなったらぼくのお嫁さんにしてあげる」とプロポーズしたと伝わっています😍
アントワネットとモーツァルトは2度と会うことはなく、その後アントワネットはフランス王ルイ16世の妃となりますが、民衆の反感を買って1793年、ギロチンの露と消えたのでした(JBpressオートグラフホームページより)🎵
進んでいくと、
宮殿中央部分にあるのが大ギャラリー
まさにヴェルサイユ宮殿の鏡の間に匹敵する。宮殿の壁にはたくさんの絵画が飾られています


👇



モーツァルトがいるよ、どこにいるの?




こたえ。。。『漆の間』です
壁面の漆塗りはどこでつくられたの⁈
こたえ。。。中国(北京)です
マリアテレジアが、夫の思い出の部屋として改装しました

次は、ナポレオンの間⤵️

男子は一芸を身に着けろという教育方針から、園芸を学び作った花冠を手にした肖像画。
かわいい。
しかし、病弱で21歳で亡くなりました
どうしてここに肖像画があるの?
こたえ。。。1811年3月20日、ナポレオン・ボナパルトとハプスブルク家のマリー・ルイーズの一人息子としてパリで生まれだからです
マリー.ルイーズのお母さんはだあれ?
こたえ。。。マリアテレジアです
なるほど。。。。





壁に飾ってあるのは織物⁈
こたえ。。。18世紀にベルギーのブリュッセルで制作された豪華なゴブラン織りが飾られています。
椅子もゴブラン織りになっているね、何を表してるの?
こたえ。。。1年間の市民の生活の様子が描かれています

どうして豚が描かれてるの?
こたえ。。。豚の貯金箱に象徴される通り、豚は昔から縁起物だと言われています。古代ギリシャやローマの時代から、ヨーロッパを中心に豚は食糧としての価値が高く、安産で子だくさんということもあり、富と繁栄の象徴だとされています(お金のコラム集より)




大急ぎの観光でしたが、色々見れて満足^ ^



『カールスプラッツ駅』です
花柄のビルが見えるなんだろう?

どうしてマジョリカハウスって呼ばれるの?
こたえ。。。赤い花のようなデザインがマジョリカ焼きと呼ばれるタイルでできていているからです
誰が建築したの?
こたえ。。。オットー・ワーグナー(1841年7月13日 – 1918年4月11日)です
どんな特徴があるの?
こたえ。。。古典主義から脱却し、新しい造形を目指した「ウイーン分離派」のひとりでした
「ウイーン分離派」って?
こたえ。。。画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新進芸術家のグループです
『カールスプラッツ駅』も建築しました

メダイヨン・マンションと呼ばれ、マジョリカハウスと同じユーゲントシュティル様式の建造物です。
建物の上の方に黄金のメダルの装飾があるため、メダイヨン・マンションと呼ばれています。
誰のデザイン?
こたえ。。。コロマン・モーザーによるものです。コロマン・モーザーは19世紀末から20世紀始めにウィーンで活躍したデザイナーです
駅の近くに見えるのは?

『ナッシュマルクト』って?
こたえ。。。ウイーン最大の市場です

こたえ。。。『金のキャベツ』が輝く『セセッシオン』です
何をモチーフにしてつくられたの?
こたえ。。。月桂樹の葉をモチーフにしてます
誰が設計したの?
こたえ。。。建築家ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒの設計により、1897/1898年に建設されました
設計者のオルブリッヒは、ウィーンの有名な建築家で都市計画家だったオットー・ワーグナーのもとで研鑽を積みました(ウイーン今いつまでもホームページより)
館内には何があるの?
こたえ。。。ベートーヴェンの交響曲第9番をテーマにしたグスタフ.クリムトの連作壁画『ベートーヴェンフリース』の展示もあります





リング内を歩いて観光🚶♀️





『ロブマイヤー』

こたえ。。。王室皇室御用達の目印です












角のお店はおもちゃ屋さん
この通りを進みます



アーチくぐります

足元は、石畳です





こんな道

アパートの中庭へ







表口は反対側だったんだって!
ウィーンでモーツァルトが住んだ十数軒の家のうち、現存する唯一のものだそうです
モーツァルトはいつ頃住んでいたの?
こたえ。。。1784年から1787年までです
何階に住んでたの?
こたえ。。。1784年はぶりがよかったので、1番人気の2階に住んでいました
4つの部屋、2つの小部屋、キッチンからなる豪華なものでした
建物の中から見えた景色は⤵️





モーツァルトとシュテファン大聖堂の関係は?
こたえ。。。モーツァルトはここでコンスタンツェと結婚式をあげ、 子供たちも洗礼を受けました
1791 年、35 歳で亡くなったモーツァルトの葬儀はシュテファン大聖堂の左手、地下納骨堂の傍にある小さな礼拝堂で行われました。
モーツァルトの葬儀の参列者は?
こたえ。。。参列者は、親族と数人の友人だけだったようです
どうして⁈
こたえ。。。借金を残して死んでしまったからです
ウィーンの葬儀法って?
こたえ。。。第一等級~第四等級の4段階に分かれていてモーツアルトは一般市民として第三等級の葬儀を行っています。
第三等級の葬儀ってどんなの?
こたえ。。。一般市民の埋葬は麻袋に遺体を包み、リサイクルの棺で墓地に運ばれます。親族や関係者は条令によりウィーンの城壁門までしか参列することが出来ませんでした。
モーツアルトはウィーンの中心から約4キロ離れたザンクトマルクス霊園の共同墓地に埋葬されました(現地ガイド発信最新情報ホームページより)











待ち合わせ場所にみんな集合できたね😍


『佐渡裕とウイーン街歩き』を見て、チェック済🥰友達に教えてもらいました😍
なんていうお店⁈
こたえ。。。ビッツィンガー


デカい


『世界一美しい図書館』へ移動〜



10人団体割引で事前チケット購入してます


「プルンクザール」の意味は⁈
こたえ。。。「豪華な広間」を意味してます
いつ建設されたの?
こたえ。。。1723~1726年にかけて有名な宮廷建築家であるJB フィッシャー・フォン・エルラッハ (1665 – 1723) とその息子のヨーゼフ・エマニュエル (1693 – 1742) の計画に従って建設されました。
シェーンブルン宮殿を設計した人でしたね!

ありがとう😭
ドアの向こうは、図書館とは思えない光景が飛び込んできました!(◎_◎;)

こたえ。。。宮廷画家のダニエル・グラン (1694 – 1757) によって描かれ、1730年に完成しました。





こたえ。。。なんと蔵書は220万冊、写本が3万6,000冊、初期印刷の書籍が8,000冊、音楽家たちの直筆の楽譜があるそうです
18メートルに達する天井ギリギリまで陳列されてます




こたえ。。。30メートルあります


こたえ。。。マリアテレジアの父、カール六世です
この図書館は、18世紀にマリア・テレジアの父カール6世によって作られました。
在位中に対外戦争を多く行っていたこの皇帝の治世を反映してか、プルンクザールには、軍事関連の地図も多数所蔵されています。


ブルックナーはどんな家庭に生まれたの?
答え。。。学校長兼オルガン奏者を父としてオーストリアで生まれました
幼少期から才能を見せたブルックナーは、10歳ごろにはすでに父親に変わって教会のオルガンを弾くようになりました。
どこの教会?
こたえ。。。リンツにあるザンクトフローリアン修道院です
修道院の聖歌隊にも入っていました



ブルックナーはどんな人だったの?
こたえ。。。ブルックナーはいつも他人には必要以上にへりくだっていた為、絵等では身長が低く描かれているが、実際身長は175cmほどあり、ワーグナーやブラームス、ハンスリックよりも大柄だったそうです

こたえ。。。コロネリの天体儀
真ん中のホールの四隅に飾られています
地球儀は地図と同じく、技術と権力の象徴でした



見応えあったねえ〜




いつ作られたの⁈
こたえ。。。ペスト記念柱は ウィーンに1679年ペストが猛威を振るい、その終息を記念して、マリア・テレジアの祖父である当時の皇帝レオポルド1世によって立てられました
当時のままの記念柱なの?
こたえ。。。当時は木で作られた記念柱でした
その後1683年に大理石にするというプランが出され、フィッシャー・フォン・エアラッハ等を始め色々な人が関わり、最終的に当初の木製の物から14年間かかった1693年にこの現在の姿になりました
添乗員さんのおまけ。。。「当時は、井戸の隣がトイレだったので、ペスト菌が入りやすかったのかも⁈」と

何を表してるの?

ここから、みんな行きたい場所に散らばりました👌
私の行きたい場所は『シユティフアン大聖堂』よー



343段あるから、今日は🙅
エレベーターのある北塔(68.3m )上りましょう〜
エレベーター混んでませんように🙏



シユティフアン大聖堂に着きました

いつ建造が始まったの?
こたえ。。。オーストリア公ルドルフ4世(1339〜1365年)によって建造が始まりました
ハプスブルク家の歴代君主の墓所でもあります



熟睡中の受付のおじちやんを起こしてチケット購入😅
なかなか起きてくれなかったよ🤭




高いところ好き同士、気が合うね😊


アップして見てみよう⤵️



おまけ。。。南と北の塔が対になる予定が財政難のため、北塔は途中で工事終了しました








数字らしき文字が見えるね








聖ペーター教会に向かいます





バロック様式の教会ですね
『バロック』の語源は?
こたえ。。。 [フランス語] baroque ポルトガル語の barroco 「歪んだ真珠」の意に由来 してます(コトバンクより)
バロック様式は、豪華な装飾や曲線・楕円などのデザインを多く用いた、動的で華麗な装飾性が特徴です!


楕円⤵️

こたえ。。。ロットマイヤーが描いた「聖母マリアの被昇天」です



コンサート聴けます^ ^

満足の観光タイム終わりました



ウィーン西駅はU8、U3が通っており、交通の便は良いです!

部屋でご飯を食べて、


明日の演奏会ポスター☺️





2002年ウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」の小澤征爾の映像が目に浮かびます😆






練習、集中して頑張るぞー💪


リハーサル終了、頑張った!

ウィーンの日没時間は21時前なのよ🫢



ホテルに到着!

明日に備えて、ゆっくり休みましょう〜
おやすみ⭐💫⭐️