丸亀〜本島〜倉敷へ〜其の弐~2019年11月8日〜9日

11/9(土) 泊1→10時半式場12時半→与島→倉敷→岡山17時03分さくら558号→17時48分新大阪17時53分のぞみ248号→20時23分東京

朝食前、叔母の家に挨拶に行くことにしました。

叔母の家に向かいながら、叔母が亡くなった日が、11/6。。。

母と姉一家と一緒に、20年ぶりに丸亀の叔母に会いに行ったのが、ちょうど3年前の11/5,6だったことを思い出しました。

そして、叔母と母が、姉妹2人水入らずで話をした日が、11/6でした。

母は、幼いころ父を亡くしており、実母は実家に戻り、姉妹はそれぞれ違う親せきの家に預けられて育ちました。そんなこともあり、頻繁な付き合いはなかったものの、お互い元気なうちに会えて、血のつながった姉妹は1人しかいない、これからも仲良くしようねと楽しそうに話している光景が目に浮かんできました。

帰り際、’’生きているうちにまた会おうね’’と握手をして別れました。

その後、2度、再会の計画を立てましたが、みんなの都合や、健康上の問題で実現には至りませんでした。

叔母の家の前で、’’母と会わせてあげられなくてごめんなさい’’と、手を合わせました。

叔母の家から、丸亀城に寄ってホテルに戻りましょう。


丸亀高校記念館 (登録有形文化財)の前を通り、
お城のお堀に出てきました。
石垣は工事中。
城内で太極拳が始まってます。
階段を歩いて登っていくと、
讃岐富士が見えてきました。
あの石垣の上を目指して登っていきます。
うっすらと街見えてきます。。。
夜になると、ここに明かりがともるのですね”(-“”-)”
あら、ここにも。。。
昨晩、頑張らなかったことを少々後悔。。。
天守閣まではあと少し。。。
到着!ここは、現存する貴重な天守閣ですね。
叔母の家の方角です。
正面に見えるのは、塩飽諸島の本島ね。
山の方までよく見えています❣️
剣山あたりではないでしょうか?
瀬戸大橋もまた昨日とは違った角度から見えますね。
カラスが置物のようでおもしろい(笑)
石垣工事中の様子👷‍♀️→昨年7月7日
帯曲輪 (おびくるわ) 南面石垣 が崩落したそうです。

 曲輪(くるわ)ってなあに???

こたえ。。。城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲いのことです。


帯曲輪 (おびくるわ) っていうのは???

こたえ。。。一つの曲輪の外側に帯状に設ける曲輪のことです。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 18164738-F97A-4452-A69A-C3CCB7E7E592-1024x768.jpeg です

💖形 のいのめ

‘’何の写真を撮ってらっしゃるの?どちらから来られたの?’’と女性に声をかけられる。

その方は、横浜市緑区鴨居に住んでらっしゃる方でした。前に宿泊した旅館の方も鴨居の方でしたよね。。。

法事があり、丸亀に帰省中とのこと。

‘’いくつに見える?? 85歳よ(゚д゚)!’’

70代にしか見えない。。。

地元情報、逆さ富士がみられる場所を教えてもらいました。

手前に見える池から、逆さ讃岐富士が見えるそうです。

丸亀城の瓦のマークと同じ紋→京極家の時に天守閣が完成しました。
山崎家
藩主は、生駒家→山崎家→京極家と変わっていきました。
修復した石垣ですね。
こちらの門からホテルに戻ります。
キャラクタートリオ
キャッスルロード、次回来た時には見てみたい。。。
ここにアーケードがあったんだ🤭

朝ご飯を食べて、出発の準備。。。

姉夫婦がホテルまで迎えに来てくれる。

早めに式場に着いたので、叔母にゆっくりお別れを伝えることができました。

お葬式は、市長さん、議員さんなども参列してくださっていました。多くの方々に見送られて、叔母の偉大さを感じます。

私の祖母が25年くらい前に亡くなった時、父は知人などにも声をかけ100人以上の参列者がありました。父も幼いころ、実父を交通事故で亡くしており祖母が進駐軍や和裁の仕事をしながら4人の子供を育て上げました。

甥の姿を見ていたら、ふと、祖母のお葬式の父の姿を思い出しました。

大勢の参列の方々に感謝しながら、たくさんの方々に実母のことを見送ってもらいたいという息子の共通する思いがあるのかもしれません。

式には参列できなかった母ですが、現実を目の当たりにすることになるので、遠くから見送るほうがショックが少なかったかな?と勝手な考えかもしれませんが、そう思いました。

帰りの車の中で、姉たちと、元気になってから妹に会いたいと言っていた叔母が、1週間前急に、’’まーこに会いたい。‘’と、言ってくれたので、’’本当なら今日、母は、丸亀に行くはずじゃったのにね。
最後に会わせてあげられんかったのが、心残りじゃね。‘’ と話します。

’’母には、これからたくさん楽しい企画を考えて、元気でいてもらわなければね。’’と、ふとそんな風に思いました。

私は、姉夫婦に倉敷まで送ってもらえることになり、瀬戸大橋を渡っています。

車で瀬戸大橋を渡るのもいいね~
与島に到着‼️

おなかすいたね~

お昼ご飯は、お讃岐うどん😋おごってもらいました。
展望台からの景色
ここから本島見えますね〜
こっちは四国の坂出、丸亀方面。
こちらは、岡山県側
’’事前に申し込めば、瀬戸大橋を歩いて見学することもできるんよ‘’と
姉夫婦が教えてくれました。
これからツアーに出発する方々がいます。

旗を配っている人がいます。なんだろう???

これから、アンパントロッコ電車が瀬戸大橋を走るのに合わせて、ここから旗を振るそうです(笑)
うちわも配ってます。
アンパントロッコ電車がやってきました。
みんなで旗を振りまーす🏳
スピードは緩めて走ってくれたようですが、
あっという間に通り過ぎていきました。
あの電車は、昨日、坂出駅で見た電車と同じですね。。。

イベントに参加できてラッキーでした🤞大人が多かったにもかかわらず、一瞬でしたが、盛り上がりましたね。

倉敷駅に到着‼️

😊また年末にね〜 送ってくれてありがとう~♡

新幹線の時間まで倉敷美観地区を歩いてみましょう〜
こちらでトイレをお借りして、
白壁の中を抜けて、

川沿いに出てきました。

アオサギだ!
秋色に変わった景色に中に、
川舟流し →500円
先程の舟はここから出発します。父がいたなら、‘’乗ってみようや’’と必ず乗りますね~

アイビースクエアのツタ を見に行きましょう~

いいね~😁
もうクリスマスツリーが飾ってあります🎣
メサタコイヤの大木
イチョウの実がびっしりとついてます。

川沿いに戻りましょう~

ここで、はんぺんを買う。→前と味が少し変わっちゃったかな?
大原総一郎が子供のころ住んでいた家
萩の花がきれい~
大原美術館さん、またゆっくり見にいきますからね〜
エルグレコの入り口も秋色で素敵ですね❣️
紅葉の映った水面を気持ちよさそうに進んでます。
改装の終わった倉敷国際ホテルを覗いてみるが、結婚式で奥まで入れず。
あら、前はアイビースクエアの方に宿泊されてたような…

ホテルの向かいに100円ソフトクリームがあり、食べながら倉敷駅に向かう。

予定より一本早い電車に乗れました。岡山駅で、ゆっくりお土産や駅弁を買えました。

初めてのさくらに乗ります。
岡山県らしい広告💐😁奥の深い言葉ですね~
さくらが入線🌸ウキウキ

新大阪で新幹線を乗り換えて、東京駅まで帰ります。

皆様、お疲れさまでした。。。。

おばちゃん、天国から母を見守っていてくださいね。

丸亀〜本島〜倉敷へ〜其の壱~2019年11月8日〜9日

昨夜、丸亀の叔母の訃報を聞きく。日曜日の葬儀に参列させていただくため、交通手段を考える。日帰りでは葬儀の時間に間に合わないので、一泊二日で行くしかありません。

ANAのサイトでツアーを申し込んだところ、一週間先の日付で申し込んでしまいすぐに気が付きキャンセルしましたが、キャンセル料が発生しがっかり。。。。

前日の飛行機の予約はできるにしても料金が高いので、新幹線と在来線を乗り継いでいくことにしましたすでに日付も変わり、EXカードでの申し込み時間外になってしまいました。万が一、新幹線の予約ができないことも考えて、朝いちばんに新横浜に行くことに決めました。

ホテルは、丸亀市内に予約完了。

明日の朝も早いので、準備をして寝ましょう~

11/8(金)新横浜6時18分のぞみ1号→9時9分岡山9時32分→10時10分坂出10時30分→10時37分丸亀→アパホテル丸亀駅前→ 丸亀港12時10分→12時30分本島→島めぐり→本島17時10分→17時30分丸亀港→ アパホテル丸亀駅前 泊1

新横浜駅で、EXカードを使って新幹線の指定席行き帰りを予約できました。

車内では、爆睡しているうちに岡山駅に到着!

マリンライナーに乗り換えて、丸亀に向かいましょう~

マリンライナーに乗車!
瀬戸大橋を渡ります。

名札を付けた年配の方が、‘’どちらに行かれるのですか?’’と話しかけてくれました。

さっきまで車掌さんと仲良く話していたので、てっきりいつも電車を利用されている方で、通勤の方と勝手に思い込んでいましたが、

’’金毘羅山にお参りして、大歩危小歩危に立ち寄り、高知まで行きます’’と聞いてやっとツアーの添乗員さんだと理解しました。阪急ツアーだそうです。参加人数が多いので大変そうです。電車に乗っている時間が、少しだけほっとできる時間かもしれませんね。

添乗員さんが、’’いつもここで写真を撮るのよね~’’というので、私も写真におさめました。

坂出市の工業地帯
坂出の駅で団体さんは下車。私も電車を乗り換えて、丸亀に向かいます。
アンパンマン電車乗ってみたいなあ~
丸亀駅に到着!三年前はここで叔母と待ち合わせたになあ~
おばの元気だった時の姿が目に浮かびます。

観光案内所で、地図をいただきおすすめのお昼ご飯の場所も教えていただく。まずは、ホテルに荷物を預けに行きましょう~

お昼ご飯に讃岐うどんをいただきます。
これで540円

ちくわにこだわりあり👇

ちくわ天ぷらの食べ比べ(笑)
海が見えてきました。港まであと少し。。。
港の近くだけあって、こんなお店もありました。
本島(ほんとう、ほんじま)往復乗車券を購入

牛島を経由して本島に向かう高速船に乗船します。

本島に到着!
猫ちゃんがお出迎え

港の待合室には、こんな置物が。。。。

こちらは、2013年瀬戸芸の際に八朔人形(だんご馬)の文化を紹介しようと
紙粘土で作られたものです。

八朔人形(だんご馬) ってなあに???

こたえ。。。旧暦の8月1日を「八朔 」(はっさく) といい、だんごで作った馬を飾って、男の子の健やかな成長を願う文化があります。だんごは、お米の粉で作り、骨組みは鉄と木でできています。お祝いが終わると、近所の人にだんごをふるまったそうです。

瀬戸芸作品「咸臨丸のオブジェ」もありました。

「笠島」 方向に向かって歩きます。


瀬戸大橋が近くに見えます!(^^)!

マイペースマラソンってなあに???

塩飽水軍 (しわくすいぐん) ゆかりの史跡と文化財の宝庫、本島でいい汗かこうと、毎年3月に行われています。
こちらも瀬戸芸の作品かしら?
入ってみましょう~
いらっしゃいませと笑顔でお出迎え。。。

中に入ってみると、20点くらいのの作品が展示してあります。

写真のように繊細に描かれています。すごいにゃあ~🐈
部屋の中の飾り物
案内標識
「笠島」 は右方向ね。進んでいくと、
中学校が見えてきました。

オブジェを見ていたら、中学の先生らしき方が、ゆっくり見ていってくださいと声をかけてくれました。

空き缶もこんなに可愛く変身
こちらも可愛いでしょう~
雰囲気の良い中学校なんでしょうね!(^^)!→全校生徒は9人だそうです。

時間はたっぷりあります。ゆっくり観光しましょう~

誰かに見られてる気がする。。。

見られてます。。。

どこにいるのかというと、

こんなところから見られていました。
島そだちっていうカフェがあるようです。寄ってみましょうかね。

途中に、

幼稚園と保育園があります。。。ちょっと覗いてみました。
島そだちは普通の民家のようです。恐る恐る入ってみます。

リンゴケーキとハーブ茶を注文。イチジクも5個100円で分けていただきました。

こちらでびっくりする出来事が。。。

なんと,叔母が本島で保育園の園長をしているときに、保育園の給食のお手伝いをされていたとのこと。手作りの桜茶をふるまったら、‘’桜の葉から作ったん?’’と、とても喜んで飲んでくれたのよと。

叔母は手芸、お菓子、ご飯づくりと何でもできる人でした。子供たちの2人の幼稚園バックを作ってもらったり、料理のレシピを食材とともにいただいたり、一馬力で苦生活をしていたときにはいろいろな場面で助けていただきました。

叔母は、塩飽(しわく)諸島の広島(’’ろ’’にアクセントをつけます。)の方と結婚しましたが、叔父は30代で亡くなってしまいました。
土葬 で埋葬されるお葬式に参列したことを覚えています。広島まで行ったんでしょうかね~記憶が定かではありません。


広島へ行ってみようかと思っていましたが、情報を集めきれず本島に渡ったのですが、まさかこの島で叔母を知っている方とお話しできるとは思っていませんでした。

島そだち小林さん情報。。。

本島には最近ある動物がすむようになりました。何の動物でしょう???

こたえ。。ヌートリア (南米原産の大型ネズミ) ネズミと猫をかけわせて多様な動物で、岡山から泳いできたという話があるそうです。3年前から、イノシシも出るようになり、こちらも岡山方面から泳いで本島に住むようになったそうです。

こちらに展望台があるんだ!行ってみよう~
おやみ堂ってどんなとこだろう?ちょっと寄り道。。。
大きな岩と祠がありました。

展望台に到着!

瀬戸内大橋が見えますと思っていたら、
てんぐの足跡がある大岩でした。
足跡ってあったっけ?
あった(≧▽≦)
やっと展望台に到着!
右奥の島が男木島ですね。
こちらは与島のパーキング
どんぐりがたくさん落ちています。
尾上神社境内に下りてきました。社殿の龍がかわいらしい。
えー!尾上神社って学生さんが建てたの(゚д゚)!
と、振り返る。。。社殿まで戻らず、中途半端な写真です😞
あら、ここでも見られてたのね。

やっと、笠島地区に到着!

壁が黒いのはなんでだろう?
黒い部分は炭のように見えます。

壁を見ていたら、地元の方が、杉の表面を焼いて、炭化させることによって、防腐効果もあると教えてくれました。30年以上はもつそうです。

その先に、横浜から移住してきた、あささん、というおしゃれなおばあさまがが住んでらっしゃったそうです。お亡くなりになられていますが、自宅は人形の展示に使われているそうです。残念ながら、今日はお休みでした。

地元情報おまけ。。。 本島には、お墓が2か所あると教えていただきました。
両墓制 というそうです。

  両墓制 ってなあに???

こたえ。。。塩飽諸島には両墓制と呼ばれる民俗文化が昭和40年代まで残っていました。土葬の時代、遺骸を埋めた墓を埋め墓といい、小さな自然石を置き、時には小屋掛けした。一方石塔は寺院の敷地など別の場所に建てられて参り墓と呼ばれ、魂はそこにあるとされた。笠島集落では今でも、両方の墓にお参りしているそうです。

こんなイメージですね。
立派な家が立ち並んでいて驚きます。
街中を歩いてみましょう~
壁に花を飾っているお家もあります。
日経の記事が掲示板に貼ってありました。
おうちの中をのぞいてみることにしました。

丁寧に説明してくださるご主人にお話を伺いたかったけれど、私は淡々と話す奥様の説明でした”(-“”-)”

有馬焼のトイレとスリッパ
刀のつばがも飾りとして使われています。
反対側から見ると全然雰囲気が違いますね。
なかなか実物を見ることができない戦時中のもの
奉公袋です。(ご主人が説明されておりきかせていただきました)

帰りにご主人と少しお話ができて、ご主人が大好きな通りを教えていただきました。

こちらです。

話していたら、奥様が来て‘’鶴瓶に乾杯の番組でテレビに映った人って紹介していたのに、早く戻ってきて’’‘’と言われていました。

こちらも瀬戸芸の作品です。
苔のエッグチェア
吾亦紅もきれいに咲いています。
港にやってきました。
こちらにも杉焼の壁あります。
港からも瀬戸大橋が見えます。
火の見櫓もありますね。
海外線を通って港まで歩きます。
途中に摩崖仏もあります。

ヒレガクアサガオ
マツヨイグサ属はアカバナ科の属
さっき登った展望台の山
標高100メートルほどの遠見山 が見えます。
港まであと1キロくらい。

塩飽勤番所 はもう閉館していました。
熟睡中

宮本家の墓って標識あり、近そうなので寄ってみます。

本島中学のグランド側にたくさんのお墓があります。

年寄 宮本家って??

こたえ。。。 1590年に塩飽諸島の船方衆650人は豊臣秀吉から1250石の領地を認められました。その人名から選ばれて政治を執り行ったのが年寄です。
人名制度の原型が出来たときの年寄は、宮本伝太夫、吉田彦右衛門、真木又左衛門、入江四郎右衛門の4名と伝わります。宮本伝太夫は秀吉の朝鮮出兵をはじめ多くの功績を残しました。

塩飽水軍ってどんな水軍なの???

こたえ。。。海賊は「水軍」とも云われるように、海上での武力行使に長けた軍隊で、縄張り内の海の状態を知り尽くした上に築かれた優れた航海造船技術を持った集団でした。

江戸時代の塩飽水軍は、海運技術をもって仕える代わりに幕府から或る特権を与えられていました。その本拠地が、ここ本島です。

どんな特権???

こたえ。。。 塩飽水軍の船方たちは、武士ではありませんが、大名旗本のように秀吉や徳川幕府に直属で仕え、年貢を納める義務もなく、実質的に封建制度下では珍しい自治権を与えられた特別集団でした。
船方たちは、この仕組みを「人名(にんみょう)」と自称して高い誇り を持っていたようです。

注目はここ(゚д゚)!→ 幕末に勝海舟を船長として渡米した咸臨丸を操縦した船乗り達の多くは、この塩飽諸島の出身者でした。 地元の方の話によると、50人中35人が塩飽諸島出身者だったそうです。

よく歩きました。。。フェリーに乗って帰りましょう~
夕焼けの時間になりました。
夕日に染まるゴールドタワー

夕日がきれいだったのに、私は船内で爆睡。。。

もう少しで丸亀港に着岸します。

骨付きどり一鶴本店でとり飯を買い、ホテルでいただきました。

電話で、姉と明日の打ち合わせをした後、お城のライトアップを見に行こうと思いましたが疲れて断念。おやすみなさい。

広島帰省〜岩屋の観音〜和奏光夜(わそうこうや)~2019年10月31日〜11月3日〜

11/2(日) 実家3→水分峡(みくまりきょう)→岩屋観音途中まで→お墓参り→広島新幹線口 「和奏光夜(わそうこうや)」 →実家4

登山口に到着!

小学校の遠足に始まり、初日の出を見に行ったり、何度も登った岩屋の観音。登る前からワクワクしています。

主人曰く、’’1時間くらいで山頂まで行けるよ’’と、

そんなに簡単に登れるんだったっけ?

そういえばつい最近、岩屋の観音に登ったあとに、歩いて母の家に行き庭掃除をしてくれたんでしたね😺感謝😊 

ハイキングスタート

整備された道を進んでいくと、
地元の人らしき方が、
’’お地蔵さまをたどって行くと、急な道だけど近道だよ’’と教えてくれました。

登山道を整備する人たちが高齢になり、道が少しずつ荒れてきたと話してくれました。

私たちも、お地蔵さまを頼りに登ってみましょうかねー

ほう〜ここからね‼️

いくつまであるんでしょうかねー❓

葉っぱがのっかって、可愛らしい〜
85番→82番→78番とだんだん減ってきてますね。
64番になりました。。。
岩屋の観音の山頂が見えてきました!

その時、携帯が鳴る…♫

母から、’’雨が降りそうなのにお布団干しとるけど大丈夫か’’と…

確かに屋根はあるけど、雨が降ったらお布団入れなきゃね(午前中は雨は降らない予報なのになあ😒でも確かに黒い雲が出てきている)

あと1キロくらい…雨の心配をしながら歩く🚶‍♀️
こちらの道は、主人が先日下った道だそうです。
山頂まであと0.4キロ…

雨がポツポツ降ってくる。

景色の良い場所に着いたところで、しばらく続きそうな雨が降り始め、
山頂を目指すのは断念する( 一一)
あと少しだったなあ〜
主人が、’’山頂から見る眺めとあまり変わらないよと言ってくれる’’


そうよね~海までの景色も見れたし、残念だけど、山を下りましょう😢 これから登って行く人ともすれ違う。雨は降ったり止んだりになりそうですね。

登山口まで戻ってきました。

もしかして、お地蔵さまは八十八箇所あったのかもしれないですね。
本来の登山道の入り口には案内石碑も建ってました。

家に戻りお布団を入れて、お墓参りへ。

雨はパラパラと、降ったりやんだり。。。

主人が夜になると賑やかになる流川(ながれかわ)を通りたいとリクエスト
’’ここじゃったかいね~’’と車で通る。

お寺に到着!

23日お寺の法要があり、少し早めですがお布施を住職さんと奥様にお渡しする…お墓を守ってくださって感謝しています。

主人の散髪に付き合い、散髪屋の近くのお好み焼き屋さんで、お昼ご飯。主人は、いつも買うお好み焼き屋さん‘’大吉’’と、どう味が違うか興味津々😁

としちやんに入りまーす。
広島といえば、カーブ😆☺️😉

こちらのお好み焼きの特徴は、うどんは平めんであること。広島で平めんを食べたのは初めてです。

主人は、大吉よりも値段が少し高いのでとしちやんも美味しいけど、大吉の方が勝ちかなと呟いています。

としちやんは蒸し焼きにしているようで、ふわりとしています。大吉は、おして焼くので味がギュッと詰まってる感じです。

今日は平和マラソンの大会‼️
通行止めの場所もあります。
NHKの中のスタバで食後のコーヒーを買って、母のお迎えに行く。

14時半に終わって15時ごろ解散ということだったけれど、14時半に自治会館に行ったら、すでにカラオケ大会は終わっている…予定より早く終わってしまったとのこと😫

実家に戻り、母の1週間の買い出しに行く。あれこれ悩みながらも、一週間分の食材を買う。母の夕飯はお弁当を頼んでいるのでそれを食べるとのこと、主人は少し疲れてる様子で家でのんびりするとのこと。 

私は、夕方から親友と一緒に近くを散歩しようということに決める。

歩いてすぐのところにある東照宮のイベント❣️
😊
「和奏光夜(わそうこうや)」
獺祭の飲み比べ3杯500円だそうです。
イベントをひと回り見たあと、お土産を買いに行くのに付き合ってくれました。

昨日、夕食を食べたデパートの地下のカフェで、軽食を食べながら、ゆっくりおしやべりする😉

前回帰省の時は会えなかったから、話したいことお互いいっぱいあったね‼️

今度会えるのは、来年かな?

21時過ぎにバスで実家に戻る。。。

11/4(月) 実家→バス→広島駅北口6時40分→7時30分広島空港9時10分ANA674→10時30分羽田空港

お昼過ぎには自宅に到着🏠みんな元気で安心しました😊

今度は年末年始に帰省します。体調に気をつけてみんな頑張ろう💪

広島帰省〜芸北深入山~恐羅漢~三段峡〜2019年10月31日〜11月3日〜

11/2(土)泊9時50分→11時20分来夢戸河内→11時50分深入山憩の村12時10分お昼2千円→餅の木峠770メートル→14時15分駐車場500円三段峡水梨口14時50分→実家泊3

中国山地に向かって走る
広島にはた〜くさんのスキー場⛷があります。
日帰りでよくいったものです…

2003年に廃線となった線路 🛤
広島の横川駅から三段峡まで可部線として続いていました。
登山、冬には雪景色を見るのに
何度も乗車した路線でした…
懐かしさが込み上げてきます🥺

深入山への標識が見えてきました。

深入山まであと少し…
深入山入り口に到着‼️


真っ赤になった紅葉🍁
美しすぎて、わあ〜と声がします❣️
コスモスと母の写真を撮る🤳
深入山憩の村のランチは1時間待ち…
諦めましょう。
わーい🙌この辺りは紅葉真っ盛り🍁なのですね😊

もう少し先に、キャンプ場があるので行ってみましょう~

あら、あの幟は何かしら❓

地元牧場の牛肉で作ったお弁当を売っています。美味しそう〜

どれもおすすめですが、メンチカツは一番のおすすめだそうです。

3人で分けて食べましょう〜

母は、’’かあちゃんは、メンチカツ一枚食べたい’’と言って美味しそうに食べています。

1人500円未満のお昼ご飯になりました。安くておいしくて大満足♡

こちらの地元商品も買ってみました。
お店の中には、キノコ🍄やら、
どんぐりが飾ってあります。
男性の方が、試食の栗🌰かと思って手にとったら、ドングリだったので、ガッカリしていました😁

深入山はここから1時間くらいで登れます。今回は登れないので、飾ってあった写真をパチリ🤳

何度も登った山ですが、また登りたくなりますね。深入山のふもとでテントを張って泊まったことが2度ありますが、当時の様子が想像できないほどきれいに整備されています。

母と主人の仲の良い後ろ姿😊
仲良くしてくれるので本当にありたいです‼️
ここは、何度も歩いて通った峠です。
個人的に思い出深い場所。
ヘトヘトになってこの辺りにテントを張りました。
山道を通り、恐羅漢方面へ。

大学時代、毎年5月にここ中国山地に登ってましたね 😊😁😊

餅ノ木には、民宿もあるんですよ。
恐羅漢牛小屋キャンプ場に到着‼️
ここにも何度か泊まりましたが、昔の雰囲気と変わってる。。。セラピーロードとおしゃれな名前がついています。
しっぽの長いトカゲちゃんがいました😉
ここに書いてある地名は、全部行ったことがあり、嬉しくなります‼️
また登ってみたいなぁー
お風呂の窯がいくつも建物の横に並べてあります。。。何でしょうかね〜
スキー場でもある恐羅漢の山を見上げます。思い出がいっぱい詰まった山です‼️
広島大学の山小屋は、まだここにあるのかなあー
初めての冬山体験をさせてもらいました。ラッセルはしんどかった。。。

恐羅漢ってどんな山❓

こたえ。。。 広島県山県郡安芸太田町と島根県益田市との境にある標高1,346.4m の山です。 広島県と島根県の最高峰でもあります。

スキーにも何度も訪れた山で、またいつか行ってみたいとずっーと思っていた場所でした。

母は、’’紅葉を見にこれるとは思わんかった‘’と嬉しそうにしてくれてるし、私もここに来れて大満足💖

こんな山見えます。なんていう名前の山かなあ…深入山かなあ

最後に、主人が行きたい三段峡に向かいます‼️

紅葉の最盛期まではあと少しかな❓
良い天気で良かった〜
ここはどこ❓
‘’天神の岩’’って書いてあります。
反対側には小さな滝まであります。
道幅が狭く、離合が大変です(^_^;)
紅葉のトンネルをくぐり抜け、
奥深い山道を進んでいくと、三段峡水梨口駐車場に到着!
’’ここは道も狭くて大型バイクでは来られん場所’’だそうです。
ここが、三段峡入り口‼️
猿飛という場所には狭い岩と岩の間を渡し舟が運航しています。とっても素敵な場所です^ ^

母は、階段は登れないので、5分ばかり主人とお散歩🚶‍♀️
川沿いにずっと続く道…あまりにも長い距離続くので、集中力の切れそうな危険な道であります。

大学時代、よく歩いた道ですが、疲労で眠くなり転んで歯が折った人もいましたし、遊歩道は道幅が狭いので谷に転落しないよう気を付けて歩かねばなりません。

熊も出るので、熊🐻よけ鈴は必需品です 🐻 🐻 🐻

そろそろ帰りましょ〜

廃線になった戸河内の駅跡でトイレ休憩〜

広島市内に戻り、姉一家と合流してデパートのレストランで晩ご飯を食べる😊

姉と一緒に母の米寿祝いのプレゼント🎁を買いました。気に入った洋服があって良かったね🤭

今日は、主人に実家にお泊まり。。。一日運転ありがとう❣️

明日は、家からも見える岩屋の観音に登ろうね〜

広島帰省〜宮島編〜2019年10月31日〜11月3日〜

10/31(木) 羽田空港20時15分ANA639→22時岩国空港バス22時23分→岩国22時37分→23時宮島口→宮島コーラルホテル泊1

定刻より10分遅れにて羽田空港を出発🛩

出発ロビーにて…

’’はあ、座っとる人はおらんよ。並んどらんかったけん、窓側じゃったのに。。。はあ、割り込んじやあいけんじやろう。‘’と、話している声が聞こえてくる👂

はあ→’’もう’’という意味

‘’私は窓側じゃないけえ、ゆっくりでええか’’と心の中の言葉が、広島の言葉になってる。

ここは広島かと思うくらいみんな広島弁を使ってる笑

岩国空港に到着‼️

岩国駅行きのバスも飛行機の到着時間に合わせて、18分遅れで運行🚌バス代200円

10時37分の電車に間に合うかなあ〜

バスの中は、ビジネスマンらしき人で、席はほとんど埋まってます。

岩国駅まで10分弱で到着‼️

予定の電車は間に合いそうだ😊と思ったら、駅前バスターミナルが工事中👷‍♀️

前の人について行ったら、遠回りの道…あと4分しかない走る。

前の男の人が、悪そうに’’遠回りでしたね‘’と。。。

暗くて案内板があったかもしれないけど、見えなかったよね。

2分前に到着‼️
改札口の前の芸備線全線運転再開が嬉しくて看板をパチリ🤳

全線開通まで、 平成30年7月豪雨 から1年以上かかりました。

今日はハロウィン🎃だった
静かな宮島口に降り立ちます。

岩国空港から宮島口まではアクセスもよく、広島空港からの交通費よりも1千円以上安くなります。

しかし、飛行機が小さいせいなのか、降下中の機内ではジャンボ機より耳が痛くなります😣

星をしばらく眺めて、ホテルにチェックイン

明日の山登りどこからのコースにしようかなと考えているうちに、眠っていました😪

11/1(金) 泊1→宮島口7時05分→7時15分宮島→8時20分大元公園登山口→仁王門9時40分→10時弥山10時30分→10時40分消えずの火10時50分→11時30分紅葉谷公園→12時30分宮島→12時40分宮島口13時03分→13時32分広島駅→主人マンション→広島駅→恩師宅→実家泊2

桟橋ターミナル改装中で、ホテルのすぐ前がJRのフェリーの乗り場です…😁
朝一番のフェリー出港しました
鉄塔の立っている絵下山を眺める。お天気は良さそう〜


やっと、お日さまが顔を出しました…
いつもお世話になる宮島コーラルホテル🏨

朝ごはんを食べて、港に向かいます。

急がなきゃ、出航まであと5分しかない…と思ったけれど、

ICカードで乗船できるので、余裕で間に合いました😊

出航〜🚤

宮島口の桟橋は大きく変わろうとしています😳
広島市内は霧に覆われている…
こんな幻想的な景色に出会えて嬉しい〜😊
中国地方は本当に山ばかりだなあ〜
宮島の桟橋が見えてきた…
山と雲に見とれて、厳島神社の方を見ないまま、
宮島に到着‼️


朝7時過ぎなのにたくさんの人が
乗船していました。
朝早いうちは、みせん丸一隻で宮島と宮島口を
往復運航しています。
自転車通勤かな🚲
宮島の玄関口
みんなもういなくなっちゃった^^
テントの中で、宮島産のミカンを買いました。
宮島で1番目に出会った鹿🦌
おはよう〜
引き潮なので、砂浜を歩いて鳥居⛩方面に向かいます。
静かで気持ちいい^_^
砂紋面白い
鹿の足跡🐾
姿勢の良い鹿🦌がいる。
こっちにやってきた!!
凛々しいお顔😊
厳島神社の方面は朝日を浴びてピカピカ光ってます‼️
社殿にはもう観光客がいますね。
鳥居は改装中⛩
砂浜を渡って対岸まできました…
ここにも鹿の足跡🐾
川を渡って、
まずは水族館方面へ
水族館の大きな紅葉の木の前を通って、
大元公園方面へ
目に注目‼️
誰かに似てません❓→クレオパトラ?まあまあだねのご回答ありがとうございます
大元神社に登山の安全をお願いして、
駒ヶ林を通る大元コースで
弥山に登ります😃
山頂まで2時間のコースです。
御山道って書いてある❓→ 御山神社 への道のことですね。
宮島の原生林

ぱちっぱちって(^^♪なんの音だろう❓→あちこちで木の実が落ちる音でした!(^^)!

まだ2.6キロあるんだ❣️
昔からある道なんだろうなあ
石段を登っていきます。
登山道には、巨石がたくさんあります!

やっと下の景色が見えてきました。
苔むした岩…すごいね〜

こちらは、富士岩→ 高さ約8m、長さ約20 m
また巨石出現😅
やっと稜線に出ました😊
ここは、ひとつ目のピーク‼️
まだ誰ともすれ違っていません…

下っていくと、

岩の下に祠がありました。
宮島口方面も見えてきました。
あら、もう二十二町😚
大聖院からの登山道と合流。
ここで、やっと登山者と出会いました。
あれ?二十丁目に減ってます❓
町→丁に変わってます。
お堂の前を通り、
頂上に到着‼️
山頂の岩を眺め、また来たなあって気持ちに浸る😊
桟橋が見えますね🚤
ロープウェイ乗り場🚡見えます。
さっき買った宮島のミカン
なんと50円😁2つおまけしてもらいました。
ここは、二十四丁
巨石の間を下っていきます。
岩をくぐり抜けて、
こちらは行き止まりの岩のトンネル、くぐってみましょう-
ロープウェイの方面に下ります。
こちらでたまたま一緒になったご夫婦と一緒に
白湯を頂きました。
冬バージョンのお地蔵さま😉
紅葉谷公園へ下ります。

こちらのコースは、ワンピース姿で登ってくる人、靴がタウンシューズの人もいます。

幼稚園児の集団ともすれ違いました。辛そうに登ってる男の子に思わず、’’頑張って👍’’と声をかけちゃいました。

‘’死ぬまでに100回弥山に登ろう思うんよ。8月から登り始めて18回目4日に一回は登りようるんよ。‘’と、話してくれた岩国から来た70代くらいの女性にも会いました。そのエネルギッシュな姿に元気をもらいます😺

紅葉をしている葉っぱを見つけるのは大変
紅葉谷の葉っぱはまだ紅葉はまだね。

アーケードまで戻ってきました。

ダイコンヤのもみじまんじゅう頂きます‼️

歩いている途中、チーズ入りもみじを見つけました。残り2個しかない。。。1個お茶と一緒にいただきました。残り1つは、すぐに売れてしまいました。

広島市内で入ったことのある八昌。人気のお店でしたね。
並んでるね。。。

主人の家に寄って荷物を置いて恩師宅に行くとなると、そろそろ、宮島を出発しないといけませんね。

フェリーと電車を乗り継ぎ広島駅へ。荷物を置いて、チンチン電車にて恩師宅へ。


15時の約束、間に合いそう~
急いで、いつもの橋を渡ります

帰るころには夕焼け空に。。。

よく遊びました。

先生は、前よりふっくらされお元気そうで安心しました。いつまでたっても子供のように思ってくれていて、”また来てくださいね~楽しみにしておりますからね’’とお別れする。

夜は実家で、母と一緒に晩御飯を食べる。

明日の計画を立てて、おやすみなさい。

京都の旅~京都御所~比叡山編~2019年10月22日~23日~

10/23(水) 泊1→烏丸→出町柳10時7分→10時21分八瀬駅10時30分→ケーブル→10時53分比叡山山頂→西塔→延暦寺バスセンター→ケーブル→坂本→びわ湖大津→京都17時26分のぞみ246号→19時25分新横浜

烏丸のドトールコーヒーで朝食!

八瀬駅に到着‼️
折り返し出町柳行きにかわりました。


ここから歩いて、ケーブル乗り場に向かいます。
橋を渡って、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで、
こんな高いところまで上がってきました^ – ^
ここからバスに乗ります🚌

バスの運転手さんが、乗車の際、’’周遊券こうてくださって(買ってくれて)ありがとうございますと言ってくれます😊’’

琵琶湖が見えてきました。バスの中より🚍
あそこに見える橋は???
こたえ。。。近江大橋 です。

琵琶湖の水深は?

こたえ…104.1メートル😳

眺めが良いルートを走ります。


クネクネ道を進んでいくと、

西塔(さいとう)に到着‼️

バス下車する時、”おおきにありがとうございます。“と、丁寧に声をかけてくれます😁感じええなあ〜

ここに親鸞聖人が住んでらっしゃったのですね!


 最澄上人のあと、比叡山から数多くの名僧、高僧を輩出しています…どんな人たち❓

こたえ…法然、親鸞、道元、日蓮など

にない堂では四種三昧の修行中〜

四種三昧(ししゅざんまい)の修行って?

こたえ。。。四種三昧は①常坐(じようざ)、②常行(じょうぎよう)、③半行半坐(はんぎようはんざ)、④非行非坐(ひぎようひざ)、からなるといわれ、常坐は90日間、食事とトイレを除き一日も休むことなく坐禅し続ける行であり、常行は90日間、本尊阿弥陀如来の周りを歩き続ける行とされている。何れにしても『四種三昧行』は過酷な修行である。

にない堂の名前の由来は❓

こたえ…弁慶が渡り廊下を天秤棒にして両堂を担いだという伝説に基づいているといわれています。

釈迦堂に到着‼️

釈迦堂って何処にあった建物なの?

こたえ… この堂は貞和3年(1347年)に建てられた園城寺の弥勒堂を、織田信長の比叡山焼き討ちの後、豊臣秀吉の命で文禄4年(1596年)に、ここに移築したものであるとされています。

あの階段を降りてきました。。。釈迦堂の中より


鐘つき堂に登る途中、紅葉🍁はまだもう少しですね…
階段を上ってバス停に向かいます。

この看板は何❓→天然記念物鳥類繁殖地

こたえ…比叡山は、延暦寺があるために古くから霊域として保護されてきたので、関西地方を代表する多種多様な鳥類が棲息します。昭和5年に、寺域一帯約830万㎡が「鳥類繁殖地」として天然記念物に指定されました。山頂付近の沢地などに行けば、オオルリ・コサメビタキ・ヤブサメなどを見ることができます。

なんの花かな❓
聖光院跡(しようこういんあと)
こちらにも親鸞聖人の文字がありますね。比叡山の中のお寺を任されていたのですね。

バスに乗って東塔へ。

お腹が空いたねー

まずは、ご飯を食べて見学にしましょうー😛

比叡山会館のランチに決まり‼️
眺めの良い窓際のお席(╹◡╹)♡
真ん中の富士山に似た形の山の名前は?
こたえ。。。三上山(近江富士)です。
ご飯が運ばれてきました😊
頂きます🙏
お舟も見えます☺️
比叡山会館の建物は大きくて、宿泊施設もあります。
まずは、大書院特別公開へ行きます‼️
一つ目一つ足小僧→比叡山の戒律を守るために幽霊になった慈忍和尚(じにんおしょう)
こちらが、水木しげるの一つ目小僧
一文字狸→修行僧真弁(しんべん)が、素直になれない性格を直したくて、狸の彫刻をはじめた。真っ白な眉毛を一文字にひいた大狸が現れ、“自分の為だけでなく、仏に使える身として仏教修行の為に千体狸を彫る願いを立てるなら助けてやろう”と告げた。
こちらは鳥獣戯画を真似た絵です。


比叡山会館の喫茶店に鬼太郎バージョンあったんだね🤭

昔、延暦寺に行く人たちは必ずこちらの門を通りました‼️

👇

文殊楼(もんじゅろう)を見学‼️

そして、

根本中堂へ→平成28年から10年かけて改修を行なっています。
中に入ると、室内にたくさんの足場が組んであります
こちらは修繕前ですね。
こんな風にきれいにまず剥がして、
少しずつ傷んだところを修復していくのですね。
ケーブル乗り場に到着‼️

登録有形文化財(建造物) です。
駅舎の階段を登っていくと、展望台がありました。
遠くまで湧く見えますね!
ケーブルが上ってきました‼️
あのケーブルカーに乗るのですね😊

坂本ケーブルって???

こたえ。。。1927(昭和2)年に敷設された坂本ケーブルは、登録有形文化財駅舎と日本最長の2025mを11分で結ぶ比叡山鉄道のケーブルカー路線です。

ここを降りていきます。
坂本駅到着‼️
こちらも、登録有形文化財(建造物)

ここからどう行けばいいのかな?案内板が見つかりません。

学生さんが歩いてるから、とりあえずついて行ってみようー

細い道を抜けて、歩道に出ました。

後ろを振り向くと、
外国の観光客の方々もついてきています😁

石垣がきれい。名前がついてるのかな???

こたえ。。。 穴太(あのう)積 石垣です。

どんな積み方なの???

こたえ。。。 「石の声を聴き、石に従う」といい、自然石を巧みに組み合わせて 石垣を作る技法だそうです。

おまけ。。。 坂本にある「西教寺」は、2020年放送予定のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公「明智光秀」ゆかりの地です。
1571年(元亀元年)織田信長の比叡山焼き討ちの際に焼失した西教寺を復興したのが、坂本城主となった光秀です。

残念ながら、時間がなくて西教寺は寄れませんでした。。。また行きましょう。

坂本比叡山口に到着!

無事に京阪電車🚃に乗れました!

琵琶湖浜大津で乗り換え…

JR山科駅に向かいます。

余裕をもって、京都駅に到着。お土産を買う時間もたっぷりありました。

新横浜までで戻ってきました。。。

あっという間での時間でしたが、今回もミステリアスな楽しい旅になりました。

来年は、3人で行けると良いね😊

京都の旅~京都御所~鞍馬の火祭編~2019年10月22日~23日~

新横浜7時19分のぞみ203号→9時17分京都→イイノコーヒ(朝ごはん)→京都御所(関院旧邸跡.拾翠亭(しゅうすいてい))→12時平八→出町柳15時40分→16時11分鞍馬 鞍馬の火祭り 鞍馬21時2分→21時32分出町柳→ホテルモントレ泊1

新横浜に到着❣️
ラグビー🏉で盛り上がり中〜

毎度の事ながら、新幹線の中で、どこに行くか相談。

今日は、京都御所で時代祭があるというので行ってみることにしました。午後は、京都御所近くでお昼ご飯を食べて、鞍馬の火祭り見学に決定〜

明日は、比叡山‼️に決まり。。

京都駅構内で朝食タイム。。。

京都市営地下鉄一日乗車券を購入して、京都御所に向け出発~


京都御所に向かう途中のお地蔵さん がありました。

‘’京都は 「地蔵盆」 っていうのが、各地区ごとにあって、子供の時はお祭りに行くのが楽しみだったよ’’って教えてもらいました!(^^)!

「地蔵盆」ってなあに???

こたえ。。。地蔵菩薩(ぼさつ)の縁日(旧暦7月24日,もしくは,新暦8月24日)の前日を中心に行われ ます。
「地蔵盆」が近づくと,町内の人たちは,お地蔵さんを祠から出して,新たに彩色する「お化粧」を行い,新しい前掛けを着せるそうです。

京都御所に到着‼️

時代祭の出発地点に行ってみましょう~

あの施設はなあに???入場無料の 閑院旧跡 ??

入ってみよう〜

ボランティアの方が今から案内が始まるけれどいかがですか❓と声を掛けてくださる。
もちろん❣️お願いする。

閑院宮 (かんいんのみや) 家って❓

こたえ。。。江戸時代の四親王家のひとつで、東山天皇の皇子直仁親王(なおひとしんのう 1704.10.7 ー 1753.7.2) を始祖として宝永7年(1710年)に創立されました。
閑院宮家は第一皇子美仁親王 ( はるひとしんのう、宝暦7年11月25日(1758年1月4 日) – 文政元年10月6日(1818年11月4日)) が継ぎ宮家は1947年で続きましたが、 皇族制度改革により皇籍(こうせき)→皇族である身分の籍  を離脱しました。

四親王家、あとの3家はどこ???

こたえ。。。 伏見宮、桂宮、有栖川宮家 です。

創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失しています。

現在の建物との関係など詳しいことはわかっていませんが、閑院宮家が東京に移った明治10年まで邸宅として使用されていました。その後は華族会館や裁判所に使用され、明治16年旧宮内省京都支庁が設置された際に、現在の建物になりました。

おまけ。。。
4月30日に今上陛下は退位され、約200年ぶりに上皇が誕生しました。江戸後期の光格上皇(1771~1840年、天皇在位は1780~1817年)以来のことです。

光格上皇 (こうかくてんのう)ってどこの宮の方??
こたえ。。。閑院宮家の方です。1780年、9歳で即位し ました。

どんな方だったの???

こたえ。。。 光格上皇は廃絶されていたものを再興し、当時行われていても略式であったものを古い形式に復古するなど、さまざまな朝廷の儀式や神事を改革した。文字通り朝廷の「ルネサンス(再生)」を進めて権威を高めたわけだ。藤田氏は「簡素化されていた新嘗祭(にいなめさい)を古来の形に戻し、石清水八幡宮・賀茂神社の臨時祭を復活させるなど、光格上皇の手掛けたものは、正直数え切れない」と 日本近世史研究の藤田覚・東大名誉教授は話す。 日経BIZ GATEより~
→このように宮中行事が平安時代の様式に変わり、現在に続いています。

雨戸の閉め方の実演 始まります~

回った
戸袋は一箇所しかないので、雨戸がくるっとまわる仕組みになっています。
ここを見てください。
少しでっぱりのあるところを軸にして、雨戸がくるっとまわります🤗
下側はこんな具合

最後に、ボランティアの方からクイズあり、御苑と名の付く観光できる場所はどこでしょう???

こたえ。。。 新宿御苑と皇居東御苑 でした。

私たち2人のために、ゆっくり案内してくださり、ありがとうございました(*’▽’)

新緑の時期になると、この位置から撮った写真が地元の新聞に掲載され、
床に新緑が映りこむ「床みどり」が、訪れる人の目を楽しませるそうです。

こちらで、衝撃的な事実を知ることになる。

それはなあに❓

毎年22日の時代祭りは、今年に限り即位の礼と同じ日になるので、26日に変更になったとのこと😌

ボランテアの方に聞いた 拾翠亭(しゅうすいてい) へ。。。

こちらは、拾翠亭(しゅうすいてい)
今日は100円→無料で入れます。
入り口は苔むしていて、いろいろな種類のキノコが🍄が生えています。

拾翠亭 ってどんな場所なの???

こたえ。。。 五摂家 (せっけ) のひとつであった九條家の現存する唯一の建物で、およそ200年前の江戸時代後期に建てられたものと伝えられている貴重な建造物です。

摂家(せっけ)ってなあに???

こたえ。。。鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流 ( 藤原北家 ふじわらほっけ) で公家の家格の頂点に立った5家( 近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)
明治維新後,いずれも公爵 と呼ばれました。

嫡流(ちゃくりゅう)の意味は???

こたえ。。。氏族の本家を継承する家筋・家系のことです。

広縁に座ると、九条池にかかる高倉橋が見えます。

拾翠亭は、茶会、俳句・和歌・短歌の会、読書会、謡曲会(素謡)、歴史研究会、漢詩研究会(吟詠)などの行事に利用できます。

おまけ…京都御所の 北東(丑寅)は 引っ込んでいおり、築地塀。(ついじべい)の 軒下に猿の木の像が安置されています。。。なぜでしょうね❓

こたえ。、。災が去る→猿🐵ようにという意味があります。

お昼ご飯はどこで食べましょう~

「太い うどん」を食べれるお店が近くにあるのを思い出しました。’’行ってみよう’’ということになり、お店に☎しました。 予約OK♡

お店は、こちら。。。神泉苑の中にあります。


神泉苑 は、平安宮 (東西4.5km、南北5.2km )の近く中心地にあったのですね。


平安京最古の庭園神泉苑内にある 平八への入り口の門をくぐると。。。


神泉苑 シンボルの龍🐲の船が見えてきます。

 名物は日本一太いうどんの「うどんちり」 、お昼ご飯と夕食もかねてちょっと豪華なおひるごはん。。。

太いうどん麺をすくって見せてくれました😃→ひとり分は2本です。
煮えた頃に、お椀に入れてくれました。
あともう一本は、よく煮てから味の違いを楽しんでくださいねと。。。
お庭を見ながら頂きました!

サンダルを履いて外にでてみると。。。

アヒルだ!!
喉が渇くのね💧池の水はおいしいのかな?

食後に、神泉苑の中をお散歩🚶‍♀️

池の向こうに白鷺がとまってます😊
祇園祭の発祥のお寺にお詣りします。
何度も来ているので、ここにくるとほっとした気持ちになります。
二条陣屋に寄り道をして、出町柳に向かいます。
見学するには、(当主)小川平太郎 への予約が必要です。

地下鉄に乗り、出町柳に到着しました。

比叡山方面の電車が発車しました。明日は、あの電車に乗ります。

停車中の鞍馬行きの電車は座れないので、次の電車に乗ります。

鞍馬駅ゆき電車が入線🚃

朝も早かったので、2人とも電車に乗ったとたん、ちんぼつ〜(熟睡する)

鞍馬駅に到着〜
今日は特別ダイヤ
この縄は?きっと帰りはここに並ぶのですねー

初めて来たので、どんな混雑になるのか、どこでどう見学したら良いのか全くわかりません。

歩く順路は決められてるのですね。
いきなりの大きな松明(たいまつ)
ここに火をつけるのね!
3人で担ぐ松明は100キロあるそうです😱
人の流れは鞍馬寺の方向へ。私たちも流れに沿って歩いてみます。

鞍馬寺の山門に到着!

立派な御神輿
外国の方ばかり目につきます。
入り口の看板。


この先歩いていると、’’17時までで、出ていってください’’と私たちだけに声を掛けられる。

どうして❓と思ったら、周りは外国の方ばかりで言葉が通じないと思ったんでしょうね。

昨年❓の豪雨でまだ再興されてないのですかね…
急な坂道を登って、火祭りの神社⛩由岐神社(ゆきじんじや)が近づいてきました。

あとは、急な階段を登る…ガンバレ🏳

階段の途中に樹齢800年の大杉、存在感あり。
見上げるとこんな感じ…
カメラに入りきらんね。
入り口の仁王さま‼️いい顔してる❤️
仁王尊像は運慶の嫡男、 湛慶作
(たんけい、 承安3年(1173年) – 建長8年5月19日(1256年6月13日)) と伝承。

湛慶って???

こたえ。。。 鎌倉時代の慶派仏師。運慶のもうけた男子、次男康運、三男康弁、四男康勝など皆、仏師になったが、なかでも嫡男の湛慶は、運慶、快慶とならぶ大家として知られる。

この灯りを見ると、鞍馬に来たなあって思います、
警察の方に 階段中間辺り で見学して良いのか聞いてみる…
’’いてもいいですよ…’’と言われるが、結局は進んでくださいの指示あり…
駅の方が出発地点らしいので、行ってみましょう〜

建物の2階にいる人たちは、地元の方?常連さん??かな?

鞍馬駅方面に向かい、しばらくここに陣取る。

あたりも薄暗くなり、鞍馬寺方向に火が灯る。
来るときに見たお松明にも火がつけられる。
消防署の前で何やら会の始まりの挨拶か?

’’進んでください’’’’のアナウンス🎶

お松明を見学しながら、少しずつ前に進みます。

子供のお松明がやってくる…
炎に見入る。~担いでいる人たち熱そう~
火の粉だ!
男の人はみんなこのな感じです。ワラジを履いていますね。
お松明を出す家の前には祭壇や
甲冑が飾ってあります‼️
どこの家も祭壇は、同じ様式のようです。

どこまで歩いていったらいいんだろう~?

もう少し先に行ってみようかと歩き始めたところ、

こちらの甲冑は、実際に身につけるために外しています。

ご主人らしき方が、’’今から何かが始まるからここにいなさい‘’と、声をかけてくださる。家族の一員になった気持ちで、ご主人と話しながらまっています😊

何が始まるのかな❓
小さな男の子も晴れ着を来て、何かを待っているよう。
ちっちゃな男の子も着物姿‼️
あら、さっきの男の子が松明を持ってきます。重そう~頑張って〜
サイレイヤ、サイリヨウと掛け声を掛けながら、お松明が通り過ぎて行きます。

サイレイヤ、サイリヨウ の意味は??

こたえ。。。 (祭礼(さいれい)や祭礼(さいりょう))」

「鞍馬の火祭」 ってどんなお祭りなの??

こたえ。。。 火祭は940年、祭神を京都御所から鞍馬に移した際、住民がたいまつで出迎えたことが起源とされています。

由岐(ゆき)神社一帯で22日、1000年以上続くとされ、昨年は台風の影響で中止となった「鞍馬の火祭」が2年ぶりに開催です。

さっきのここのお家の男の子も、だんだんお顔が凛々しくなってきました‼️
大きなお松明に火をつけます。
火がついたね🔥
燃えてきた🔥
お松明をくるくる回すと全体に火がまわるそうです。
行ってらっしゃい〜
サイレイヤ、サイリヨウ♫みんなで声を掛け合います!!
この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は A9FFF3B2-0D9F-48C6-99BE-751F0409FC93-1024x768.jpeg です
行っちゃった。

おまけ。。。神様の宿が街道にいくつもあり、7年ぐらいに一度、お松明の順番が回ってくるそうです。地元の方々は、’’おめでとうございます’’と言いながら、お松明の家に入っていきます。

本来、鞍馬の火祭は、見せるお祭りではなさそうです。

道路にはほかにもたくさんのお松明あり🔥
目の前をお松明がいくつも通り過ぎていきます.

人だかり。。。なんだろう???

女性が太鼓を叩いてます!近かづけない・・・
家の前の飾りを見てみましょう❤️こちらは、ゆっくりと見学できます。

そろそろ、鞍馬寺の山門あたりにたいまつが終結するクライマックスタイムです。

駅に向かいましょう~

しかし、大勢の人で進まない。。。

やっと鞍馬駅に到着!

ここから鞍馬寺山門方面に向かうと、またひと回りしないと駅に戻れません(-“-

一方通行だったものね。。。最終電車に間に合わない可能性もあるので、あきらめましょう。

長い列に並び、電車に乗ります🚃

電車を一本見送ったお陰で、座って出町柳まで帰ってこれました。

火祭りの興奮は覚めやらず、夜中過ぎまでおしやべり、楽しかったね😝

火祭りの人混みに尻込みして、行くのやめようかなんて話していたけど、思い切って行って良かったね〜

明日は、少しだけゆっくり出発にしましょう~

(^o^)ノ < おやすみー

群馬の旅~草津温泉編その弐〜2019年10月4日〜8日〜

10/8(火))泊4→片岡鶴太郎美術館→熱乃湯(ねつのゆ)湯もみショー→蕎麦屋「柏香亭(はくこうてい)」→白旗の湯→草津山光泉寺→草津熱帯園→煮川乃湯→千代の湯→草津バスターミナル14時45分→19時45分たまプラーザ

ぐっすり眠りました。朝風呂に入って、

洋食の朝ご飯、うれしいな♡

片岡鶴太郎美術館 に到着!

20周年で入館料がお得になってます!(^^)!
通常950円→600円

鶴太郎44歳の時に開館した美術館です!

一番のお気に入り
お土産物屋さんの前にいるのは置物???
本物の猫ちゃんです。。。

ポストが3つも並んでる。。。

①黒い木製のポスト→ポストのルーツは木製で色は黒だった。

②明治34年に、たくさんの人の目につきやすいと赤へ

③青いポストは速達用 →全国の39ヶ所にあるそうです 。

熱の湯に到着!すこし並びましたが、すぐに入ることができました。

湯もみを見た後に、湯もみ体験もできます。

最終日にやっと、お蕎麦屋さんに入ることが出来ました!(^^)!


柏香亭(はくこうてい) でいただきます。
先輩が、マイタケの天ぷらをご馳走してくれました♡

そして、

またまた3人で温泉へ…
無料だなんてうれしい~

みんなとは、また来年の再会を約束して、ここでお別れ(-“-)

一人になっちゃった。。。(*_*)

しょんぼりしているところに、湯もみちゃん登場~

ポーズ決まってるでしょう♡
元気をもらいました。。。
光泉寺ってどんなお寺かな? 行ってみよう~


光泉寺 って誰が 開山 したの?

こたえ。。。 行基によって開山されたと伝えられ、日本温泉三大薬師の一つに数えられています。
開基されてから800年以上の歴史を持つ古刹で す。

日本温泉三大薬師 、ほかの2つはどこ????

こたえ。。。 有馬温泉の「温泉寺」、山中温泉の「医王寺」です。

階段を上ると、湯畑がよく見えます。。。
どうしてここに釈迦堂 があるの??遅咲如来ってなあに???

こたえ。。。釈迦堂は元禄16年、江戸の医師外嶋玄賀(そとじまげんが)
という人の発願によって建てられました。
本尊は奈良東大寺の公慶上人の作で、元禄の大仏修造の際、大仏内腹の骨木で
2体の釈迦如来像を作り、大仏修造に貢献した玄賀(げんが)に、その1体を送ったものです。
玄賀は夢に、藁屋(わらや)二間四面の堂に安置せよとの仏のお告げを見て、
草津入湯の折、この地に釈迦堂を建て安置したものです。

「今まであまり花を咲かせられなかった方々、これからもう一花咲かせたいと願っている皆様、是非お参りし、願いを叶えていただきます様、
遅咲如来 に祈念申し上げます」 って書いてありました。


公慶上人 (こうけいしょうにん) ってどんなひと??? 

こたえ。。。公慶上人(1648~1705)は大仏殿および大仏の江戸再興にその生涯をかけた僧で す。

こちらが薬師如来がいらっしゃる本堂。

白旗乃湯(しらはたのゆ)で出会った方が、’’地蔵の湯が一番好きで何度も入りに来るんですよ’’とおっしゃっておられました。次は、地蔵の湯 にいってみましょう~

こちらも無料

温泉三昧しあわせ~

歩いて5分、草津熱帯園に到着!

マーラとカピパラちゃんに会いたいですね~
マーラちゃん、かわいいね~
カピパラちゃんはお休み中~
オオサイチョウ↴
(^_^;)

頭のバナナは重いのかな???

こたえ。。。頭にあるバナナみたいな物は『キャスク』と呼ばれています。このキャスク、見た目はずっしり重そうですが、実は中身はスカスカのスポンジ状でとっても軽いのです。なんのためにあるのかは、はっきりと分かっていませんが、一説には鳴き声を反響させるスピーカーの役割をしているのでは、といわれています。

ホンワカ気分に浸れる場所なので、ずっとこの場所にあってほしいなあ。。。

熱帯園に行く途中にジェラード食べ放題と書いてあったお店に入ってしまった。。。

減量中じゃあなかったんかい(#^.^#)

「グランデフューメ草津」
2カップ食べました。コーヒーも無料で500円

千代の湯に向かって歩いていたら、 煮川乃湯 を見つけました。

観光客も入れるようです。


煮川乃湯 ってどんな温泉なの???

こたえ。。。草津の中で3番目に熱い源泉で浴槽温度では1番熱いのだそうで、熱い湯好きの地元の方にファンが多いようです。

最後に、千代の湯に入りましょう~

千代の湯
わーい、ここは貸し切り…

三湯をお得に巡れる「三湯めぐり手形」 を買えば、
御座之湯・大滝乃湯・西の河原露天風呂 に入れますが、私は無料のお風呂で100パーセント満足!

帰りは、バスで。。。今日は空いているので、2席使っていいですよと。

軽井沢の駅に15分停車の際、夕飯に峠の釜めしを買いました。

明日から、仕事を頑張りましょう~

群馬の旅~四万温泉~中之条〜草津温泉編その壱〜2019年10月4日〜8日〜

10/7(月) 泊3→四万温泉10時10分→11時中之条(散策)13時50分→14時20分長野原草津口バス14時25分→14時53分草津温泉→HANAYADO BAELZ泊4(西の河原→湯畑)

ホテルには、4か所のお風呂があり、貸切風呂も使えます。朝は、岩風呂→露天風呂→貸切風呂をはしごしてから♨️朝ごはんをいただきます。😊

9時15分のバスに乗ろうと9時頃に宿を出発。

あら~あれは無料の温泉???

せっかくなので入ってみることにしました♨️

まずは、バスの時間を確認してからね。次は10時10分のバスがありました🚌ゆっくりできそうです。

お風呂から出て、河原を眺めてのんびりする。

そろそろ、お土産でも見ながら、バス停に行きましょう~

四万グランドホテルにお土産を見ようと入ったところ、キティカフェを見つける。

先輩が’’10分あれば飲めるじゃろ~’’と入っていく。お店の方も、’’大丈夫ですよ’’と。お土産組とカフェ組に分かれる。私は、キティカフェ組に参加。

カプチーノとコーヒーを注文!

きたきた~

可愛いでしょう~→これは先輩のカプチーノ

店内はハロウィンの雰囲気👻

カフェの中にはキティちゃんがいっぱい😻

お店の入り口にも

キティちゃん😻

10分でお茶するなんて、絶対ムリと思ってだけど、出来るもんだなあ〜

先輩の判断すごい😜バス停がすぐそばなので、バスには間に合いました。

途中下車して、中之条ガーデンズのバラ園に行こうと話していましたが、バラ園経由のバスは土曜祝日のみの運行(ー_ー)!!😞。。。

予定変更~、中之条の町を散策することにしましょう~

バスを降りて、観光案内所に立ち寄り、情報収集。

リンゴを買おうと、まずはJAに立ち寄りました。しかし、売り切れて買えず。。。’’途中に、リンゴ畑があったのになんでないんかね~’’

りんごはあきらめて🍎、オリンピックパン屋さんに向かいます。

途中に、

面白いお店がありました。何のお店かな???お店は閉まっている。

このお店はなあに?

しかし、閉まっている。。。

昔の建物も残っていますね。

友達が、‘’あそこのビルのお店に寄ってみたい。掘り出し物がありそう~‘’と。

帰りに寄ろうね~

オリンピックパン到着!

パンと、ロールケーキを買いました。お店の中で食べれるか聞いてみたら、消費税が高くなるから、もう少し先にベンチもあるから、そこで′食べたらいいよと。。。

消費税はまけとくよと、歴史博物館の割引券をくださり、’’ここまで訪ねて来てくれたんだから‘’と、200円もするパンも🍞くださいました。

パンの耳が大好きな友達は、無料の耳ももらっていました→食パンは、白い部分より耳のほうが好きなんだって(*_*;

お店の前で、店主さんと一緒に写真を撮る🤳

唯一の観光客なのに’’消費税も負けてくれて、パンもくれたら儲けにならんじゃない’’と、’’ええ人すぎるねえ…’’と話しながら、お店を後にする…

ここで食べたらいいと教えてくれた場所に到着!
しかし、博物館もすぐ近くそうなので、博物館に向かうことにする。

民俗の博物館 「ミュゼ」に到着❣️

ここは、小学校だったのですね。。。→吾妻第三小学校を利用した校舎は1885(明治18)年築の立派な洋風建築。

まずは、コーヒーとロールケーキとパンをいただきます。

こちらがいただいたパン。

中之条でおそばも食べてみたいねと話していたけれど、おそばを食べる時間はなさそう~。ロールケーキとパンがお昼ご飯になる。パンの耳が大好きな友達は、’’この固いところがええんよ’’とおいしそうに食べていました。

館内を見学。ちょっと急ぎ足で見学。もう少し時間があればよかったね。

帰りに寄ってみようと話していた、お店に向かいましょう~

友達は、掘り出し物をゲット!よかったね。

店員さんに’’今日は、リュック背負って歩いている人が結構いるけれど、何かあったんですか?’’と聞かれました。たまたま、ですよね(笑)

町の花ヤマユリと、町の木ケヤキに止まった町の鳥ウグイスの絵が配されているマンホール。

柿の葉は色づき、

シュウメイギクはあちらこちらで咲いています。

先に行った二人が、何か教えてもらっているよ、私も行ってみよう。

中之条の方々は、心があったかい♡

こちらから聞かなくても、観光客らしき人だとわかると、親切にいろいろ教えてくれます。

指をさしている方向には、小渕元総理の奥様の実家があります。

小渕元総理は、故郷に帰省した時には実家よりも奥様の実家に滞在されることが多かったそうです。

お寺の屋根には六文銭。

ここは、「宝満山 林昌寺」です。

真田幸村のお父様が、こちらのお寺を天台宗に変えたとのお話でした。

小渕さんのお墓にお参りします。→2千万円のお墓だそうです。

境内には、四万温泉の老舗旅館経営’’田村さん’’と同じ苗字のお墓がたくさんありました。

曼殊沙華を見ながら、進んでいくと、

おぶち優子さんの事務所がありました。

風情のある飲食店の前を通り、

お蕎麦屋さんまでやってきました。おそばを作るのには、時間がかかりますと入り口に書いてありました。

すぐに食べれるんだったら、食べようと話していましたが、あきらめましょう。

駅まで戻って来ました。

真田幸村=馬??

中之条の地と真田家との結びつきって???

こたえ。。。1563年に「真田信繁(幸村)」の祖父「幸隆(ゆきたか)」が武田の家臣として岩櫃城(いわびつじょう)を落城して以来、
武田家の家臣から一大名へと躍進する真田家の拠点となったのが中之条エリアです。(さなだんごサイトより)

岩櫃城(いわびつじょう)って???

こたえ。。。上野国吾妻郡(現在の群馬県吾妻郡東吾妻町)にあった日本の城(山城)。築年代は不明。真田幸村が幼少~青年期に育った場所とされる場所です。

「四万温泉」の「日向見薬師堂」は、当時の領主所(真田信之)」の武運長久を祈願して建立されたのでしたね。中之条エリアは、真田家のゆかりの地が多く残っていますね。

武運長久(ぶうんちょうきゅう)ってどういう意味???

こたえ。。。武人としての命運が長く続くこと。また、 出征した兵がいつまでも無事なこと。「武運」は戦いにおける勝敗の運。また、武人としての命運。

真田信幸って幸村との関係は???

こたえ。。腹違いの兄です。信幸→正室の子、幸村→名もなき女性

そろそろ電車とバスを乗り継いで、草津温泉に向かいましょう~

草津温泉に到着!

人が並んでる…なんだろう❓

湯もみショーが見れる施設らしい。。。明日行ってみようね~

温泉の畑だ!(^^)!

ここでもう一人の友達と合流~

すごい湯量だわ~

草津温泉の名前の由来は???

こたえ。。。臭い水が、草渦(くさうず)→くさず→くさつ→草津という考えが有力。

揚げ温泉まんじゅうをいただきます♥

足元のタイルも凝っています。

マンホールも可愛い~

まずはホテルに向かいましょう~

格安ホテルを予約したので、湯畑から離れちゃってごめんなさい。。。

ホテルに到着!

階段を上がり、

突き当りのお部屋です。

夕食の時間まで、片岡鶴太郎美術館に行ってみることにしました。。。

しかし、片岡鶴太郎美術館は17時まで。あと15分で閉館です( 一一)

明日再チャレンジしましょう。

西の河原まで足を延ばしました。

公園の中のお稲荷様にお参りして、

お土産タイム。。。

まだ時間がありそうなので、ライトアップの湯畑まで行ってみることにしました。。。

湯畑に向かう途中、

お饅頭食べていきなさいと、一つ無料でいただく。→翌日お土産にと先輩がお饅頭を買いました。

あら、中之条の街で見かけた看板と同じ看板だ!

湯畑に到着!

夜の湯畑も素敵♡

夕食は18時から、何とか間に合いました。

今日の晩御飯のメニュー

一人8千円弱のお値段で、本当に良いのかしら。。。(ポイント割引で1人1千円は安くなってはいますが。。。)

今日合流した友達は、昨日は東京で仕事、明日は高崎で友達とランチ→広島へ帰るというので、朝のバスに乗るそうです。夜も仕事の連絡とかで忙しそうでした。

明日は最終日、みんなと別れると思うと寂しくなります。。。

お休みなさい・・・

群馬の旅~ 渋川~四万温泉編~2019年10月4日〜8日〜

10/6(日)  後閑9時10分→9時36分渋川→町散策→渋川12時08分→12時48分中之条12時55分バス→13時35分四万温泉→積善館泊3(→四万川ダム→日向見温泉)

窓を開けると、手が届きそうなところに大きな柿の木がありました😊
朝ご飯を食べて、近くの神社までお散歩〜
宿のオーナーのお父様(都筑理さん)が戦友をしのんで建立した慰霊塔です!
田園風景を通り抜け、
今日お祭りだという神社へ

わんわん、シャカシャカ、カンカンいろんな音がずっと流れてくる。何だろう?

このスピーカーから流れてきてたのですね。
栗が落ちてる🌰

宿の入り口に
明徳寺城の城跡 の標識が。。。宿の前を通り過ぎたところに、

明徳寺城の城跡 の跡がありました!!

明徳寺城の城跡ってなあに??

こたえ。。。 明徳寺城は、南北朝時代に沼田氏によって築かれましたが、
天正18年、秀吉による小田原征伐(おだわらせいばつ) →天正18年(1590年)
豊臣秀吉が北条氏を降伏させ天下を統一した  が行われ、北条氏滅亡後に沼田領が再度真田氏の所領となると明徳寺城は廃城となりました。

板長さんに、車で後閑駅まで送ってもらいました。
駅から 三峯山(1122メートル)が見えます。山頂にはパラグライダーもあるそうです。
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電車がやってきました。

裾野の広い赤城山に向かってはしる。

次の沼田駅から、口紅つけてイヤリングをつけた女の子がたくさん乗ってきました。お友達同士みたい。

沼田を過ぎ、赤城山は見えなくなる。

さっき乗ってきた女の子たちの会話が聞こえてきます。前に座っている4人組、1番大きな3月生まれの女の子が仕切っている。

お誕生日がいつ?~始まり、靴の大きさ、友達のお財布、定期入れなど持ち物を一つずつチェックしながら、’’見ないで’’という女の子にも無理やり’’見せて’’と言いながら、仕切りの女の子が落ち着かない様子でお友達の持ち物をあさりながらしゃべり続けている。

他の女の子が、仕切りの女の子に’’リュックの中見せて’’というと、’’私のリュック、あさるんじやねえ’’と大きな子が威嚇するような声を上げる。目が笑ってないな。

他の3人、これで楽しいのかな❓と思いながら見ていたら、

仕切る女の子は、時折貧乏ゆすりをしている。

彼女は、ずっと中心になって喋ってる。

子供の世界もなかなか大変そうだ!と思ってみているうちに、渋川駅に到着~

ぐんまちやんのお出迎え~こんにちは😃
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今日はお祭り♡

メインの通りは歩行者天国です!

榛名グラスのお店で娘と私のネックレスを買いました🤩
とんぼ玉で作っているそうです!素敵なネックレスがたくさんありました。
メルカリに出店しているから見てね♡

歩行者天国の終わりに近づいたあたりに山車が止まっています。

SNSで写真をどんどんアップしてくださいとアナウンスが流れる。

山車の人形

渋川山車祭は1年おきに行われるそうです。

渋川山車祭ってどんなお祭り???

こたえ。。。祇園祭が発展したお祭りです。 1年おきに、開催されます。

右に行くと、へそ石、へそ地蔵。行ってみましょう~
へそ地蔵へそ石に到着‼️

へそ石って誰がここに置いたの???

こたえ。。。 西暦802年、蝦夷を討伐した征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が帰京の途中、渋川市に立ち寄り「ここは日本の中心地である」と「臍石」(へそいし)を置いた、というエピソードが残されています。

お地蔵さまにもへそがついています(笑)

渋川はちょうど日本の真ん中にあるんだね。
しかし、沖縄のあたりは含まれていませんね。
ベンチもへそマーク笑

なのにどうしてここが日本のへそなの???

こたえ。。。 日本の北端部・北海道の宗谷岬と南端部の鹿児島県佐多岬を結んだ直線のちょうど真ん中の場所に位置していることが根拠です。

しかし、日本のへそと呼ばれる場所はほかにもあります。

日本のへそ候補地はいくつあるの????

こたえ。。。 東から、群馬県渋川市・栃木県佐野市・山梨県韮崎市・長野県辰野市・岐阜県関市ときて、西は兵庫県西脇市までが日本の6つが「へそ」を名乗っています。

そうそう、ここで忘れてはならないものがありました。

観光案内所で教えて頂いた色つきのマンホール^ ^
色つきのマンホール全国制覇する人も結構いて、
”ここが最後のマンホールです’’と来る人もいるそうです❣️

駅近くのルナ喫茶店でモーニングを食べながら電車の時間まで休憩)^o^(

500円だよ~

外を眺めていると、たくさんの荷物をカートに入れた老夫婦➕老婆3人組が見えます。駐車場まで歩いていき、車に荷物をのせています。フリーマーケットで何を買ったのかな❓

今度は、杖をつきながら、ピンクのカートにいっぱい荷物を入れたおばあちゃまが歩いています。

時間にゆとりを持って移動。

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お腹に顔を描いて歩いている人もいます。
へそ祭りってあるんですね😆


さとちゃんの前を通り、渋川駅へ。
渋川駅から大学時代の仲間と合流🙂

みんなに会えてうれしい~

降り損ねず、、無事に中之条駅に到着‼️

ここからバスに乗って四万温泉に向かいます。
バスは、トウモロコシ畑やリンゴ畑の中を走り抜けます🍎

四万温泉に到着♨️

ここに宿泊できるのね♡
まだ、14時前なのに部屋の中に入れて頂きました。
まずは、お茶とお菓子を頂きます。
食事まで時間はたっぷりあるので、電車の中で調べた四万川ダム湖に行ってみることにしました。
片道歩いて50分、距離は3キロ余りあります。

この道のりを何の躊躇なく歩こうというのが、ワンゲル仲間のすごいところですね(笑)

温泉街を抜けて、
川のほとりを歩いていくと、
正面にダムが見えてきました。
‘’なあんだ、思ったより近かったね。でもダムの上に上がる階段がないね〜’’???

と思っていたら、 ダム湖に行くのを諦めた人達が車道をおりてきました…

この車道を上っていくんだ!!

つづら折りの坂道を登っていくと、

やっと着いた!!四万ブルーと言われるダム湖。
やっぱり、50分かかりました。
雨という予報もありましたが、青空も見えています。
資料館の模型
私たちは、このくねくねした道を歩いてきたのですね。
季節によって水の色は変わるそうです。
ダム湖に別れを告げ、温泉街に戻りましょう~
カラーマンホール見ーつけ!
 可愛いニホンカモシカの親子のデザインに「SIMAGAWA 四万川ダム」「電気」文字入り。

寄り道して、

日向見温泉♨️に立ち寄ってみましよ!
薬師堂がありました。
お堂は、国宝かと思いきや、旧という文字が書き足してあります。

日向見薬師堂 の由来は???

こたえ。。。 永延3(989)年のころ、源頼光の家来、碓氷貞光(うすいのさだみつ)が越後から木の根峠を越えて日向見で夜を明かすことにして、谷川の音に心を静めて一晩中お経を読んでいました。夢の中に現れた一人の童子から「あなたの読経の真心に感心し四万(よんまん)の病気を治す温泉を与えよう、われはこの山神である。」と神のお告げを聞き、目を覚ますと枕元に温泉が湧き出ていたという伝説があります。 このめでたいしるしに感じ、お堂を建てて本尊の薬師如来の像をまつりました。

というわけで、ここが四万温泉発祥の湯があるのですね →四万温泉の起源その 1(その2説もあり)

こちらの温泉は15時まで無料で入浴できます♨️

温泉街にも行ってみましょう~

行きには気つかなかった滝を見つけました…
温泉街までもう少し。。。

温泉街まで戻ってきました。

昭和初期の四万温泉♨️を見つけました。

何をしてるのでしょう???先輩が聞いてくれました。

明日の午後からお祭りがあるので、準備をしているそうです。

どんなお祭りなの???

こたえ。。。 毎年10月7日・8日の二日間、四万温泉では湯前神社秋季大祭が行われます。 地元の女の子がきれいな装束に身を包んだ手古舞 (てこまい) さんを先頭に、2台の山車がひかれ四万温泉内を練り歩きます。
旅館の前で止まったときには振る舞いの御神酒やお菓子をいただ
きながら、お客様に楽しんでもらうそうです。 

手古舞 (てこまい) ってなあに???

こたえ。。。江戸の祭礼において、山車を警護した 鳶職(とびしょく→
高所での作業を専門とする 職人)のことです。
現在一般には、この「てこまえ」の姿を真似た衣装を着て祭礼その他の催し物で練り歩く女性たちのことをいうそうです。

温泉水飲んでみました。
ちょっぴりしょっぱい…

ホテルに戻り、お風呂に入って晩御飯🍚

本館宿泊者は、お弁当って書いてあったけど、想像以上のご馳走ですね🤗

食後のデザートは別料金ですが、
’’食べる!!’’で意見一致😜
部屋の中からこんな風情のある街並みが見えます。

夕食後、館内を案内していただきました。

立ち入りが出来ない部屋からスタートです。

どうして千と千尋の神隠しで千尋が働く油屋のモデルとなった宿 の一つと言われるようになったのでしょう???

こたえ。。。 宮崎駿ジプリ原画展の際、日テレが積善館の風景を紹介したことが始まりです。

どんな建物なの???

こたえ。。。日本最古の湯宿建築であり、重要文化財指定 されています。二階建てで始まり、明治時代になって3階部分が増築されました。

本館は江戸時代の建物です。→ 創業324年だそうです。


部屋からの眺め
お風呂に向かうアーチ型の壁が見えます。

前新(まえしん)→元禄の湯のある建物、向新(むこうしん)建物からなる。

こちらの部屋は日帰り専用の部屋です。

四万温泉は、昔から病を治すと口コミで広がり、山を越えて越後から来ていた湯治客もいたそうです。食事は、ご飯と味噌汁だけだったので、他のものはお互いに作ってシェアしていたそうです。

本館は、客室リフォームが出来ないので、エアコンも付けることが出来ません。 屋根はこけら葺き屋根で、100年に一度くらい改修が必要だそうです。建物を維持していくのも大変なことですね。

カーペットがひいてある場所は、外廊下だったそうです。
3階を増築しても耐える太い梁
ここに注目⬇︎
息子が、お母さんをおんぶして♨️までやってきました。孝行息子ですね。
’’元禄の湯’’に向かう廊下
 ’’元禄の湯’’は、前新(まえしん)の建物の 1階部分 にあります。
その中に 蒸し湯があります。
どんな 蒸し湯 なの???

こたえ。。。壁をくり抜いたような小部屋の中にタイル張りの寝椅子があり、中に入ってドアを閉めると、小部屋は蒸気で満たされます。閉所恐怖症の人は入れないですね。四万温泉の蒸し湯は、積善館にしか残っていません。

馬つなぎ柱→外側にそれて、柱の内側がすり減っていますね。

おまけ。。。本館の建物(2階まで)が建てられたのが、元禄4年(1691年ごろ)その頃には縁側もありませんでした。元禄の湯がある場所にも、小さなお風呂が新湯川に沿って建てられていました。当時は、ここが広いスペースになっており、昔の湯治客はこの柱に馬をつないで、荷物の積み下ろしをしていたようです。

当時の湯治ってどんなふうだったの???

こたえ。。。湯治客はのお客様は、ほとんどが自炊でした。滞在も2~3週間から1か月。ですから、湯治に来るときは、馬の背に食料や布団などを積んで峠を越えてきていました。昭和の初めまで、そんな風景が見られたそうです。

現在の湯治客の滞在期間はどのくらい???

こたえ。。。多くは、2連泊。長い人で6日。最高は14日間という方もいらっしゃいましたとのこと。

資料室も案内してくれました。

その奥に、

上段の間があります。
名主の家に限って設けることを許された客室で、代官及び手代(代官の下役の地方役人)の休憩、宿泊用の部屋として使われていました。
桃山様式の組子細工

大正時代、上野から渋川駅まで電車が開通し、湯治客が増えたため山荘を増築したそうです。 山荘には、上段の間を模して組子細工が施してあるそうです。

おまけ。。。四万温泉の起源その2
平安時代の初期、征夷大将軍として蝦夷征伐に向かう坂上田村麻呂が、この地で入浴したことが始まりという説。

四万温泉 で一番の老舗はどこ????

こたえ。。。四万 たむらです。

創業はいつ??

こたえ。。。室町時代です。(たむらの祖・田村甚五郎清政が四万温泉に来たのは室町時代永禄六年(1563年)でした)

昔の写真の山口館は、たむらさん系の宿だそうです。

関さんは後から 四万温泉 に移り住んだのですね。

こちらは昔の宿泊代金表です。

1円→今の値段2万円だそうです。
外国人は5円→今の値段で10万円!(◎_◎;)

山荘に空き室があり、部屋を見せて頂けることになりました♡


浪漫 のトンネルをくぐり、
突き当りのエレベーターに乗ります。
館内は少し複雑なので、道しるべがあります。

エレベーターで1階あがり、 「浪漫の山荘」 へ。

改装後、2ばん目に新しい部屋、萌木の部屋を見せて頂けることになりました。

モダンな作りです。
ここが入口
おじゃまします。
半露天風呂あり
上段の間にあった組子細工もあります。
床の間もあります。

本館に戻りましょう~

ここの階段を下りて本館にも行けます。

ドアを開けると、

本館入り口が見えてきました。

大切に建物を保存したいと思っているので、火事が一番心配ですとおっしゃってました。


手前の建物(前新)は、誰も使っておらず、ライトアップのために電気をつけているそうです。
橋を渡った先の建物(向新)は、従業員の寮だそうです。

20時過ぎから21時までゆっくり案内してくださりありがとうございました。

最後にみんなで一緒に写真を撮りました。

丹前事件!?のお詫びの気持ちもあったようです。

明日は、草津温泉から合流する仲間が一人増えます。おやすみなさい~