三連休は家に籠って大掃除第一弾と思っていましたが、息子がドライブに誘ってくれて御殿場アウトレットに行くことになりました。私のお誕生日プレゼントで何かあったら買ってあげよう~と思ってくれているようでした。誕生日は年明け1月ですが。。。(笑)
都内を8時過ぎに出発したので、東名高速は渋滞です。11時過ぎに御殿場アウトレットに到着!
御殿場インターから富士山が見えます。
アウトレット直結の駐車場は満車、少し離れた場所に車を駐車してシャトルバスで向かいます。
今日は日差しが強くて暑いのに、どうして日の当たる場所を歩くんだろう??と不思議に思っていたら、しばらくすると、店内は寒いと椅子に座る息子(‘;’)昨日、体調を崩していて、薬を飲んで治ったと思っていたところ、また症状が出てきてしまったようです。
夕方の用事は体調不良でキャンセルしたからゆっくり帰ろうということになりました。
このまま椅子に座っているよりは、車で休んだ方がいいということになり、数百メートル離れた東山湖(ひがしやまこ)へ移動!
その間に、私は湖を歩いて一周~(約1.1キロ)桜の木がずっと植えられています。
湖中央にT字型の浮桟橋がみえます。ファミリーから老若男女まで魚釣りを楽しんでいます。魚を放流しているそうです。
たくさん魚が泳いでいます。東山湖は、350年前に造られたため池だそうです。
岸信介の碑がありました。近くに岸信介が晩年過ごした邸宅があり見学ができるようです。
岸からも魚つりを楽しんでいる人が沢山います。
岸信介邸宅まで、少し車で移動してくれました。車で休憩しているから、ゆっくり行ってきていいよというので、次は邸宅へ向け散策。
入口に2時間待ちの看板があります。とらや工房は混んでいるようです。
茅葺の門をくぐり進んでいきます。
岸信介邸宅に到着!1970年、岸信介73歳の時から17年間過ごしたそうです。
近代数寄屋造で建てられており、障子以外の窓ガラス網戸などは建物の中に入り込む形になっています。茶室は数寄屋造とは異なり、建物の中に作られています。
数寄屋造ってなあに。。。
茶の湯を行うところを〈数寄屋〉といいます。江戸時代に入り、広い対象を指すようになり、茶室の様式を取り入れた住宅建築様式を数寄屋造とよびます。
数寄屋(すきや)の語源は???
数寄という言葉の語源は、平安時代からの古い言い回しとなる「歌好き」などという「好き」のことで、ひとつのことに強く偏執した好みを外に表すこと、という解釈のほか、数が寄るとの意から、揃わない材料をあり合わせで数種集めて建築をつくること、というふたつの説が有力だそうです。
応接室の照明器具は2個あります。左右対称のように見えますが、微妙に模様が違います。
鋳物で作られおり、見た目より相当重いそうです。
お庭へもどうぞ~と。。。
庭の池に映った木々。手前の一本の草は実際の植物です。池に映った木々と同じように見えますね。
石で造られた、小鳥のエサ台です。応接に座った岸さんの見える場所にあり、奥様がご主人のために花を生けていたそうです。
ついでに。。。豆知識
お釈迦様の言葉に「もし、煩悩・業苦を滅し去ろうと欲するなら、ムクロジの実、百八個を貫き通して輪を作り、それを常に持って行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に渡って一心に佛法僧三宝の名を唱えてムクロジの実を一つ繰り、また唱えて実を一つ繰るということを繰り返しなさい」と。
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の意味は?
日常の立ち居振る舞いのこと。転じて、ふだん・常々の意。▽「行」は歩くこと。「住」はとどまること。「坐」は座ること。「臥」は寝ること。仏教ではこれを四威儀しいぎという。
帰りに、茶色になった実は腐らないからと無患子(むくろじ)の実をお土産に頂きました。
岸信介邸宅を建築した吉田五十八(よしだいそや1894-1974))ってどんな人??
こたえ。。。太田胃散創始者の初代太田信義・銅子(共に同墓)の五男。父が58歳のときの子であったため、名前を五十八とした。 母方の実家の吉田道伯・縫(共に同墓)の養子となる。昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家です。
おまけ。。。 1964年 文化勲章を受章。(建築家では伊東忠太に次ぎ2人目)←伊藤忠太(1867-1954)って幻獣建築の方でしたね。
かまぼこ鈴廣のドライブインで、食料を調達!少し元気を取り戻したというので、これから帰ります。横浜で降りるのもちょっと心配だったので東京まで帰ってきました。
正面に見えてきたのは六本木ヒルズ!もう少しで神田に到着します。
解熱剤を飲み、熱が下がったのを見届けて、家に帰ってきました。終電一本前でした。セーフ。
今日は熱も下がったそうですが、相当無理をさせちゃったみたいです。悪化しなくてよかった。ありがとう~