JALどこかにマイルの旅in徳島 2020年1月17日〜19日鳴門・大塚美術館編

1/19(日)  泊2→大塚国際美術館17時8分→17時28分鳴門18時38分→18時59分徳島→徳島空港20時35分JAL464→21時45分羽田空港

ホテルのまわりを歩いてみましょう〜

鳴門海峡千畳敷展望台に到着❗️
あと少しで日の出の時間です! 気持ちいい~(^^)

階段を降りていきます。

橋の下行けるみたいですね。

少し渦が見えてくる😊
海の近くまで来ました。ザアザアと激しい水の音がします。落ちたら、流されそう〜😣
流木が絵になりますねえー
渦を探す。。。少し巻いてるかな❓
ここはギリシャですって言ってもいいくらい、ギリシャに似てる風景です。
もう少しでお日様が出てきそう〜
大鳴門橋、いろいろな角度から見ると👀表情が全然違って楽しい〜
お日様が出てきました❣️

だんだんあたりが、オレンジ色に染まっていきます。。。

ホテル
ベイリゾートホテル鳴門海月 も砂浜も、
海も,
橋桁も、オレンジ色♡
海の流れも少し収まってきました。
ベイリゾートホテル鳴門海月に宿泊して良かった😉
林の中の階段を登っていくと、
橋の下に渦の道っていうのがあるんだけど、どこを歩くのかなあ❓
渦の手すりのある展望台まで戻ってきました。
鳴門山展望台っていうのがあるみたい。
あと30分あるから行ってみようー
意外と険しい階段が続きます。。。
展望台が見えてきた❣️
わぁいい景色☺️ 標高98メートルあります。
高速道路が見えます。
アップでみてみると、雪をかぶった山も見えてますね。剣山もみえているのかな???
向こうにも橋が見える。

ということは、ここは瀬戸内海に浮かぶ島だということですね。

ここはなんていう島なの???

こたえ。。。大毛島(おおげじま) です。
11月3日ころに、毎年「鳴門らっきょの花まつり」 も行われるようです。

大鳴門橋と瀬戸内海を満喫❗️
ホテルにもどってきました。

朝ご飯楽しみ~

いただきます!(^^)!
1人ずつお釜で炊いたご飯と、お鍋もついています。お釜で炊いたご飯は、量が多くて食べれないと思ったけれど、全部食べました。
ロビーからの景色もバッチリ👌
昨晩、どうして夜景を見なかったんだろうと後悔😔
ホテルの送迎車で大塚美術館に向かいます。
開館まで30分あるので、ロッカーに荷物を預けて、近くをお散歩🚶‍♀️
良さそうな場所を見つけました❗️
砂浜もある。
遊歩道からは、大鳴門橋が見えました。
あれ、水平線って見えたっけ?方向がわこらなくなってます。
遊歩道の落とし物😁
美術館の前に立派な建物があります。なんでしょう???
こたえ。。。 大塚製薬 潮騒荘 です。
通称「竜宮城」と呼ばれる、大塚グループの社員とゲスト専用の豪華施設です。
シャトルバスからたくさん人が降りてきた。

入り口に並んで、中に入ります。

ホテルで購入したチケットを持って並びます。

どうして 鳴門を美術館の建設場所に選んだの???

こたえ。。。鳴門が大塚グループ発祥の地 だったからです。
また、大鳴門橋や明石海峡大橋などが完成し、阿波踊り以外に特段集客能力のない徳島に人の流れをせき止める『ダム』の役目がある施設を両橋が完成する前に建設したいと考えたからでした。

いつ開園したの???

こたえ。。。 大塚製薬グループが創業75周年事業として1998年(平成10年)に開館しました。

長ーいエスカレーターで上がっていきます。
定時ガイドに参加しようと思いましたが、人数も多そうなので、イヤホンガイドを借りることにしました。

美術館の中入り口から出口まで4キロあるそうです。今日はここがメインなのでゆっくりまわります。
美術館の中に渦潮最適時間が表示されてました。3月下旬から4月の大潮の時に来たら、大きな渦が見れるかもしれないですね。
みんながここで写真を撮っていたので、私も撮ってみました。

美術館内は、システィーナ礼拝堂天井画から始まり、古代から現代へ。

美術館の本の中に入り込んで、1ページ、1ページ進んでいく感じです。

名画は何で描かれているの???

こたえ。。。 “陶板”です。

“陶板名画” ってなあに???

こたえ。。。陶板名画は、撮影した原画をもとに、大きな陶器の板に色や大きさ、筆づかいによる表面の質感までも忠実に作品を再現したものです。
変色などの劣化に強く、約2000年以上にわたって色や姿を保つといわれます。

作品に触れたり写真を撮ってもいいの???

こたえ。。。名画に近づき、写真撮影することもやさしくふれることもできます。 ※作品のみの撮影および商業目的の利用は厳禁。とありますので、注意が必要です。

大塚国際美術館には何点くらいの作品があるの???

こたえ。。。館内には世界26カ国の1000点以上の陶板名画が並んでいます。

あー美味しそう。吸い込まれるように入っていきました。
頂きまーす🙂
モネの庭園
階段も外の光を取り入れて優しい自然な雰囲気です。
美術館の中は広いので、ゆっくりと鑑賞できます。
野生動物に注意しながら、屋上に出ます。
ひろーい。

気持ちスッキリ!

ゆっくりみるにしても、集中力が必要ですね。

バスに乗って、島田島 (しまだじま) を通り、鳴門駅へ。

鳴門のマンホール
鳴門大橋と渦潮と鯛と梨
鳴門の商店街、パンダを見つけました🐼

カフェを探すが見つからず、少し早いけれど、空港に向かうことにしました。

バスの本数も少ないので、早めのバスに乗る方が安心ですね。
晩御飯は鳴門牛のハンバーガーを食べました🍔

どこかにマイルの旅は、JALマイル6千ポイントでどこかの往復の航空券がもらえるミステリアスな気分が味わえる企画です。お得を探して、また旅に出ましょう~

おしまい。

JALどこかにマイルの旅in徳島 2020年1月17日〜19日徳島.鳴門(第九の里周辺)編

1/17(金)  羽田空港19時40分JAL465→21時徳島空港→22時徳島駅徳島ターミナルホテル泊

仕事を終え空港へ。

晩御飯を食べようと思っていたのに、3/28まで改装中😓柿の葉寿司を買う。

飛行機に乗ります。

まずは音楽チェック!

JALクラッシックはベートーベンの第九の曲が入っている!
わーい。早速聞かなきゃ。。。しかし、離陸の時、タイミング悪く第九の合唱の部分で途中でアナウンス😖

今日の座席のカバーは、ミッキーだね。!いつから変わったんだろう❓と思いながら、前のシートを見てました。

あら、飲み物のカップまで、ミッキーマウスになってる。可愛い😍

着陸のアナウンスの時、この飛行機がミッキーマウス仕立ての機体だと知る…

ミッキーマウス仕立ての飛行機だと、機内もサービスのカップもミッキーマウスになるんですね。

どうして乗るときに気づかなかったのでしょう😅

アナウンス、またもや第九の合唱とかぶる 😖

阿波踊り空港に到着‼️

飛行機を降りて、機体を見ようと思ったけど、ちょうどタラップや建物の壁で可愛い機体を見ることができず🥺初めての体験だったのに。。。残念。

空港を出て、リムジンパスにて徳島駅に向かいます。

徳島駅に到着‼️

阿波踊りポスト📮
徳島駅構内にランの花がいっぱい🌸🌼🌸
クレメントホテルは豪華そうー

今夜は格安ホテル4600円よ。どんなホテルかな?

見えてきた…駅からあるいて1分くらい。。。

受付で明日の第九の里の行き方を尋ねたところ、バスの時間を調べてコピーも下さいました。感じの良いホテルです🙂よかった。

明日の早朝、受付にあった絵葉書のところに朝日を見に行きたいと伝えたら、行き方と歩いては大変だからと貸し自転車のキーも貸してくれました。

これで、明日の準備はバッチリ👌

禁煙室シングル→禁煙室ツインに変更してくれていました😛

広めのお風呂にゆっくりつかり、明日の目覚ましをセットして寝ます。

部屋の中がなかなかあったまらず、隣の布団もかけて寝ました。

明日は早起きしよう~

1/18(土) 泊1→サイクリング吉野川朝日と徳島城跡→ホテル→市内ぶらり→徳島駅10時58分→11時19分板東→霊山寺1番札所→第九の里.ドイツ館→レンタサイクル→大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) →ドイツ公園→極楽寺2番札所→賀川豊彦記念館→ドイツ館16時34分→17時8分鳴門駅17時30分送迎車→鳴門ベイホテル泊2

朝日を見に出発〜
この歩道橋から何か見えそう〜お城の方が見えるかな❓と上がってみる。
線路が通っていました。こんもりした林の中に城跡があるんでしょうね。

昨日いただいた地図を頼りに、

橋のたもとまでやってきました❗️
結構長い橋だなあ〜何メートルあるの???
こたえ。。。1137メートルあります。

ビュンビュン車が通る。

カモメみーつけ🐦
前に見える山は、眉山。あとでロープウェイでのぼるよ🚡
朝日がでてきました😉絵葉書で見たのとは少し違うような気がします…

逆の方向がオレンジ色だったから、夕日だったのかもしれませんね。

高校生らしき子供たちが、みんな私を追い抜いていきます。学校があるんだね。
あの船はなんだろう❓漁に出ているのかなあ~
あの渦はなんでしょう〜
鳴門の渦潮🍥のよう🤨
グランドですね〜(*’▽’)
渦巻でグランドを整備するんですね。

ギアがついてない自転車なので、朝からいい運動になります。

お城の山が見えてきました。すけとうばしを渡ります。→ 助任川(すけとうがわ)
川の土手の石垣が面白いよー
変わってるよね!
ここに自転車を置いて、城跡に行ってみましょう〜
結構登りますね😓
あ、石垣が見えてきた😁
最後の登り…
石垣に隙間があいてるね。
城内でもっとも古いとみられる、本丸東側の石垣。いかにも古くて荒々しさがありますね。
本丸跡に到着❗️
街が見える🤗
東の方はまだ朝日の余韻が残ってます^ ^
眉山も近くに見えてきました。
この下辺りが徳島駅ね。
祠がありました。
あの石はなんだろう❓

近くに行ってみると、

手水があったのかな❓

こちらの標高は61メートルです。

階段と山道を下り、

自転車でお堀の周りを走ります。

どうやら、わたしが登ったのは裏道だったようです。

こちら側は、よく整備されています。

駅のほうに向かいます。

ここにはどんなお魚がいるでしょう❓

こたえ。。。↓

タイ、ボラ、スズキなど、海の魚たちも住んでいます。そういえば、高松城のお堀も海の魚たちが住んでいました😊
昔はこんな門だったんだって‼️

今は?
こんな風になりました。
鷲の門(わしのもん) っていう名前がついています。

明治41年に現在の水平橋に架け替えられた 下乗橋

どうして下乗橋(げじょうばし)って名前が付いたの???

こたえ。。。 橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから由来です。

あなたはだあれ?
こたえ。。。 蜂須賀 家政(はちすか いえまさ) です。
父( 蜂須賀正勝 )の代わりに阿波国の大名に任じられて徳島藩祖となりました。
無風なので、水面が鏡の役割を果たしています。


石垣の緑色の石はなあに??

こたえ。。。 阿波青石(あおいし)、地元では単純に青石と呼ばれる阿波の名石 です。

徳島駅❓と思ったら、8620形式機関車が保存されていました。
昭和44年7月22日まで現役でした。
機関車の保存地区ですね〜
徳島駅の裏にあるのは???

こたえ。。。徳島運転所(とくしまうんてんしょ)です。徳島県徳島市にある四国旅客鉄道(JR四国)の車両基地で、運転士・車掌も所属しており、徳島駅に併設されています。
転車台のようなものが見えます。なあに❓
こたえ。。。 大正10(1921)年に完成した転車台です。

徳島駅駅ビルのJRホテルクレメント徳島の客室は、転車台を含む駅構内を一望できるビューポイントだそうです。今度は、ホテルクレメントに泊まってみたいですね。

水道局の機械に阿波踊りの絵が。。。😁
ポッポ街ってなあに❓
こたえ。。。 汽車ぽっぽが名前の由来で、1971年に出来たまだ新しい商店街です。
機関車🚂のタイル
アーケードの中を
自転車を押して歩いてみます。
徳島駅に到着‼️

ホテルに戻り、昨日の食べきれなかった柿の葉寿司を食べる。

歩いて、眉山ロープウェイに行きましょう🚡
標識がしっかりあるから迷いません😊
橋を渡ると、
ロープウェイ乗り場が見えてきました❗️
ロープウェイが今上がっていったからしばらく来ないねー
えー😱
ガイドブックには、年中無休って書いてあったのに…
最新情報を調べてなかった😔
ポスターを写真におさめる。。。

どこに行こうかな❓

観光案内所で相談してみる。近くに’’瑞巌寺っていう、お庭のきれいな場所があるけれど、もしかしたら、猪が出ているので、お庭は閉まってるかもしれません…‘’とのこと。境内には入れるそうなので、行ってみましょう〜

学校の近くに、立派な像が立ってます。

モラエスさんってだあれ❓
こたえ。。。 元ポルトガル神戸総領事モラエス (1854~1929年) は、
亡き妻の故郷徳島を愛し、徳島で生涯を終えました。
あれは何のマンホール❓
こたえ。。。水準点のマンホールです。色がついていて珍しいマンホールです。

学校の脇を山のほうに向かって歩いていくと、

瑞巌寺の山門が見えてきました。

参道の石も、お城の石垣と同じ青石が使われているのですね。
手水に鬼瓦🙀
その先に、鳳翔水がありました。柄杓があったので、飲んでみました。あま〜い💦

鳳翔水(ほうしょうすい)って???

こたえ。。。 眉山湧水群のひとつ で 「鳳翔山瑞巌寺」境内に湧き出る名水 です。

家紋は卍
やっぱり、お庭は拝観できません…
庭園を覗ける場所がありました❣️

同じように、残念そうに歩いている人がいます。奄美大島からひとり旅できたそうです。今日は阿波池田に泊まって、明日大歩危小歩危に行く予定だそうです。

‘’人の少ないところが好きなのよ‘’と。

大通りを通って、徳島駅に戻ります。

懐かしい電話BOX📞

アーケードを歩いていると、

NPO子育て支援ネットワーク徳島の建物が目に入りました。ちょっとのぞいてみる。
あら、こっちにも…

近づいてみたら、中から係の人が出てきてきました。’’どうぞ見ていってください’’と。。。声をかけてくれました。

徳島の木を使ったおもちゃや遊具があります。

☺️15年前から徳島県、徳島市のNPOとして運営しているそうです。

こういう時に、保育科の血が騒ぐんですよね‼️

案内してくれたれた方は、子供とたまたまこの前を通り、施設を利用するようになったそうです。

子育ては、孤独になりがちだから、気軽に立ち寄ってみんなが楽しく集まれる場所があるっていいよね❣️

こちらは、スキップの森です❗️

見学させていただきありがとうございました🤗

駅に向かって歩いていると、パンの焼けるいいにおいが漂ってきました。

美味しそうなパン屋さん🍞
焼きたてベーグルを買いました❗️
川沿いで、さっそくパクパク🥯おいしい~

新町橋を渡ってしばらく歩くと、
徳島駅が見えてきました。
そごうは開いてるのかな❓前を通ってみることにしました。
そごうはもう開店していました。
眉山やさらばじゃ👋

そごうの前遊歩道のタイル→県の鳥がサギと渦潮ですね。
徳島駅に到着❗️→アンパンマン列車は四国の中を5路線走っています。
10時58分板野行きに乗ります。
緑色の電車が止まってます😁
さあ、1番札所とドイツ村に向けて出発〜
あんぽ柿をパクパク。甘くて美味しいー
ひとつは、夜のデザートにとっておこう😉
切符は板野まで買ってますが、’’あれ❓私は坂東で降りるんじゃなかったっけ???’’と気づく😳

みんなが降りたあとに気づき、急いで車掌さんに確認してみる。

’’ここですよ’’と。。。差額100円は現金で返却してくれました。
優しい〜🥰 対応をありがとうございました😞

坂東駅で下車!

乗り過ごさなくて本当によかった。。。。
坂東の駅ホーム🚉

同じ駅で韓国人の親子もおりて、地図を見ながら悩んでいる様子でした。

パンフレットがあったので、渡してあげました。

駅を背にして、まずは広い通りに向かいます。
霊山寺までは、案内もあるので、迷わずにたどり着けそうです。
第九アジア初演から100年も経つのですね。第九の記念館に行くのも楽しみ❗️
門前通りって書いてあるから間違いないね😌
英語の表記がないから外国人にとっては難易度高そう~
やっと、案内が出てきました。
今年、初めて見たスミレ。
四国八十八ヶ所の1番札所が見えてきました😆
「竺和山・霊山寺」 (じくわざん。れいざんじ)

門の前に誰か立ってるよ。

お遍路さんの人形でした😁足元は、わらじなのかな❓

境内のパンダ🐼もおで迎え。。。→ お寺を訪れる子供たちを喜ばせようと設置されたものらしいのです。
何を見ててるの???
見上げると、こんな風に見えるよ。
こんなに立派なお堂です。
先にこちらにお参りしなければいけなかったようです。

鳴門から、車で来ていた方が教えてくれました。’’この後どこへ行くの?’’と

これから第九の里と答えると、

良かったらそこまで乗せてあげるよと親切に声をかけてくれました。

歩いても20分で行ける場所なので、景色を見ながら歩いていきますねとお伝えする。

またどこかでお会いするかもしれないですねとお別れする、
不動明王がいらっしゃいました。
団体の人たちもいなくなり、静かになりました。
本堂にもお遍路さんがいます。
足元に注目、パンプス履いてます😁
入り口の池。顔を踏まれちゃったね🥺

お寺の出口で、先程の方とお会いし、第九の里までの道順を教えてもらいました。

お昼ご飯は、第九の里が道の駅になってるから、そこで食べたらいいらしいです。

誰もいないし、第九を口ずさみながら歩きました♫
ドイツ館が、見えてきた‼️
ベートーベンの像もありました‼️
怖そう〜
演奏会までには、第九も、ミサソレムニスもちゃんと練習します。許して〜😖
鳴門は、日本での第九初演の地なのです❗️

記念館をじっくり見学しますしょう😊
捕虜の収容所は5箇所もあったのですね。

私のほかに、ドイツ人のご夫婦と通訳の人と3人と、日本人観光客数人だけでした。

記念館で無料のレンタサイクルを借りて、大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) とドイツ公園に行ってみましょう~

しばらく誰も乗っていないので、乗りにくいかもしれませんと言いながら、自転車をきれいに拭いて貸してくださいました。

荷物も預かってくれました😉

行ってきまーす!

まず道の駅方面へスロープを使って降りてみましょう〜
こちらの物産館は国登録有形文化財、旧板東俘虜収容所を移築したものです。

大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) に到着!

自転車は、綿菓子の出店のそばに置かせていただきました。

ピカチュウの舞掛けだね🤪こちらの狛犬の舞掛けは季節ごとにかわるそうです。ハロウィン柄もあったそうです。
御神木の大楠は樹齢千年だそうです。

この御神木のそばで、先程の方にまたあいました。

’’ドイツ橋がこの先にあるから行ったほうがいいよ‘’とのこと。

‘’あとで行ってみよう〜‘’

鳴門の方々は、初詣はだいたいこちらの神社にお詣りするそうです。

神社の裏手を進んで行くと、まずは眼鏡橋を見つけました。

眼鏡橋

眼鏡橋って誰が作ったの???

こたえ。。。板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)の所長 松江豊寿陸軍中佐(1917年以後同大佐) は、 捕虜らの自主活動を奨励した。 捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行った ため多くの捕虜が感謝しその土木技術を生かして池を掘ってドイツ式のメガネ橋を作ったそうです。同じ時期にドイツ橋も作られたそうです。

捕虜らの自主活動 ってなあに???

こたえ。。。捕虜た ちはパンを焼くことや新聞を印刷すること  楽器を演奏することはもちろん ビールを飲むことも許されていました 。捕虜たちはこうした人道的な配慮に応え  音楽やスポーツ 産業活動などを積極的に展開し、 そうした活動を地域の人々にも伝え、やがて地域の人たちは捕虜たちをドイツさんと呼ぶほど、交流が広がり友情も芽生えました。

また少し進んでいくと、ドイツ橋がありました。

ドイツ橋
自転車🚲に乗り、黒松の並木道を通り抜けます。
遠くから見えた、大きな鳥居もくぐります。
ドイツ館が見えます。山の上に見える塔はなあに❓
こたえ。。。 日独友好と恒久平和を願い、昭和58年(1983年)標高120mの丸山山頂に建設された,ばんどうの鐘 です。
この橋は、アーチ型になってますね。なんていう橋でしょう???
こたえ。。ばんどうドイツ橋です。👇

四国横断自動車道の鳴門と板野を結ぶ区間 にあります。

ドイツの捕虜施設があった場所に行ってみましょう〜

現在、ドイツ公園として整備されています。

ドイツ兵の慰霊碑です。
日本各地で死亡した85名のドイツ兵士の
合同慰霊碑が建立されています。

第一次世界大戦当時、鳴門市の板東俘虜収容所で何人の捕虜が生活していたの???

こたえ。。。ドイツ兵約953人が暮らしていました。

どうしてここに赤十字の碑が建てられたの???
こたえ。。。 。 日本赤十字社徳島県支部では 板東俘虜収容所跡地に、 赤十字ゆかりの地モニュメント を設置し 、 この地で展開された人道的な史実を後世に伝えています。

ドイツ記念館にいたドイツ人夫婦たちとすれ違いました。ここに来るというのは、 板東俘虜収容所 と関係のある親族がいたのかしらね。。。

こちらは、給水施設
収容所跡は少しだけレンガなどが残っていました。
昔の収容所
こちらも給水所。ほかにもパン製造所などもありました。

バスの時間まで余裕がありそうなので、2番札所極楽寺に行ってみることにしました。

極楽寺に到着!

エネルギッシュな仁王様です。
江戸時代  作者は勇渾 と極楽寺ホームページに書いてありました。
この階段の上に本堂があります。本堂にお参りをさせていただきました。

そろそろ、第九の里に向かいましょう~

バルトの庭って見学できるのかなあ~???

道の駅まで戻ってきました。

賀川豊彦記念館のチケットを持っていました。行ってみなきゃあ。

賀川豊彦ってどんな人なの❓
(かがわ とよひこ、1888年(明治21年)7月10日 – 1960年( 昭和35年)4月23日 )

こたえ。。。友愛。互助。平和のために生涯をささげた人です。賀川豊彦は若き日、神戸のスラムに身を投じて貧しい人々の救済に専念しました。壮年時代には、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動に献身し、 関東大震災が発生するや、東京にて、被災者救済 に力を尽くしました。
1951年に日本生協連初代会長に就任しました。

自転車を返却に行きましょう

ドイツ記念館入り口カラフルな置物があります。
徳島の観光地が描いてある豚さんね。靴下も履いてあったかそう~

自転車を返却して、荷物を受け取ります。ありがとうございました。

バスの時間を確認します。

ちょっと早めの夕飯、鳴門のわかめうどんを頂きます。

お夜食にイチゴとパンを買いました。

バスが来ました。本数が少ないので、ちゃんと乗れてよかった。

乗客は一人だけね。鳴門駅に向かいます。離合もできないくらいの細い道も通ります。
鳴門駅に到着!
「うずしおくん・うずひめちゃん」

ホテルの送迎車までの時間、駅の周りを散歩。

お夜食にカールも買ってしまいました。

ここにもアジア第九初演の地と書いてありますね。ここから先には線路はありません。
終着駅ですね。

鳴門駅構内にいたら、ホテルの方が呼びに来てくれました。この時間の送迎は私一人でした。感じの良い方で、いろいろ話しているうちにホテルに到着しました。

温泉に入ってゆっくり休みます。おやすみなさい。


雑司ヶ谷七福神巡り&谷中七福神巡り〜〜2020年1月9日〜

朝から良い天気🌞

昨晩は、餃子をたくさん作ったので、夜に息子の家に届けて、ついでに泊めてもらいました。混雑の電車を避けられるので、ありがたいです。

今日は七福神巡り日和ですねー

雑司が谷駅9時→<鬼子母神堂>→< 観静院>→<大鳥神社>→<清立院>→<清土鬼子母神堂>→<中野ビル>→< 仙行寺>→池袋駅 11時半

雑司ヶ谷の駅で友達と待ち合わせ❣️

田園都市線は混雑のため、遅れ気味だったとのこと。朝のラッシュ時の車内は、身動き取れないもんね💦

駅を出たところの看板😉

踏み切りを渡り、

鬼子母神商店街を通ります。

ゴミの収集はまだね😁
両側の大木はなあに??? 
こたえ。。。東京都指定の天然記念物のケヤキです。 18本のうち、4本が樹齢400年以上で、天正年間( 1573-1593 )京から移り住み村役となった長島内匠(たくみ)が奉納植樹したといわれています。
鬼子母神が見えてきました❗️
鮮やかな縁取りですね🙂

「鬼」 の上の 「丿」 がない どうして???
こたえ。。。 鬼子母神という鬼は、他人の子どもを取って食っていました。
   見かねたお釈迦様が、鬼子母神の子どもを隠してしまうと、
   鬼子母神はたいそう悲しんで、もう子どもを取って食わなくなりました。
   それから、「鬼子母神」 の 「鬼」 の字には角をつけなくなったという説もあります。
こんな可愛い飾りを売ってます。
「すすきみみずく」 と呼び、 民話伝承があります。

どんなお話なの???

こたえ。。。雑司が谷に「くめ」という親孝行な娘が住んでいましたが、家が貧しく、おかあさんが働き過ぎがもとで病気になってしまい、薬も買うことのできない「くめ」は、優しいおかぁさんの病気が早く治るようにと、百度参りを始め、毎日毎日鬼子母神の御堂へと通いました。


60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。


くめが目が覚めるとミミズクが木の上で鳴いていました。家に帰ったくめは必死にすすきミミズクを作り、鬼子母神の御堂の前で売ると…なんとすすきミミズクは飛ぶように売れ、おかあさんに薬が買えるようになりました。おかあさんの病気もみるみるうちによくなり、幸せに暮らせるようになりました。』というお話です。

家紋は何かな❓ザクロなんです。

どうしてザクロなの???

こたえ。。。 お釈迦様の弟子となった 鬼子母神は、 お釈迦様 からその後、もしも子供を食べたくなったら、これを食べなさいとザクロを渡してもらいました。それ以降、この鬼子母神の象徴としてザクロが使われるようになったそうです。

ここでは大黒天にお参りして、まず一つ目のスタンプを押します。

娘の通った大学♫久しぶりに来たなあ〜

観静院に到着❗️

こちらは弁財天。お水をかけてお参りします。2つ目のスタンプを押しました。

可愛い 手水舎 でした。

次は、大鳥神社が近そう~


「茅くぐり」 をしました。→ 茅輪神事は、「ちのわしんじ」 というそうです。
設置期間;12月30日前後~1月10日前後 ということで、くぐることができました。

3つ目のスタンプを押します。

次は、 清立院 (せいりゅういん)に向かいましょう~

また踏切を渡ります。

面白そうな看板が。。。。

あまからせんべい、気になるわ。
でもその前に、お参りに行きましょう~
次のお寺へ。
階段を上った先に立派な本堂があります。 清立院に到着❗️
高台にあります。

こちらでは、 木彫毘沙門天像 にお参りをして4つ目のスタンプを押します。

雨乞いの松
雨乞いと皮膚病の祈願寺としてあがめられています。
境内は、春の訪れの気配を感じます。

ザ・檀家通りを歩きます。

ちょっとドキドキ💓する路地があります!
おせんべいさん🍘到着!
写真を撮らせて頂きました。
手作業で作られてます😍

おせんべい、買えました❣️わーい😊

外にあった缶。なんだかほっこり気分になります(#^.^#)
ここで、ご飯を食べてみたいな。。。と思ったけれど、
只今休業中。再開のめどは立っておらず😅


清土出現所鬼子母神 に到着‼️

5つ目吉祥天のスタンプを押します。

三角の井戸があります。どんなゆっらいのある井戸なのでしょう???

こたえ。。。鬼子母神像がこの周辺のどこかで出土し、泥だらけの鬼子母神像をこの井戸で洗った、ということです。なぜ三角なのかは不明。

こちらも枇杷の紋ですね。

雑司ヶ谷霊園のそばを通ります。
雑司ヶ谷の駅の横を通ります。
あれに見えるのはなんでしょう❓
こたえ。。。 東京都豊島区の新庁舎 (としまエコミューゼタウン) です。

どんな建物の仕組みになってるの?

こたえ。。。豊島区の本庁舎は地下3階、地上49階建ての高層ビルになっており、上層階にはマンションを、低層階には商業施設を入居させる全国初の方式を採用しています。
税金を1円も投入しなかった成功例として話題になってたそうです。

お洒落な建物ですね‼️

コンセプトは何???

こたえ。。。 「自然と建物の共存」
設計・監理は日本設計、外観(一部内観)デザイン協力を隈 研吾(くま けんご )建築都市設計事務所 が担当しました。

またまた、面白いメガネさん👓と思ったら博物館って書いてあります。
アップしてみる。。。

ここは、老眼メガネのアウトレットのお店だそうです。

前から老眼メガネ屋さんだったの???

こたえ。。。 かつてメガネの卸問屋だった倉庫(東京都豊島区南池袋)を改装して、2009年から老眼鏡アウトレットとして営業しています。

今度は、美味しそうなパン屋さんを見つけました。

自家製あんにつられ、入ってしまいます。

あんぱんをお土産にを買いました。

中野ビルの布袋尊 様に到着!

6つ目のスタンプを押しました。

やっと、仙行寺に到着!
7つ目の福禄寿 のスタンプを押します。

 雑司が谷七福神 めぐり終了~

 雑司が谷七福神 めぐり っていつから始まったの???

こたえ。。。 雑司が谷七福神は、雑司ヶ谷の町おこしのために南池袋1丁目町会長の渡辺隆男氏が2010年『雑司が谷七福神の会』を結成したことにはじまり、2011年初詣より『七福神巡り』がスタートしました 。 豊島区観光協会ホームページより

池袋の駅に向かう途中に、
友達がみつけたどら焼きやさん ’’すずめ’’。。。

小さなお店なので、見つけられたらラッキーと言われるお店だそうです。

それは、買わないわけにはいかないでしょう~

どら焼きを買ってすぐに食べました😘おいしかった♡

池袋から電車に乗って移動🚃

JR田端駅12時→<東覚寺>→<青雲寺>→<修性院>→<長安寺>→
<天王寺> →<護国院>→<不忍池弁天堂>→16時40分上野駅

谷中七福神巡りは田端駅から出発です!

北区にある 東覚寺 へ。

東覚寺に到着‼️

赤紙二王尊ってなあに❓

こたえ。。。 身体の悪い部分と同じ場所に赤紙を貼って祈願すれば治癒するそうです。病気平癒の御利益を求めた人がこんなにたくさん貼ったのですね。

二体ありましたが、おどろ恐ろしい(>_<)→仁王様なので阿吽の像のはずですね。
動き出しちゃいそうですね。

ご祈願して治ったらどうするの???

こたえ。。。 悪い場所が治ったらお礼参りで草鞋(わらじ)を奉納する習わしがあります 。。。

こんなにたくさん(゚д゚)!

草鞋(わらじ) は 作って奉納するの????

こたえ。。。 東覚寺で、分けてもらうことができます。

白龍山って書いてあります。早速、お参りをして福禄寿のスタンプを押す。

心に響く言葉が書いてあります。

そうだなあ~としみじみ思う。

お庭も見学できるの???

期間限定でお庭も拝観できるようです。わーいわーい

釣りをしている恵比寿様(笑)
大きな鯉が釣れるかな❓
よく手入れの行き届いた広いお庭です。
寒桜が咲いている🌸
ろうばいも咲いていました‼️
灯台のような石灯籠
小坊主さん、可愛らしい。お庭をのんびり見学しました!(^^)!

谷中の七福神って、江戸最古の七福神なんだね。

谷中七福神一覧

誰が七福神巡りを創設したの???

こたえ。。。 寛永寺の開祖である天海僧正 (てんかいそうじょう、天文5年(1536年)? – 寛永20年10月2日(1643年11月13日)) が創設者です。

天海僧正 って日光の社寺の住職さんだった方でしたよね。

僧正(そうじょう)ってどういう意味なの???

こたえ。。。 「僧正」の意味は僧綱(そうごう)の最高位のことです。聞きなれない言葉が並びます。

僧綱 (そうごう) って???

こたえ。。。 日本における仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧官の職のことです。 僧正そうじょう僧都そうず律師りっしの三役で構成されていました。

どんな人だったんでしょう???

こたえ。。。 天海の残されたご遺訓があります。「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ」とあります。これを守ると108歳まで長生きできるそうです。

七福神の信仰っていつからあったの???

こたえ。。。 日本古来の守り神は、恵比須(漁労、労働、商売などの守護神)の信仰でした。                                

鎌倉時代、中国を経てインドから大黒天(五穀豊穣、飲食の神)、弁財天(音楽、知恵、弁説、財福の神)の信仰が加わりました。 

室町時代にかけて、この三神の信仰が庶民の間に深まってきますと、毘沙門天(人倫の道、仏法の守り神)、布袋尊(吉凶の占い、家庭円満など福徳の神)、福禄寿(幸運、生活の安定、長寿の神)、寿老人(長寿延命の神)の四神が加えられて、人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったものと一般に理解されています。                    浅草名所七福神会ホームページより

この辺りには、文士芸術家がたくさん住んでいた場所なのですね。

どうしてこのあたりに 文士芸術家が 集まってきたのでしょう???

こたえ。。。 明治22年、上野に東京美術学校(現、芸大)が開校されると、若い芸術家が次第に田端に集まるようになりました。

西日暮里駅近くまで歩く 。次は、 清雲寺にお参りします。

これは何と読む❓花見寺って書いてあります。

どうして花見寺って呼ばれたの???

こたえ。。。 この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地として賑わい、また、青雲寺は、江戸時代に花見の場所として賑わったことから、「花見寺」とも呼ばれていました。

わあ、立派なお寺!(◎_◎;)

恵比須様のスタンプを押します。

滝沢馬琴の筆塚の碑 ってなあに???
こたえ。。。 「南総里見八犬伝」などで知られる江戸時代の戯作者・滝沢馬琴が己の使い古した多量の筆を供養するため築いたもの です。
水仙きれい〜

次は、 修性院(しゅしょういん) へ。塀にかわいらしい子供と布袋様が描かれています。

布袋さん、優しそう〜

ランタナの花(南アメリカに分布するのクマツヅラ科シチヘンゲ属(ランタナ属)の常緑性低木) )が咲いていました。

布袋天様のスタンプを押します。3つめです(^^)

本堂の布袋尊は、「ひぐらしの布袋」と呼ばれています。笑門来福、夫婦円満、子宝にご利益があり!いつまでも拝んでいたい、笑顔の素敵な布袋尊でした。

谷中ぎんざを通り、

夕焼けだんだんに到着しました❗️
初番小路
屋根の上に誰かいるよ(゚д゚)!
朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん) って書いてありますね。

朝倉彫塑館ってなあに???

こたえ。。。朝倉文夫(1883-1964) は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家です。
現在この地に残る新旧アトリエと住居等の建造物や庭園は、朝倉自らが計画・監督し、昭和10年に完成しました。

アップで見てみよう〜
屋根頂上にあるのは、「浴光」と題された裸婦像 でした。
足元には、観光案内ルートの矢印があります。

長安寺はまだかなあ~

到着しました!

  壽老人 (じゅろうじん) のスタンプを押します。

小さなお地蔵様がたくさんありました❗️
境内から、スカイツリーが見えました😊

境内を出てしばらく歩くと、大きな石碑が見えてきました。

この石碑の人、
岩国出身の人じゃと。。。
どれどれ、岩国藩の人だ!
岩国と聞くと、田舎の地元感あり、誇らしく思える(*’▽’)

玉乃 世履(たまの よふみ)って、何をした人なんでしょう???

こたえ。。。 日本の裁判官。剛毅果断・清廉潔白な精神の持ち主で、その公正な裁きにより、「明治の大岡」と賞賛されたそうです。

大審院(だいしんいん、たいしんいん) ってなあに???

こたえ。。。 明治憲法下の日本において設置されていた司法裁判所の中における最上級審の裁判所のことです。

しばらく歩いて、護国山天王寺 に到着!


釈迦牟尼如 来(しゃかむにょらい) 坐像(露坐、元禄3年(1690)、銅像、通称「元禄大仏」) が見えていますね。

手水舎 に小鳥がとまっていました🐦
万両も屋根をつけてもらえて良いね😊
五重塔

毘沙門天のスタンプを押します。いくつめだったかな?

5つめでしたね。

よく歩いたので、途中の公園で休憩〜

大きな木のある公園で、
友達がタカセで買ったパンを、半分頂きまーす😘
ご馳走様でした(^^)
これは何じゃろう❓川上音二郎の像と書いてあるけど、像はない。。。(*’▽’)

川上音二郎ってだあれ???

こたえ。。。 [1864~1911]明治時代の俳優、興行師。落語家桂文之助に入門、時局諷刺のオッペケペ節で人気をえた人です。
🎶オッペケペ ♪ オッペケペ 、 オッペケペ のぺ♪ 🎶って、子供のころ歌っていたなあ~ なんで歌っとったんじゃろうね???

徳川慶喜のお墓があるんだ‼️

`’これは、行ってみんといけんね。’’と二人の意見が一致 ♡

ひっそりと、その墓所はありました。
この中にお墓がありますが、中には入れません。
入り口は閉まっていました。

日光東照宮に行ったばかりだったので、世の中のはかなさを感じました。

後戻りする形で、パイの店’’マミーズ’’へ。

やっと着いた‼️
疲れたので、ひとやすみ!
店内で焼きたてアップルパイを頂きます🧁
元気が出てきたよー

護国院へ。

まだ少し距離がありそうです、ガンバレ、、ガンバレ(^^)

到着しましたー

ここにも万両に屋根がついてます🙂
表情に癒されますね。

大黒天のスタンプ、6つめを押します。

かわいい花💐
能舞台に夕日が差し込んできました。

残すは不忍池にある弁財天だけ。。。

不忍池に到着!

やっと着いたね😆

ここが最後のお寺です❗️
寒桜も咲いてます。きれい〜
上野公園の方を見たら、お月様が出ていました☽
千と千尋に出てきた何かみたいだよ。
千と千尋の神隠し』に出てくるような神様でしたっけ???

こたえ。。。宇賀神 (うがじん、うかのかみ) さまと呼びます。弁財天さまの化身とされている神様です。

お参りさせていただきます。

不忍池辯天堂 (べんてんどう) にて、最後のスタンプ弁財天を押しました。
やったね🙌

不忍池のほとりを通って上野駅に向かいます。

雲がピンク色に変わってきました🤗

駅伝の碑がありますね。

駅伝の歴史はここから始まるのですね。
カモメがたくさんいましたカワイイ
さっき行ったお寺が見えますね。

無事に上野駅に到着!

パンダ車両の銀座線に乗って帰りまます。


パイの店’’マミーズ’’ に寄るために遠回りもしたので、本当によく歩いた一日でした。。。

七福神コース調べてくれた友達に感謝です♡

一番最初に一緒に行ったのは、柴又七めぐりでしたよね。また一緒に行けたらいいなあ~って思います!(^^)!

おしまい。

広島〜山口帰省〜2019年12月27日から2020年1月3日〜宇部〜宇佐神宮〜別府温泉〜耶馬渓編

1/1(水) 広島→広島駅12時15分→15時10分新山口レンタカー→お墓参り→琴崎八幡宮初詣→主人の実家泊6

令和2年、、早くも幕が明けました。

毎年恒例、ベランダから初日の出を拝む。

中国新聞’’とびしま誘う玄関口’’が目に入る。

どんな内容かな???

今年の1月18日で開通20年目になるんですね。

安芸灘大橋は渡ったことはないと思っていましたが、父に連れてきてもらったのを思い出しました。
上蒲刈島 (かみかまがりじま)
県民の浜の海岸近くにある『かまがり古代製塩遺跡復元展示館』を見学して、 藻塩を買ってもらいました。娘も息子もまだ小さかったころのことですね。あまりのおいしさに、藻塩はあれからずっと買い続けています。

朝ご飯は、昨晩、準備をしておいた、おせちとお雑煮を食べる。

母は、孫たちからお年玉をもらい、とっても嬉しそう!(^^)!

主人は一足先に家に戻り、広島駅で待ち合わせることにする。

バス停に向かう途中、猫がいるよ🐱と。。。

広島駅で、おやつを買って電車に乗ります。

新山口まてだと、青春18切符を使うより、普通に乗車券を買うほうが安いと分かったので、今年は青春18きっぷは買いません。
新山口駅に到着❗️
駅構内には、135種類の植物を観察することもできます。

のんびりしていたら、主人と息子を見失ってしまう。。。。

娘と、どこのレンタカーだったっけ???と探す。トヨタレンタカーをのぞくと、二人がいました(´▽`) ホッ

主人の実家に到着。主人の母が、家の前で立って待っており、そのまま一緒にお墓に向かう。先に叔父の娘たちがお墓をきれいにしてくれて、お花も供えてくれていました。

小さな雑草を抜いて、お参りする。ずっと先のことになるけど、お墓のことも考えなければならない日が来るかも?

主人の母と一緒に琴崎八幡宮へ⛩
夕方だから人が少ないと思ったけど、駐車場に入るのに少し時間がかかりました。。。
元旦だものね。

夕飯時、11人集まりました。

今年から、初めて出来合いのお節料理も一部並びました。夜には、姪2人も来てくれる。うれしいね♡’’

’’そういえばおばちゃん、去年なんか約束したよね~’’と。。。

’’お互い痩せようね~’’と話していたことを思い出す。すっかり忘れていた(>_<)

お互い少しだけやせたかな???

1/2(木) 泊6 9時→9時50分関門海峡→11時40分宇佐神宮→15時30分別府血の池地獄→17時亀の井ホテル泊7


主人の実家からの夜明け。。。!(^^)!
3両連結の電車はとっても珍しいのよ。いつもは1両か、2両だもんね。

朝ご飯を食べて、出発~

関門海峡を渡って、九州に入ります‼️

渋滞もなく、宇佐市に入ります。

向かっている、宇佐神宮は、全国に4万社あまりある八幡様の総本宮 です。

きっと、この時間では駐車場に入るのに時間がかかりそうです。近くまで行くのはあきらめて臨時駐車場に車を止めることにしました。

臨時駐車場からは、シャトルタクシーで宇佐神宮にむかいます

許可車しか走れない農道を通ります。臨時駐車場に車を止めて、えかったね!(よかったね)

一般道は、ノロノロ運転。駐車場に入るのも大変そうです。

宇佐神宮のバス停に到着!

しかし、宇佐神宮まではまだまだ距離がありそうです。
困ったな?車いすをどこかで借りられないかなあ~と思っていたところ、

ここで待っていてと、息子が小走りで車椅子を借りに行ってくれました。

やっぱり、若者は行動が早い。私は、車いすを探すのにも時間がかかる(-_-;)

車椅子を借りれてよかったね😀
ほほえましい3人の後ろ姿♡

主人の母は、米寿とは思えない、とっても元気です。

鳥居に到着!

息子は、このあたりの社務所で車いすを借りてくれたとのこと。走って取りに行ってくれたんだね。ありがとう~

宇佐神宮の鳥居をくぐります⛩

この先にケーブルカーがあるはずなんだけど、どこかなあ?

しばらく歩いてやっと看板を見つけました。

ここから、一般参拝の道と分かれるのですね。

車椅子のまま、社殿まで上がれるなんて、まだ信じられない。。。
林の中を歩きます。乗り場までは、結構距離がありますね~

本当にこの先にモノレールがあるのかな?

途中、本殿に続く階段の道と合流しました。
舞台で何かやっています。何でしょうね。

やっと、モノレール乗り場に到着‼️

あれに乗るんだ😁健常者ものっていいのかな???
同じグループであれば大丈夫とのこと。全員乗せていただきました(^^)

昔は、ケーブルに並行した階段も登れたこともあるそうですが、今は使えません。

ケーブルを降りると、すぐに社殿の入り口が見えてきます!

この門の名前は???

こたえ。。。 南中楼門(勅使門)。入母屋造桧皮葺の楼門です。

門の中には入れるの???

こたえ。。。 南中楼門 (みなみちゅうろうもん) は通常は開かずの門で、 参拝はこの門前で行われます。

勅使門(ちょくしもん)ってなあに???

こたえ。。。 天皇や勅使と呼ばれる天皇の指示や意思を天皇の代わりに伝える役目を持つ人のみが通ることのできる門のことです。

神社の創建 はいつ???

こたえ。。。 欽明天皇32年(571年)頃とされ ています。

宇佐神宮の社殿っていつできたの???

こたえ。。。神亀2年 (725年)に一之殿が造営されました。
以後、天平元年(729年)に二之殿、弘仁14年(823年)に三之殿が造営されて現在の形式の本殿が完成したと伝えられています。

宇佐神宮の祭神 (さいじん) は ??

こたえ。。。八幡大神(はちまんおおかみ)[誉田別尊(応神天皇)]
比売大神(ひめのおおかみ)[宗像三女神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)]
神功皇后(じんぐうこうごう)[息長帯姫命] です。

御神木もありますね。
パワーをもらえるかな❓

おまけ。。。 高さ約30メートル、幹まわり約5メートルの風格ある御神木。多くの人にパワーを授けてくれといわれています。

大小ひょうたんがセットになっており、小さいひょうたんは持ち帰ることができます。

八幡信仰って何だろう???

こたえ。。。 太古より様々な神様を全国各地にお祀りしてき たひとつです。
古くは「ひろはた」「やはた」 「やわた」 と呼ばれていました。

八幡信仰の祭神の、実在が確認できる最も古い天皇 はだあれ???

こたえ。。。 15代応神天皇 (おうじんてんのう ) です。

どうして日本中に広がったの???

こたえ。。。 国家神として崇められながらも,宇佐(大分県)にとどまっていた八幡信仰は,やがて平安時代、石清水八幡宮(京都府)創建, 貞観2年(860年) を経て全国に広まることになりました。

東大寺の守護神は、 手向山 (たむけやま)  八幡宮 でしたよね??

こたえ。。。奈良時代、東大寺大仏造立に際し、その加護をするようにと神のお告げがあり、 天平勝宝元(749)年に聖武天皇が、八幡神の総本宮、大分県の宇佐神宮から神さまを直接勧請 (かんじょう) されたそうです。 石清水八幡宮創建より、100年以上前の出来事です。

勧請 (かんじょう) ってどういう意味???

こたえ。。。 神仏の分霊を他の場所に移してまつることです。

平安時代、どうして石清水八幡宮 から八幡信仰は全国に広まったの???

こたえ。。。平時代後期の武将 源 義家(みなもと の よしいえ)、 後に鎌倉幕府を開いた源頼朝と室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先に当たる は 、 石清水(いわしみず)八幡宮で元服しました。〈八幡太郎〉との別名もあります。
八幡神は武家を王朝的秩序から解放し、天照大神とは異なる世界を創る大きな役割があったとされ、 武家が守護神として八幡信仰が全国に広まっていきました。

行きに見た舞台ですね。神楽の舞があったようです。
放生池 (ほうじょうち) ってなあに❓

こたえ。。。捕えた魚などの生き物を放つために設けられた池のことです。
我が国においては養老四年(720)宇佐八幡宮で行われた放生会が日本最初と言われています。

放生会(ほうじょうえ)の由来は???

こたえ。。。。。行事の由来は、720年に起きた隼人の反乱にさかのぼります。
大和朝廷は中国の唐にならって律令国家の建設を進めますが、東北の蝦夷(えみし)と南九州の隼人(はやと)は、その中に組み込まれることに強く抵抗しました。

反乱が起きた際、朝廷軍と共に八幡神が鎮圧して 、100人もの隼人の首を宇佐へ持ち帰り、宇佐神宮より西約1kmの所に葬って凶首塚(きょうしゅづか)を建てました。

以降宇佐に疫病や凶作などが続き、隼人の霊の祟りだと信じられていました。その霊を慰めるために仏教の殺生戒に基づいて生き物(蜷貝)を放って供養する放生会がはじまり、全国各地に広まったと言われています。

宇佐神宮の門松🎍
宇佐神宮仕立てのポスト📮→ 呉橋 (くれはし) と呼ばれる境内にある木造屋根付の橋です。

シャトルタクシーで臨時駐車場まで戻り、宇佐ICから高速に乗り、別府に向かいます。SAでお昼ご飯を食べます。

別府湾に面した高崎山(おサルの山)も見えますね。

インターを降りて、別府温泉に向かいます。

鶴見岳が見えた‼️

地獄めぐりへ行ってみようということになり、別府温泉の’’血の池地獄’’に寄ります。

他にはどんな地獄があるの???

こたえ。。。 「海地獄」「鬼石坊主地獄」「かまど地獄」「鬼山地獄」「白池地獄」「龍巻地獄」 と合わせて、7つの地獄があります。


’’血の池地獄’’ に到着❗️
悪いことをすると血の池地獄に連れて行かれちゃうよ😮
’’昔はもっと赤かったのに、色が薄くなった気がするね’’と主人と話しました。
展望台に上がってみました。

ふと、

数年前に、 定期観光バス’’別府地獄めぐりコース ’’に参加したことを
思い出しました。。。 大型バスに、まさかの一人。。。(゚д゚)!

結果、とっても楽しい旅になりましたが、最初はびっくりしすぎて固まっていました。

確か、姪の結婚式の時だったなあ~

別府温泉は湯の町ですねえ♨️
湯気があちらこちらに立ち込めています。
亀の井バスの車庫の周りもモクモク♨️

亀の井ホテルに到着!

チェックイン手続きに少し時間がかかりました。

部屋は62平米あり、6つのベットがあります。みんなで一緒に泊まれるね。

主人は父と一緒にお風呂へ。母もお風呂に行きました。

私と子供たちは、夕飯(バイキング)の席取りのため、レストラン開店前に並ぶ。オープン後、大きなお皿にいろいろなおかずを準備する。

しばらくして、みんな集合。いただきまーす。

スムーズに夕食も食べることができました。

私たちも温泉につかって(つ∀-)オヤスミー

1/3(金)泊7 9時→9時50分由布院10時20分→11時牧の戸11時20分→奥耶馬渓
(おくやばけい) →13時青の洞門→耶馬渓橋 (やばけいばし) 14時→16時小倉17時07分のぞみ52号→21時34分新横浜

今日もお天気は良さそうー
主人と海を見に朝散歩に出発〜

楠銀天街のアーケードを通り、
→昔はこのあたりが別府の中心地として栄えていたとのこと。
ソルパセオ銀座アーケードを通り、
→昭和40年代くらいまでは地元の人や観光客など大勢の買い物客で賑わいを見せていました。
別府のマンホール。
9月の花「ハギ」と「カンナ」 ですって!
竹瓦温泉♨️のアーケードも通りましょう〜

竹瓦小路アーケード(たけがわらこうじアーケード) って???

こたえ。。。別府港に船で着いた観光客が、雨に濡れずに「竹瓦温泉」に行けるようにと考えて作られた、わが国最初の木造ガラス張りアーケードです。完成は1921年(大正10年)、現存する日本最古のアーケードと言われています。

アーケードを抜けると、竹瓦温泉♨️到着!

今日は、前を通るだけ…
ポストと建物がぴったりマッチしてますね。

竹瓦温泉♨️はいつできたの???

大きな通りを渡ります。

こたえ。。。 創設は1879年(明治12年)。現在の建物は1938年(昭和13年)に建て替えられたもので、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっています。 正面は唐破風造(からはふづくり)の豪華な屋根をもっています。
男女の内湯と砂湯もあります。

国登録有形文化財に指定されています。

広い通りを横切り、海岸線まであと少し。。。

別府タワー🗼

別府に来るたび、ワンゲル部の合宿時、港で一晩シュラフにくるまり眠ったことを思い出します。。。

広島から別府までは、夜行のフェリーが就航していたこともありました。別府は、人気の観光地で人があふれかえっていました。

海の近くまでやってきました。
あら😱塀に囲まれて何も見えない…

海岸に出られん😓

完成したら、こんな風になるみたいです。

そろそろ、引き返さなければね。

またいつか来るね。

ホテルに向かいます。

ラクテンチが見えてきました。

ラクテンチ って❓

こたえ。。。今年90周年を迎える遊園地です。
竹瓦横丁を通り、
道路の先の別府駅を見ながら、
やよい天狗アーケードを抜けます👺
まだクリスマスの飾り❓が残ってます。
天狗のうちわ「ヤツデ」 の旗も飾ってありますね。
シャッターに天狗(゚д゚)!
長ーいお鼻の天狗みーつけ👺
鼻の穴も大きいねえ~

やよい天狗と呼ばれる天狗像は昭和48年に商店街の火災厄除けを祈念して作られたそうです 。

裏通りを横目で見ながら、

こんな路地がたくさん残ってます。

ホテルの近くの通り近くまで戻ってきました。

20年間値上げをしていないそうだ。サンパツ→1200円

ホテルに到着❗️
大分県焼酎出荷量第3位の老松酒造 のお酒がロビーにありました。

昔の写真もあります。

こちらは誰でしょう❓
こたえ。。。油屋 熊八あぶらや くまはち、1863年8月29日(文久3年7月16日) – 1935年(昭和10 年)3月24日)
“別府観光の父”といわれた 人です。

どうして“別府観光の父”といわれた の???

こたえ。。。 油屋氏は別府を観光地にしようと、別府港に桟橋を作る運動をしたり、観光バスを通して日本で始めてのバスガイドを乗せたりしました。地獄めぐりも油屋氏のアイデアでした。
彼自身、全国各地を実際に回り、宣伝したそうです。

彼は46歳にしてここ大分県の温泉の将来に着目し、温泉観光地別府としての観光地開発に貢献したのです。

油屋熊八 の有名な言葉があります。なあに?

こたえ。。。 「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」 と
「生きてるだけで丸儲け」こちらは、さんまさんのイメージのほうが強いですね。

亀の井バス🚌亀のマーク見えますか❓
国内で最も長い歴史を持つ定期観光バス です。

別府温泉御遊覧の志おり「日本第一の温泉別府亀の井ホテル御案内」の一部
吉田初三郎 画 
発行:亀の井ホテル 大正16年

朝ご飯をゆっくり食べて出発~

ラクテンチの入り口はお城になってます🏰
正面の観覧車が、 フラワー観覧車
二重式観覧車は日本でラクテンチだけです!
まずは、城島高原に向かいます。正面に鶴見岳が見えてきました。 標高は1,375m。
半分木がありません。どうしてかね~?
気持ちの良い草原の道に出ました。
城島高原 を通り過ぎます。標高は700メートルくらいあります。
狭霧台からの眺め。湯布院の街が見えてきました。
気持ちのいいね…
みんな景色にうっとり。。。

山道を下り、

由布院の駅に到着🚉
由布院でいつも素敵だなあと思う建物。なんだろうね❓大分合同新聞って書いてあります。

「金鱗湖(きんりんこ)」 に行ってみましょう~

金鱗湖に到着!

クロサギがとまってます🐦

少し歩いて、池の周りに到着!

いつきても神秘的な湖ですね。前にも、主人の両親と一緒に来ました。
水際のかもちゃん
可愛いでしょう💕
小雪がちらついています❄️
湖面に少しもやがかかっています。

さあ、ここから牧ノ戸まで坂道を上っていきます。

少し前より、九重連山がはっきり見えてきました。
青空が出てきました(^^)

牧ノ戸峠に到着❗️

寒いよー😵標高が1330メートルもあるんですものね。
久住山登りた〜い^^

寒すぎるので、早めに車に戻ります。トイレの中も寒かった(>_<)

三俣山(1748メートル)みまたやま  が見えるー
キュイン、 キュインと、 坂道を下っていきます^ ^

久住山さようなら👋

耶馬渓方面に向かいましょう~

岩が見えてきました。耶馬渓に入ったようです。
林道のような山道を走ります。
車内からいろんな岩を眺めながら走ります(^^)
茶屋がみえてきましたが、通り過ぎます。

川沿いに岩をくりぬいた道が見えます。青の洞門です。

車を止めて少し散策しましょう~
この方は誰でしょう?

こたえ。。。 禅海 (ぜんかい、元禄4年(1691年) – 安永3年(1774年)) 和尚です。

何をした人なの???

こたえ。。。 江戸時代、荒瀬井堰(あらいぜき)が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田(ひだ)・青地区では川の水位が上がりました 。
そのため通行人は競秀峰の高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通っていました。 断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、
この地で見た現状に心痛め、 槌とノミだけで隧道を掘りすすみ30年かけ完成させました。 「青の洞門」と呼ばれます。

空が青い。ここは紅葉の時期が素晴らしいそうです、

おなかが空いたのでレストハウスでお昼ご飯をいただきます。

おいしい~🤗

青の洞門をくぐります。

あっという間に通り過ぎました。

私のリクエストで、耶馬渓橋に寄ってもらう。

耶馬渓橋 (やばけいばし)
1923年に竣工 、オランダ橋とも呼ばれ、 日本で唯一の8連石造アーチ橋で、
日本最長の石造アーチ橋でもあります 。

どうしてオランダ橋と呼ばれるの???

こたえ。。。 それは、大分県や熊本県の石橋とは異なり、長崎県に多い水平な石積みを採用しているためと言われています。

橋は何メートルあるの???

こたえ。。。 長さは116mです。

小倉駅までみんなで帰ってきました。

ここで主人たちともお別れです。

新幹線の指定席は普通席が満席で、グリーン車で帰ることになっています。小倉駅で、夕飯を買い込んで新幹線に乗ります。グリーン車代金とレンタカー代金は息子がカンパしてくれました。

いつもありがとう。

主人の米寿のお祝いを兼ねた旅も無事に終わりました。

また来年もみんなで行けるといいね。

新幹線にて。。。

グリーン車内は静かに帰れると思ったら、年末年始の時期はそうもいきません。

一組の家族が近くに座りました。3歳くらいの女の子はじっとしてはいられません。

それなのに、お母さんは、娘の面倒を小学生のお姉ちゃんに任せて、自分はマスクをして寝たり、携帯をいじったり。お父さんも知らんぷり。

小学生のお姉ちゃんがビデオを見せながら、妹の面倒をずっと見ている。大きな声で笑ったり喋ったりするたび、お姉ちゃんはビクビクしている。ちなみに、ビデオは音を出している。

ついには、歌を歌い出す。お姉ちゃん、鼻くそをほじって諦めたのか。。。

しかし、その後一緒に歌を歌い出す。

4時間半子供たちは一睡もせずに、本当にうるさい一家でした。

後ろの母親は、大きな声を出して本を読み出す。『お』と『を』の違いを話してる。

”わかる❓’’と母

’’わかんないよー。’’と息子。

私が犬をのをは❓どっちのを?

私はふりかけをご飯にかけるのはは?今度は、『わ』と『は』の違いを話し始めました。

近くの反対の言葉は?

ずっと話す。

帰省の車内は、たとえグリーン車であろうとも、座れただけで丸儲けと思う気持ちじゃなければ、ダメね🙅‍♀️

生きてるだけで丸儲け」 → 油屋熊八 の言葉でしたね。

後日、主人の母が

’’まさかこんな良いことがあるとは思わんかった。‘’と、とっても喜んでくれました。

‘’孫2人とも一緒に旅行に行けて、お年玉ももらって幸せじゃね、生きとったらええことがあるね。長生きせんといけんね‘’と。

おしまい。

広島〜山口帰省〜2019年12月27日から2020年1月3日〜呉~安芸灘とびしま海道編

12/31(火)  泊4→両城(りょうじよう) →ホテル10時20分→下蒲刈島→上蒲刈島→豊島(御手洗みたらい)→大崎下島→実家泊5

曇り空ですが、雨は何とか大丈夫そうです。

ホテルから、もくもく煙が見えます。工場は稼働しているのですね。
昨日見た、豊弥が大きいねえ〜

朝散歩は、 ’’海猿の映画の撮影場所の階段 に行く’’って決めていました。

’’ちゃんとたどり着くかな?’’と思っていたところ、心強い助っ人が二人がついてきてくれることになりました!(^^)!

線路を渡ります。

ここらへんだと思うんだけど、よくわからない。。。

ここの階段かな❓上がってみよう。
ちょっと景色が見えてきました😀
まだまだ階段が続きます。。。
呉の港見えてきましたね😺

階段の途中に民家があり、庭に出ていた方に聞いてみました。

この階段ではなく、もう少し呉側の階段だと教えていただきました。

こちらは、川原石の方向です。ずっと先に広島駅があります。
泊まっているホテルが木の陰に見えるような。。。
見えた!
ロケーション抜群の場所に建ってますね❣️

急にピンポンダッシュの話になりました。

ピンポンダッシュ私もしたことある…と、私を含め子供たち二人も経験あり。

暇だったんだねーと、話す。

朝礼の時に注意されたり、家に住んでいる人に怒られたりしたよね。

子供時代は、結構いたづらをして、叱られていました(-“-)

多分、主人はそんな悪いことはしないので、私の血をひいてしまったんですね。。。

高台にある両城中学校です。
目指す階段は、この先にあります。

案内板がありました。

やっと着いた!
ここから、階段が始まります。
わくわく💕するね。私だけだと思いますが。。。
下ってきました。
石段のフチは波打ってます。
曲がりながら、あと少し階段は続きます。
最後は幅の細い階段になりました。
階段の入り口にも、看板があります。階段は232段ありました。
やっと歩けて満足♡
あの柵はなんでしょう❓
防空壕が残っていました。
40年くらい前は、呉の街を車で走ると、いくつかの防空壕をみる事ができました。

何のために使われていた防空壕なの???

こたえ。。。両城小学校の西門近くに、戦争中に海軍の 資材倉庫として掘られた防空壕が歴史の証 人として残っています。昭和20年7月1日 の呉空襲では、多くの人々が犠牲になりまし たが、この防空壕に身をよせた人々は、猛火 が目の前まで迫り、防空壕から脱出して、現 在の両城公園付近まで避難されたそうです。
両城・三条地区まちづくり計画ホームページより

帰り道は、ちがう道を通りましょうー
こちらの建物は、両城小学校です。
さっきいた、学校のグランドの柵が見えます。

両城ってどんな町???

こたえ。。。 呉湾を一望できる「素晴らしい眺め」と「階段住宅」そして「呉市中心部で一番早く朝日 のあたる町」としても有名です。

災害時支援用のポンプを見つけました。
城山の鳥居の前の石碑、有崎城跡ってなあに???

こたえ。。。 城主は野間氏と伝わり、この野間氏は大内氏についていた武将で、毛利氏と争い、そのために滅ぼされた一族だそうです。
この付近には堀城と呼ばれる城があり、その支城的な役割を果たしていたとされるそうです。
ヘアーサロンの前を通り、
ホテルに到着‼️

広島といえば、千福のお酒が有名だよ。
祖母も毎日、千福を冷やで一合飲んでいたと、母や姉から教えてもらいました。

朝ごはんを食べて、下蒲刈島方面に向かい出発〜

安芸灘とびしま海道って呼ぶそうです。

どうして 「安芸灘とびしま海道」 って呼ぶの???

こたえ。。。 瀬戸内海に浮かぶ島々を、庭園をわたる飛石(とびいし)にたとえて名付けられました。

最初の橋、安芸灘大橋が見えてきました😸
安芸灘大橋を渡ったところでトイレ休憩〜
寒桜が咲いていました🌸
安芸灘大橋が見えます。

朝鮮通信使専門の展示館が見学できる「松濤園」 ですが、今日は休館(>_<)

朝鮮通信使つてなあに???

こたえ。。。朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。

李氏朝鮮 ってなあに???

こたえ。。。李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在し た国家のことです。

先に進みましょう~

次の橋は、蒲刈大橋。上蒲刈島に向かいます。

上蒲刈島の採石場

良質な花崗岩や石灰岩に恵まれた瀬戸内海では、古くから石を産業としている島が多いそうです。
山が削り取られていますね。
ここから船に乗せて運ぶのですね。
トンネルの向こうに見える橋は???→豊島大橋ですね~
豊島大橋です。
瀬戸内の波は穏やかですねえ

豊浜大橋を渡り、

歴史の見える丘公園に向かってます😺
道が狭いので、気をつけてー
こんな、クネクネした道をのぼります。
歴史の見える丘公園に到着‼️

展望台に行ってみましょう〜
結構勾配があります…

展望台に到着!

わあ〜、よく見えるー
岡村島に渡る橋見えます。
岡村島は愛媛県です~
来島海峡大橋もうっすら見えますね。
御手洗(みたらい)の千砂子波止(ちさごはと)が見えます。

風が強くて寒かった!
みかん畑🍊
こちらは御手洗の町です。

御手洗の町に行ってみましょう〜

御手洗の町に到着❗️

年末なので観光案内所はお休みですが、街並みを歩いてみましょう~

千福の看板がありますね。
静かな町並みを歩くのもいいですね。
伊能忠敬の測量絵図ってなあに❓

こたえ。。。 文化3年(1806年)2月30日~3月2日にかけて,伊能忠敬が御手洗柴屋種次宅に宿泊し,大崎下島の海岸線の測量を行っています。その図はその時の様子を描いた絵図です が、
伊能忠敬が全国測量図を作成した様子を描いた実写図は,全国で2点に過ぎないといわれています。

もう一つの実写図(「浦島測量之図」,呉市入船山記念館寄託,呉市指定有形文化財)では,伊能忠敬自身の姿を特定することができず,本絵図が唯一その姿を描いている点で貴重なものです。(呉市ホームページより)

ケーブルのマンホールみーつけた!ひらがなで、みたらいと書いてあります。
地場の果物も売ってます。
義兄が歴史に詳しくて、いろいろ教えてくれます!(^^)!
しかし、どうしてここに立派な建物がたくさんあるんでしょう❓

こたえ。。。 江戸から明治にかけて、風待ち・潮待ちの港として栄えたそうです。福山の鞆の浦も 潮待ちの港でしたね。

昔の写真が残っていました。
散髪屋の建物→ 飲料メーカーのCM撮影の舞台にもなったそうです。
ポストの向きは、ここも横向きですね。
可愛い時計だ!
松浦時計店⏰時計の修理屋さんです。

どんな時計でも出来る限り修理をしてくれるそうです。
鶴瓶の家族に乾杯で見たお店だ‼️
行ってみたいと思ってだけど、どうやって行くんだろう?と思っていた。きちゃった🙀
ちょっと中をのぞいてみました。
昭和館、昔の看板が飾ってあります。
広島の新聞といえば、中国新聞❣️
乙女座っていう建物もあります。まだ現役なのかな❓

こたえ。。。 当初は芝居上演に使われ、後に映画館、さらにミカンの選果場に転用
され、現在は当初の姿に復元され一般公開されている 。現在は、様々なイベントに活用されています。

乙女座の上の飾り、マップ情報によると、乙女が涙と呼ばれているそうです。
こちらは病院。
「越智医院」は、オランジーナのCMでは交番として撮影されていました。
こちらは、モアイに見えるバルコニーと呼ばれています。
この中もみれるのかな?
海沿いに戻ってきました。
日本遺産って❓

こたえ。。。地域の歴史的魅力や特色を通じて,我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。 
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形・無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。

(呉広域商工会ホームページより)

バス停あり、ここから船に乗れるの❓→ 竹原港からは1日1便、竹原港へは1日2便、御手洗港からも発着します
待合室もありますね。

そろそろ、帰りましょう~

ここには食堂はなさそう≁帰り道に見つけましょうね。

であいの館は開いてそうですね。

ご飯が食べれそうです。よかった♡
看板の上にあるのは、みかん🍊

早速、食堂の入り口にミカンが置いてあります。

ええね〜ひとつ頂きます❣️
ここで1000円以上お買い物をすると、帰りの安芸灘大橋の通行料の片道無料通行券がもらえます。
720円が無料になりました。

向こうに見えるのは、四国ですね。
景色を眺めて、広島に戻ります。
中山踏切を渡り、実家に戻りました。

母の米寿のお祝い旅行、喜んでくれたかな❓

姉夫婦には、たくさん案内してもらい、楽しい旅になりました❣️

義兄や姪、主人や子供達にとって前半は、江田島の思い出たどり旅になり、申し訳なかったなと思います。しかし、文句も言わず来てくれてありがとうございました😊

また来年もみんなで行けたらいいね。

夜は、子供たち2人でダイヤモンドゲーム大会。うちでは、ぴょんぴょんと呼びますが。。。

新年の挨拶をして、みんな寝ます。おやすみなさい💤

今年も皆んな元気で過ごせますように!

広島〜山口帰省〜2019年12月27日から2020年1月3日〜呉〜倉橋島〜江田島編

12/29(日)泊2 →大掃除・お墓参り→実家泊3

変わりゆく地元をパチリ📸

大掃除の後、お昼ご飯を食べにとんかつ和幸(わこう)へいく途中、中山踏切の道がかわった🙀

どんどん工事が進み、踏切はなくなるらしい…寂しいね〜

私がよちよち歩きの頃の話…
’’矢賀駅の裏あたりの借家に、ばあちゃんとひいばあちゃんと住んどったんよ‼️
父ちゃんの作った手押し車を押してよう歩きょうたんよ。(歩いていた)’’と、懐かしそうに母が話してくれる。

主人と3人で、父の好きだった’’とんかつ和幸’’でお昼ご飯を食べて、サンリブ府中で、シーツやまくらをかう。母のカーディガンが古くなっていたので、主人と一緒に選ぶ。

この地元感あふれるスーパーの雰囲気、懐かしいなあ~

母も’’父ちゃんとようここにに来た`’と嬉しそう~

祖母、父のお墓参りを済ませて、主人も今日は、私の実家にお泊り。


六甲山全山縦走を終えて、娘が広島に到着!
主人と広島駅まで迎えに行く。

娘は、ふかふか布団で満足そう~おやすみ~

明日、雨が降りませんように。。。

12/30(月)  自宅9時→10時呉大和ミュージアム→13時軍港めぐり13時40分→音頭の瀬戸→倉橋島→早瀬大橋→江田島大柿→呉クレイトンホテル泊4夜(イルミネーション見学)   

’’お母さんうるさーい‘’の娘の寝言で目が覚める😓

娘は、ニヤニヤしながら、’’そんなこと言った❓‘’と笑

娘は、朝から母のお手伝い。

なんでも素直に言うことを聞いてくれる孫に、母は嬉しそう♡

今日から姉一家と一緒に、一泊二日の旅行に出発〜

中山小学校の横を通り、
天神川を横切り、マツダ本社の前を通り、ルート31の海沿いの道を呉に向かう。
ゆめタウンに車を止めて、大和ミュージアムへ。

ミュージアムの前で、 「艦船めぐり」 案内の人に声をかけられる。’’11時出航の船が空いているので、10分前に港に来たらじゅうぶん間に合いますよ。’’と

姉と’’ 「艦船めぐり」 もいいね’’と話していたので、11時の船に乗船することにしました。

大和ミュージアムで車いすを借り、時間まで館内をめぐる。

そろそろ 「艦船めぐり」 に行こうと外に出たところ、さっき声をかけてくれた案内の方が、’’申し訳ありません。満席になってしまいました。’’とばつの悪そうに声をかけてきました。

’’え~絶対に大丈夫ですって言っていたのに。。。’’

’’次回の便13時の案内人は、今日のコースの中で一番のベテランの人です。13時予約を入れますので乗船しませんか’’と、

‘’さっきは、満席にはならんと思って油断しとったんじゃね‘’

乗船する気になっていたので、予約を入れました。

ミュージアムに戻り、思い思いに館内をめぐることにする。私は、母の車いすを押して2人で回る。

大和模型の横を通り、
零戦へ。

この零戦は本物なの???

こたえ。。。この機体は零戦62型で1945年にエンジントラブルで琵琶湖に不時着したものを33年後の1978年に引揚げたものです。

翼に乗るなって書いてあるね。

母が、小学生の時の思い出を話し始める。。。

体育館の中の映画観賞会での映画を見たくて、母は外から窓のあたりをよじ登って、建物の中に飛び降りたそうです。そこに、手招きで呼んでくれる人がいました。予科練の男の子だったそうです。膝に乗せてくれ、一緒に映画を見た後に、零戦にいつ乗るかなど話してくれたそうです。

母は急にしくしく泣き始めました。’’どうしたん?’’って聞いたら、’’あの優しい予科練生のお兄ちゃんは、零戦に乗って敵に突っ込んで死んでしまったんじゃろうね’’と😢予科練に入るのが、15.6歳ころ、20歳までに特攻隊として任務を果たし、命を落としていたそうです。

伊賀上野に疎開していた時の話だそうです。

同じ零戦へを見ても、戦争を体験していない私は、母の思いの重さには到底及びません。

母の高校時代の担任の先生になりました。

先生は、特攻隊に所属していたそうです。明日、出撃するはずが、結局、出撃しなかったそうです。私は、命拾いをしたとよく話してくれたそうです。

みんなと合流して、ゆめタウンのコメダ珈琲にてお昼ご飯。すぐに入れて良かったね。急いで食べなきゃあね。

乗船の手続きを済ませるため、一人、港に向かう。10分前になっても来る気配なし。。。一体どうしたんだろう???姉に電話を入れると、姪が電話に出てくれ、母がトイレから出てこないらしい。。。今から見てくるとのこと。

ギリギリ間に合う。→母がトイレの鍵の開け方に戸惑っていたとのことでした。

受付に着いたのが12時58分→乗船時間は13時を少し回っていたと思います。いろいろな方々にご迷惑をかけてしまいました。

ここが受付。係りの人は、とても親切で、焦らなくてもいいですからねと。車椅子と一緒に船に乗せてくれました。

江田島(小用)行き連絡船を横目に見ながら、 「艦船めぐり」 の高速船に乗船。
「大和のふるさと」5月に来た時にも見ましたね。

軍の船が見えてきました。年末年始のお休みで、船もたくさん停泊しているそうです。

105 →いなづま( DD-105)は、海上自衛隊の護衛艦。
4202→ くろべ( ATS-4202)は、海上自衛隊の訓練支援艦

くにさき→ (LST-4003)は、海上自衛隊の輸送艦。

何を輸送するの???

こたえ。。。 陸上や他の船舶に対して武器弾薬や人員を輸送します。
甲板にある 機関砲 (くろべ)

機関砲 (きかんほう) ってなあに???

こたえ。。。機関銃の銃弾より口径が大きい砲弾を連射することを目的とした大砲です。
機関砲がたくさん搭載されています。
4202ってどんな軍艦なの???

こたえ。。。くろべ→ ( ATS-4202)は、海上自衛隊の訓練支援艦です。


訓練支援艦 ってなあに???

こたえ。。。対空射撃訓練支援装置を搭載しており、標的用の無人航空機の発射や管制、射撃評価などを行い、模擬対空戦闘訓練を支援します。

艦内にはお風呂はあるの???

こたえ。。。海水のお風呂があります。

トイレの水も海水なの???

こたえ。。。海水です。すぐにさびてしまうので、お手入れが大変だそうです。

せとゆき→ (TV-3518、DD-131)は、海上自衛隊の練習艦
しらゆき →(TV-3517、DD-123)は、海上自衛隊の練習艦。
234→ 護衛艦「とね 」
船に何か描いてあるよ❓
これは、誰でしょう❓
「イルカに乗った少年」を歌っている城みちる🐬

船の名前は❓
こたえ。。。。貨物船「じょうみち丸 820t」 です。
むろと→ ( ARC-483)は、海上自衛隊の敷設艦。

潜水艦が見えてきました。

今日は、9隻停泊しているそうです。

潜水艦に近寄ります。

潜水艦の中にはカーペットが敷いてあるそうです。どうして???

こたえ。。。鍵を落としただけでも、艦内に音が鳴り響きます。音を出さない防止のためなんですね。
音に敏感な構造になっていて、ゴキブリが歩く音もサッチするそうです(*_*;

おまけ。。。艦内は、魚の鳴き声も聞こえるそうです。

みなさん~ カメラの準備はいいですか?と。。。いくつもの軍艦、潜水艦があ一枚の写真の中に納まります。
潜水艦の上に人が。。。

潜水艦員の家族は、中を見学できることがあるようです。いいなあー
潜水艦大きい~
長さは11メートルくらい、高さは約8メートルだあるそうです。
潜水艦の頭。。。番号がついてますね。
くじらのようですね🐳

ちはや→ ( ASR-403)は、海上自衛隊の潜水艦救難艦。
軍艦と潜水艦の両方が見えて、ここでしか見られない光景ですね。
3513→ しまゆき(TV-3513,DD-133)は、海上自衛隊の練習艦。

潜水艦の先に 白鷺がいますね❣️
おおすみ→ (LST-4001)は、海上自衛隊の輸送
ベテランガイドさん(^^)
234→護衛艦 (とね)

229→ 護衛艦(あぶくま)
おおすみ、あぶくま、そねが並んで見えます。ここも写真スポット!
わあ大きい〜

大和と豊弥、どちらが長いの???

こたえ。。。 豊弥の方が大和より、80メートル長いです。
 
船底から 喫水線(きっすいせん)までは何メートルあるの???

こたえ。。。 21メートルです。

何につかう船なの????

こたえ。。。 タンカー船です。

原油はどのくらい積めるの???

こたえ。。。31万トンだそうです。


豊弥 は大きいので目を引きますね。
TUGってどういう意味????

こたえ。。。喫水線のことです。→水面から船底下面までを 喫水と呼びます。

どうして船の底は赤いの???

こたえ。。。 塗料に含まれる成分のひとつ、亜酸化銅に由来するものです 。

亜酸化銅 ってどんな役目があるの???

こたえ。。。 船底には、カキやフジツボといった動物類、アオノリといった植物類など、水生生物が付着することによる汚れを防ぐために、防汚塗料が塗装されています。 この塗料は樹脂、ロジン(松やに)、防汚剤でできているのですが、この防汚剤の主成分 が、 亜酸化銅 です。

荷物を積んでいない姿はなかなか貴重ですね→船首の下が海面に接してないんですもん。

こちらのドッグの長さはどのくらいあるの???

こたえ。。。 全長508メートルです。東洋一だそうです。

マリンユナイテッドのそばを通ります。
右の丸いものはなあに❓→ 防舷材 (ぼうげんざい)

どうして 防舷材 (ぼうげんざい) が必要なの???

こたえ。。。船舶が接岸する際、または係留中に波や風で動揺するときに、船体と接岸面との間にお互いを押す力や摩擦力が働く。 この力によって、船体および接岸用の構造物が損傷することを防ぐ設備として防げんが必要となります。

ここにも。。。

YWってどういう意味???

こたえ。。。 「みずぶね」 と呼ばれ、
停泊中の艦艇への真水補給、補給物資の供給を主眼として、各基地の港務隊に配備されています。
YOの意味は???

こたえ。。。油船のことです。主として基地港務隊に所属し、艦艇に対して燃料の補給を行います。

港に戻ってきました。


船の前で、記念に写真を撮ってもらいました。

今度は、夕呉クルーズに乗りたいな!(^^)!

14時出港は満席です‼️

ところで、軍艦の乗組員はどんな場所に住んでいるの❓

こたえ。。。港から、2時間までの場所にすんでいます。

軍艦に乗る人も船酔いする事ってあるの❓

こたえ。。。あります。しかし、酔い止めは飲まないそうです。

どうして?

こたえ。。。眠くなるだけで、税金の使いすぎきにもなるので飲みません(笑) からだが、揺れに慣れていかなければならいないのですね。

船の揺れない場所はどこでしょう???

こたえ。。。真ん中です。

おまけ。。。
戦艦大和の中に、「ラムネ」の工場 がありました。
当時の乗組員にとって、ラムネは数少ない甘味でした。潮風で痛む口内を癒やす、とっておきの嗜好品だったのです。
意外にも、戦艦内でラムネを作るのは非常に簡単。当時、戦艦内での火事は二酸化炭素を使って消火していましたが、その二酸化炭素と、水や砂糖などを瓶に詰めれば、ラムネが完成しました。

ラムネのつくり方は誰かに教わったの???

こたえ。。。 大正14年の創業当時から伝統を守り続けている「トビキリラムネ」(株)中元本店 創業者がラムネ製造方法を旧・呉海軍に指南しました。

駐車場に戻って、倉橋島から江田島まで足を延ばしてみましょう~

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 4771D7E6-2AB2-4053-B4EC-5DA2F7B9DA91-1024x768.jpeg です

途中、陸からドックをのぞみます‼️

母の通った宮原高校🏫

’’呉駅から歩いて行きょうたんよ’’と母。片道1.7kmあります。’坂道じゃけえ、大変じゃったんよ’

まずは、音戸の瀬戸に行きます。

車の中から、工場が見えます。


夜は、神秘的な雰囲気になります。 何度も通った道、いろんなことが思い出されます。
高台に上がってきました。
音戸の瀬戸 まであと少し。。。
音戸の瀬戸公園に到着🤗

音戸の瀬戸公園は、つつじの咲くころに来るのが一番きれいです。

公園内の建物内でトイレ休憩~

二代目音戸大橋設置時の写真🤳
設置完了〜
さっき写真で見た2代目音戸大橋を渡ります😀

さらに進んで、倉橋島から江田島に渡ります😸

早瀬大橋が見えてきました!!懐かしい~
江田島市に入ります。
橋を渡って、江田島へ。ここで、水遊びした事もありましたね〜

昔、父が単身赴任をしていた場所に向かっています。

ずっと、行きたかった場所に到着~

ここは、大柿町。。。祖母と父が7年間住んでいた場所です。懐かしい〜
この辺りに、住んでいた家があったんだけど、駐車場になっていました。
夏休み、この道を祖母と歩いて、毎日、農協まで買い物に行っていました。
昔のまんま。。。

住んでいた家の向かいに立派な家が建っています。

元衆議院委員議長
灘尾 弘吉(なだお ひろきち、1899年(明治32年)12月21日 – 1994年(平成6年)1月22 日) のお家です🏠

毎年京都奈良に一緒に行く友達から、灘尾さんは親戚だよと聞いてびっくりしました😳あとで、写真を見せてあげよう~

さっき渡ってきた 大柿町と音戸町を結ぶ早瀬大橋の実現 できたのは、灘尾弘吉さんのおかげです。
音戸大橋 を渡るのには、通行料金が必要でしたが、早瀬大橋は無料でした。いつも、父が’’それは灘尾さんのおかげじゃあ’’と言っていました。子供ながらに、’’すごい人なんじゃあね’’と思っていました。

こんなところにお寺があったっけ❓と思いましたが、写真を眺めているうちにあったなあっておもいだしました。
お正月は、大柿高校のグランドで凧揚げをしてました(^^)
この道は、祖母の病院に行く時に通った道。よくついて行ってました。
母も祖母と父が住んでいた場所に行ってみると、頑張って歩いてます。
ここにヤマザキのパン屋があり、たまにスイスロールを買ってもらうのが楽しみでした!
そんな話をしていたら、娘がスイスロールはなかったけど。。。とスイスロールに似たパンを買ってきてくれました🥰
昨年の集中豪雨でまだ道路は復旧していない場所があります。
ここは、農協に行った時にいつも見ていた海🎣またこのあたりをゆっくり散歩してみたいなあ~
音戸大橋に戻ります。
丘の上に立つ神社⛩
除夜の鐘を聞きながら、毎年初詣にいってました。
音戸町に戻ってきましたー
江田島にも倉橋島にも牡蠣棚がたくさんあります。
塩の山もあります。富士山のような形になる事もあります。
音戸大橋がみえてきました。
ループの道を上がって行きます。
昔は橋の真ん中に、料金所がありました。
向こうに見えるのは、さっき通った2代目の音戸大橋です^_^
呉に戻ってきました。。。

ホテルに到着🏨

今年5月にも泊まったホテルです!

景色が良いね〜とみんな喜んでくれます。よかったあ~

息子が18時前にホテルに到着🙂

夜はお酒を飲みながらゆっくり夕食を頂きます。
最後は、穴子ご飯で締めです。

食事の後、姉と姪と息子と4人で呉のライトアップ会場へ行ってみようということになり、呉駅行きの送迎車で送ってもらいます。

歩いている人はまばらですが、きれいですね〜
戦艦大和です!
彼の街中の橋。なんの模様かな❓

街の中をぶらぶら歩いて、みる。楽しいね〜

この辺りが祖母の飴屋さんのあったところ→和菓子屋さんだと思ってたら、姉が飴屋さんだよ。と教えてくれました。
すずさん、第二弾が始まるようです。
明日、大和目隠し場に行ってみたいな〜

今日見た塩の山があったのは、倉橋島ではなく、三子島だったんだと、この地図を見て初めて知りました。

呉駅からホテルまで送迎車で戻ります。

明日は、早起きできるかな❓

おやすみなさい⭐

広島〜山口帰省〜2019年12月27日から2020年1月3日〜姫路、網干編〜

12/27(金)新横浜18時9分のぞみ119号→20時54分姫路→日航ホテル姫路泊1

新幹線は3人掛けの通路側、隣は女性、その隣はファシャナブルな男性。

新横浜を出発したところで、お弁当を食べ始める。周りもバリバリと音がし始め、ディナータイム🍙

斜め前の男性は、ビールとじゃがりこを食べている。じゃがりこを1本取った後、通路側で手をこする。毎回食べては、通路に塩を落とすので食べ終わるまで気になり、何となく見てしまいました。

小田原を過ぎてやっと食べ終わりました。一眠りしているうちに名古屋、そして京都、大阪、あっという間に姫路に到着しました。

ファッショナブルな男性は、新大阪で降りる時、コロコロが転がって行きそうなのを、止めてあげたところ、ありがとうございますと爽やかな笑顔を見せてくれました。

隣の女性は同じく姫路で下車しました。同じ駅だったので、お互い微笑み合いました笑

2年前にもお世話になったホテルです❗️
明日は姫路城リベンジいくぞー😆

12/28(土)泊1  7時45分→8時はまもとコーヒー→姫路城→動物園→12時好古園(活水軒お昼)12時50分→13時53分山陽姫路→13時57分飾磨(しかま)13時59分→14時16分山陽網干15時52分→16時7分飾磨16時11分山陽姫路→姫路16時55分のぞみ113号→17時50分広島泊2

今回は、お城とは反対の部屋でした。良い天気になりそうですね。
ホテルの近くのマンホール 。前回にはなかった、新しい模様のマンホールですね。
「灘のけんか祭り」を描いたマンホール型モニュメントです。


姫路駅前から見た姫路城🏯
みゆき通りアーケードを通り、
はまもと珈琲店に到着❗️

固茹でなくちょうどいい、まだ暖かいゆで卵と、トースト+欲張って注文したアーモンドパン、ペロリと食べてしまう。サイフォン仕立てのブレンドコーヒーはクセがなくマイルドな味わいでした☕️

姫路名物って書いてあると食べたくなっちゃいますね🤗
朝からたくさんパンを食べました🍞

奥様が車椅子、仲良く入ってこられた老夫婦、コーヒーとベーコンパンを注文。カウンター席が車椅子の高さにぴったり。バリアフリーも意識してるのでしょうかね〜😊

観光客らしき人は、モーニングにパンがついているので、躊躇しながらも、‘’せっかく、ここまできたんだもの、頼もう’’と注文している人がいました。😜

常連さんらしき人来店、

’’いつものようでいいですか?’’

’’今日はアメリカン’’と70歳すぎくらいの女性

’’おはよう。’’と、同じく70代くらいの男性が、女性に話しかける。’’おはようございます⤴️’’と語尾が上がる。

先程の女性の近くに座ると思いきや、若い女性2人組の側のカウンター席に座る😁

トイレは和式のみ…なぜかミラーは理容室はらだ❓

お腹いっぱい食べたし、姫路城にいくぞ~

アーケードを進む…シャッターに可愛らしい絵が書いてあります。
こちらはテナント募集中

アーケードの先に、お城が見えてきました。
橋の上はツルンと滑りそう〜
みんな姫路城にくぎ付けよ!(^^)!
真っ白な姫路城ですね〜

’’開門9時です…しばらくお待ち下さい。

片道110段階段があります。毎日転倒事故が発生しております。’’と聞こえてくる。

わ!もうこんなに人が並んでる😱

’’早く行かないとばあちゃんち(家)、行けなくなるよ。’’と走ってくる男の子。

帰省途中に姫路城に寄ったのかな?

菱形門から中に入ると、あらー水に映る天守閣だ!
振り返ると、まだ人はまばらですね〜
流れに逆らって、まずは西の丸へ。

姫路城ができたころの絵がありました。

初代の頃の姫路城
黒田官兵衛(孝高)時代の姫路城
豊臣秀吉の頃の姫路城


これから百間に入ります〜240メートルあります。

長い廊下と部屋には、いろいろな時代の姫路城内で起こった出来事が展示されています。

城内で軍事訓練も行われていたのですね。
少しずつ標高が上がって行きます。

これはなあに❓ →石落し ですね。

外を覗くとまだまだ先まで廊下が繋がっています。こんな場所があったなんてね。
こちらは漆喰壁を作るのに必要な材料

漆喰の起源は???

こたえ。。。 今から5千年前、エジプトのピラミッドの壁に使われたのが漆喰の起源です 。

瓦が展示してあります。

色んな形のかわらがあるんですね。
こんな形もありますよ。
瓦を漆喰で止めてあるのかな?

歴代城主の紋も興味深いですよね。


西の丸を満喫して、天守閣に向かいます(#^.^#)

ここから見える姫路城、なかなかいいですねえ〜🏯ブラタモリマップによると、将軍坂という愛称で呼ばれる、時代劇がよく撮影される場所だそうです。
門の上に十字架❓
にノ門櫓の“キリシタン瓦 と呼ばれるが、詳細は不明?
あら?桜の花🌸
この土塀は何でしょう❓

こたえ。。。 「油壁」 (あぶらかべ) と言います。

なぜここだけ土塀なの???

こたえ。。。 そのヒントは油壁の高さにありそうです。油壁は高さ2.8m、底部の厚さ1.2mの大きさです。まず、漆喰塀では物理的にこんなに背の高い塀を作ることはできません。では、なぜこんなに背の高い塀を作らなければいけないか、というと、ここが天守の喉元をおさえる要衝だからです。油壁を袖塀としている次の水ノ一門の防御性を高めるために、低くて簡単に突き崩せる漆喰塀でなく、敢えて手間のかかる油壁を用いたのではないでしょうか? これも、守り手の最後の「時間稼ぎ」の戦略と言えそうです。 姫路城完全案内所ホームページより

天守閣の近くの門の横にあります。

天守閣に到着!

お城の中はこんな造りになってます!
太い柱だなあ🙄
柱がはみ出てます…

出格子窓(でごうしまど) ここはまだ二階😅
大天守南側を外部から見ると、
連続した格子が美しく、姫路城に重みと貫録を与えています。
鯱鉾、しっぽは平たいね。

姫路の鯱(しゃちほこ)は雌ばかり? 

こたえ。。。 姫路城大天守には計11尾の鯱が載り、全て「昭和の大修理」で取り換えられた。「昭和の鯱」は、同城で現存最古の1687(貞享4)年の鯱瓦がモデル。ところが、この「貞享の鯱」はなぜか1尾のみで、一対としては残っていなかった。これを基にした結果、11尾全てが同じ形になってしまった。

神戸新聞より

屋根をよくみると本当に色んな瓦が使われているんですね。
あの煉瓦の建物は何❓
こたえ。。。姫路市立美術館 です。 戦前は陸軍の施設 でした。
三角の部分をなんていうの???

こたえ。。。大千鳥破風(おおちどりはふ)
大千鳥破風の内部に居るのだと意識してみるのも楽しいですね。

この高くなったところはなあに?

こたえ。。。 石打棚 です。

何をするところなの???

こたえ。。。 監視や射撃などを目的とした台で、兵が登って応戦するための台です。

どうして階段の上にあるの???

こたえ。。。 この石打棚は姫路城の築城時に窓の位置が予想より高くなってしまったことから、後付けで取り付けられたとも言われています。 

これはなあに???
説明がありました。ここは刀置きの場所だそうです。
ここは入っちゃあダメよ🙅‍♀️ 武者隠し(むしゃがくし) と呼ばれるスペースです。

何をする場所なの???

こたえ。。。 内部が2層構造になっている下部から、
攻め入った敵を攻撃するためのものとされています。

建物内規制を行っておりますアナウンス…11時。

お城の影が面白い。。。😁
鯱鉾の歯ってこんなだったっけ?

鯱の下に家紋の付いた鬼瓦がありますね。城郭建築では、家紋などがつくようになりました。

これも鬼瓦
天守閣からの眺め、西の丸方面を望む。
これは何でしょう❓
近くで鏡をのぞくと、お城がこんな風に見えちゃいます🙀
同じ場所から写真をとると、プラモデルのように見えちゃいます。
2階の出格子窓(でごうしまど) がよくわかりますね。
扇の勾配。。。この石垣は登れませんねえ~→丸亀城の石垣が有名でしたよね。
継ぎ目のある石垣って?
こたえ。。。3度にわたる築城の大きな流れのなかで、石垣も工期によって3期に分類され、それぞれ積み方などの特徴が異なりつなぎ目が生じました。
三国堀(さんごくぼり)  三国とは →播磨、淡路、備前
堀の真正面の石垣の中央あたり、石積みが不自然ですよね。なぜ? 
こたえ。。。 実は秀吉が姫路城を築いたころは、三国堀は捨て堀ではなく、奥の方に続く長い堀だったのです。今、天守群が建つ右手の姫山と、西の丸と言われる左手の鷺山の谷にあたる部分がこの堀になっていました。それを池田輝政が奥の方の堀を埋めてしまって、今の三国堀の部分だけを四角く堀として残した、というわけです。それであとから石垣の空いているところを埋めたのでV字型の跡が残ったのです。
上山里下段(かみやまざとかだん))の石垣は、1580年羽柴秀吉の姫路城改築により積まれたとされる古式な積み方です。野面積(のずらずみ)と呼ばれています。
姫路城のキャラクター’’しろまるひめ’’

姫路城の休城日は、年に2日あります。12/29と12/30です。

年末に行かないように気を付けましょう~

動物園に行ってみましょう〜
動物園の中からもお城は見えますよ。
結構間近でご対面🦓
何か鳴いてると思ったら、丹頂鶴でした。
お城のお堀…
歳をとった姫子ちゃん🐘寂しそうに見えました。
遊園地越しにお城が見えちゃいます。
白鷺城と呼ばれるな由来は???→羽を広げたシラサギに似ているからだそうです。

かわいい声が聞こえてきました。。。
”ねえねえかあちゃん、テレビ見てるみたい。”動物園カンガルーの前で🦘
”こんどカピパラ見る❓ ”と話しながら、
かあちゃんが顔出しの写真スポットに行きます。かあちゃん、カンガルーに顔を入れて娘さんに写真撮ってもらってます。~~楽しそう~

ほっこり(#^.^#)

動物園を出たのに動物の気配を感じる。。。と見たら、猫の集団の日向ぼっこ🐈
好古園(こうこえん)つきのチケットを買ったので、矢印に沿って進みます。

しばらく、お堀に沿って歩くと、 好古園(こうこえん) に到着します。

好古園 の入り口を入ったところに、聖火台をイメージしたオブジェがありました。
季節を間違えて咲いているのかな?

好古園」のお食事処 「活水軒」へ直行~

好古園 の お庭を見ながらいただける、おすすめのお食事処です。すぐに入れてラッキー
園内散策に出発~
外国からの観光客が多いですね。
姫路城のような混雑はなくのんびり~
このあたりは、姫路城西お屋敷跡です。
竹の庭
黒い竹は初めて見ました。

のんびりしすぎて、書写山圓教寺に行く時間が無くなってしまいました。40年以上前に家族5人で行ったきりなので、またいつか行ってみたいです。

新幹線の時間まで、’’終着駅の旅探検’’に予定変更~

網干駅に行ってみることにしました。

山陽電鉄で、梅田行きに乗り 飾磨(しかま) で乗り換え、網干へ。梅田と聞くだけで、胸が高鳴ります。関西が好きなんだなあ~

~電車発車数分前の出来事。。。

電車の中で、私の前のBOX席から、’’言うこと聞きなさい。’’と母親らしき声が、何となく聞こえていました。

すると突然、母親が大声で、’’もうしらない。`’とすごい勢いで降りていきます。子供たちは、びっくりした様子で`’なんで、いやや、いやや’’と泣きながらお母さんの後を追います。

電車を降りて、子供たちのほうを向き、いきなりカバンを振り上げて、何かつぶやきながら、何度も兄弟を殴る母。車内の乗客は私も含めて、唖然(゚Д゚;)声も出ません。。。電車の中から見つめるだけしか出来なかった。車内はしばらく暗い空気が漂いました。

怖かった。。。今見た光景は虐待か。。。声をかける勇気も出ない、としばらく頭の中をぐるぐる回っていました😢

気持ちを切り替えて、終着駅でどんな場所なのかな~と考えながら、電車を乗り換えます。

網干駅に到着!

観光地図も置いていないし、近辺の看板地図もない。。。想像していたのとは違い、戸惑います。

’’どっちに行こうかなあ~。古い町並みが残ってるはずなんだけど…。’’と、ぶらぶら歩いていると、黒壁が見えてきました。先月、 笠島まちなみ保存地区 見た壁とおんなじですね。

古い町並みが、近づいてきた感じ。。。(^^)
土俵のある船渡神社に到着!

あぼしまち交流館 への標識があります。

あぼしまち交流館へ行ってみよう~何か情報がもらえるかも。。。

よかった。やっと観光地図をゲットしました。’’駅から歩いてきたん?’’とびっくりされました。
網干川のほとりを進み、

水門を見ながら、

街のメイン通りへ。

ここは、山本家住宅!なんて素敵な建物でしょう。今日は、見学はできません😞

だれが建てたの???
こたえ。。。網干銀行頭取などを務めた山本真蔵氏が大正2年から7年にかけて建てました。和洋折衷のつくりになっています。
重要建築物って書いてあります。
すぐ近くに、水井家住宅(みずいけじゅうたく)があります。
何の建物だったの???
こたえ。。。戦前までもう在野を営んでいたお屋敷です。
こちららは、江戸時代の紋だけ残っており、建物は昭和62年に再建されました。ここ龍野藩主は京極家(丸亀城で紋を見ましたね。)は丸亀に移された後も、網干に陣屋を置き、奉行を派遣して政務を行っていました。
金毘羅神社を後にして、
鳥居の右にあるのが、現役の魚屋さん、’’まる万鮮魚店’’
立派なお寺は、大覚寺
和菓子屋さん
浪花堂 でお餅を買う。干支のネズミのお饅頭かわいらしい。。。
堺橋、名前の通りです。

江戸時代は、興浜村の丸亀藩と新在家村の龍野藩との境目で、
 
通用門があり、朝夕の決まった時刻に開閉されていたそうです。
サトちゃん、がんばれ🏳
どうしてポストがこちら向きなのか???
旧網干銀行本店
今は何に使われているの???
こたえ。。。 2019年11月10日レストラン「旧網干銀行 湊倶楽部」として開店しました。
午前11時半~午後10時。水、木曜定休。
壁にチャイムがついている。何に使うのかな?


2017年、まではこのあたりにアーケードがあったそうです。
山陽網干駅に到着!

姫路駅にて、ホテルに預けていた荷物を受け取り、広島に向かいます。

姫路駅構内にある
「灘のけんか祭り」 の神輿の彫刻(^^)

「灘のけんか祭り」 ってどんなお祭り??

こたえ。。。姫路白浜・松原八幡神社の秋季例大祭です。
古めかしい神輿をぶつけ合う特殊な神事によって、全国の数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りであるといわれ ているそうです。

けんか祭りと呼ばれるほど、激しいお祭りなんですね。

新幹線の自由席、人であふれかえり、指定席の連結部分に人が立っています。昨日予約しておいて良かった😅

新幹線だと岡山まで20分、広島までは55分、はやいなあ~

前回は、鈍行にて5時間弱かかったものね。

広島駅で、短大時代ワンゲル部の友達と福屋のフードコートで待ち合わせて、22時前までおしゃべり。石鎚山に一緒に行った以来会ってなかったね。久しぶりに会ったので、まあ、話は尽きないこと。。。

広島はやっぱりええねえ~

夜は、実家にお泊り。明日は、実家の大掃除を頑張ろう~

日光.奥日光と日光金谷ホテルの旅〜2019年12月6日〜7日〜その弍〜

12/7(土) 泊1→日光山輪王寺→東照宮→家光大猷院→14時10分ホテル14時半→18時自宅

朝食の時間まで、スケートリンクがあった場所に行ってみよう〜

このドアの先の階段を上るのですね。
景色の良い場所に出てきました。


プールもあります。
こんな場所もありましたが、今は使われていないようです。
小さなプールの奥が、スケートリンクになるんでしょうね。
2020年は1月26日にスケートのイベントが開催されるそうです。
ホテルの屋根のとんがってるのは何かなあ〜
煙突のように見えますが。。。
階段の天井は、円形のオシャレな形ですねー

日光金谷ホテルの始まりはいつ???

こたえ。。。 1873年(明治6年)、東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が、
アメリカ人、J.C.ヘップバーン(ヘボン)博士 に人格・才能を認められ、 自宅の一部を外国人の方の宿泊施設とした 「金谷カッテージ・イン」を開業したと伝えられています。これが「金谷ホテル」の始まりです。

どうして世界に日本のリゾート地として知られるようになったの???

こたえ。。。 1878年(明治11年)には、ヘボン博士の紹介によって
「金谷カッテージ・イン」に訪れた英国人旅行家イザベラ・バード女史がつづった
「日本奥地紀行」や、当時の在日英字新聞などで紹介されるや、
「金谷カッテージ・イン」は「日本のリゾート避暑地=日光」のホテルとして、
地位を確実なものとしました

金谷ホテルとして開業したのはいつ???

こたえ。。。 1893年(明治26年)に、日光山内をのぞむ現在地に、
2階建て洋室30室の「金谷ホテル」として営業を開始します。

どうして日光は、 日光は国内外の要人の交歓・社交の場としてさらに発展。したの???

こたえ。。。 大正時代に入り日光御用邸が開設されると、
「金谷ホテル」も、1922年(大正11年)の英国皇太子殿下のご宿泊をかわきりに、外国王室、国内宮家のご宿泊という栄を受けるようになりました。

増築はいつから始まったの?

こたえ。。。 別館(昭和10年)、第二新館(昭和36年)の増築、開業当初の趣を残しながらも近代的ホテルとして今日に至っています。
金谷ホテルホームページより


2005年 日光金谷ホテルの本館、新館、別館、竜宮が国指定登録有形文化財に登録されました。

部屋に戻ります。まだ朝食まで時間がありそうです。

昨日、ハンドクリームを買ったら、オマケをたくさんくれたので、並べてみました😁
白髪染めトリートメント、化粧水、カイロ、シャンプーサンプルなど…
部屋の中の机
引き出しのとって。
天井の形が気に入りました😚モダンなお部屋でした。

朝ごはんの時間になりました。
楽しみー

どこの席に座るのかな?
今朝は、入り口からすぐの席。
こちらがホテル自慢のオムレツね❣️
大谷石の暖炉、写真を撮らせていただきました😊
博物館にいるような気持ちになります。
昔の食器、和の雰囲気を出してますね。
ロビーは吹き抜けになってます。
レストラン入り口のスタンドも素敵ですね。
室内の至る所に、色んな細工を見ることができます。
象さんの彫刻→ミニ東照宮のイメージです。
昔懐かしいバスの写真も飾ってありました。


狛犬のような彫刻
ロビーのクリスマス🎅

ホテルの中も、たっぷり鑑賞させて頂きました。クラッシックスタンプも、東京ステーションホテルに続き、2個たまりました。

準備をして、日光の社寺の見学に行きましょう〜

昨日より気温は上がりそです☺️
ホテル入り口のポスト📮
クラッシックカー。結婚式の時に使うそうです。
蔵には何が入っているのかな?
別館入り口の彫刻。
建物内は、また本館とは違う雰囲気です。
絨毯が白ですね。
まんまる電気
色々違ってそれがまた良いですね。
同じ電気にしないところに惹かれます。
階段の手すりもシックな雰囲気です。
尾長鶏の彫刻
ライオン🦁ですね。

お庭も散策をして、日光の寺院にいきます。

宿泊したのは、右の建物の最上階です。
大谷川辺りにきました。ここから、神橋に行くには、もう一度ホテルに戻らなければならないようです。
ホテルの正面口を出て坂を降ります。
紅葉🍁がまだ残ってました。。。
金谷ベーカリーの横を通り、
神橋のそばを通り、

大谷川の川の音を聞きながら、静かな道を東照宮へ向かいます。

途中に輪王寺宝物殿にて風神.雷神象公開中のお知らせが…

宝物殿、入ってみようかね。お庭も散策できます。
琵琶湖を模した形の池のある小堀遠州が手掛けたお庭にヤマガラがいました😀

宝物殿の向かいに、

大きく高くそびえる三仏堂(さんぶつどう)があります→日光山内最大の木造建築です。

ここで身を清めて中に入りましょう〜

誰が支えてくれてるの❓

天邪鬼ですね。陰で支えたり、踏み潰されていたり、踏ん張っているね。😅人間世界も同じかな?と思ったり。。。。
三体の御本尊が祀られています。
輪王寺のポスターより

三体の関係は❓

こたえ。。。右から父(千手観音)、母(阿弥陀如来)、子供(馬頭観音)

仏像の高さはどのくらいあるの❓

こたえ。。。約7.5メートルあります。

平成大修理完成を記念して、御本尊三体とご縁を結ぶ、5本の綱がありました。

日光山は誰が開いたの?

こたえ。。。776年に勝道上人が開山しました。

どんな人だったの???

こたえ。。。 勝道上人は栃木県芳賀の生まれ。西暦766年日光開山、西暦782年男体山頂を極め中禅寺湖を発見し、湖畔に二荒山神宮寺(中禅寺)を創建した僧侶です。

ここは、三仏堂の出口です。水が外に流れやすくなるよう、階段のあたりが斜めになっています。右に少し傾いてます。

三仏堂の中で説明を聞いたあと、数珠を売っている売店に導かれて行きます。

数珠の使い方の説明があり、自分の干支の数珠を買えます。

私も、少し前に来た時に家族の数珠を買いました。説明を聞くと欲しくなりますよ。

数珠は、お守りにもなるし、肌身離さずいつも持ち歩く鞄に入れてくださいね。

最後に使った人と一緒に、もやすして、疑念が残らないようにします。

娘にあの数珠は?って聞いたら、どこにあるんだったっけと…😞

東照宮に向かいましょうー

拝観券を買うのに大勢の人が並んでいます。日光に来たからには、見逃せないスポットですもんね。

表門の仁王さま→東照宮の最初の門です。

狛犬も一緒にパチリ
いつも目を引く想像上の像。耳がふわふわしてますねえ
色鮮やかになってました。言わざるがなかなか難しい…

陽明門に到着❗️

2017年公開してから初めて来ました。

これでもかというくらい細かい細工に圧倒されます。
見応えたっぷりの500体を超える彫刻
ここだけ、じっくり見に来てもいいくらい。
おまけ。。。この陽明門は508体の彫刻で埋め尽くされおり、そのうち人物の彫刻は156体あります。
特に人物の彫刻に関しては、この陽明門と唐門にしか存在せず、また、唐獅子の彫刻は陽明門に集中しています。
何人の職人で彫刻してのでしょうかね。宮大工を全国から集めたという話もありますが。。。
門をくぐった先の柱→完成の模様

魔除の逆さ柱→未完成の模様

どうして模様が逆さのままなの❓

こたえ。。。’’完成は崩壊の始まり’’ わざと完璧にしないそうです。

狛犬もカッコイイよ!

陽明門って誰が建てたの???

こたえ。。。 日光東照宮の陽明門は、徳川家康公の21回忌にあたる1636年(寛永13年)に徳川家光公によって造り替えされたものです。

どうして陽明門っていう名前を付けたの???

こたえ。。。京都御所には「6つの御門が存在する」と伝えられていますが、実は12の門が存在し、この内、東の門の名前を「陽明門」と呼びます。

つまり、この日光東照宮を造営する時に、京都御所の東の鎮守としてこの日光東照宮を造営し、京都御所を守護すると言う意味合いで「陽明門」の名前を付けたと考えられます。

唐門→貝殻で作られた塗料胡粉(ごふん)で白く塗られてます。
眠り猫の門をくぐって奥宮に行きます。

長い階段が続く。

若者カップルの声が聞こえてくる。。。‘’年々ここを登るのがしんどくなる’’😁

丸みを帯びた狛犬。団子鼻親近感あるわ、
対で並んでるけど、こちらの方が新らしそう〜

真ん中の石を兜石(かぶといし)と言います。

何に使うの❓

こたえ。。。祭礼時に立てる、幡用の穴を隠すために使われるそうです。

どうやって使うのかな❓
家康は寅年だったので、寅の彫刻があちらこちらにありました。
眠り猫の裏は雀の彫刻。戻ってきましたね。


奥宮の屋根。徳川家の門で飾られてます。
東照宮大権現→ 徳川家康の神号。1617年、後水尾天皇から勅諡ちよくしされたものです。

どんな意味があるの???

こたえ。。。「東に照る(東方薬師瑠璃光)如来が権りに現れた神」という意味なのだそうです。

どうして薬師如来なの???

こたえ。。。 家康の両親は薬師信仰に篤かったそうです。家康は、峰の薬師(三河の鳳来寺)に祈願して生まれたので、薬師如来の生まれ変わりだといわれています。
屋根に龍🐉がいます

どうして逆立ちしてるの?


薬師堂、別名「本地堂」 にて「鳴き龍」 を見学の後、東照宮宝物殿の中のタリーズで休憩〜

娘は、あと一つどこか見たら帰ろうと言うので、輪王寺大猷院(たいゆういん)へ行くことにしました。

二荒山神社の分岐を大猷院に向かいます。
仁王門を通り、
日光の社寺の中で最大の門 ’’二天門’’ を通ります。
二天門は、牡丹の花に彩られています。

たくさんの金彩が使われているので、別名【金閣殿(きんかくでん)】と呼ばれています。

誰を祀っているの❓

こたえ。。。三代将軍家光公です。

二代将軍はどこに祀られているんだったっけ❓
 こたえ。。。 増上寺です。二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍 のお墓があります。

さっき見た兜石と同じよね。石をのけると穴が開いてるんだね。
本来は周りに石は置いてないのよ。

そろそろホテルに戻りましょう。注文しておいた100年カレーパン受け取りも忘れないようにね。

まだ、時間に余裕があるので、天然のスケートリンクと木彫りの里工芸センターに寄って帰ることになりました。

アイススケート場は、人がほとんどいません。滑りたい放題だね❗️

木彫りの里は、シーンとしていたので入らず、日光駅の前を通って帰ります。
JR日光駅

息子にカレーパンを届けてあげようと思ったけど、いないらしい。

カレーパン3個が私たちの夕飯のメインディッシュになりました。

クラッシックホテルに宿泊するのが一番の目的でしたが、中禅寺湖の温泉や日光の社寺もゆっくり拝観できて楽しい旅になりました。また一緒にお出かけしようね😺

日光.奥日光と日光金谷ホテルの旅〜2019年12月6日〜7日〜その壱〜

12/6(金) 自宅8時15分→9時45分菖蒲PA10時5分→12時湯葉のお昼ご飯13時→歌が浜→二荒神社→金谷ホテル中禅寺湖の温泉→戦場ヶ原→日光金谷ホテル泊1

高速を静岡方面に向かう。こっちのルートが早いらしい。海老名から圏央道へ。久喜から東北自動車に入り、宇都宮から日光へ。

初めて通る高速道路です。あれはもしや高尾山トンネル❓
高尾山トンネルでした☺️

日光に到着❣️

湯葉料理の定食、初めて食べました^ ^

ひとつひとつ珍しくて、ゆっくりと頂きました。ご馳走さま❣️

次はどこへ行こうかね〜

私が行きたかったイタリア大使館別荘いくことになりました❗️

駐車場に到着😄

あら、12月から3月まで休館だ😫

がっくり😞何度も中禅寺湖に来てるのに、なかなか行けない…


遊歩道を少し歩いてみましようかねー
しかし、寒すぎて引き返す🍃
男体山のベストポジションでパチリ🙂良いこともあったねえ。

日光二荒山神社⛩に行ってみましょう〜
車で鳥居をくぐって、駐車場に到着❗️
二荒山神社にお参りさせていただきます。
男体山は、正面の門をくぐって登りましたね。
秋から冬にかけては登れません。来年の開山は、ゴールデンウィークの頃ですね。
かつては、女人禁制、動物禁制の男体山。
禁を破り、入山した牛が、石にされてしまいました。

身体が冷え切ってしまいました。娘が調べてくれた温泉♨️にいくことにしました。

しかし、今日はお休み😅

他に探してみましたが、源泉掛け流しの施設が見つけられず、金谷ホテル中禅寺湖の温泉♨️に行く事に決めました。

日光金谷ホテル宿泊者は、中禅寺湖金谷ホテルの温泉の割引があるようです。

フロントで伝えると、料金1300円→500円になりました。

ロビーのクリスマスツリー🎄

温泉♨️は、ほとんど貸し切り状態で、内湯と露天風呂でゆっくり温まりました😛

身体も温ったので、竜頭の滝と戦場ヶ原に立ち寄り、ホテル向かう事に決めました‼️

竜頭の中駐車場に到着!!

竜頭の滝の売店は閉まっており、韓国の家族1組と私たちだけでした。
戦場ヶ原駐車場に到着‼️こちらもほとんど人はいませんが、お店は開いていました。
雪の上をサクサク歩き、展望台へ。
寒いよー😵
標高1千メートル以上あるんだもん、寒いよね🥶
雪除車も待機❄️

早々に退散。ホテルに戻ろう〜

車もほとんど走ってない…
あ、金谷ホテルの車だ!
ついていけばいいねって話してたら、端に避けて、先に通してくれました😁

日光金谷ホテルと、中禅寺湖金谷ホテルは無料のシャトルバスが運行しています。
ホテル駐車場に到着🏨

駐車場から荷物を運んでくれます。

回転ドアからホテル内へ。

今日のお部屋は、第二新館です。

広々した部屋に通して頂きました。
ちょっとタバコの匂いが気になるので、あとで消臭剤を借りよう〜
併設の展示室を見学して、ロビーに寄りタバコの匂いが気になることを伝えたら、部屋を変更してくれる事になりました。

新館に移動

赤い絨毯を進んでいくと、
こちらの部屋のようです。
天井の高い明るい部屋にかわりました。
どちらも素敵なお部屋です。

家族風呂が空いていたら、娘と行こうという事になり、先に空き状況を見に行くことになりました。

行ってきまーす❗️

階段を下りて2階へ
お風呂は使用中〜☹️

探検して帰ろう〜
ダイニングの手すりは特別仕立てと思ったら、ランプでした😃
柱には牡丹の彫刻!!
他にも色んな形がありますよ。
こんな形もあります。
階段の踊り場には、スケートの絵画→昔はスケート場もありました。
クラッシックな建物に泊まれて嬉しい〜
クリスマスバージョンのき眠り猫

そろそろ夕飯の時間です。ダイニングにいきましょう〜

奥の方に通して頂きます。

素敵なお部屋です🥰

いただきます。

美味しかったねー

外に出てみる。

暗くなると一段と素敵になりました。

帰り道、家族風呂が空いていました。一緒に入ろう😃

お風呂に入って、早めに眠って明日に備えましょう。

おやすみなさい⭐

那須塩原温泉~ホテルおおるり~2019年11月30日~12月1日~

11/30(土) 池袋9時→12時15分那須塩原温泉おおるりホテル→回顧(みかえり)の吊橋→ホテルおおるり塩原温泉泊1

新宿から中学校の同窓会関東支部有志で忘年会に出発〜

幹事さん、お菓子セット付きの領収書ありがとう😊
バス往復代金プラスホテル代で1人8401円😱


小学校のクラスは2クラスしかなかったのに 、小学校から一緒の同級生も私を含め4人もいます。みんなで温泉旅行に行くなんて信じられんねえ~

バスを途中で乗り換え、無事ホテルに到着‼️
塩原在住の同級生2人が出迎えてくれる♡嬉しい~(^^)

雪がちらちら降っていて寒い❄️

荷物を預けてお昼ご飯へ。

場所も決めてくれていて、ありがとうございます。

那須塩原温泉のマンホール♨
食材は地元産🍆のランチ
わあ〜美味しそう🤩
那須塩原温泉は、大根で家が建つほど大根が美味しいそうです!(◎_◎;)

温泉まんじゅうのお店に案内してもらい、お饅頭ゲット!

顧(みかえり)の吊橋 までドライブ🚙

吊り橋を渡ってみることになりました。

みんなが足の具合を心配してくれるが、足の調子は良好~

長ーい吊り橋が見えてきました😅

揺らさんといて😖

同じ名前の同級生と腕を組んで恐る恐る歩く…

神秘的な景色❣️
橋を渡り切ってまた戻ってきました‼️

楽しかったー
吊橋、みんなで渡れてよかったね。

もうつつじが咲いてるの😳
紅葉🍁の前で記念撮影📸

カメラマン同行の旅、贅沢だわ〜
青空見えてきたね。

お夜食の買い出しをして、ホテルに向かう途中、

スパイダーマン出現😁


稜線が綺麗に見える😋大根を買おうと立ち寄った場所より…(お店は閉まっていました)
ホテル入り口 源泉掛け流しの湯♨️
クリスマスバージョンのトラ🐯🎄🎄
どうしてここにトラがおるん?
広々したロビー、本当にこんなに安くて良いの❓
とて焼きってなあに❓

こたえ。。。 昔、トテ馬車に使われていたラッパ型のクラクションを模った食べ物で、 外見はクレープのようですが、クレープとは違い、カステラに近い生地でできています。
生地には、那須塩原市産の牛乳と卵を使い、中の具はお店によってことなります。 那須塩原温泉公式ホームページより

男女分かれて、部屋でのんびり~

ほおー、なかなか良い眺めじゃ😊
晩御飯はバイキング‼️しかも、アルコール一杯無料券付き🤗

夜は、女性チーム貸切露天風呂でゆっくりできました。

12/1(日)泊1→ 源三窟 (げんざんくつ) →ホテル11時45分→羽生SA→→16時 池袋

青空だあー
ゆけむり♨️
朝散歩に出発〜
真っ赤な紅葉🍁を通り抜けていくと、
滝が見えてきました‼️
癒される〜
昨日、お昼ご飯を食べた近くの吊橋^ ^
サギ見ーつけた!
マスの釣り堀もあります🎣
昨日、地元の同級生に連れて行ってもらった今井屋。またおまんじゅう買っちゃいました😛

今井屋さんで、ホテルへの近道を教えてもらう。早速、とおってみよう~

道路向かいの公園の中を抜けます。。。

公園で寒桜を見つけました🌸

公園の坂道を少し上がると、木戸が見えてきました。

なんとこのドアの向こうは、昨日入った貸切風呂🤩行きの半分くらいの時間で帰ることができました。

お風呂に入って朝食を食べ、選べるオプショナルツアーに参加~
無料のオプショナルツアーも充実‼️ してるんですよ(*_*;

源三窟入り口に到着‼️
入場券を買ったあと、歴史の説明を聞きます。


源三窟という名前の由来は???

こたえ。。。 有綱の祖父源三位頼政(げんさんみよりまさ)の一族が都を逃がれ塩原に辿り着いた時に立ち寄ったのがこの鍾乳洞で、当初は源三位
穴と呼ばれましたがいつ頃からか今の『源三窟』の名前に替わったようです。

入場券🎟

源有綱の家系図


どうして源有綱は この洞窟に隠れ住んでいたの???

こたえ。。。源有綱は源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った義経腹心の家来であったため、 壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、大和国(奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。

塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活に入りました。

再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。
源三窟 ホームページより

ここから、岩屋に入ります💓
洞窟内の滝でお米を洗って、
こんな風にご飯を食べて日々探していたんですね。

近くの神社
塩原八幡宮 まで足を延ばしてみる。

境内に到着〜

塩原八幡宮の創建はいつ???

こたえ。。。平安時代初期の大同2年(807)です。

「逆杉」(さかさすぎ)は樹齢1500年、高さ40メートル

誰が植えたの???

こたえ。。。源頼義、義家父子が植えたものとされ国天然記念物に指定 されています。

奥の方に有綱神社⛩がありました。
牙が青いのよ!(◎_◎;)
車道を少し歩き、
階段を下りて送迎車に向かいます。
あら、何か落ちとるよ!
これが落ちてきたんじゃね〜
こちらのバスは113号🚌
こまどり交通さんなかなかやるね。

塩原温泉で時間調整〜

オプションで頼んでおいたお蕎麦を頂きます。

予め注文してあるので、手際よくお食事を運んできてくれます。

羽生SAで休憩〜
こちらのSAは、近くに住んでいる人の出入り自由なのね〜😳
塩原の大根、同級生からお土産で貰いました‼️

オプショナルツアーから戻ったら、1人一本ずつ立派な大根をホテルまで届けてくれていました🥰今日は、予定があるはずだったよね。それなのに買ってきてくれたんだね😭

色々な大根料理を作ろうー💓

幹事さん、塩原在住の二人、本当にお世話になりました。感謝の気持ちしかありません。

仲間に入れてくれてありがとう〜

余談ですが。。。

旅行の2日前に、1メートルの溝に落ちて、なんとか家まで帰ってきたものの、当日は這うことしかできない。。。という事件が起きました。

翌日、お昼休みに病院でレントゲンを撮ってもらったら、骨が丈夫なので骨が折れたと思っても、95パーセントは折れませんと先生に笑いながら言われました。

傷口も見ずに、’’1.2週間で良くなりますよ’’と湿布も出さずに帰そうとするので、湿布はお願いして出してもらいました😁

どうして、そんな溝に落ちたかって❓

‘’宅急便の取り置き本日まで’’の商品が2つがありました。21時まで行けば受け取れるとのことだってので、真っ暗な慣れない道を携帯で探しながら歩いていました。

道路には歩道もなく、道路の端を歩いていたら、溝の蓋がない場所を歩いてしまってようで、気づいたら溝の下に立っていました😔

油断大敵、身近なところに危険が潜んでいると反省しました。

今年最後の厄落とし!!と思うことにきめました😛

その後に続きあり、

2つの宅急便のうち、本日期限だったカレンダーはすでに送付元に返却されており、冷凍のうなぎの期限は明日までだったことが判明🤷‍♀️😞😞出かける前に、宅急便の担当者に確認しておいたのに。腹の立つ元気も残っていません。

でも良いこともありました。行きと帰りのバスの運転手さんは同じ方で、降りるバス停を教えてくれ、帰りもこの時間に通りますから待っててくださいと声を掛けてもらってました。帰りのバスの中は、私1人だったので、溝に落ちたことを話したり、運転手さんの話も聞けました。お互い、出会った瞬間に仲良くできると直感できたようです🥰

おしまい。