5つの世界遺産・みどころぐるっとひとめぐり 神々の大地ギリシャ周遊8〜2019年11月15日〜22日〜アテネ編

11/21(木)。。。泊79時→9時10分国立考古学博物館10時30分→アクアポリスの丘→13時オリンピック競技場13時10分→13時半プラカ地区お昼フリータイム15時30分→16時10→エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港19時25分カタール航空0208→

11/22(金)0時30分ドーハ国際空港1時55分カタール航空0806→17時45分成田空港

朝食の前に外に出てみる。。。

パルテノンの方角はまだ薄暗いですね。

テラス席にて朝食。だんだん、あたりも明るくなってきました。

朝日がもう少しで出てきそうー❗️

 

アップにしてみると、山の上に塔が見えます😏リカヴィトスの丘と呼ぶそうです。

リカヴィトスの丘の標高は???

こたえ。。。海抜277mの丘で、アテネ市街地で最も標高が高い丘です。

山頂には何があるの???

こたえ。。。頂上には19世紀に建てられたゲオルギオス聖堂やリカヴィトス劇場、レストランなどがあります。

朝ごはんを食べて、お散歩に出発〜

 

立派な建物が見えてきました…何だろう?アテネ大学かな❓
アテネ学術院(アカデミー)こちらは屋根の上に像が立っています。

円柱の上に立つ像は誰???

こたえ。。。向かって左がアテナ女神、右がアポロン神で、学芸と芸術の守護神です。

よく倒れないなあ~

誰が建てたの???

こたえ。。。テオフィル・ハンセン(1813-1891)の設計で、1859年に建てられました。ハンセンは、ウィーンの楽友協会も設計しています。

博物館かな❓と思ったら、国立図書館でした。

 

電気で走行するバス🚌

 

聖ディオニソス教会の前を通って

デパートのショーウィンドウを覗きながら、歩いていくと、

クリスマスバージョン🎄

 

今にも動き出しそうー

 

バービー人形のようにスタイル抜群❗️

シンタグマ広場に到着!

「シンタグマ」ってどういう意味???

こたえ。。。「憲法」という意味です。1834年、最初の憲法が発布されたのがこの広場でした。

噴水の奥に見えるのはなんだろう?

 

噴水の奥には家がいっぱい並んでました😯

 

鳩の模様はギリシャバージョンでしょうかねえ🕊

道路を渡って国会議事堂の前で、交代式を見学❗️

国会議事堂って何の建物だったの???

こたえ。。。初代ギリシャ国王オットー1世(在位:1833年2月6日 – 1862年10🌝23日)のためにつくられた王宮でした。

これから8時の交代式が始まりまーす!

 

昨日のダンサーと同じ靴を履いてるわ〜

衛兵の洋服のデザインは???

こたえ。。。エヴゾナスという民族衣装だそうです。

どんな時に着る衣装なの???

こたえ。。。ギリシア各地に伝わる祭りや踊りの衣装としても用いられるものです。なるほど。。。

 

1時間毎に、代わりの衛兵と入れ替わります。

おまけ。。。日曜日10:50からは、大規模な衛兵交代式を見学できます。

交替式の前でワンちゃんのんびり’’私には関係ないわ’’
みんな背が高いですね〜

衛兵になるための条件ってあるの?

こたえ。。。① 身長190cm以上 ② 成績優秀であること ③ 屈強(強くたくましい事)であること ④ ギリシア代表のイケメンであること

1分間まばたきしないこと・・って条件もある(笑)

ヒダを整えてもらいます。

 

無名戦士の墓→1823年のトルコからの独立戦争やその後の戦争で犠牲になった兵士たちのための墓だそうです。

そろそろ、ホテルに戻りましょう~

振り返ると、パルテノンが見えてます😍

パルテノンまで歩いて行けそうですね(^^)

 

お洒落な通りを歩きます。

 

こんな場所で朝食を食べてみたいな😌

 

通りにもオリーブの木

 

アーケードを通りぬけて、

 

ポスト📮(-_-;)名前を通り、

 

教会まで戻ってきました。🐦

 

露店のパン屋さん🍞アテネ大学の学生も買うのかな?

 

アテネ大学の前に到着!

 

大学の屋根にも彫刻物が。。。スフィンクスみたいですね。
大学の建物前にある像
壁画も素敵♡
カフェの前を通り、ティタニアホテルに到着!

アテネ市内観光へ出発~

バス専用レーンを通り、国立考古学博物館に向かいます。

国立考古学博物館に到着!

 

ここから入ります。

入ってすぐに、

黄金のマスク、別名アガメムノンのマスク

どこで誰が見つけたの???

こたえ。。。黄金のマスクはドイツ人考古学者シュリーマンによりミケーネ遺跡の円形墳墓から発掘されたものです。発見当時はトロイア戦争に勝利したアガメムノン王のマスクと信じられており、制作年代が判明した現在でも「アガメムノンのマスク」と呼ばれています

ミケーネの時代っていつ頃???

こたえ。。。紀元前16世紀頃です。

こちらにも黄金のマスクがあります。

アガメムノンのマスクと一緒に発掘された副葬品。

装飾品

 

こちらは、人型の金細工

ホメロスに「黄金に富むミケーネ」と記されていたことが立証される作品群です。ミケーネの近隣では黄金は産出しないので彼らがどのようにして金を得たのか議論を呼んでいます。

「ミケーネの貴婦人」

ミケーネ遺跡の「大斜道」と呼ばれる坂道の南側にあった宗教施設の遺構から出土したフレスコ画です。

ミケーネのカブト

どうやって作るの???

こたえ。。。イノシシ牙を馬の毛で縫って作られました この兜はミケーネ戦士の特徴とされています。

 

動物たちのハンコ

ハンコにはいろいろな意味があるそうです。遺跡から出土した印章は現地の人々の間でお守りとして使われていたそうです。

鳥→空気  鹿→ダイアナ(月の女神)  柱→祈り   ライオン→王様  を表しているそうです。

おまけ。。。ミケーネギリシャ語とはギリシャ本土、クレータ島、キュプロスで紀元前16世紀~12世紀に話されていた言葉で、紀元前14世紀以前のクレータ島で発見された碑文が最も古いものであるとされています😱

 

スーニオのクーロス像の後ろ姿

 

スーニオのクーロス像正面

クーロス像としては最も古い時代に属するものの一つで、前600年ごろの作と考えられています。 アーカイック初期の作品です。壁なして立っています。

クロースってどういう意味???

こたえ。。。古代ギリシャで作られた青年裸体像。正面を向き、左足を前方に出しているのが特徴です。

 

床の下に隠して、戦争免れました。

 

掘り出されています。

 

こちらは?クレッソスのクーロス像

どんな像なの???

こたえ。。。紀元前530年にパロス島の大理石で制作され、
多くのクーロス像の中でも、このクロイソスのクーロス像は骨格と筋肉が見事です。
彫像台には銘文が残されています。

どんな銘文??

こたえ。。。立ち止まり 死者クロイソスの墓に追悼せよ。
国の守りで戦ったこの男を憤激のアレスは打ち倒したのである。

「墓碑の台座」紀元前510年
ケラミコスで見つかったクーロス像の台座。レスリングシーンです。
馬車のゲーム
ホッケーみたい。。。
ハンマー投げ?

パルテノン宮殿のアテナ女神、この大切な彫刻はなくなってしまいました🥺

こちらのアテナ女神像は、100年前に作られたミニチュアです。

「ヴァルヴァキオンのアテナ」

右手に持っているのはなあに???

こたえ。。。勝利の女神ニケです。手のひらにのせているのですね。

左手には何を持っているの???

こたえ。。。メドゥーサの顔のついた盾を持っています。盾の内側には蛇。ベルトも蛇です。

どうして蛇を持ってるの?

こたえ。。。蛇はお守りとしての意味があったそうです。

頭の上にスフィンクスとペガサス。蛇のネックレスを身に着けています。

 

「トリプトレモスの派遣(デメテールとトリプトレモスとペルセフォーネ)~エレウシスの大浮彫」紀元前440~前430年頃

女神デメテル(農耕と豊穣の女神)の聖地エレウシスから出土した大浮彫。
デメテルが人間に穀物の栽培を教える神話を表したものです。

「馬に乗った少年」紀元前140年頃

 

エヴィア島アルテミシオン岬沖の海底から発見された像です

 

南イタリアのバイエで発見されたバイアエのアフロディーテ―像。西暦2世紀に制作

どうして南イタリアの作品がここにあるの???

こたえ。。。ホープ卿という人物のコレクションの一つでしたが、それをM.エンベリコスという人物が買い取って、1924年にアテネの国立考古学博物に寄贈したそうです。

どうしてここに象がくっついているんだろう❓
埴輪みたいで面白いでしょう〜
未知なるモデルのブロンズ肖像

いつ作られたの???

ヘレニズム時代、紀元前1世紀。目ははめ込んであります。この時代にすごい技術ですね。

どこで見つかったの???

こたえ。。。デロス島パレストラ湖

次の部屋には壺がたくさん展示してあります。

壺の中から、たくさん出てくる日用品?

 

階段に飾ってある絵、ギリシャ神話の絵のようですね。

 

大きな壺もたくさん展示してありました。

 

持ち手が顔に見えますね(笑)

博物館の中は迷路のようで、迷いそうになりましたが、同じツアーの人たちと合流、無事に集合場所までたどり着くことができました。

パルテノン神殿に向けて出発~

~アテネの交通事情~   アテネ中心部の交通渋滞の緩和をはかるため、市内に乗り入れることのできる自家用車が、ナンバープレートの末尾の数字(奇数または偶数)で、曜日ごとに制限されています。

~ギリシャ語~  英単語のうち、約5万6千の言葉がギリシャ語に由来しているそうです。英語のalphabetはギリシャ語のα(アルファー)とβ(ベータ)から来ています

~デモクラシーの語源~   デモクラシーの語源は古代ギリシア語のデモクラティア(民主主義)。ギリシャのアゴラで生まれました。

 

朝散歩で歩いた通りもバスで走ります。

パルテノン神殿駐車場に到着!

駐車場から、パルテノン神殿に向かい、坂道を登っていきます。

 

イロド・アティコス音楽堂(通称イロディオン)

いまもコンサートが開催される素晴らしい音楽堂です。

どうして音楽堂を建てたの???

こたえ。。。161年に、ギリシア人の貴族でローマ元老院議員(王政ローマにおける王の助言機関)であったイロド・アティコスが、妻のアスパシア・アニア・リジラを偲んで建設しました。

何人収容できるの???

こたえ。。。約5000人以上収容できます。

こちらはイロド・アティコス音楽堂入り口

 

手間前に見える建物は古代アゴラ。

 

あと少し。。。石灰岩は滑りやすいので気を付けて登りましょう~

 

ここが入り口?                アクロポリスの入り口であるプロピュライアでした。

 

大きな門ですね~

 

パルテノン神殿が見えてきた!(^^)!

みんな無事にアクロポリスの丘に到着!

アクロポリスってどういう意味???

こたえ。。。「小高い丘、高いところ、城市、成山、平地内の孤立した丘」という意味です。

おまけ。。。「ポリス」はいくつかの英語の語源となっています。police(警察)、policy(政策)、politics(政治)など。

パルテノン神殿は工事中

オフシーズンで観光客はこれでも少なめです。

当時の様子

どうしてパルテノンと呼ばれたの???

こたえ。。。ポリスの最強国であったアテネが、国の威信(いしん→信頼)をかけて建設したもので、守護神アテナ(12神の中の知恵の女神)がパルテノス(処女の意味)の神であったところからパルテノンと呼ばれました。

大きいねえ~

 

パルテノン神殿東側南部の破風の彫刻(模刻)

 

近くで移籍を見ると柱大きさがよくわかります

 

展望台に行ってみました。

 

アップしてみます。ゼウス神殿ですね。かつては104本のコリント式の柱が立っていたそうです。

 

リカヴィトスの丘方面。

 

パルテノン神殿の西側に残されている古代建築物は、「エレクティオン」です。

行ってみましょう~

近くまでやってきました。

 

隙間から景色を眺める。。。

 

中には入れません。

 

イオニア式柱頭 円柱上端にはアンテミオンの浅浮彫が見られます。

 

破風にはこんな彫刻もあったようですね。

 

からだで柱をさえています。

エレクティオンってどんな神様なの???

こたえ。。。女神アテナが育てたアテネの始祖エレクティオン(エリクトニオス)が祭られています。「アクロポリスの神殿群」の中では最も新しく紀元前407年に完成しました。

 

本物は新アクロポリス美術館(5体)と大英博物館(1体)にあります。

アクロポリス美術館は、床はガラス張り、水を持ち込んでよいそうです。  いつか行けるといいなあ~

修復が進んでいるので、今後が楽しみですね。

 

パルテノン宮殿の裏側には修復用のトロッコ電車の軌道があります。

 

エンタシスの柱を眺めます。

エンタシスの柱ってなあに???

こたえ。。。円柱を下から上にかけて徐々に細くする、あるいは柱の中程に膨らみを持たせたスタイルのことです。

どうしてそんな形にしたの???

こたえ。。。膨らんでいるように見せるためではなく、「柱に近づいて見上げた時に真っ直ぐに見えるように工夫されたもの」なんだそうです。

日本でもエンタシスの柱が見れます。どこにあるでしょう???

こたえ。。。法隆寺の「西院伽藍の廻廊」と「金堂の柱」に見られます。ずっとパルテノン神殿のエンタシスの柱を見てみたいと思っていたのでうれしかった!(^^)!

おまけ。。。

パルテノン神殿は、ローマ時代までその姿をとどめ、中世にはキリスト教会として、さらにはオスマン帝国の占領下に入ってからはイスラムのモスクとして余命を保ってきました。

しかし、1687年にアクロポリスを包囲していたヴェネチア軍の砲撃により、火薬庫として使用されていたパルテノンは爆発して吹き飛び、大きな損傷を受けました。

19世紀に始まった修復作業は、現在もなお続行中です。

ここからみんなで駐車場に向かいますが、その前にアテネの街を写真におさめます。

崖の上にパルテノン神殿が立っています。(海抜156mの石灰岩の岩山)

イロド・アティコス音楽堂

アテネの街には高層ビルはありませんね。

さあ、下っていきましょう~

一気に下りてきました。駐車場まであと少し。

バスに乗り、パナシナイコスタジアムへ。

近代オリンピックの第1回大会の1896年の競技場として使われました。

いつ作られたの???

こたえ。。。紀元前329年に建設され、当時の古代ギリシャでアテナイの祭典に使用されていました。紀元前250年に改築、紀元前131年には大理石によって再建されました。

収容人数は???

こたえ。。。4~5万人収容。

近代オリンピックの第1回大会の1896年の競技場として使われました。

おまけ。。。2004年のアテネオリンピックでマラソン金メダリストの野口みずき選手がゴールした場所です。

 

昔の様子。

 

こちらは古代の様子。

 

昼食の前に、ツアーで初めてのお土産物屋立ち寄り。。。

JTBルックのツアーは、参加者の立場に立った日程が無駄なく組まれています。→初参加の感想〜

この細い道をバスで通ってレストランへ。
ギリシャ最後のお食事 プラカ地区にて
食後、町をぶらあ~り

1人参加の男性3人がすごく仲良しになっていて、嬉しくなりました😉

ギリシャさらばじゃ👋

ドーハーまでは、1人参加の男性が隣でした。これまでの人生を語ってくれました。大きなクレーン🏗を運転されているとのこと。70歳でも現役、かっこいいなあ〜

窓側の友達は熟睡でした😚

ドーハで乗り継ぎ、日本へ。通路側で映画の見放題で退屈することなく成田に到着❣️

仏像好きな私にとって、仏像のルーツを感じる旅となりました。

ギリシャに行きたいと言ってくれた友達に感謝♡です。

2015年のギリシャ不安から日本人観光客の足は遠のいたままで、ギリシャのツアーは催行しないことが多いです。2020年日本でのオリンピック開催で、少しずつ人気が出てくるといいですね。

ギリシャって、バスで走っているとここは日本?と思うような景色もありました。岡山県の牛窓が、日本のギリシャと呼ばれる意味も理解できました。

手作りラバと磁石のお土産

おしまい。。。

5つの世界遺産・みどころぐるっとひとめぐり 神々の大地ギリシャ周遊8〜2019年11月15日〜22日〜エーゲ海サロニコス湾ミニクルーズ編

11/20(水)泊5 7時20分→ピレウス港8時30分→11時イドラ島12時40分→船内ランチ→14時00分ポロス島時計塔14時45分→16時55分エギナ島17時55分→ピレウス港19時45分→夕食→21時ホテルアテネ泊6 

朝食の最後に。。。

ギリシャヨーグルト

ギリシャヨーグルトって???

こたえ。。。ヨーグルトの水分を切ったものです。ドリップ珈琲のフィルターに市販のヨーグルトを入れ数時間置いておけば、簡単に作ることができます。

 

少し明るくなってきました。

 

アテネの町並み

 

 

もうすぐ朝日が出てきます。

 

カモメ?

 

パルテノンもピンク色に染まってきました。

エーゲ海クルーズに向けて出発~

エーゲ海→別名ゲーゲ海と呼ばれます(笑)

どうか今日は、エーゲ海でお願いします(#^.^#)

港に到着!

おまけ。。。アテネでは、ヨット生活をしながら、不動産売買のタイミングを待つ人もいるそうです。

乗船の時刻になりました。海上は穏やかそうです(´▽`) ホッ

 

行ってきまーす。

お日様出てこないかなあ~

あ、お日様が出てきました。真っ青な海ではないけれど、ワクワクしてきます!(^^)!

 

みんな船室に戻っていきましたが、せっかくのエーゲ海、もうしばらく楽しみましょう♡

 

島が見えてきました。。。

オフシーズンなので、青い海は期待できませんね(-_-;)

山の上に風車が。。。初日、コリントス運河に行く途中、バスの中から見えていた風車ですね。

そろそろ、イドラ島に到着かな❓

白くてかわいい建物が見えてきました。!

近くまで来ると、

砦のような石垣が見えました。

 

子供たちがこっちを見ています。

 

ロバもいますね~

どうしてロバがいるの???

こたえ。。。この島では、一般車両の乗り入れが禁止されているので、足代わりとなっているのが、ロバというわけです。ロバタクシーですね(笑)

どうして一般車両の乗り入れが禁止されているの???

こたえ。。。山が多くて道幅が狭く、急な階段や複雑に入り組んだ路地も多く、自動車の通行に適した道がほとんどないからです。

港が見えてきました。。。

 

ワクワクしてきます。

 

絵本の中に入り込んだような景色ですね。

 

’’乗り遅れてたら、島でゆっくしていてください。ちなみに明日は、クルーズ船はお休みですよ。’’と言われながら、下船する(#^.^#)

 

港にロバが待機中~

もしかして、ロバではなくてラバ???

ラバってなあに???

こたえ。。。ロバと馬との間で生まれる雑種の動物がラバです。

どうして雑種を作ったの???

こたえ。。。ラバはロバの粗食に耐える丈夫さや忍耐力、馬の力強さといった両者の長所を受け継ぐためにかつては盛んに生産され利用されました。

ほとんどの人が歩いて観光します。

島内には猫がたくさーんいます。

お店の前でお昼寝中~

 

何を狙っているの???

たくさんの小道があり、どこを歩こうかと迷ってしまいます。

この道を歩いてみましょう~

 

ドアにカギがかかっていたり、

 

家の前に虫のようなものが取り付けてあったり、

 

ドアノブに手がついていたり。。。

いろんな発見があります。

 

道路の真ん中にいる猫ちゃん、大丈夫??車もバイクも来ないから大丈夫よね~

 

あのドアにも手がついている。

何かなあ~? 呼び鈴の代わりかな?

 

塀の上に猫が。。。

 

どこかに飛び移ろうとしています。。。

 

くねくね気の向くままに歩いてみます。カラフルな花が町の雰囲気とぴったり合ってますね。

 

教会が見えるよ。行ってみよう~

 

像の前を通り過ぎて、

 

到着。さっき見えた建物しかありません。教会の塀だけ残っていたのですね。

 

お散歩楽しいね~

さて、どの方向に行こうかな?

こんな細い道もあります。行ってみよう~

 

猫ちゃん、ベンチで日向ぼっこ中~

地元の人がいるよ。

カリメーラ

その先に進むと、

壊れてしまった家が。。。この島にも過疎化ってあるのかしら?

 

ここにも手のノブが。。。

 

羊❓のノブもありました。

 

にぎやかな通りに戻ってきました。

 

ここは有名なギリシャ正教の教会のようです。

 

教会入り口、見張り番の猫ちゃん

中に入ってみましょう~

誰の像かしら?海賊っぽい。。。

 

教会の中

 

フレスコ画かな?

 

個々にも海賊の像があります。

どうして海賊の像がたくさんあるの???

こたえ。。まずはイドラ島の歴史からから~
 イドラ島に人が本格的に移り住み、港を開いたのは15世紀頃のこと。人々はこの天然の良港で、商船を作り、地中海の中継貿易で大きな富を築きました。18世紀には、イドラにギリシャ初の商船アカデミーも作られ、現在も海運国ギリシャを支える人材を輩出しています。オスマン帝国から独立の機運が高まった1821年、イドラ島の商人たちも立ち上がりました。商船を軍艦に改造して戦いに参加、最後には自らの船に火を放ち、敵艦に体当たりして戦い抜いたといいます。戦争で戦った英雄たちの像が飾ってあるのですね。

 

 

海面がたくさん

 

ここにも立派な像があります。

 

何か書いてあります。。。

調べてもわかりません。。。

こちらのお店でお土産を買いました。

 

猫ちゃん二匹と思ったら、

 

どんどん猫ちゃん出てきます。。。

 

港の近くの像

 

ニャーゴ(=^・^=)

気持ちよさそうじゃねえ

船に戻ります。

私たちの乗船券は水色。一階後ろのサロンで、12時半から13時までバイキング形式のお昼ご飯を頂きます。

次の島、ポロス島が見えてきました。

水路を挟んで2つの島からなり、2島間は橋でつながっています。

 

奥に見えるのは、ペロポネソス半島です。

 

港に到着しまーす。

 

丘の上に一番の見どころの時計台が見えてきました。1927年にできた時計台です。

 

時計台に行ってみましょう~

 

仙台出身、くみこさん。14時45分には戻ってきてくださいね。

1日時計見るの忘れないでくださいねと念押しされる。

 

よいしょよいしょ階段を上っています。

 

丘の上に到着!

 

いい景色~

 

向こうにも島が見えます。

 

サボテンもありました。

ここで、ずっとクルーズ船で一緒だった名古屋から来られた親子と四国から来られたご夫婦と一緒に行動しました。

この島のドアノブにも手が。。。

 

鳩の像

 ヨーロッパの文化において、鳩は最も象徴的意味に富む鳥のひとつだそうです。

 

この島にもまた違う雰囲気の小道が続いています。

そろそろ出航時間が近づいてきました。友達はここで海面を買いました。

船に戻ります。。。

こちらが乗船券です。

船内で、わいわいおしゃべりタイム。。。

3つ目のエギナ島に到着!

エギナ島ってどんな島???

こたえ。。。古代に都市国家として栄え、19世紀の独立戦争中は一時だがギリシャの首都だった事もある歴史ある島です。

こちらの島では、28€を支払い、島内観光のオプショナルツアーを申し込みました。

オプショナルツアー概要~

バスで20分ピスタチオの木を見ながら、教会を通り、別荘地通り、丘の上アフェア神殿。アテネの神殿40年から45年古い。ギリシャで一番保存状態いい。神殿を30分見学して、正ネクアリオス教会へ。奥銀の棺、耳を当てると音が聞こえたらご利益ある。すべての病を治す。~

エギナ島には、いくつの教会と修道院があるでしょう???

こたえ。。。365の教会と7つの修道院があります。

まずは、アフェア神殿へ。

アフェア神殿に到着!→2階建てだった

いつ建てられたの???

こたえ。。。紀元前5世紀、アルカイック期に建てられた神殿。島で取れる石灰石で造られています。白い化粧漆喰に塗って大理石に見せていました。

アフェアってだあれ???

こたえ。。。【アフェア「見えないこと」の意=エギナ守護女神】この島の古来の女神の名前で、航海の守り神だそうです。

アフェアの神話
クレタの王「ミノス」が、一人のニンフに恋をした。このニンフは、自由でいたいと願いエーゲ海に身を投じたが、エギナの漁師の網にかかり命を助けられた。ところが、この漁師がニンフに恋をしてしまった。困ったニンフは、深い森の奥に逃げ込み姿を見えなくしてしまった。このときから、このニンフを「アフェア」と呼ぶようになりました。

 

こんな建物が建ってたんですね😊

 

もう夕暮れ時…。。

神殿の正面の方向は???

こたえ。。。東側→日の出の方向です。

高台に建っています❣️

どうして???

こたえ。。この神殿とアテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿、スニオン岬にあるポセイドン神殿を繋げると三角形をなし、それは“聖なる三角形”と呼ばれ、月に照らされて白く輝く灯台の役目を果たしていたようです。海から見えやすいように高台に作られたのでしょうね。

 

柱をアップ!                 ドーリア式ですね。

ギリシャの文化って進んでいたんだなあ~    

哲学にも興味がわいてきます。ソクラテスやプラトンの時代の言葉が残っていて、私たちも読めるっていうこともすごいことですね。

紀元前の建物が補修工事もされず良く残っていますよね。

 

こんな風に建物を支えていたんですね〜

 

壁ですかね〜
レゴのブロックの形はなあに???

こたえ。。。グッタエ(邦名で露玉(つゆだま))といいます。

何のためにあるの???

こたえ。。。6つの玉が連なった 形は、神殿が木造であった頃の留め金の名残りで、石材が使用 されるようになっても、装飾として残った部分です。

最後にじっくり神殿を眺めて、

おすすめのピスタチオのアイスクリームをいただきます(^^)

ピスタチオを買ったお店🍨

ピスタチオの木一本からどのくらいピスタチオがとれるの???

こたえ。。。25キロから30キロ収穫できるそうです。

 

次は 聖ネクタリオス修道院

いつ建てられたの???

こたえ。。。1961年に現代ギリシャ人として、初めてギリシャ正教会に聖人として認められた聖ネクタリオスをまつるために建てられた修道院です。

中に入ってみると、

ステンドガラスや、

 

冠をかぶった鳥のタイル

棺もありました。棺に耳を当てて音を聞いてみました。音がするって思ったけれど、誰かが棺にぶつかった音だったかもしれません⁈

ギリシャの夏休みの期間はどのくらい???

こたえ。。。学生→6/10から3か月

      社会人→1か月だそうです。

バスで港まで戻ってきました。

こちらは売り出し中の建物。

たこのお店は閉まっていました。食べようと思ったのに残念😞

もう暗くなってきましたね…

 

夕暮れ時の港⚓を散歩して、

船に戻りましょう~

私たちの船ピカピカ🚢

 

帰りの船内では、伝統的な民族衣装でグリークダンスが始まる。ボンボンの付いた靴が印象的。掛け声は、オッパー
皆で輪になって踊ったり歌ったり、ピレウス港までの1時間半の時間を賑やかに過ごしました。

下船後、ヨットハーバー近くのレストランゾルバで夕食。

夕飯のデザート🍨

 

子猫ちゃん、こっちをみてます‼️

 

今日も、たっぷり一日楽しみました。毎日、お風呂に入ったらすぐに眠くなります。友達も、電動歯ブラシを付けたまましばらく音が鳴ったままでした(笑)

明日は最終日。朝散歩に行こう~

おやすみなさい。

 

5つの世界遺産・みどころぐるっとひとめぐり 神々の大地ギリシャ周遊8〜2019年11月15日〜22日〜メテオラ修道院・アテネ編

11/19(火) 泊4 8時30分→8時50分メティオラ修道院→12時お昼13時10分→15時15分休憩ラミア15時45分→17時20分テーベあたり17時45分アテネ ティタニアホテル泊5

窓が閉まっているのに、コケッ、コッ、コーと1音ずつアクセントをつけながら、必死に鳴く声が聞こえてきました。

ベランダに出てみると、

こりゃあすごい(*_*;
ガイドブックで見た景色が広がってる。

ホテルの周りを一周してみましょう~

駐車場で、運転手のコストスさんと一緒に写真を撮りました。

メテオラ修道院観光に出発~♡

メテオラ最大のメガロメテオロン修道院がお休みなので、ルサヌ修道院と
ヴァルラアム 修道院に行くそうです。

修道院は、16世紀の最盛期24個のうち、、現在はいくつ残っているでしょう???

こたえ。。。6つ残っています。

メテオラはギリシャのどのあたりにあるの???

こたえ。。。ビンドス山脈の麓に広がる、テッサリア地方にあります。    

オリンポス山の神々住む場所から100キロ離れています。

どうして修道士はここメテオラで修業したの???

こたえ。。。メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされました。9世紀からこの奇岩群の洞穴や岩の裂け目に単独で修道士が住み着いたようです。この時代の修道士は、単独で修行する隠修士が主流でした。
また、天空に近くでお祈りしたい という気持ちもあったようです。

隠修士」(いんしゅうし)って???

こたえ。。。 神との一致を求めて、独り修道生活をおくる人のことです。

メティオラの意味は???

こたえ。。。空中に浮かんだという意味があります。

どうしてこのような地形ができたの???

こたえ。。。 奇岩群は、6000万年前頃から海底に堆積した砂岩が隆起してできたものだと言われています。標高は20mから600mまでと様々で、平原に巨大な岩の柱が垂直に林立している様子は、非常に奇妙ですが圧倒的な存在感があります。

修道院の入り口に十字架と旗が掲げてあります。
修道院の駐車場に到着!

ここから階段を上っていきます。橋を渡って修道院の中に入ります。

ルサヌ修道院 入口に到着!

「ルサヌ修道院」 は 16世紀中頃 に建立された
聖女ヴァルヴァラに捧げられた修道院です。

修道女は何人いるの???

こたえ。。。15人です。

紅葉のいい時期に来ましたね~
建物内は撮影禁止です。。。。鐘の上の十字架可愛いでしょう≁
絵画の中に入り込んだ気持ちになります。

修道院の中に、聖人の絵が飾ってあります。聖人の絵は、毎日変わるそうです。

教会を手に持っている人がいます。誰でしょう?(絵画)

こたえ。。。 教会の創始者です。面白いですよねと増田さん →メテオラのどの教会にもあるそうです。

さっきほどまでいたテラスが見えます。
昔は、修道院への橋や階段がなかったので、梯子を使っていました。
ここは入れませんが、修道女の心配りが伝わってきますね。。。

たくさんのフレスコ画が残っていました。1930年までは、完全に孤立した修道院だったそうです。

駐車場に戻ります。

猫ちゃんの後ろに見えるのは何の修道院かしら???
次に行く
ヴァルラアム 修道院ですね!

あそこに見えるのはなあに❓

アギオスステファノス修道院→14世紀に聖ディオニシオスにより建設されました。クレタ派の壁画「最後の審判」が有名です。

ヴァルラアム 修道院 に到着!

ここが入り口です。
こちらにも旗がありますね。
修道院が見えてきました。
入場します。
何を吊り上げるのかしら?今でも現役そうですね。
ミカンが実ってる🍊
ガラスにも模様があったりステンドガラスになっていたり素敵です!お城みたい…
ピンク系の石が多いのでしょうね。窓も丸くてかわいい。
樫の木で作った樽🍷
1200樽のワインを作り売っていました。
昔はこのカゴに人を乗せて、手動で引き揚げてもらっていました。

細いロープ😰
下をのぞくと、結構高いんですよ。
この網も荷物を運ぶときに使うようですね→食品(缶詰め)を運んでいるのを見た!
という人がいました。いいなあ~

大きな修道院だ!なんていう名前の修道院かしら❓


メテオラ修道院郡の中で最初に作られ、最も大きい 大メテオロン修道院でした。
修道院の中は迷路のようで迷いそうになります。
ルサヌ修道院かな?
あたり~
さっきあの橋を渡りましたね😊
お顔のように見えません?ピカソを連想してしまいました😁
集合場所に戻ってきました。
猫ちゃんおめかし中~

駐車場に戻ります。

ギリシャ正教の修道士.修道女は、黒い服を着ています。
シーズンオフは人が少なくて、ゆっくり観光できます。
だいぶ下ってきました。
あのロープはもしかして・・・
さっき上から見た場所ですね。

バスにて アギアトリアダ修道院 ビュースポットに移動。

アギアトリアダ修道院
1475年にドメティオスによって創建され、至聖三者(三位一体の神を示す)に捧げられています。完全な断崖絶壁に建てられており、1925年までは縄梯子か滑車付きの巻き上げ機しかありませんでした。
大きくしてみました。130段の階段を上ると標高565メートルの修道院に行くことができます。

メテオラはその景観や価値から、観光地化が急速に進んでおり、世俗を避ける修道生活に適さなくなりつつあることから、他に移る修道士も増えているそうです。


増田さんもびっくりするくらい綺麗な紅葉🍁を後にして、レストランへ。

ブドウ畑を通り、

メテオラの街でお昼ご飯🍚

チーズパイおいしい~
スブラギとポテト


ロッククライミングをしている人が見えるよと。。。何処に人がいるの???
見えました(*_*;
ロッククライミングも見て、おいしいご飯も頂きました😃ごちそうさまでした…
カランバカ の街を通ります。

メテオラ豆知識~

メテオラでは、かつて雨水飲用していましたが、足りない分の飲み物はどうしてたでしょう❓

こたえ。。。子供も含めてアルコールを飲んでいました。

どうしてアルコールを飲んでいたの???

こたえ。。。ビール、ワインの方が、衛生上安全だからです。そういう時代があったんですね。

修道院での食べ物はどうしていたの???

こたえ。。。自給自足していましたが、足りない物は、修道院で作ったビールや🍺ワイン🍾を売って、他の食材にぶつぶつ交換をしていたそうです。

他の国でも、

ベルギー→修道院ワイン

ドイツ→修道院ビール

函館トラピスト修道院→お菓子

エジプトでは、ビールを賃金の代わりとして払っていた文章も残っているそうです。

昨日と同じドライブインで休憩~

ちょっと近くをぶらぶらする。。。

ギリシャの電信柱は、ほとんどが木製です。

近寄ってみると。。。

ホッチキスが刺さったままです。

どうしてホッチキスの芯が刺さってるの???

ギリシャでは、広告の紙をホッチキスで直接とめるからです。写真の上に紙の端切れが残っていますね。

🌸ギリシャツアーは催行になることが少ないのに今回は29人の参加で、増田さんはびっくりされていました。皆さん、どちらから来られたのですか?と問いかけあり。。。

福岡、愛媛、名古屋、大阪、茨城、栃木、宮城、東京、埼玉、神奈川でした。🌸

夕方、アテネに到着!

夕食までの間、近くのスーパーに行ってみました。

人混みに圧倒され、ホテルに戻ります。

パルテノンを見ながら、ホテルのレストランで夕食のはじまり~
子供の時から何度も写真で見たパルテノンがすぐそばにあります♡
ティタニアホテル夕食
オリーブのお皿がかわいいでしょう≁

明日の予習と楽しいお話💖    増田さんより〜

タコを食べる国はどこでしょう❓

こたえ。。。イタリア、スペイン、ポルトガル、日本

エギナに行くと、タコ🐙タコと日本人だけに声をかけてくるそうです。

焼きタコ🐙にて食べるのは日本人だけなのかしらん?

私たちもツアーの人たちも、エギナ島でタコを食べる気満々です🐙🐙🐙

(=^・^=)増田さんの添乗員になるまで。。。

社会人になってから、カリブ海のジャマイカ、ニューヨーク、ナイアガラとまわり、サラリーマンより添乗員の仕事がいいなと思ったそうです。

会社を退職して、添乗員の道を歩み始めたそうです。

1992年ジャマイカは、増田さんが行きたかった場所で、中高と一緒のお友達と2人で行ったそうです。友人はジャマイカがたいそう気に入り、今もジャマイカで暮らしてるそうです😳

友人のお母様には、あの時、旅行に誘わなければ😥、友人は日本でくらしていたと、申し訳ない気持ちになるそうです。

(=^・^=)世界でみんなにオススメしたい場所

自然編⛰⛱

スイス。。。お花のシーズン6月から7月人々が努力して作った自然が美しい。鉄道大国であり、車椅子で3500メートルまでいける。

しかし、

ゲルマン系の料理は日本人の方には合わないかも❓

チーズ乳製品は豊富だが、物価高い。

そのほか→ニュージーランド、アメリカのグランドサークル、アントワープ、カナディアンロッキー

歴史編📚

イタリアシチリア島。。。ノルマン人や色々なカルチャー混じってる文化の交差点。マフィアの国で危ないイメージがあるが、基本的に個人は狙わない。ローマやフィレンツェの方が危険度高い。注意…カプリ島は日帰りだとつまらない。ゆっくり滞在するのがおすすめ。

スペイン。。。ご飯が美味しい、

クロアチア。。。満足度高い。海あり山あり。戦争の爪痕あり。

イギリス。。。歴史が深い面白い。自然、癒される。ずっと牧草地。最近、ご飯が美味しくなった

ギリシャの話に戻る。。。

ギリシャの演劇は、どんな内容の演劇が好まれたの❓

こたえ。。。神様に捧げるものアポロン演劇の神の中でも、悲劇が好まれ、語り継がれました。

どんな話があるの?

😿オイルプス王の話😿

テーベのライオス王は、 ’’息子( オイルプス )から命を奪われるだろう。‘’と予言される。

それで ライオス王 はどうしたの???

こたえ。。。子供を殺せと奥様に伝えるが、殺されずコリントス、キタイロンに捨てられる。

羊飼に拾われ、コリントス王子になるが、デルフィの神託予言、’’お前は、父を殺し、母と結婚する。’’と告げられ、両親に別れも告げず、そっと去る。

三叉路で 道を譲らない相手の男にカッとなり、家来と共に殺す。この男こそ、父ライオス王でした。

オイディプスは、人間の頭とライオンの体を持った怪物スフィンクスに出くわしてしまう。そのスフィンクスは、出会った者に謎を出し、答えられない者を殺してしまうことで、近郊にあった都市テーベの人々を悩ませていた。

スフィンクスの出す謎とは「朝には4本足、昼には2本足、夜には3本足で歩く物は何だ」というものであった。オイディプスはそれにこう答えた「人間だ。赤ん坊の時、人は手足を使って這う。成長して、人は2本足で歩く。老人になって、人は杖をついて歩く」

初めて謎を解かれたスフィンクスは、自ら海に身を投げ命を絶った。オイディプスはその功績により、空位だったテーベ王座に就き、予言通り、テーベ王のお妃イオカステとむすばれる。

英雄として迎えられ、4人の子供生まれる。

テーベの街が、悪い病気と飢饉となる。
オイディプス は神託を伺います。’’ライオスの殺害の犯人を追放せよ’’と。。。

ライオス王を殺したのは、オイリスプス。事実を知る。
イオカステはすべて悟り、首をくくり死んでしまう。

結局ら神託どおりになった。

オイリスプスは、両目をえぐり、果てしのない旅に出ました。

人間がどうあがいても逃れられないものだ。


😿 ナルキッソスとエコーのお話 😿

ナルキッソスは美青年でしたが、泉に自分の姿を映した時に、その美しさに見とれて、自分に恋をします。

森の妖精エコー(こだま)は彼を愛しますが、
’’お前と結婚するなら死んだ方がましだ’’といわれ、エコーはその言葉を自分で何度も繰り返すしかなく、悲しくて洞窟でこもってやせ細っていきました。
ついに声だけの存在になってしまいます。

ナルキッソスは 水面の姿を見るうちに生き絶えます。 そのまま水仙に変身します。自己陶酔の愛を「ナルチシズム」というのはここから出ました。

どうして森の妖精エコーは、 ただ誰かが話した言葉の語尾を繰り返すことしかできなくされてしまいましたの???

こたえ。。。おしやべりな妖精🧝‍♀️ エコーはゼウスの浮気相手となった山のニンフたちを助けるために、ゼウスの妻ヘーラーを相手に長話をし続けたことがありました。そのことがへーラーに気づかれぬはずもなく、エーコーはへーラーの怒りをかってしまい、 誰かが話した言葉の語尾を繰り返すことしかできな いという罰を受けました。

悲しい話ばかりでした(-_-;)おしまい。。。

ギリシャにはいくつの島があるでしょう???

こたえ。。。3千の島があります。
島の総面積は、ギリシャ国土の20%に達します。

ギリシャには肥えた土地がないのはどうして?

こたえ。。。 75%が山、残り20%荒れた土地で雨が降りません。
オリーブ、ぶどう、タバコ、綿花、ナッツの栽培に適しています。

油田が見つかったの???

こたえ。。。 1976年海底油田見つかり、国内の石油は、自国でまかなえる ようになりました。

ギリシャ正教って断食があるの???

こたえ。。。断食ではありませんが食事制限を行う時期があります。
四月初めの一週間と、復活祭前の一週間(聖週間) お肉、乳製品、卵など、動物が生み出したもの食べません。水、金、復活祭オリーブオイルも断ちます。
若い人は、この習慣は薄れています。

復活した次の日曜日からお肉、お魚、お菓子食べまくる習慣もあります。。

アテネにに住んでいるのは人口の何分の一でしょう???

こたえ。。。3分の1です。街中では、慢性的渋滞が起こります。

アテネ女神って???

こたえ。。。 ゼウスの子供。頭から生まれたのがアテネ。海の神、ポセイドンという争う。人間に役立つ物与えた物人間へ。人間はオリーブを選んだ。ポセイドンは、馬を選んだ。

アテネの地名の由来は???

こたえ。。。 「アテネ」は日本の慣用で、古称はアテナイ、現代ギリシア語ではアティネまたはアスィネと発音され、英名はアスィンズAthens。 市名は古代における市の守護神「アテネ女神」に由来する。

ギリシャの世界遺産はいくつあるでしょう?

こたえ。。。18です。

ギリシャの観光と歴史、毎日勉強させてもらってます。

明日はエーゲ海クルーズ楽しみです🐙

5つの世界遺産・みどころぐるっとひとめぐり 神々の大地ギリシャ周遊8〜2019年11月15日〜22日〜デルフィ・オシオスルカス編

11/18(月) 泊3分→8時30分デルフィ11時15分→11時40分お昼(ムサカ料理)12時45分→13時10分オシオスルカス修道院14時10分→16時05分ドライブイン16時35分→18時50分カラバンカ  グランドメティオラホテル泊4

ホテルは、私たちの団体のためにオープンしてくれました。

スタッフの方々は、フレンドリーでゆっくりくつろげました。

明け方ザアザア雨が降っていましたが、雨はあがったようです☺️

海の近くのホテルらしく、船の絵が飾ってあります。

美味しそうな野菜がずらり並んでいます🍅

朝日だ☀︎もう雨は大丈夫そう~!(^^)!

何かな?と思ったら、ギリシャのごみ箱。ビン専用かなあ。。。

コスタスさん、カリメーラー

今日もよろしくお願いします。

安全運転をしてくれるコスタスさん♡

標高約570メートルまで上がっていきます。

もうこんなに高いところまできました。。。。

このあたりは、オリーブの産地…

オリーブの花の花粉症ってあるのでしょうか???

こたえ。。。あります。オリーブの花粉症に悩まされる人が結構いるそうです(笑)

5月には、キンモクセイの米粒のような白い花が咲き、
ほのかな甘い香りがあたり一面に広がるそうです。

コスタスさんより~

~増田添乗員さん、ホテル内での聞き込み情報~

オフシーズン

私たちのために出勤しなければならなくなったウェイターの方の本業は何でしょう???

こたえ。。。漁師です。今日も朝早くから漁に出た後に、私たちの朝食の準備をしてくれました。生活が苦しくて二つの仕事をしているそうです。

ホテルに漁で水揚げした魚は納めてるの???

こたえ。。。。いいえ。納めていません。小さい魚をとるので、小売で買ってもらってるそうです。~

次にホテルがオープンするのはいつ???

こたえ。。。JTBツアーが次回催行する一週間後だそうです。

終わり。。。

これから向かうデルフィは、アポロンの神託(神の預言)が行われた場所でしたね。

アポロンって何の神様でしたっけ?

そうそう、太陽と音楽の神でした。。。

どうしてデルフィが世界のへそなの???

こたえ。。。大地の中心を決めるのに、最高神ゼウスが地平線の両端から放った2羽のワシが出会ったのがデルフィだったと伝えられています。

世界のへそ石はデルフィ博物館にあるそうです。楽しみ~

神のお告げの方法は???

こたえ。。。植物を焚いて、巫女がトランス状態の形で、つぶやく。そのお告げをわかりやすく通訳する役目の人がおり、それを自分の国に持ち帰り、方針を決めました‼️

神託(神の預言)をお願いするのに必要なものはなあに???

こたえ。。。いけにえの動物

神託(神の預言)のお礼は???

こたえ。。。感謝の気持ち示すため、お宝をアポロン神殿に納めました。【アテネ人の宝庫】へ

道路と並列して水路ありますね。どこまで続くのでしょう???

こたえ。。。178キロ離れたアテネまで続いています。

音楽の神のための古代劇場はどんなところに建てられたの?

こたえ。。。借景が美しいものがある場所に建てられました。

デルフィの遺跡の説明を聞いているうちに、

デルフィの街をぬけて、

デルフィ考古学博物館に到着!

入り口にデルフィの復元図がありました。

ナクソスのスフィンクス

アルカイックスマイル(口元をきゅっと上げて微笑んでいる)ですね。

いつ頃作られたの??

こたえ。。。紀元前560年にナクソス人によってアポロン聖域に奉納されました。

ナクソスのスフィンクスは、イオニア式の柱の円柱の上に載っていました。

次は、シフノス人の宝庫の東側破風です。

神託を授かるためにイピトス殺害の身を清めるよう巫女に求められ、怒ったヘラクレスが鼎(かなえ)を掴み、神託を授かるよう脅している。アポロンも鼎を掴みヘラクレスと争そうのをゼウスが仲裁している。

鼎(かなえ)ってなあに???

こたえ。。。いけにえの肉を煮る礼器

神殿北側フリーズ(帯状の装飾)には、「神々と巨人族の戦い」

トロイ戦争が描かれています。

ライオンにかみつかれています(>_<)ライオンに襲われる兵士たちです。画面中央の重なった人物、手前がアポロン、奥がアルテミス。

アルゴスの兄弟クレオビスとビトン

こんな風に発掘されました。

誰が作ったの???

こたえ。。。この像はアルゴスのポリメデス作。アルゴス人がデルフィに奉納したものです。紀元前610年に制作されました。

クレオビスとビトンって???

こたえ。。。母のキューディッペーがヘーラーのお祭の日を見に行くことにしましたが、出発の時に車を引く牛がいなかったので、クレオビスとビトンが牛の代わりになり車を引いて、45スタディオン(8.3 km)のヘーラー神殿に母親を連れて行きました。

クレオビスとビトンは孝行息子だとしてヘーラー神殿の饗宴に招かれ、そこで息子たちの親孝行に感激したキューディッペーはヘーラーに対して、この世で最も幸せのことを息子たちに贈るように祈願しました。

その夜、クレオビスとビトンはヘーラー神殿で再び起きることはありませんでした。

記念のため、アルゴスの人たちはクレオビスとビトンの銅像を作ってデルフィの聖域内に納めました。

どうして永遠の眠りにつかせたの???

こたえ。。。古代ギリシャでは死が最高の栄誉だったそうです(-_-;)

カリアティード

カリアティードってなあに???

こたえ。。。女人像の柱のことです。宝庫の正面の柱として設けられていました。頭や耳の穴は金属の装身具を付けるためにあけられていました。

アポロン神殿

音楽の神でもあるアポロンに捧げられた、「デルフィ賛歌」とよばれる古代ギリシャの楽譜は、最古の楽譜ともいわれ、アテネ人の宝庫の大理石の壁に刻まれていました。解読され、古代ギリシャ人が聞いていた音楽のメロディがどういうものかわかっているというのも、大変興味深い点の一つです。

○がおんぷ

♫音符のおかげで古代ギリシャの音楽がきけるのよ~(^^♪

金のイヤリングと王冠をつけたアルテミス像

頭は象牙、身体木材。象牙は黒くなりました。紀元前6世紀
の像で、1892年みつかりました。

黄金や象牙で作られていたアポロン像の頭部

前550年頃に作られています。このアポロン像であるかどうかは分かりませんが、黄金のアポロン像は、アポロン神殿の内室奥のアディトンと呼ばれる聖なる場所に、世界の中心を象徴するオンファロス(大地のへそ)の近くに安置されていたと言われています。

どうして、月桂樹が太陽神アポロン(アポロ)を象徴するようになったのでしょうか?

こたえ。。。ギリシア神話の太陽神、芸術の神アポロン(アポロ)がダフネという美しいニンフに恋をしたがアポロンから逃れる為に月桂樹の樹に姿を変えたそうです。このお話から月桂樹はアポロン(アポロ)に捧げられる樹になったと。

白地技法による古代ギリシャの陶器。(BC 480-475年)

デルフィの守護神アポロンが左手に竪琴を持ち、右手で大地にお神酒を注いでいます。アポロンの向かいにはカラスがいますね。

竪琴は盗まれた牛の償いにヘルメスから受け取ったもので、やがてアポロンからオルフェウスに譲られ、オルフェウス亡きあと、夜空の星となったと言います。

カラスが黒くなったのはなぜ???

こたえ。。。カラスはアポロンの使い。アポロンの妻コロニスの不義を見たカラスはそのことをアポロンに告げる。アポロンは妻コロニスを矢で射殺してしまう。しかしそのことを後悔したアポロンの恨みで告げ口をしたカラスは真っ黒になってしまう。それまで白かったカラスはこの時から真っ黒になったと言います。

この柱はなあに???

どこの部分かな???

ドーリス式円柱の上にあったメトープ→梁を支える部分の彫刻です。

何の葉っぱの彫刻なの???

こたえ。。。アザミの葉っぱです。

デルフィのトロス(紀元前 380 ~ 370 年頃建造)は、 アテナ・プロナイア神域にありました。現在は3本の柱が残っています。

オンファロス(大地のへそ)出べそですねぇ(笑)ってみんなの意見が一致!

アンティノウスの像

美少年ですね。

アンティノウスってどんな青年だったの??

こたえ。。。ハドリアヌス帝の寵愛を受けたと言われています。
ハドリアヌス帝(ローマ皇帝在位117-138)はナイル川で溺死したアンティノウスの死を悼み、アンティノウスを神格化し、ギリシャの町々に彼の像を建てたと言います。

「踊り子たちの柱」

遺跡内の像はほとんど壊れていますが、

こんな風に像が建てられていたのですね。

こちらの像は何をしているのでしょう?

デルフィの御者像

等身大のこの像は紀元前478年のビュティア祭で行われた戦車レースの優勝を記念して、シチリア島のポリザロスが奉納したものです。当時は優勝した人が像を奉納するのが慣例になっていました。

こたえ。。。戦車レースの像の一部だったのですね。

ギリシャ彫刻の最高傑作の一つとされています。

まつ毛もあるのよ(゚д゚)!

像の目の部分には天然の石で作った瞳が入っています。

次は、デルフィの遺跡巡りに出発~

この団体はなんじゃろ(?_?)

青空が見えてきたよ。。。

青空と遺跡!(^^)!

アポロンの聖域の参道正門があった場所の手前にアゴラ(人の集まる広場)の跡があります。

神殿への貢ぎ物を持参しなかった人がアゴラの市場で品々を用意しました。

古代ギリシャの文字が残ってます。壁には格言や叙事詩、建設に携わった戦争に敗れ奴隷として連れてこられた人達の思いなどが掘られています。

「大地のへそ」の複製

アテネ人の宝庫。紀元前5世紀のもので、1903年から3年かけて再建し、ほぼ当時の姿に復元されています。

何か模様が。。。

そのアポロン神の祭儀であるピュティア大祭の勝者に、この月桂樹で作られた冠、月桂冠が与えられていたそうです。よく残っていたね~

プルシアスの石柱

プルシアスの石柱ってなあに???

こたえ。。。アエトリア同盟の奉納物です。この石柱の上にはビテュニアの王プルシアス2世の騎馬像があったそうです。

アエトリア同盟ってなに???

こたえ。。。アエトリアは古代ギリシャの山岳地方。
ビテュニアは小アジアの北西部に位置した王国です。マケドニアに対抗するためにギリシャ諸都市国家で結ばれたアエトリア同盟の一つで、現ギリシャのデルフィ遺跡には同盟の奉納物であるプルシアス2世の騎馬像があったという石柱が残っています。

柱が6本残っているアポロン神殿。 神殿の中央には、祭壇がありアポロンの像が置かれていました。

神殿の左手前にあるのがクラテロスの壁龕(へきがん)→彫刻などを置くために壁面にくぼみを持たせたくぼみ。神殿の残された列柱の向こうに大祭壇とプルシアスの石柱が見えますね。

どこで神託が行われたの???

こたえ。。。この神殿の地下で巫女と神官により、神託がおこなわれました。

いつ建てられた柱なの???

こたえ。。。アポロンの神殿は火災や戦乱で何度も消失しましたが、発掘されたものは紀元前4世紀に建てられた最後の神殿の柱です。

近くまでは入れませんが、このあたりから、地下に降りたそうです。

古代劇場

いつごろできたの???

こたえ。。。紀元前4世紀に造られ、2世紀後にローマ人によって復元されました。保存状態はかなり良好です。

何人収容できるの???

こたえ。。。5000人収容でき、ピュティア祭が行われていました。現在も夏には公演が開催されている。

ピュティア祭ってなあに???

こたえ。。。古代ギリシャの大祭で、デルフィの聖地に全ギリシアから市民が訪れて開催された音楽や舞踊の祭典アポロン神の祭儀でです。

だいぶ登ってきました。

スタジアムはまだかな❓

標識がありました。

糸杉がそびえたってます‼️

緩やかな坂を上っていくと、

競技場に到着‼️

あそこから出入りするのかな❓

審判員が競技を見ていた場所。

たんぽぽや、

桜?

ズームしてみてみる。。。

日本の春を思わせるような花が咲いています。こちらは何だろう?

アテネの聖域と呼ばれる部分、BC380年頃のトロス(円形の神殿)の復元された柱が見えました。

コスタスさん、バスの前で待っていてくれる。

オシオスルカスに向かって出発~

デルフィの女性観光ガイドさん、日本語を喋れるの1人だけだそうです。シンプルわかりやすく話してもらえて、皆さんラッキーでしたねと。。。添乗員さんより~

途中でお昼ご飯~

レストランに到着!

前菜ズッキーニコロッケと、ムサカ

ギリシャ語でお菓子(甘い)のことをなんていうでしょう???

こたえ。。。グリコ→日本のお菓子会社の名前になっています。

ギリシャの英語教育はいつから???

こたえ。。。英語教育小学生3年から習います。英語圏へ留学をさせる人が多いそうです。

オリーブの実を手で詰む場面に遭遇~

添乗員さん、初めてオリーブの収穫作業を見たとハイテンション。下にネットを引いて、熊手で引っ掻くとオリーブの実だけ落ちると説明してくれる。

しばらく進み、アラホバの町を通り抜けます。

アラホバの町

アラホバってどんな町なの???

こたえ。。。ギリシャ屈指のスキーリゾート「パルナソス山」の入り口として有名です。

クリスマスの飾り🎄

ニャーゴ(=^・^=)
ここはどこでしょう?

アラホバの街を眺める展望台です。

ギリシャ正教の教会が見えるかな?

オシオスルカスの説明が始まります。。。

オシオスルカスってどんなところ???

こたえ。。。ロシアにちょっと似ていて、神秘的な厳かな場所です。

ギリシャ正教を95%の人が信仰していますが、若い人達は、教会に行く習慣がはありませんが、婚葬祭の時、クリスマスには教会に行きます。

東西教会の分裂って???

東ローマ帝国→東方教会(ギリシャ語)=正教会

西ローマ帝国→カトリック教会(ラテン語)

分裂したのは、1054年ごろと言われています。

2つの宗教の和解はいつ???

こたえ。。。ギリシャ正教とローマ法王和解が急速に進んだのは最近のこと。しかし、和解には至っていません。

東京にもギリシャ正教の教会はあるの???

こたえ。。。千代田区に「ニコライ堂」があります。函館には函館ハリストス正教会があります。

ロシア正教とギリシャ正教は同じ組織なの???

こたえ。。。同じ組織に属します。正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本だそうです。

正教の意味は???

こたえ。。。「正しい讃美」「正しい教え」を意味します。

正教の十字架の形は???

こたえ。。。縦と横の長さが同じです。

正教会でのイコンは(礼拝の対象とした聖画像)???

こたえ。。。多くは平面であり、正教会においては立像は用いられない訳ではありませんが、極めて稀です。その形状は板絵のみならず、フレスコ画、写本挿絵、モザイク 画など多様です。

オシオスルカス修道院って誰が建てたの???

こたえ。。945年に聖人ルカスによって創建された修道院です。

ルカス聖人ってどこで生まれたの???

こたえ。。。デルフィで生まれて、亡くなった後、修道院の下に埋葬されました。

どうしてここに教会が建てられたの???

こたえ。。。アラブ人によって侵略されたクレタ島が、「東ローマ帝国のロマノス皇帝が征服する」と生前にルカスが予言していたことで、ルカスへの崇拝が高まりました。その後、有名な巡礼地となり繁栄し、教会は1011年ごろにルカスの墓の上に建てられました。

オシオスルカス修道院入り口に到着!

石畳をのぼっていきます。

もう少し頑張って歩きましょう~

オシオスルカス修道院が見えてきました。

ビザンチン様式の教会です。

建物の構造は???

こたえ。。。上から見たら十字に見えます。十字の東西南北長さは同じです。

入り口のモザイク

ここから入場しまーす。

マリアに抱かれたイエス

「キリストの洗礼」と美しいモザイクが残っている。ヨハネから洗礼を受けるキリストの周りを流れるヨルダン川もモザイクで細かく表現されています。

イエスキリストと11人の弟子(ユダはいない)

十字架にかけられたイエスキリスト✞

中央ドームは直径9メートルあり「全能者ハリストス」と「天使」が描かれています。

ドームは1593年の地震で崩落し、その後再建されましたが、やや色落ちするなど劣化しています。

フレスコ画ってどうやって書いたの???

こたえ。。。壁に漆喰を塗り、乾ききらないうちに色を置いていく。漆喰乾く時に絵具を定着させる画法です。

ろうそくのシャンデリア

教会の奥に進みます。

馬に乗っているのはイエスかしら?

じっくり一つ一つのフレスコ画を見たいですが、首が痛くなりますね(-_-;)

十字架は、縦と横の長さが同じです。

壁の十字架も同じ形

いろんなデザインの十字架がありますね。

何の模様かしら?

壁の模様

ガラス越しにさっき見た大聖堂が見えます。

蛇がたくさん。。。

イエス復活?

外から明かりがもれます

私たちが、ギリシャ正教にあまり興味がないと見えたのか、デルフィに一人しかいない女性のガイドさんの説明はあっさりしていました(#^.^#)

裸足ですね。

オシオスルカス修道院は世界遺産に登録されています。

教会に松の木がたくさんありました。どうして?

こたえ。。。ギリシャでは松の木を切ることはできないからです。

~松の木とギリシャ神話~

全知全能の神ゼウスや、海の神ポセイドンの母である女神レアは、ある羊飼いに思いを寄せていました。しかし、羊飼いには恋人がおり、心変わりをしないことにレアは嫉妬し、羊飼いを松の木に変えてしまいます。

レアは、その後恋を忘れることができず、羊飼いの松の下で毎日悲しみの涙を流しました。その姿に同情し、哀れんだゼウスが、いつまでも姿が変わらぬよう、松を常緑樹にしたといわれています。

修道院の敷地からの眺め!(^^)!

修道院、修道士は結婚できたの???

こたえ。。。結婚は禁止でした。

神話の世界で一番初めに出てくる神はだれ???

こたえ。。。カオス神=混沌
形も色もごっちゃになってるとき、天空
現在の世界を作った神です。

ギリシャの家庭で飲むコーヒーは???

こたえ。。。フラッペというインスタントコーヒーを泡立てたインスタントコーヒーです。ギリシャの国民的飲料と言っても過言ではないほどよく飲まれるものです。

さて、カラバンカに向け240キロ走ります。

テルモピレー温泉地(37度温泉♨️)のそばに、

レオニダスの像の記念碑がありました。ペルシャ軍とスパルタ軍の戦場跡です。

テルモピレーの戦いって???

こたえ。。。100万人ものペルシア軍の侵攻を迎え撃つ地となったのが、海と山に囲まれたテルモピレー。 300名ほどのスパルタ軍は最終的には全滅に至るものの、ペルシア軍に大打撃を与え、英雄視されています。

スパルタの町からわざわざここまでやってきたのですね。

スパルタの都市国家の子育手は、生まれたときから始まります。どんな風に???

こたえ。。。生まれた時に、母乳の代わりにワインを飲ませます。死ぬ子は、弱いとみなされて、山地に捨てられました(゚д゚)!

その後は。。。???

軍事訓練だけでなく、勉強や、歌やダンスも習得しました。成人になると、10日に一度裸体の検査があり、体力を持続させていないと、処罰もあったそうです。

紀元前480年の「テルモピュライの戦い」、映画「300(スリーハンドレッッド)」にもなりました。

記念撮影の後、ドライブインに向けて出発~

単線の踏切を渡ります。

中央ギリシャの町「ラミア」のドライブインに到着!

ドライバーの休息時間は、運転時間に応じて厳しく決められているそうです。

ザクロフレッシュジュースを飲みました。

ギリシャコーヒーも売っています。

ギリシャコーヒーってどんなコーヒーなの???

こたえ。。。コーヒーの粉とお砂糖を火にかけて溶かしてカップに入れ、コーヒーの粉沈んだら上澄み飲む。トルココーヒーと同じようなコーヒーです。

休憩の後は、メテオラに向けて出発~

ワインは、何に入れて保管していたの???

こたえ。。。はじめは、動物の皮で保管していました。そのうちにアンフォラという陶器にかわっていきました。

アンフォラにはどんな形があるの????

こたえ。。。2種類のタイプがあります。ひとつは首と胴体とが鋭い角度で接続するネック・タイプ、もうひとつは首と胴体とが連続して湾曲線を描くワンピース・タイプです。

アンフォラはやがて、トロフィ🏆や花瓶や墓碑としても使われるようになりました。

やがて、コリントスの港から輸出も始まりました。

ギリシャ人の名前について。。。

①ヤニス→英語ジョンのような名前。ギリシャ人の1/3

②ヨルゴス→こちらもギリシャ人の1/3います。

③コンスタンティノープルやソクラテスという名前もあるそうです。

ちなみにコスタスさんの本名は、コンスタンティノープルだそうです。

ギリシャでお祝いをする日は、???

こたえ。。。個々持っている洗礼守護聖人の日と、聖人の日です。お互いに電話をかけ祝福します。

今日も夕日が見れました。

カラバンカに到着!

ホテルが見えてきました。

今日はこちらのホテルに宿泊します。

ベランダから、岩のようなものが見えます。明日、景色を見るのが楽しみですね。

お月様が出ています。明日は晴れるかな?

ホテルでバイキングの夕食!

部屋に戻り、今日もぐっすり眠れそう~  お休みなさーい。

5つの世界遺産・みどころぐるっとひとめぐり 神々の大地ギリシャ周遊8〜2019年11月15日〜22日〜オリンピア・イテア編

11/17(日)泊2 9時00分→オリンピア遺跡10時30分→オリンピア博物館→昼食14時15分→17時00分イテア ナフシカパレス泊3

昨日は、石のように固まったまま微動だにせず朝を迎えました。

‘’よく寝た!‘’とつぶやきながら、

6時すぎ、ホテルの近くをお散歩。。。まだ外は暗い。

ここは、「 オリンピック」発祥の地。どんな町なんだろう?

コケコッコーとあちらこちから鶏の鳴き声が聞こえる、ガガガと、と違う鳴き声もする…

なんだろう???

アヒルの団体さんです😳

街灯に照らされ、明るい石畳の道を進みます。

水道の蛇口を発見。ギリシャは山が多くて水は豊富にあります。

公園だ!!何か書いてありますが、

文字は全く読めません~

ギリシャ文字の歴史は???

こたえ。。。前9世紀古代ギリシャ文明の頃に用いられた文字体系が、ほとんどそのまま現在にも使われています(゚д゚)!今も読めるってすごいことですね。

ギリシャ正教の教会かな?のぞいてみる。。。

ポストを見つけました。

もう少しで朝7時なのにまだあたりは暗い。。

ホテルのベランダから、やっと朝焼けが見えてきました。

まずは朝ご飯を食べましょう~

朝食後、レストランのベランダに出てみました。いい景色!(^^)!

煙突に鳥のようなものがついています。なんだろう?→この”黒い鳥”は風向きによって 向きを替えられるようになっているようです。

これはなあに?太陽熱パネルかしらね???タンクは何だろ~

出発の時間まで、友達と一緒にオリンピアを散策することにしました。

ホテルを出たところに、オリーブの木がたくさんあります。

紫色になった熟したオリーブの実

ギリシャ神話の中でオリーブの木は誰が作ったとされるの???

こたえ。。。古くはギリシャ神話にも登場するオリーブの木。女神アテナ(Αθηνά)がオリーブの木を創ったことにより多くの富をもたらした、と伝えられています。

オリーブの木はいつから栽培されているの???

こたえ。。。ギリシャでオリーブの木の栽培がはじまったのはおよそ8000年も前からと言われています。

オリーブの木の寿命は???

こたえ。。。1500年ほど、木を植えてから実がなるまで50年ほどかかるそうです。

鶏ちゃん🐓いっぱいいる。。。

カマキリを見つけました!(^^)!

坂道を下っていく途中、

放し飼いのワンちゃんがこっちをじっーと見てます。

ワンとひと声威嚇されましたが、何とか犬の横を抜けました。一人だったら、怖くて引き返したかも?

増田さんに教えていただいた、糸杉(イトスギ)

ギリシャ神話の中の糸杉の由来は???

こたえ。。。糸杉になった「キュパリッソス」→ゼウスの息子アポロン(詩歌や音楽などの芸能・芸術の神)が愛した美青年「キュパリッソス」が、かわいがっていた金色に輝く角を持った鹿を誤ってあやめてしまいました。やがて、キュパリッソスは悲しみのために血もかれて、その体はひからびて緑色になりました。髪の毛は逆立ち、細い針のような葉となり、梢となり、空を仰ぐようになりました。糸杉になってしまいました。

この神話に基づき、イトスギの木は「悲しみの象徴」とされています。

町まで下りてきました。

ギリシャのパトカーだ!

お店はまだクローズ…

すれ違うおばあちゃんに‘’カリメーラ’’(おはよう)って声を掛けたら、‘’カリメーラ’’って笑いながら挨拶してくれます。うれしい~

さらに進んでいくと、

女神ニケ象が見えてきました。

博物館のようです。後で行くオリンピア博物館ですかね~

そろそろホテルに戻らなきゃあと、

違う道から帰ろうとしたら、迷い子になりまかけました。。。二人とも方向音痴なのですね”(-“”-)”

心細く歩いていたら、

さっきのワンちゃんが心配そうにこちらを見ています。

’’帰り道はこっちだよ~’’と教えてくれてるようです。

さっきここを通ったねと2人でほっとする。。。

花が咲いていたり、

ミカンがなっていたり、日本の瀬戸内の地域と同じような空気を感じます。

たかたかたーん🎶、たかたかたかたかたかたーん🎶と、鐘の音が鳴り響く🎶

どこから聞こえるんだろう?と、

街を眺めていたら、

怖そうな犬がこちらをにらんでいます。こっちにこないで.。o○

集合10分前、無事にホテルに到着!

朝散歩、楽しかったね~

バスでオリンピア遺跡へ移動❗️ あっという間に到着。

橋を渡り、

遺跡入り口に到着!!

入場チケット→日本円で約720円

遺跡の説明が始まります。

紀元前500年、観戦や参加するために、遠方から一ヶ月かけて歩いてきた人たちもいるそうです。奴隷の人達には参加資格はありませんでした。

開催時期はいつ頃だったの???

こたえ。。。7月から8月ごろです。

どうして暑い時期に開催したの???

こたえ。。。農作業ない期間だったからです。

【さあ、これから想像力を働かせて遺跡を見てくださいね!】

柱と屋根あってと想像してください。。。。

しかし、なかなか想像できないよ~(?_?)

ジムナジウム(トレーニングや競技の準備をする場所)

肉体を鍛えるだけではなく、パーソナルトレナーも同行しました。

どんな競技が増えていったの???

こたえ。。。紀元前724年の第14回大会から、2スタディオン(192.27 m×2)の距離を走る中距離競走が種目に加わり、紀元前708年の第18回大会から、ペンタスロンといわれる五種競技が始まりました 。

ペンタスロンって、どんな競技があるの???

こたえ。。。短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングの5種目です。

ゼウス神殿跡に到着!

ゼウス神殿ドーリア式の柱

ドーリア式の柱って???

こたえ。。。古代ギリシア建築前期のもので、柱頭に鉢形装飾や柱基を持たずしばしば「荘重」(そうちょう)→おごそかで重々しいこと。と表現されています。

折れた柱がごろりん

こんな神殿だったそうです。神殿の奥には大きなゼウス像(本体は木造で表面は象牙))がありました。👇

394年、コンスタンチノープルに移された後、コンスタンで火災が起こり、消息は不明になりました。

絵があると、想像しやすくて、ありがたいですね~

柱を拡大(゚д゚)!さっきごろりと落ちていた石が積み重なっています。

柱は当時のものなの???

こたえ。。。12メートルの柱は、2004年に再建されたものです。

ゼウスの神祀る神殿は、柱しか残っていませんね。

ゼウス神殿の建物はどうして壊れたの??

こたえ。。。古代ギリシャでは、たくさんの神々が崇められていました。しかし、異端のキリスト教が公認され、それまでの神が禁止となり、たくさんの神様の、お顔が壊されました。

神殿は教会などに転用されました。

ゼウス神殿の破風(はふ)→屋根の妻の三角形の部分 は、オリンピアの博物館に展示されています。


こちらはフィリペイオン

フィリペイオンってどんな形の建物のだったの???

こたえ。。。円形建築物(トロス)でした。柱はイオニア式→柱の上に渦巻の彫刻があります。

イオニア式の柱

誰が建てたの???

こたえ。。。紀元前4世紀,フィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父親)が、前338年にカイロネイアの戦いに勝利した記念にオリンピアに献納しました。フィリッポス2世の治世では完成させることができず、その跡継ぎであったアレクサンドロス3世の治世で遂に完成しました。神様へのお礼の意味がありました。

カイロネイアの戦いってなあに???

こたえ。。。前338年、マケドニア王フィリッポス2世がアテネとテーベの指導するギリシア連合軍を破った戦い。
結果: マケドニア王フィリッポス2世の勝利。スパルタを除く全ポリスが参加するコリントス同盟が結成される。

石柱の化石。。。

ヘラ神殿(ゼウスの妻)跡までやってきました。

オリンピックの採火式が行われる場所です👇

現在でもこのように行われてきます。

採火式の女性はどのように選ぶの???

こたえ。。。ヘラの生まれ変わりのイメージに近い人が選ばれます。いつの世も同じ、美しい人が選ばれるそうです😁

後ろにはヘラ神殿跡が見えます。

聖火採火式はいつ???

こたえ。。。来年3月12日、12時と決まっています。

どうして12時なの???

こたえ。。。一番日が高く上った時間に、凹面反射鏡で太陽光線を集めて採火するからです。

1936年、ベルリンオリンピックの時から音楽とダンスの儀式あります。

必ずこの場所で儀式をおこなわなければなりません。

次はスタジアムに向かいます😊

アーチをくぐった先にスタジアムが見えてきました。

一旦、聖火は、スタジアムに入ります。

この場所に聖火をともしました。

こちらは審判席

スタジアムの収容人数はどれくらいだったでしょうか???

こたえ。。。4万5千人収容できたそうです。

スタート地点から、ゴールまで走ります。

よういドン

二人でゴールまで走り切りました!(^^)!

直線距離約192.27 mメートル、伝説によると、ヘラクレス400歩の距離と言われています。

競技場には、女性は入れるの???

こたえ。。。競技内は、男性に限られていましたが、
唯一巫女さんに相当する女性は入ることができました。

前競技、全裸で行ったので、競技を応援するだけでなく、筋肉の美しさを見に来る人達もいました。

ここから、筋肉美→彫刻で表現されるようになりました。

競技場のそばには寄宿舎があります。👇

ここです。

当時はこんな様子でした。

アーチの石、よく崩れないね~

クロッカスや、

ベコニアや、

菊の花がたくさん咲いていました。

泉の広場に到着!

石に動物の顔が彫ってあります。何の動物かな?👇

ライオンですね~

当時の様子がよくわかりますね。

集合場所に戻ってきました。

世界遺産に登録の看板をパチリ📸

博物館に到着!

ゼウス神殿の西の破風『ラピタイ族とケンタウロス族との戦い』

ケンタウロス族ってどんな人たちなの???

こたえ。。。ギリシャ神話に登場する半人半馬の一族です。ケンタウロス(人名)が牝馬と交わり産まれた種族ともいわれています。

ケンタウロス族は小惑星の分類名でもあります。→ケンタウロス族天体の命名の際にはケンタウロス族の名前を付ける慣習になっています。

ズーム

紀元前の作品とは思えない躍動感ある彫刻です。

ギリシャ神話の勝利の女神のニケ象

ニケ象を英語読みすると???

こたえ。。。「ナイキ」→スポーツブランドのNIKEですね!

ひだの細やかな表現→仏像はきっと古代ギリシャの影響を受けているんでしょうね。

次は、「赤子のディオニソスをあやすヘルメス像

全てが美しくて、一番時間をかけて見学しました。

この彫刻の作者は誰???

こたえ。。。プラクシテレスという紀元前4世紀の人です。

ヘルメスの後ろ姿。。。

おまけ。。。ミケランジェロもギリシャ、ローマ彫刻が基礎になっているそうです。

肉体美が細やかな部分まで表現されています

足も...

ギリシャ彫刻って???

こたえ。。。神にささげる像です。

どうして、ヘルメスが赤子を抱いているの???

こたえ。。。ディオニソス(バッカスお酒の神🍇)はゼウスが浮気して生ませた子なので、ゼウスが妻のヘラから守るためにヘルメスにかくまうところまで連れて行かせるところを描いています。→ヘラ神殿から見つかりました。

ゼウス(ジュピター)ってどんな神様だったの???

こたえ。。。父クロノスが率いるティタン神族との戦いに勝ち、神々の王となる。最高神、雷神、絶倫万能の神で、妻ヘラの目を盗んで浮気を繰り返しました。

ヘルメスってどんな人???

こたえ。。。ヘルメスはアルカディアの地でゼウスとアトラスの娘マイアとの間に生まれ、 ゼウスや神々の伝令を勤めました。後には亡霊を冥土へと導く役割も加わりました。

神々の伝令役であり、ゼウスの忠実な部下でした。

あなたは誰?     ローマ彫刻のハドリアヌス帝です。

ローマ彫刻って?

こたえ。。。皇帝にささげる像です。

泉の広場(ニンフェオン)の写真の中にいた「ニンフェオンの牡牛」→イロド・アティコスの妻レギラがゼウスに捧げた牡牛像です。

何か体に書いてあります→(イロデス・アッティコスの妻)レギラがこの泉をゼウス神に捧げるという内容の文面が胴体に刻まれています。

館内の様子「ニンフェオンの牡牛」が真ん中に置かれています。

泉の広場のライオンたちパート1

泉の広場のライオンたちパート2

泉の広場のライオンたちパート3

寅年なのでトラもおまけ

ここに飾ってありました

個人的に気になるツボ。漫画のような絵が描かれています。

からだが動物のケンタウロス族でしたね。

博物館の前に聖火の火をおこす写真がありました。

入り口にいた人気の子猫ちゃん、みんなに写真を撮られていました。

歩いてレストランへ。

入り口にはワンちゃん

テーブルには小鳥がやってきます。

のどかだあなあ~(#^.^#)

昨日、バスの中で選んだお肉料理!いただきまーす。

お料理はいつも食べきれないくらい出ます。アイスクリームのデザートも食べました。

木の上に何かいるよ?

猫ちゃんでした...近くにいた外国人の旅行者が猫と一緒に写真を撮ってくれました。

これから、イテアに向けて4時間かけて225km移動します。

橋を渡り、ペロポネソス半島→ギリシャ本土へ。

ドライブインで休憩~海岸に行ってみる。

渡ってきた橋が見えます。

この橋の名前はなんていうの???

こたえ。。。2004年に開通したハリラオス・トリクピス橋

どんな橋なの???

こたえ。。。総距離は2,252m(連絡橋を含めると2,882m)、総距離では世界最長の斜張橋(しゃちょうきょう、Cable-stayed bridge)です。

斜張橋って???

こたえ。。。橋の形式の1つで、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造のものである。横浜のベイブリッジも斜張橋です。

海岸で貝殻探し。。。

背の高いススキ?

添乗員の増田さんが世界で一番好きな場所はどこでしょう?

こたえ。。。太陽がいっぱいの映画、シチリアのタオルミーナだそうです。真っ青なイオニア海、そして世界遺産のエトナ山、そして大変美しい劇場ある。

ギリシャ料理に必ず使われているのはなあに???

こたえ。。。オリーブオイル。お腹がゆるいと思ったら、オリーブオイルのせいです。気にしなくても大丈夫です。

ギリシャヨーグルトって???

こたえ。。。濃厚でクリーミーな食感です。ヨーグルトを水切りしたものです。

近代オリンピックの第一回目はどこで行われたでしょう?

こたえ。。。古代のオリンピック感謝の意味を兼ねて、アテネで開催されました。

コストスさんがバスを停車してくれ、車内から港町を写真におさめる。

ここは、ナフパクトスという場所です。

どんな街なの???

こたえ。。。日本ではレパントの名称で知られている「レパントの海戦」の舞台となったところです。港の城壁から頂上の要塞まで、5層にもわたる防塞が築かれていました。

この要塞は1477年に3万人ものトルコ人(オスマン帝国の時代)が3ヶ月にも渡って攻撃を続けたにもかかわらず、落ちなかったといいます。

塔の上に十字架?

お散歩してみたくなりますね~

いくつかの町を通り、

海岸線を進んでいきます。

もう少しでイテアの街に到着します。夕日の時間に間に合うかなあ~

オリーブの木がいっぱい…

明るいうちにイテアに到着しました。

ベットが一つ?と思ったら、カバーを挙げると、2つにベットが分かれていました!(^^)!

ベランダから外を眺める。夕日を眺められそうです。外に行ってみましょう~

港に大きくイテアって書いてあります。

船の掃除をしていたおばあちゃんにカリスペラー(こんにちは)とあいさつ。お互いほとんど言葉が通じないけれど、笑顔で言葉を交わし、ヤーサス(ごきげんよう)と言ってお別れする。

夕日を眺める猫ちゃん(=^・^=)

夕日も沈んじゃったね。。。

海岸のベンチに座って海を眺めていたら、ツアーに一人参加している男性がやってきました。

これから、町を散歩しようと思っていたら、どうやら一緒についてくるようです。’’あっちにあるいてみようか?’’と???

暗くなったし、3人のほうが安全かもね。。。と自分に言い聞かせて歩き始めます。

こじんまりとした街の中もクリスマスの雰囲気

お土産物屋さん

街の中には、テーブルと椅子があり、地元の人たちがお食事を楽しんでいます。

そろそろ、私たちも夕食の時間です。バイキングの夕食を食べて、今日も早めに寝ましょう~

~デルフィの事前知識~ 増田さんより

紀元前12世紀頃、ミケーネ時代後半に聖地クレタ島から太陽神アポロ=デルフィニオスの信仰がこのピュトー(デルフィ)に伝わりました。ガイア(大地)に替わってアポロ(太陽神)の聖地となりました。

おまけ。。。デルフィニ→ギリシャ語でイルカの意味です。

どうしてデルフィニに、イルカの意味があるのでしょう?

こたえ。。。アポロは、デロス島で生まれ、クレタ島からイルカに乗ってデルフィにやってきたので、イルカの意味があります。

その後392年異教徒禁止令が出て、デルフィは荒らされ、地震、土砂崩れによって、土の中に埋まりました。フランス人の手で発掘が始まったのは1829年のことでした。

添乗員さんに色々教えて頂きました。明日が楽しみ~おやすみなさい

5つの世界遺産・みどころぐるっとひとめぐり 神々の大地ギリシャ周遊8〜2019年11月15日〜22日〜コリントス編

11/15 (金) 東京駅19時→20時成田空港22時20分カタール航空0807→泊1

11/16(土)4時50分ドーハー国際空港6時55分カタール航空→11時40分アテネエリフテリオスヴェ二ゼロス国際空港12時→83キロ→13時40分コリントス運河14時15分→14時45分コリントス(昼食)16時10分→19時10分ホテルヨーロッパオリンピア泊2

友人が東京駅から成田空港行きのバスに乗るというので、私も電車→バスに変更。丸の内北口で待ち合わせすることにしました。

友人が来る前に、成田空港行きのバス停を確認しよう~

丸の内側には、成田行きのバス乗り場がありません。。。。

バス乗り場は八重洲口でした。。。。ちゃんと調べなかったことを反省😞待ち合わせは八重洲口に変更~

友人と乗り場へ行くと、18時10分が最終でこのあとはありませんと😒

’’あれ?おかしいねえ~’’ちょっと焦る☹️

バスで調べたら、時間は出てくるので、乗り場はきっと他にもあるはず…

京成バスの乗り場は駅から少し離れた場所にありました。

ぎりぎり19時のバスに乗れた😍20時20分の集合時間には間に合いそうだ‼️

20時過ぎ成田空港出発ロビーに到着。

こちらのレートでユーロに2万円分換金

今回のギリシャツアーは29人…しかも女性同士のグループが多くて、男性が少ないとのこと。

出国手続きを済ませて、免税店に寄り化粧品を買う。ファンデーションがなくなっていたので買えて良かった(*’-‘*)

日本よ、さらばじゃ👋

飛行時間11時間51分

カタール航空の座席はゆったりしていて快適💕しかし、お隣のカップルの女性が私の肩に寄りかかって寝るのが気になる。

ドーハー国際空港到着‼️時計を6時間戻す。

バスに乗って空港内へ移動✈️

大きな熊さん🐻

7時10分集合までフリータイム。。。

ドーハからアテナ向かって出発‼️

空港内は、カタール航空の飛行機ばかり…

これから、約5時間の飛行時間。窓側の席でうれしい~

海の中に何か見えてきた。。。

なんだろう???

海を埋め立てた町に見えます😳

景色を眺めるのが楽しいなあ~

アテネ空港に到着!

今日と明日、2日かけてペロポネソス半島のコリントスとオリンピアを観光します。

空港にてアシスタントのジョージさんが荷物をバスまで運んでくれます。

ドライバーは、 コストスさん

ベンツのバス🙀に乗り込み、コリントス運河に向かいます。

バスの中で、明日までにオリンピアのランチのメイン料理チョイスメニュー魚or肉を決めておいて下さいと添乗員さんからのアナウンス🎤あり。

添乗員の増田寛子さんは、ギリシャについていろいろ教えてくれます。

ギリシャってどんな国なの???

こたえ。。。ヨーロッパ文明発祥の地です。クレタ島ではミノア文明が紀元前3千年前に起こり、ヨーロッパの最初の文明のひとつとされています。前1650年ごろ、ペロポネソス半島では、ミケーネ文明が起こります。ギリシャ神話と文明とは深い関係があり、ギリシャの小中学校の授業では、ギリシャ神話を勉強します。

おまけ。。。ギリシャの11月からは冬時間→時計をもう一時間早めます。時差はマイナス7時間になりました。

ギリシャの水道水は、飲めるの???

こたえ。。。東京で水飲むのと同じ。飲めます。

ギリシャの山が白いのはなぜ???

こたえ。。。本土側は、石灰岩の土地で乾燥しているので、白っぽい山が多い。

どうしてオリーブの木が多いの?

こたえ。。。肥沃でない土地なので、オリーブ栽培に適している。

チップはどんな時に払うの???

こたえ。。。ホテルチップは、1人1ユーロ枕元に置く。また、食後のドリンク代を支払うときに、チップとして1割をテーブルに置くのがスマートだそうです。

ちなみに、アメリカは2割です。

物価は日本より高いの?

こたえ。。。日本より少し安めです。

ギリシャで有名なブランドは??

こたえ。。。フォリフォリ(バックや時計やアクセサリーのお店です)→ブランド店が少ないので、ギリシャ旅行者の免税手続きのお手伝いは一度もないそうです。

話を聞いているうちに、

コリントス運河に到着!ここで、バンジージャンプもできるそうです。

エーゲ海とコリンティアコス湾を結び、1893年に完成した運河です。

ここに運河を作ろうとした構想は約2千年前のローマ帝国時代だったそうです。すごいね〜

運河の高さと幅、長さはどのくらいあるの?

こたえ。。。高さ80メートル、幅23メートル、長さ6343メートル。

運河の開通で航路がどのくらい短縮されたの???

こたえ。。。従来のペロポネソス半島を迂回するルートに比べて航路が400kmあまり短縮されました。

運河にかかる橋を往復歩きました。

日本より、暖かい~ 気温は20度あります。

ギリシャの電話ボックスは、高い位置にあるね!

バスに乗ってレストランに向かいます。

コリントスの町

バスを降りて、レストランへ。放飼の犬が歩いてる☹️見えてる遺跡は、アポロン(音楽の神様)神殿

アポロン神殿はいつごろ建てられたの?

こたえ。。。紀元前6世紀。当時は38本のドリア式柱がたっていました。

コリントスってどんな町だったの?

こたえ。。。アテナイやスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)のひとつでした。商業都市として、紀元前7世紀から栄えていました。独立した都市国家、ポリスは、日本で言うと江戸時代の藩のようなイメージ。都市国家の代表は、アテネです。

しばらく商店街を進んでいくと。。。

レストランに到着!

メゼ料理のザジキという前菜料理。白い色は、水切りヨーグルトです。

メゼってなあに???

こたえ。。。メゼ→小皿という意味があり、小皿料理が何種類も出てきます。ほかに、ズッキニーコロッケ、ミートボール、デザート季節が出てきました。

レストランの中に猫ちゃんが大人しく座ってます🙂

レストランの入り口、金魚鉢と電話がありました☎️

食後、バスの時間まで町をぶらぶら🚶‍♀️

あら、あそこにも犬が。。。

階段を下りてきて、

じゃれ合うワンちゃん

商店の前にも放飼の犬🐶

犬を追い払うときにはなんていうの????

こたえ。。。’’スースー’’と言います。

カリスペラー(こんにちは)の練習をしていたら、前から来たイケメンギリシャ人に、笑いながら’’カリスペラー’’って挨拶されました😛

門に鳥?の模様???

コリントスの遺跡を覗いてみましょう〜遺跡の中に入れるのかな?

こちらも建物の跡らしい。

遺跡入り口に到着!入場する時間がないので、入り口前で写真を撮らせていただきました。エフカリスト(ありがとう~)

柱の跡かな❓

花をバックにパチリ。。。

再び、バスに乗りオリンピアを目指します。

添乗員さんのお話。。。

アテネオリンピックはいつだったでしょうか?

こたえ。。。2004年→高速道路、空港など整備され、他のヨーロッパに追いついたそうです。

ギリシャの国の大きさは日本より大きいの?

こたえ。。。日本の3分の一の大きさです。九州と北海道とを合わせた面積と同じくらいだそうです。人口は1000万人くらいです。

ギリシャには島はいくつくらいあるの??

こたえ。。。3300くらいあります。

人が住んでいる島の数はどのくらい???

こたえ。。。約200です。

ギリシャの気候は???

こたえ。。。全体的には温和で過ごしやすい、地中海性気候に属しています。

コリントス遺跡近くに海が見えますね。

おまけ。。。コリントスの街はここから8キロ離れた海沿いにあります。

どうして古代コリントスの場所じゃないの???

こたえ。。。1858年に続いて1928年にも地震に見舞われ、海沿いに再建されました。

夕日で空がきれいに染まってきました☀️

ペロポネソス半島は広いなあ~

3時間かけて220キロ走り,

オリンピアのホテルに到着!

バイキングの夕食を食べて、お風呂に入ってベットに横になった途端、意識がなくなりました。お布団を掛けてくれてありがとうございます😊

1日目の添乗員さんの歴史他の話。。。

都市国家の黄金時代はいつでしょう??

こたえ。。。紀元前5世紀繁栄しました。マケドニア王国、ローマ帝国にも影響を与えました。

紀元前5世紀ペルシャ戦争では、アテネやスパルタ力を合わせて破る→
紀元前3世紀アレクサンダーとも力を合わせて、ペルシャを破る

都市国家ポリス衰退したのはなぜ???

こたえ。。。異端だったキリスト教が、紀元後300年ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世によって公認され、ここで大きく歴史かわり、ポリスは衰退していきました。

ギリシャ神話→キリスト教も時代へ移り変わり、ローマ帝国の長い支配の時期となり、文化、哲学栄えました。

ギリシャは、ビザンチン(イスラム教)に支配されたのに、どうしてキリスト教は残ったの???

こたえ。。。現在のトルコは、イスラム教を信仰していましたが、異教にも寛大だったので、ギリシャ正教残りました。

ギリシャの宗教は????

こたえ。。。97パーセントの人が、ギリシャ正教を信仰しています。
独特で、プロテスタント、カトリックとは全然違います。

ギリシャ正教ってどんな宗教なの???

こたえ。。正教→ギリシャ語で「オルソドックス」

「オルソス(正しい)」と「ドクサ」からなり、ドクサには「教え(意見、主張)」のほかに「神を賛美する」という意味がある→伝統的(オーソドック)とは、この「正しさ」を保守し後世に伝えていく教えになっています。

カトリックやプロテスタントとどこが違うの???

こたえ。。。 聖書が偶像崇拝を禁じていることはよく知られていますが、熱心なクリスチャンだったビザンティン帝国皇帝レオ3世は726年、その教えを理由にイコンを禁止しました。その後、イコンは復活しましたが、ギリシア正教では平面像としてのイコンは許されましたが、立体像の聖像は作られることはありませんでした。

イコンってなあに???

こたえ。。。イコンとはギリシア語で「イメージ」の意味。

ギリシャ正教の聖職者の服装は???

こたえ。。。全身黒の服と黒い帽子。

ギリシャのワイン🍷って有名なの???

こたえ。。。6千年前からワイン作られていました。ローマ帝国時代、イタリア、フランス、ドイツに伝わっていったそうです。

ここからオリンピアの話に移ります!(^^)!

古代オリンピックってなあに???

こたえ。。。ゼウス(全能の神)に捧げるまつりでした→古代ギリシア人にとって、宗教的なイベントだったのですね。

古代オリンピックで最初に行われた競技はなあに???

こたえ。。。紀元前776年の第1回大会から紀元前728年の第13回大会まで1スタディオン(約191m)のコース を走る「競走」だけでした。

古代オリンピック最後の年はいつ??

こたえ。。。最後の第293回古代オリンピックは393年です。

どうして途切れてしまったの???

こたえ。。。ローマの異教神殿破壊令により古代オリンピックは神域を破壊され長い歴史の幕を閉じました。約1500年の間、忘れられていました。

現代のオリンピックは、誰が始めたの???

こたえ。。。フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン男爵によって’’若き時代にスポーツすることはよいことだ’’と、1896年第1回大会がアテネで開催されました。

古代オリンピックはどこから人が集まってきたの???

こたえ。。。ギリシャ全土から集まってきました。戦争を中断してまで参加する義務がある大事なイベントでした。男性ギリシャ以外の人の参加は認められていません。全裸で競技が行われました。かかる費用は、ポリスから補助金が出たそうです。

添乗員さんからのクイズ。。。女子マラソンがオリンピックで正式競技と認められたのはいつでしょう?

こたえ。。。1984年のロサンゼルス・オリンピックからのことです。

丸亀〜本島〜倉敷へ〜其の弐~2019年11月8日〜9日

11/9(土) 泊1→10時半式場12時半→与島→倉敷→岡山17時03分さくら558号→17時48分新大阪17時53分のぞみ248号→20時23分東京

朝食前、叔母の家に挨拶に行くことにしました。

叔母の家に向かいながら、叔母が亡くなった日が、11/6。。。

母と姉一家と一緒に、20年ぶりに丸亀の叔母に会いに行ったのが、ちょうど3年前の11/5,6だったことを思い出しました。

そして、叔母と母が、姉妹2人水入らずで話をした日が、11/6でした。

母は、幼いころ父を亡くしており、実母は実家に戻り、姉妹はそれぞれ違う親せきの家に預けられて育ちました。そんなこともあり、頻繁な付き合いはなかったものの、お互い元気なうちに会えて、血のつながった姉妹は1人しかいない、これからも仲良くしようねと楽しそうに話している光景が目に浮かんできました。

帰り際、’’生きているうちにまた会おうね’’と握手をして別れました。

その後、2度、再会の計画を立てましたが、みんなの都合や、健康上の問題で実現には至りませんでした。

叔母の家の前で、’’母と会わせてあげられなくてごめんなさい’’と、手を合わせました。

叔母の家から、丸亀城に寄ってホテルに戻りましょう。


丸亀高校記念館 (登録有形文化財)の前を通り、
お城のお堀に出てきました。
石垣は工事中。
城内で太極拳が始まってます。
階段を歩いて登っていくと、
讃岐富士が見えてきました。
あの石垣の上を目指して登っていきます。
うっすらと街見えてきます。。。
夜になると、ここに明かりがともるのですね”(-“”-)”
あら、ここにも。。。
昨晩、頑張らなかったことを少々後悔。。。
天守閣まではあと少し。。。
到着!ここは、現存する貴重な天守閣ですね。
叔母の家の方角です。
正面に見えるのは、塩飽諸島の本島ね。
山の方までよく見えています❣️
剣山あたりではないでしょうか?
瀬戸大橋もまた昨日とは違った角度から見えますね。
カラスが置物のようでおもしろい(笑)
石垣工事中の様子👷‍♀️→昨年7月7日
帯曲輪 (おびくるわ) 南面石垣 が崩落したそうです。

 曲輪(くるわ)ってなあに???

こたえ。。。城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲いのことです。


帯曲輪 (おびくるわ) っていうのは???

こたえ。。。一つの曲輪の外側に帯状に設ける曲輪のことです。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 18164738-F97A-4452-A69A-C3CCB7E7E592-1024x768.jpeg です

💖形 のいのめ

‘’何の写真を撮ってらっしゃるの?どちらから来られたの?’’と女性に声をかけられる。

その方は、横浜市緑区鴨居に住んでらっしゃる方でした。前に宿泊した旅館の方も鴨居の方でしたよね。。。

法事があり、丸亀に帰省中とのこと。

‘’いくつに見える?? 85歳よ(゚д゚)!’’

70代にしか見えない。。。

地元情報、逆さ富士がみられる場所を教えてもらいました。

手前に見える池から、逆さ讃岐富士が見えるそうです。

丸亀城の瓦のマークと同じ紋→京極家の時に天守閣が完成しました。
山崎家
藩主は、生駒家→山崎家→京極家と変わっていきました。
修復した石垣ですね。
こちらの門からホテルに戻ります。
キャラクタートリオ
キャッスルロード、次回来た時には見てみたい。。。
ここにアーケードがあったんだ🤭

朝ご飯を食べて、出発の準備。。。

姉夫婦がホテルまで迎えに来てくれる。

早めに式場に着いたので、叔母にゆっくりお別れを伝えることができました。

お葬式は、市長さん、議員さんなども参列してくださっていました。多くの方々に見送られて、叔母の偉大さを感じます。

私の祖母が25年くらい前に亡くなった時、父は知人などにも声をかけ100人以上の参列者がありました。父も幼いころ、実父を交通事故で亡くしており祖母が進駐軍や和裁の仕事をしながら4人の子供を育て上げました。

甥の姿を見ていたら、ふと、祖母のお葬式の父の姿を思い出しました。

大勢の参列の方々に感謝しながら、たくさんの方々に実母のことを見送ってもらいたいという息子の共通する思いがあるのかもしれません。

式には参列できなかった母ですが、現実を目の当たりにすることになるので、遠くから見送るほうがショックが少なかったかな?と勝手な考えかもしれませんが、そう思いました。

帰りの車の中で、姉たちと、元気になってから妹に会いたいと言っていた叔母が、1週間前急に、’’まーこに会いたい。‘’と、言ってくれたので、’’本当なら今日、母は、丸亀に行くはずじゃったのにね。
最後に会わせてあげられんかったのが、心残りじゃね。‘’ と話します。

’’母には、これからたくさん楽しい企画を考えて、元気でいてもらわなければね。’’と、ふとそんな風に思いました。

私は、姉夫婦に倉敷まで送ってもらえることになり、瀬戸大橋を渡っています。

車で瀬戸大橋を渡るのもいいね~
与島に到着‼️

おなかすいたね~

お昼ご飯は、お讃岐うどん😋おごってもらいました。
展望台からの景色
ここから本島見えますね〜
こっちは四国の坂出、丸亀方面。
こちらは、岡山県側
’’事前に申し込めば、瀬戸大橋を歩いて見学することもできるんよ‘’と
姉夫婦が教えてくれました。
これからツアーに出発する方々がいます。

旗を配っている人がいます。なんだろう???

これから、アンパントロッコ電車が瀬戸大橋を走るのに合わせて、ここから旗を振るそうです(笑)
うちわも配ってます。
アンパントロッコ電車がやってきました。
みんなで旗を振りまーす🏳
スピードは緩めて走ってくれたようですが、
あっという間に通り過ぎていきました。
あの電車は、昨日、坂出駅で見た電車と同じですね。。。

イベントに参加できてラッキーでした🤞大人が多かったにもかかわらず、一瞬でしたが、盛り上がりましたね。

倉敷駅に到着‼️

😊また年末にね〜 送ってくれてありがとう~♡

新幹線の時間まで倉敷美観地区を歩いてみましょう〜
こちらでトイレをお借りして、
白壁の中を抜けて、

川沿いに出てきました。

アオサギだ!
秋色に変わった景色に中に、
川舟流し →500円
先程の舟はここから出発します。父がいたなら、‘’乗ってみようや’’と必ず乗りますね~

アイビースクエアのツタ を見に行きましょう~

いいね~😁
もうクリスマスツリーが飾ってあります🎣
メサタコイヤの大木
イチョウの実がびっしりとついてます。

川沿いに戻りましょう~

ここで、はんぺんを買う。→前と味が少し変わっちゃったかな?
大原総一郎が子供のころ住んでいた家
萩の花がきれい~
大原美術館さん、またゆっくり見にいきますからね〜
エルグレコの入り口も秋色で素敵ですね❣️
紅葉の映った水面を気持ちよさそうに進んでます。
改装の終わった倉敷国際ホテルを覗いてみるが、結婚式で奥まで入れず。
あら、前はアイビースクエアの方に宿泊されてたような…

ホテルの向かいに100円ソフトクリームがあり、食べながら倉敷駅に向かう。

予定より一本早い電車に乗れました。岡山駅で、ゆっくりお土産や駅弁を買えました。

初めてのさくらに乗ります。
岡山県らしい広告💐😁奥の深い言葉ですね~
さくらが入線🌸ウキウキ

新大阪で新幹線を乗り換えて、東京駅まで帰ります。

皆様、お疲れさまでした。。。。

おばちゃん、天国から母を見守っていてくださいね。

丸亀〜本島〜倉敷へ〜其の壱~2019年11月8日〜9日

昨夜、丸亀の叔母の訃報を聞きく。日曜日の葬儀に参列させていただくため、交通手段を考える。日帰りでは葬儀の時間に間に合わないので、一泊二日で行くしかありません。

ANAのサイトでツアーを申し込んだところ、一週間先の日付で申し込んでしまいすぐに気が付きキャンセルしましたが、キャンセル料が発生しがっかり。。。。

前日の飛行機の予約はできるにしても料金が高いので、新幹線と在来線を乗り継いでいくことにしましたすでに日付も変わり、EXカードでの申し込み時間外になってしまいました。万が一、新幹線の予約ができないことも考えて、朝いちばんに新横浜に行くことに決めました。

ホテルは、丸亀市内に予約完了。

明日の朝も早いので、準備をして寝ましょう~

11/8(金)新横浜6時18分のぞみ1号→9時9分岡山9時32分→10時10分坂出10時30分→10時37分丸亀→アパホテル丸亀駅前→ 丸亀港12時10分→12時30分本島→島めぐり→本島17時10分→17時30分丸亀港→ アパホテル丸亀駅前 泊1

新横浜駅で、EXカードを使って新幹線の指定席行き帰りを予約できました。

車内では、爆睡しているうちに岡山駅に到着!

マリンライナーに乗り換えて、丸亀に向かいましょう~

マリンライナーに乗車!
瀬戸大橋を渡ります。

名札を付けた年配の方が、‘’どちらに行かれるのですか?’’と話しかけてくれました。

さっきまで車掌さんと仲良く話していたので、てっきりいつも電車を利用されている方で、通勤の方と勝手に思い込んでいましたが、

’’金毘羅山にお参りして、大歩危小歩危に立ち寄り、高知まで行きます’’と聞いてやっとツアーの添乗員さんだと理解しました。阪急ツアーだそうです。参加人数が多いので大変そうです。電車に乗っている時間が、少しだけほっとできる時間かもしれませんね。

添乗員さんが、’’いつもここで写真を撮るのよね~’’というので、私も写真におさめました。

坂出市の工業地帯
坂出の駅で団体さんは下車。私も電車を乗り換えて、丸亀に向かいます。
アンパンマン電車乗ってみたいなあ~
丸亀駅に到着!三年前はここで叔母と待ち合わせたになあ~
おばの元気だった時の姿が目に浮かびます。

観光案内所で、地図をいただきおすすめのお昼ご飯の場所も教えていただく。まずは、ホテルに荷物を預けに行きましょう~

お昼ご飯に讃岐うどんをいただきます。
これで540円

ちくわにこだわりあり👇

ちくわ天ぷらの食べ比べ(笑)
海が見えてきました。港まであと少し。。。
港の近くだけあって、こんなお店もありました。
本島(ほんとう、ほんじま)往復乗車券を購入

牛島を経由して本島に向かう高速船に乗船します。

本島に到着!
猫ちゃんがお出迎え

港の待合室には、こんな置物が。。。。

こちらは、2013年瀬戸芸の際に八朔人形(だんご馬)の文化を紹介しようと
紙粘土で作られたものです。

八朔人形(だんご馬) ってなあに???

こたえ。。。旧暦の8月1日を「八朔 」(はっさく) といい、だんごで作った馬を飾って、男の子の健やかな成長を願う文化があります。だんごは、お米の粉で作り、骨組みは鉄と木でできています。お祝いが終わると、近所の人にだんごをふるまったそうです。

瀬戸芸作品「咸臨丸のオブジェ」もありました。

「笠島」 方向に向かって歩きます。


瀬戸大橋が近くに見えます!(^^)!

マイペースマラソンってなあに???

塩飽水軍 (しわくすいぐん) ゆかりの史跡と文化財の宝庫、本島でいい汗かこうと、毎年3月に行われています。
こちらも瀬戸芸の作品かしら?
入ってみましょう~
いらっしゃいませと笑顔でお出迎え。。。

中に入ってみると、20点くらいのの作品が展示してあります。

写真のように繊細に描かれています。すごいにゃあ~🐈
部屋の中の飾り物
案内標識
「笠島」 は右方向ね。進んでいくと、
中学校が見えてきました。

オブジェを見ていたら、中学の先生らしき方が、ゆっくり見ていってくださいと声をかけてくれました。

空き缶もこんなに可愛く変身
こちらも可愛いでしょう~
雰囲気の良い中学校なんでしょうね!(^^)!→全校生徒は9人だそうです。

時間はたっぷりあります。ゆっくり観光しましょう~

誰かに見られてる気がする。。。

見られてます。。。

どこにいるのかというと、

こんなところから見られていました。
島そだちっていうカフェがあるようです。寄ってみましょうかね。

途中に、

幼稚園と保育園があります。。。ちょっと覗いてみました。
島そだちは普通の民家のようです。恐る恐る入ってみます。

リンゴケーキとハーブ茶を注文。イチジクも5個100円で分けていただきました。

こちらでびっくりする出来事が。。。

なんと,叔母が本島で保育園の園長をしているときに、保育園の給食のお手伝いをされていたとのこと。手作りの桜茶をふるまったら、‘’桜の葉から作ったん?’’と、とても喜んで飲んでくれたのよと。

叔母は手芸、お菓子、ご飯づくりと何でもできる人でした。子供たちの2人の幼稚園バックを作ってもらったり、料理のレシピを食材とともにいただいたり、一馬力で苦生活をしていたときにはいろいろな場面で助けていただきました。

叔母は、塩飽(しわく)諸島の広島(’’ろ’’にアクセントをつけます。)の方と結婚しましたが、叔父は30代で亡くなってしまいました。
土葬 で埋葬されるお葬式に参列したことを覚えています。広島まで行ったんでしょうかね~記憶が定かではありません。


広島へ行ってみようかと思っていましたが、情報を集めきれず本島に渡ったのですが、まさかこの島で叔母を知っている方とお話しできるとは思っていませんでした。

島そだち小林さん情報。。。

本島には最近ある動物がすむようになりました。何の動物でしょう???

こたえ。。ヌートリア (南米原産の大型ネズミ) ネズミと猫をかけわせて多様な動物で、岡山から泳いできたという話があるそうです。3年前から、イノシシも出るようになり、こちらも岡山方面から泳いで本島に住むようになったそうです。

こちらに展望台があるんだ!行ってみよう~
おやみ堂ってどんなとこだろう?ちょっと寄り道。。。
大きな岩と祠がありました。

展望台に到着!

瀬戸内大橋が見えますと思っていたら、
てんぐの足跡がある大岩でした。
足跡ってあったっけ?
あった(≧▽≦)
やっと展望台に到着!
右奥の島が男木島ですね。
こちらは与島のパーキング
どんぐりがたくさん落ちています。
尾上神社境内に下りてきました。社殿の龍がかわいらしい。
えー!尾上神社って学生さんが建てたの(゚д゚)!
と、振り返る。。。社殿まで戻らず、中途半端な写真です😞
あら、ここでも見られてたのね。

やっと、笠島地区に到着!

壁が黒いのはなんでだろう?
黒い部分は炭のように見えます。

壁を見ていたら、地元の方が、杉の表面を焼いて、炭化させることによって、防腐効果もあると教えてくれました。30年以上はもつそうです。

その先に、横浜から移住してきた、あささん、というおしゃれなおばあさまがが住んでらっしゃったそうです。お亡くなりになられていますが、自宅は人形の展示に使われているそうです。残念ながら、今日はお休みでした。

地元情報おまけ。。。 本島には、お墓が2か所あると教えていただきました。
両墓制 というそうです。

  両墓制 ってなあに???

こたえ。。。塩飽諸島には両墓制と呼ばれる民俗文化が昭和40年代まで残っていました。土葬の時代、遺骸を埋めた墓を埋め墓といい、小さな自然石を置き、時には小屋掛けした。一方石塔は寺院の敷地など別の場所に建てられて参り墓と呼ばれ、魂はそこにあるとされた。笠島集落では今でも、両方の墓にお参りしているそうです。

こんなイメージですね。
立派な家が立ち並んでいて驚きます。
街中を歩いてみましょう~
壁に花を飾っているお家もあります。
日経の記事が掲示板に貼ってありました。
おうちの中をのぞいてみることにしました。

丁寧に説明してくださるご主人にお話を伺いたかったけれど、私は淡々と話す奥様の説明でした”(-“”-)”

有馬焼のトイレとスリッパ
刀のつばがも飾りとして使われています。
反対側から見ると全然雰囲気が違いますね。
なかなか実物を見ることができない戦時中のもの
奉公袋です。(ご主人が説明されておりきかせていただきました)

帰りにご主人と少しお話ができて、ご主人が大好きな通りを教えていただきました。

こちらです。

話していたら、奥様が来て‘’鶴瓶に乾杯の番組でテレビに映った人って紹介していたのに、早く戻ってきて’’‘’と言われていました。

こちらも瀬戸芸の作品です。
苔のエッグチェア
吾亦紅もきれいに咲いています。
港にやってきました。
こちらにも杉焼の壁あります。
港からも瀬戸大橋が見えます。
火の見櫓もありますね。
海外線を通って港まで歩きます。
途中に摩崖仏もあります。

ヒレガクアサガオ
マツヨイグサ属はアカバナ科の属
さっき登った展望台の山
標高100メートルほどの遠見山 が見えます。
港まであと1キロくらい。

塩飽勤番所 はもう閉館していました。
熟睡中

宮本家の墓って標識あり、近そうなので寄ってみます。

本島中学のグランド側にたくさんのお墓があります。

年寄 宮本家って??

こたえ。。。 1590年に塩飽諸島の船方衆650人は豊臣秀吉から1250石の領地を認められました。その人名から選ばれて政治を執り行ったのが年寄です。
人名制度の原型が出来たときの年寄は、宮本伝太夫、吉田彦右衛門、真木又左衛門、入江四郎右衛門の4名と伝わります。宮本伝太夫は秀吉の朝鮮出兵をはじめ多くの功績を残しました。

塩飽水軍ってどんな水軍なの???

こたえ。。。海賊は「水軍」とも云われるように、海上での武力行使に長けた軍隊で、縄張り内の海の状態を知り尽くした上に築かれた優れた航海造船技術を持った集団でした。

江戸時代の塩飽水軍は、海運技術をもって仕える代わりに幕府から或る特権を与えられていました。その本拠地が、ここ本島です。

どんな特権???

こたえ。。。 塩飽水軍の船方たちは、武士ではありませんが、大名旗本のように秀吉や徳川幕府に直属で仕え、年貢を納める義務もなく、実質的に封建制度下では珍しい自治権を与えられた特別集団でした。
船方たちは、この仕組みを「人名(にんみょう)」と自称して高い誇り を持っていたようです。

注目はここ(゚д゚)!→ 幕末に勝海舟を船長として渡米した咸臨丸を操縦した船乗り達の多くは、この塩飽諸島の出身者でした。 地元の方の話によると、50人中35人が塩飽諸島出身者だったそうです。

よく歩きました。。。フェリーに乗って帰りましょう~
夕焼けの時間になりました。
夕日に染まるゴールドタワー

夕日がきれいだったのに、私は船内で爆睡。。。

もう少しで丸亀港に着岸します。

骨付きどり一鶴本店でとり飯を買い、ホテルでいただきました。

電話で、姉と明日の打ち合わせをした後、お城のライトアップを見に行こうと思いましたが疲れて断念。おやすみなさい。

広島帰省〜岩屋の観音〜和奏光夜(わそうこうや)~2019年10月31日〜11月3日〜

11/2(日) 実家3→水分峡(みくまりきょう)→岩屋観音途中まで→お墓参り→広島新幹線口 「和奏光夜(わそうこうや)」 →実家4

登山口に到着!

小学校の遠足に始まり、初日の出を見に行ったり、何度も登った岩屋の観音。登る前からワクワクしています。

主人曰く、’’1時間くらいで山頂まで行けるよ’’と、

そんなに簡単に登れるんだったっけ?

そういえばつい最近、岩屋の観音に登ったあとに、歩いて母の家に行き庭掃除をしてくれたんでしたね😺感謝😊 

ハイキングスタート

整備された道を進んでいくと、
地元の人らしき方が、
’’お地蔵さまをたどって行くと、急な道だけど近道だよ’’と教えてくれました。

登山道を整備する人たちが高齢になり、道が少しずつ荒れてきたと話してくれました。

私たちも、お地蔵さまを頼りに登ってみましょうかねー

ほう〜ここからね‼️

いくつまであるんでしょうかねー❓

葉っぱがのっかって、可愛らしい〜
85番→82番→78番とだんだん減ってきてますね。
64番になりました。。。
岩屋の観音の山頂が見えてきました!

その時、携帯が鳴る…♫

母から、’’雨が降りそうなのにお布団干しとるけど大丈夫か’’と…

確かに屋根はあるけど、雨が降ったらお布団入れなきゃね(午前中は雨は降らない予報なのになあ😒でも確かに黒い雲が出てきている)

あと1キロくらい…雨の心配をしながら歩く🚶‍♀️
こちらの道は、主人が先日下った道だそうです。
山頂まであと0.4キロ…

雨がポツポツ降ってくる。

景色の良い場所に着いたところで、しばらく続きそうな雨が降り始め、
山頂を目指すのは断念する( 一一)
あと少しだったなあ〜
主人が、’’山頂から見る眺めとあまり変わらないよと言ってくれる’’


そうよね~海までの景色も見れたし、残念だけど、山を下りましょう😢 これから登って行く人ともすれ違う。雨は降ったり止んだりになりそうですね。

登山口まで戻ってきました。

もしかして、お地蔵さまは八十八箇所あったのかもしれないですね。
本来の登山道の入り口には案内石碑も建ってました。

家に戻りお布団を入れて、お墓参りへ。

雨はパラパラと、降ったりやんだり。。。

主人が夜になると賑やかになる流川(ながれかわ)を通りたいとリクエスト
’’ここじゃったかいね~’’と車で通る。

お寺に到着!

23日お寺の法要があり、少し早めですがお布施を住職さんと奥様にお渡しする…お墓を守ってくださって感謝しています。

主人の散髪に付き合い、散髪屋の近くのお好み焼き屋さんで、お昼ご飯。主人は、いつも買うお好み焼き屋さん‘’大吉’’と、どう味が違うか興味津々😁

としちやんに入りまーす。
広島といえば、カーブ😆☺️😉

こちらのお好み焼きの特徴は、うどんは平めんであること。広島で平めんを食べたのは初めてです。

主人は、大吉よりも値段が少し高いのでとしちやんも美味しいけど、大吉の方が勝ちかなと呟いています。

としちやんは蒸し焼きにしているようで、ふわりとしています。大吉は、おして焼くので味がギュッと詰まってる感じです。

今日は平和マラソンの大会‼️
通行止めの場所もあります。
NHKの中のスタバで食後のコーヒーを買って、母のお迎えに行く。

14時半に終わって15時ごろ解散ということだったけれど、14時半に自治会館に行ったら、すでにカラオケ大会は終わっている…予定より早く終わってしまったとのこと😫

実家に戻り、母の1週間の買い出しに行く。あれこれ悩みながらも、一週間分の食材を買う。母の夕飯はお弁当を頼んでいるのでそれを食べるとのこと、主人は少し疲れてる様子で家でのんびりするとのこと。 

私は、夕方から親友と一緒に近くを散歩しようということに決める。

歩いてすぐのところにある東照宮のイベント❣️
😊
「和奏光夜(わそうこうや)」
獺祭の飲み比べ3杯500円だそうです。
イベントをひと回り見たあと、お土産を買いに行くのに付き合ってくれました。

昨日、夕食を食べたデパートの地下のカフェで、軽食を食べながら、ゆっくりおしやべりする😉

前回帰省の時は会えなかったから、話したいことお互いいっぱいあったね‼️

今度会えるのは、来年かな?

21時過ぎにバスで実家に戻る。。。

11/4(月) 実家→バス→広島駅北口6時40分→7時30分広島空港9時10分ANA674→10時30分羽田空港

お昼過ぎには自宅に到着🏠みんな元気で安心しました😊

今度は年末年始に帰省します。体調に気をつけてみんな頑張ろう💪

広島帰省〜芸北深入山~恐羅漢~三段峡〜2019年10月31日〜11月3日〜

11/2(土)泊9時50分→11時20分来夢戸河内→11時50分深入山憩の村12時10分お昼2千円→餅の木峠770メートル→14時15分駐車場500円三段峡水梨口14時50分→実家泊3

中国山地に向かって走る
広島にはた〜くさんのスキー場⛷があります。
日帰りでよくいったものです…

2003年に廃線となった線路 🛤
広島の横川駅から三段峡まで可部線として続いていました。
登山、冬には雪景色を見るのに
何度も乗車した路線でした…
懐かしさが込み上げてきます🥺

深入山への標識が見えてきました。

深入山まであと少し…
深入山入り口に到着‼️


真っ赤になった紅葉🍁
美しすぎて、わあ〜と声がします❣️
コスモスと母の写真を撮る🤳
深入山憩の村のランチは1時間待ち…
諦めましょう。
わーい🙌この辺りは紅葉真っ盛り🍁なのですね😊

もう少し先に、キャンプ場があるので行ってみましょう~

あら、あの幟は何かしら❓

地元牧場の牛肉で作ったお弁当を売っています。美味しそう〜

どれもおすすめですが、メンチカツは一番のおすすめだそうです。

3人で分けて食べましょう〜

母は、’’かあちゃんは、メンチカツ一枚食べたい’’と言って美味しそうに食べています。

1人500円未満のお昼ご飯になりました。安くておいしくて大満足♡

こちらの地元商品も買ってみました。
お店の中には、キノコ🍄やら、
どんぐりが飾ってあります。
男性の方が、試食の栗🌰かと思って手にとったら、ドングリだったので、ガッカリしていました😁

深入山はここから1時間くらいで登れます。今回は登れないので、飾ってあった写真をパチリ🤳

何度も登った山ですが、また登りたくなりますね。深入山のふもとでテントを張って泊まったことが2度ありますが、当時の様子が想像できないほどきれいに整備されています。

母と主人の仲の良い後ろ姿😊
仲良くしてくれるので本当にありたいです‼️
ここは、何度も歩いて通った峠です。
個人的に思い出深い場所。
ヘトヘトになってこの辺りにテントを張りました。
山道を通り、恐羅漢方面へ。

大学時代、毎年5月にここ中国山地に登ってましたね 😊😁😊

餅ノ木には、民宿もあるんですよ。
恐羅漢牛小屋キャンプ場に到着‼️
ここにも何度か泊まりましたが、昔の雰囲気と変わってる。。。セラピーロードとおしゃれな名前がついています。
しっぽの長いトカゲちゃんがいました😉
ここに書いてある地名は、全部行ったことがあり、嬉しくなります‼️
また登ってみたいなぁー
お風呂の窯がいくつも建物の横に並べてあります。。。何でしょうかね〜
スキー場でもある恐羅漢の山を見上げます。思い出がいっぱい詰まった山です‼️
広島大学の山小屋は、まだここにあるのかなあー
初めての冬山体験をさせてもらいました。ラッセルはしんどかった。。。

恐羅漢ってどんな山❓

こたえ。。。 広島県山県郡安芸太田町と島根県益田市との境にある標高1,346.4m の山です。 広島県と島根県の最高峰でもあります。

スキーにも何度も訪れた山で、またいつか行ってみたいとずっーと思っていた場所でした。

母は、’’紅葉を見にこれるとは思わんかった‘’と嬉しそうにしてくれてるし、私もここに来れて大満足💖

こんな山見えます。なんていう名前の山かなあ…深入山かなあ

最後に、主人が行きたい三段峡に向かいます‼️

紅葉の最盛期まではあと少しかな❓
良い天気で良かった〜
ここはどこ❓
‘’天神の岩’’って書いてあります。
反対側には小さな滝まであります。
道幅が狭く、離合が大変です(^_^;)
紅葉のトンネルをくぐり抜け、
奥深い山道を進んでいくと、三段峡水梨口駐車場に到着!
’’ここは道も狭くて大型バイクでは来られん場所’’だそうです。
ここが、三段峡入り口‼️
猿飛という場所には狭い岩と岩の間を渡し舟が運航しています。とっても素敵な場所です^ ^

母は、階段は登れないので、5分ばかり主人とお散歩🚶‍♀️
川沿いにずっと続く道…あまりにも長い距離続くので、集中力の切れそうな危険な道であります。

大学時代、よく歩いた道ですが、疲労で眠くなり転んで歯が折った人もいましたし、遊歩道は道幅が狭いので谷に転落しないよう気を付けて歩かねばなりません。

熊も出るので、熊🐻よけ鈴は必需品です 🐻 🐻 🐻

そろそろ帰りましょ〜

廃線になった戸河内の駅跡でトイレ休憩〜

広島市内に戻り、姉一家と合流してデパートのレストランで晩ご飯を食べる😊

姉と一緒に母の米寿祝いのプレゼント🎁を買いました。気に入った洋服があって良かったね🤭

今日は、主人に実家にお泊まり。。。一日運転ありがとう❣️

明日は、家からも見える岩屋の観音に登ろうね〜