シルクロード河西回廊(かせいかいろう)の物語6日間 2018年11月23日~28日~ 其の四

11/27(火) 泊4→7時19分蘭州→炳霊寺石窟(へいれいじせっくつ)モーターボート利用→中山橋→錦江陽光酒店泊5

6時、カードを切符に交換。電車を降りて、蘭州牛肉麺(早朝6時から15時までオープンの店が多い)の朝食。バスで炳霊寺石窟へ向かうが、予定していた道が凍って通れないため、1時間ロスタイムあり。

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蘭州駅構内
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外は寒そう~黄河の上流に広がる黄土高原。(こうど)日本に飛来する黄砂の主要発生地。黄土高原には草しか生えません。
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道路が凍っています。
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パンダのトラック
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道端にトウモロコシを干しています。
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学校を囲む柵のまわりには、成績優秀な子どもの写真が飾ってあります。
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中国の古い家はどんどん壊されていきますが、ここにはまだ昔の煉瓦造りの家が残っています。
高速道路では、警察の検問があり、一人一人シートベルトを着用しているかの検査がありました。こちらで15分くらいロスタイムあり。特に観光バスのチェックは厳しいそうです。

高速道路の制限速度は、自家用車→120キロ、バス→100キロです。

スピード違反ではなくてよかった~

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船着き場にそろそろ到着します。
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ここからモーターボートに乗ります。
 

劉家峡ダムのダム湖の上流を進みます。標高1650メートルあります。

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船の中から見える景色。。。カルスト地形です。すごいところにきたもんだ!
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炳霊寺石窟港、猫ちゃんがお出迎え
ニャーオ(=^・^=)

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=^_^=
 

ニャーオ(=^・^=)

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=^_^=
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=^_^=どうしてみんななくの?
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お昼ご飯のにおいを嗅ぎつけたのかな?
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浮家の中でお昼ごはんを頂きます。
 炳霊寺石窟(へいれいじせっくつ)入口に到着! 炳霊は、チベット語で〈十万仏〉という意味だそうです。

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私たちツアーの貸切、入場しまーす。
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絶景だあ~
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トコトコ、石窟に向かって歩きます。大雨で崩れた土砂を取り除いています。
岩肌にはツバメの巣がありました。

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3窟。鮮やかな色で残っています。仏様も観音様も貴族のような服装です。家の安全と金運を祈願したそうです。盛唐

 

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千手観音のような顔は不動明王?こちらも3窟

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こんな風に並んでいます。
どうして洞窟の中に石仏を彫ったの???

こたえ。。。黄河はよく氾濫するので、命を懸けて渡る川でした。身の安全を守る→神様に守ってもらうために石仏を作り、安全を祈願したそうです。

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青色が鮮明に残っています。この第8窟は、少し変わっていて、石窟ではなく粘土で造られています。 隋の時代(581-618)のものだそうです。
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11窟の唐の時代に作製された菩薩像。天井の飛天や、ヤシの木などが美しく表現されています。
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仏、弟子、菩薩(31龕)唐 ちょっと首をかしげているのが愛らしい。みんな笑っているように見えるけれど、よく見ると苦しい顔をしている→少数民族の苦しみ
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脚で邪気を踏みつけています。
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ガイドさん一押しのイケメン!125号窟は北魏時代(386-534)に造られ釈迦多宝併座法図が彫られています。袈裟(布)を3枚重ねて着ており、体はほっそりしていて北魏晩期の美人を表しているそうです。
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端正な顔立ち
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二人ともそっくりな顔をしています。
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笑っているように見えるのですが。。。
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70号窟は明の時代(1368-1644)に造られたチベット仏教の千手観音の像が祀られています。
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スカートの装飾が豪華です。
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手の動きが、阿修羅像を連想させます。
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結跏趺坐佛(82窟)お釈迦様の隣にいるのは、阿難陀あなんと摩訶迦葉まかかしょうかしら?
 

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171号窟は則天武后が民衆の不満を押えるために造った弥勒菩薩の磨崖仏で高さは27.5メートルあります。唐時代(618-907)
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人間の手のように柔らかく丸みを帯びています。修復されたようですね。
足の彫刻も期待しちゃいますね。。。

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足の指の丸みも見事に修復されています。
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16号窟は北魏時代(386-534)に造られた長さ8.6m涅槃仏です。
 

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履物をはいています。
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木の上に小鳥の巣があると思っていましたが、これはヤドリギだそうです。
ヤドリギってなあに??

こたえ。。。ヤドリギは常緑で半寄生の灌木(かんぼく=低木)のことです。

半寄生って??

自分でも葉緑素を持っているため光合成ができますが、他の植物(寄生主)からも栄養を取って成する植物のことを言います。

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そろそろ夕暮れ、モーターボートに乗って帰ります。
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バスの駐車場で、ワンちゃんのお出迎え。。。
 

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市内でよく見かける乗り物。
蘭州市内に戻り、黄河にかかる黄河第一橋中山橋に到着したのはもう19時過ぎ。。。

19時からのライトアップが始まったところでした。ロスタイムがあったおかげで、こんなにきれいな夜景を見ることができました。

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僧侶の姿をよく見かけました。
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白塔山公園(はくとうやま)もライトアップされています。
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三蔵法師の像みーつけ
 

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柳の巨木があちらこちらにありました。
中山橋ってどんな橋?

こたえ。。。

蘭州市の中心部からチベット仏教寺院の白塔山に向かう黄河にかかる重要な橋です。黄河にかけられた最初の鉄橋(ドイツ製)として有名です。

1907年に完成して、第一橋と命名されましたが、1942年に中国革命の父孫文の中国名孫中山にちなんで中山橋と改名されました。現在、文化遺産保護のため、車の通行はできません。

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晩御飯の時に、ガイドの、こさんから、八宝茶をごちそうになりました。
八宝茶ってなあに???

こたえ。。。茶葉(緑茶)、竜眼、ナツメ、杏、クコ、氷砂糖を使って作られています。5杯まで美味しく飲めるそうです。

ホテルに戻り、歩いて7,8分のところにあるスターバックスへ行き、マグカップを買いました。1個105元→1800円くらい

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お土産。。。
3個もラクダを買ってどうするの?って聞かれました。自分と子供たちへのお土産でした。。。( ^^)

22時前にホテルに戻りました。おやすみなさい。

11/28(水)泊5→蘭州空港7時40分MU719→10時25分上海16時55分MU271→20時55分成田空港

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パンダの飛行機
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上海の夕日
みんなで元気に日本に帰ってきました。またツアーの仲間と逢えたらいいな~

最後に、河西回廊とは???

蘭州から敦煌へ至るシルクロードの東端を言います。 蘭州を出て、黄河を渡り、南に祁連山脈、北は内蒙古の砂漠に挟まれ、東西の1000キロあまりの長さで続きます。

いつもは、ほとんど写真を撮らないと言っていた○○ちゃんでしたが、今回は写真を撮ってしまったと言っていました。

おまけ。。。

蘭州の人はお風呂には入りませんとガイドさんが言っていました。蘭州だけでなく、毎日のように湯船につかっている日本人の方が珍しいのかもしれませんね。

ちなみに大浴場に入ったとき、中国人は顔を隠すそうです。

大黄河の西岸から敦煌まで続く シルクロード河西回廊(かせいかいろう)の物語6日間 2018年11月23日~28日~ 其の参

11/26(月) 泊3→莫高窟(ばっこうくつ)バスと徒歩→名沙山(めいさざん)・月牙泉(げつがせん)ラクダとカートと徒歩→寝台列車敦煌号 泊4

朝のおさんぽ~

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たくさんの学生が歩いています。(暗いようですが、朝7時過ぎです。)
流れに沿い歩いていくと、突き当りに学校がありました。門がまだ閉まっているようで、みんな門の前に並んでいました。

タクシーで登校する生徒、バイクや車で送ってもらう生徒がいました。遠くから通ってくるのでしょうかね~

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空はまだ月明かり。。。
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朝ごはんを屋台で食べている生徒もいます。。。
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歩道にはこのような看板があります。
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地面のタイルのマークはなんでしょうかね~??
敦煌は、ブドウの栽培が盛んで、ぶどう酒も有名だそうですが、タイルのマークは、ブドウではなさそうですね。

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今日の朝ごはんはセットメニュー
ご飯をしっかり食べて、莫高窟(ばっこうくつ)へ出発~

初めてみた展覧会が平山郁夫のシルクロードの展覧会でした。それからずっとシルクロードに憧れていました。わくわくしています!

莫高窟は、オフシーズン中は人数制限有で一日4回しかチケットの販売がありません。今回のツアーでは特別に45窟と57窟も見学できるそうです。

 

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まずはこちらで2本の映像を見ます。そのあと、バスで莫高窟へ砂漠の中を移動します。
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バスで移動中~
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バスを降りて、橋を渡ると石窟が見えてきました。(北の部分)
北の部分は、未公開でお坊さんの修行の場所とお墓もあるそうです。こちらも見学してみたいですね。

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南部分の石窟の中を見学します。それぞれの石窟には鍵がかけられています。
莫高窟ってなあに???

こたえ。。。前秦時代366年から14世紀の元年まで1000年以上、鳴沙山東側の断崖で掘り続けられました。大小492の石窟に彩色塑像と壁画が保存されています。莫高窟は、今でこそ仏像・壁画を数多く残す“砂漠の美術館”として、数多くの観光客を呼び込んでいますが、その原点は、あくまでも僧侶たちの修行の場であったそうです。仏教美術としてはとして世界最大の規模を誇っています。

どうして壁画を残したの???

こたえ。。。禅定(ぜんじょう)→’’心が動揺することがなくなった一定の状態という修行’’する修行僧は、まず仏像の前に座り繰りかえして仏像を観照かんしょう(主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知る)し、その相好そうごう(仏の身体に備わっている特徴。32の相と80種の好の総称)を頭の中に叩き込みます。そして、何処にあっても、目をつぶって仏の姿を眼底に思い浮かべることができるようになったとき、仏との一体感が感得され、そこから悟りへの道へと突き進むといいます。
それが禅定あり、修行僧たちは禅定の場を求めて、俗世界を離れたこの地に石窟を開削し、仏像を置き仏画を描いたそうです。

誰がここで最初に修業を始めたの???

こたえ。。。鳴沙山の向かいの三危山(さんきざん)が夕陽を浴び金色に輝く荘厳な様に心打たれ、僧・楽僔(がくそん)が石窟を掘り修行の場としたのが始まりと伝わっています。つづいて法良禅師という人が東から来て 楽僔の傍らに窟を造建したそうです。

仏像=大乗仏教ということになるのですね。

ブッタの教えが、保守派、革新派に分かれて、大乗仏教は革新派にあたります。

大乗仏教ってなあに???

こたえ。。。自分だけが悟りをひらけばいいのではなく、救いを求める人すべてを救済するべきだと説いて、「多くの人を乗せる」=「大きな乗り物」という意味で「大乗仏教」と名乗りました。

大乗仏教には、“六波羅蜜”(ロクハラミツ、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智恵)という人が実践すべき徳目があり、仏道修行者は、この6っの修行に専念することが求められます。
その一つ“禅定”(ゼンジョウ)とは、俗塵を離れた閑静な場所で心静かに瞑想し、心身を統一させて悟りに至ろうとする修行で、それはインドにおいて仏教が興る前からの基本的な修行の一つでもあり、ヒンドゥー教にあっては、修行僧はもとより在家の信者も、家業を息子に譲り隠居した後、山野にわけいって禅定修行に入ることを人生の理想としたと言われています。

 

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莫高窟と言えば、こちらをイメージしていましたが、もっと奥深いものですね。
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96窟 この建物の中には大きな大仏がいらっしゃいます。もちろん撮影禁止なので、こちらは、入り口の横にある看板です。指の反り返りなど、繊細さを感じます。高さが35.5メートルあり室内仏としては世界で3番目だそうです。
壁画の色は、緑色→孔雀石、青→ラピスラズリー、白→カオリン、赤→鉛

砂に埋もれている部分ほど、当時に近い色で残っていました。

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148番、涅槃の像の看板。お墓の形のようななかに入っています。リーさんという家族が作ったそうです。後ろには72体の仏像があります。こちらは、修行のために作られた仏像ではなさそうですね。
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洞窟前の壁画。
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莫高窟自体にはあまり注目が集まらず、保護が行き届くようになるのは中華人民共和国成立以降となります。
探検隊により、フランス、ロシア、日本、アメリカ等遺跡が流出しています。

57窟(初唐) 618-712観音菩薩壁画も見ました。平山郁夫画伯の「敦煌の恋人」と称された莫高窟一の美しい観音菩薩でした。うりざね顔の唐の時代の美人。動物の皮で作ったスカートをはいて、S字型の観音さまです。首にかけている装飾品は、光を当てると立体になっていることがわかりました。法隆寺の壁画に似ているそうです。

うりざね顔って???

こたえ。。。面長で、色白で、鼻筋の通った顔。

45窟(盛唐)712-765 半円の龕(がん)に釈迦を中心に天王、脇侍菩薩、阿難あなん(経文の基となった教説を仏弟子中で最もよく記憶したとされる。)、迦葉かしょう(衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。)脇侍菩薩、天王の七尊像が配されています。特に身体をS字型にひねる菩薩は美しく盛唐塑像の最高傑作とされています

龕(がん)ってなあに???

こたえ。。。仏像を納めるため,岩壁を掘りくぼめた場所。古くインド、中国にその例がみられる。のち扉つきの厨子に仏像を安置したものを仏龕といいます。

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猫ちゃんお昼寝中~気持ち良さそう
 

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この橋を渡って、シャトルバス乗り場に向かいます。3輪の車をよく見かけます。
 名沙山・月牙泉に到着~

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道路の奥に、砂山が見えてきました。
 

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ラクダのごみ箱
ここで悲しい出来事がありました。

犬が一匹こちらに向かってやってきました。可愛いね~と見ていたところ、道路向こうから、子犬がまた一匹やってきました。お母さんを追いかけてきたようです。

3輪の車がゆっくりなスピードでやってきました。子犬はこちらに来るもんだと思っていた矢先、急に反対向きに歩きだし、3輪の車の方に向かって歩いていきました。’’あ、危ない’’と思った瞬間、車に跳ねられてしまいました。

その直後に親犬(そばにいた犬)が吠えながら、3輪の車の方に向かっていきました。

運転手の方は、少し笑いながら、子犬をボンネットの上に載せて立ち去っていきました。

みんなで呆然と出来事の一部始終を見ていました。しょぼん。。。ガックリ。。。と悲しい気分でラクダ乗り場へ向かいました。

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ここをまっすぐ行くと、ラクダ乗り場があります。
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ラクダがいっぱい~
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ふたこぶラクダだよん
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砂山を登っていきます。
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よいしょ、よいしょ
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砂山の尾根から少し進んだところがゴールです。おつかれさま~
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うっしし(笑) いたずら好きだよん
 

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ぼくは、キャラバン先頭のリーダーのラクダよん
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小高い砂山までは、モーターバイクでも来れるようです。
ラクダに乗った写真をたくさん撮ってもらいました。お礼に20元チップをあげたら、サービス良くさらに写真を撮ってくれます。○○ちゃんは、写真は撮らなくていいけど、頑張ったラクダちゃんへとチップを渡しました。ラクダのおじさん、うれしくなって、○○ちゃんの手を引っ張って砂山に登るお手伝いをしてしています。

砂山は、下りの方がスリルがあります。ラクダも足を滑らせることもあります。‘’怖いよ~’’

ラクダに1時間くらい乗っていました。’’こんなに長く乗るんだ~’’

後からわかったことですが、本来のコースは砂山には登らないコースだったようです。ラクダに乗らなかった人たちを待たせることになってしまいました。申し訳なかったです。。。

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山を下りて、オアシスのラクダ終点へ。
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私が乗っていたらくちゃん♥’’重たかったでしょう?ありがとう~’’
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らくちゃん、さようなら~
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徒歩で月牙泉(げつがせん)へ
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空の上から名沙山(めいさざん)を楽しんでいる人もいます
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サンドそり?を楽しんでいる人も。。。
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ぶどうを食べている人います。お味は‘’まあまあ’’のようです。
 

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敦煌駅から観光寝台列車に乗車します。
車内の廊下には、絨毯がひいてあります。豪華~

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私と○○ちゃんのお部屋。4人部屋から1万円アップで2人部屋にグレードアップしました!トイレも洗面所もついてるよ=
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こちらから入ります。
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寝台車の後ろの顔。。。
 

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車内で、切符と交換でカードを受け取ります。
しばらくすると、4人部屋から3人私たちの部屋に遊びに来てくれました♥

隣の△△ちゃんも来てくれて、6人で女子会?が始まり~

お酒がなくても盛り上がれるのよ~23時前、明日に備えて就寝~楽しかった)^o^(

 

大黄河の西岸から敦煌まで続く シルクロード河西回廊(かせいかいろう)の物語6日間 2018年11月23日~28日 其の弐

11/25(日) 泊2バス→張掖丹霞地貌(氷溝ひょうこう丹霞たんか風景区 )シャトルバスと徒歩→張掖駅14時01分高速鉄道→17時30分柳園→128キロ→敦煌寳館(ドゥン ホワン ホテル)泊3

昨日の日中は、ダウンを着なくても過ごせました。今日も日中は気温は12,3度くらいになりそうです。

さあ~今日はどんな景色が見られるのかな?

氷溝丹霞風景区 に着くと、風が吹いていて寒い~ダウンを着ます。

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モンゴル族のアパート
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少数民族ユグル族のアパート 総人口1万5千人
ユグル族ってどんな民族???

こたえ。。。ユグル族は伝統的な遊牧文化にこだわり続け、祁連山脈のふもとで、羊や馬と共に転々と移動する生活をしています。しかし現在の中国では政府の規制もあって遊牧民は減っており、ユグル族も冬は定住地で家畜の世話をして、夏になると放牧に出る者が多いようです。

回紇(かいこつ)の子孫と見られているます。(回紇はテュルク語系の遊牧民族で、8〜9世紀には現在のモンゴル高原に一大帝国を築き上げた。)

ユグル族はその固有の言語が、他の少数民族と自分たちを区別する最大の特徴だと考えていますが、多くの人がその言葉を忘れてしまっており、若者の場合は一度も習ったことがなく、「人々はようやく(ユグル語が)失われつつあることに気がついた」ユグル語は「消滅寸前」と言われているそうです。

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シャトルバスで向かいます。
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行ってきまーす。
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これもラクダ岩
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氷溝丹霞に富士山が。。。(笑)
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東洋のグランドキャニオンと呼ばれるのがわかるような気がする。。。
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人差し指に見えませんか?
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岩の穴がピィちゃんに見えます♥
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きのこの形を見ると、カッパッドキアで見た岩を思い出します。
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ここは、私たちのツアーで貸切です。
 

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祁連山脈(きれん/チーリェン-さんみゃく)が見えます。平均海抜4千メートル以上、長さ2千キロメートル、幅200~500キロありますが、峰々にはほとんど名前ないそうです。
人は、山に名前を付けると登りたくなるのかしら???

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日差しも出て暖かくなってきました。
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一番目の見学おしまい。みんな明日は筋肉痛かも?しれません。

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後ろの突き出た岩はアイスクリームって呼ばれていました。
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ツアーには、山好きの人もいて、祁連山脈の峰の名前を尋ねられていましたが、ガイドさんは’’みなさん、祁連山脈のひとつひとつには名前は付いていません。’’と又説明を繰り返しています。4000m級の山脈だもん。聞きたくなるよね~
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こちらでお昼ご飯。きれいそうに見えるけれど、トイレは男女1つずつ。○○ちゃん、青空トイレ第一号~
青空トイレには男性の現地の先客がいて、そばに行ったら驚いた様子でしたが、顔色を変えず立ち去っていきました(笑)

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駅までは、ポプラ並木が続いていました。
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ここから高速鉄道に乗車します。
張掖の特産物は???

こたえ。。。小麦、トウモロコシ、はだか麦、6月になると菜の花が綺麗に咲きます。ということで油、はちみつ。

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砂漠に、ビル建ちはじめています。砂漠に生えている草は、ラクダ草という植物だそうです。
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酒泉(シュセン)は、河西回廊(かせいかいろう)のオアシスの一つです。
 

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敦煌最寄駅に到着!ここはどんなところかというと。。。
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ゴビ砂漠の中にぽつんと立っています。
どうして、敦煌駅があるのに電車で行かないの???

敦煌までは、直通の電車じゃないといけないから、柳園で降りるしかありませんとのガイドさんの説明。砂嵐の日は、ゴビ砂漠特有の黒い砂で、前が見えなくなるそうです。

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こちらのバスに乗り込みます。
砂漠の中をひたすら走ります。車内は真っ暗になるので、車内から星空が見えます。ところどころ、工事中で道を外れるため、がたがた道になります。道が完成したら、2時間半→1時間半に短縮されるそうです。

ここでトイレに行きましょう~とバスが停車!SAらしき場所??しかし、建物に鍵がかかっていて、、、’’どうするの~’’とおもいきや、

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こんなに暗いから大丈夫ね。
このツアーに参加する人たちは、生きる力が強い人ばかり。。。

みんなで青空トイレで済ませました(笑)これが第二弾青空トイレの記念すべき場所です。

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ホテルに到着!
ホテル内で夕食ということもありみんなで大盛り上がり。私は、ほとんどお酒が飲めませんが、快くみんなの仲間に入れて頂き、ビールひとくちと紹興酒とワインをペロリと味見させてもらいました。○○ちゃんと呼べるお姉さんも増えました!(^^)!

明日の出発は、ゆっくりの8時20分出発。’’毎日毎日、こんなにハードな行程だとは思わなかったね’’みんな思っていることは同じでした。

明日はちょっと早起きしてお散歩しよう~

おやすみなさい。。。

大黄河の西岸から敦煌まで続く シルクロード河西回廊(かせいかいろう)の物語6日間 2018年11月23日~28日 其の壱

11/23(金) 成田空港11時20分集合(クラブツーリズムカウンター)13時50分MU524 →16時30分(時差1時間日本時刻17時30分)上海19時35分中国東方航空MU720→23時00分蘭州→バス24時頃 錦江陽光酒店(ジンジャン サン ホテル)泊1

中国東方航空カウンターチェックカウンターは長蛇の列。。。免税店を見る時間もなく、飛行機に乗り込みます。チェックカウンターでの待ち時間は、前にいた男性たちがIT関係の起業家?のプロジェクトに参加するグループらしく、話が面白かったので退屈はしませんでした。相当羽振りの良い感じです。頭もよさそう~

あと少し並んだらチェックインというところで、’’2万円プラスしたらビジネスクラスへ変更出来ます’’のアナウンスあり、前にいた男性グループ、’’ちょっと贅沢だけど変更しちゃおう~’’と話しながら、行ってしまいました。チェックインのする時間は、同じくらいでした。

飛行機内は、右隣は細やかな気遣いのできる中国人男性、左隣は感じの良い西洋人のカップルでした。

中国入国時、21人今回のメンバーと顔を合わせる。千葉県から一人参加のお姉さん、○○ちゃんと呼び合える仲にになり嬉しくなる。

国内線乗継の時ひそかにトラブル発生。。。

○○ちゃんと空港内をお散歩し、そろそろ搭乗口へ行こうとした時の出来事です。

’’ありゃ、持っていたダウンがない?’’ひやっとする。

検査の時に、カゴから取り忘れていました。検査場に舞い戻り、係の人に伝えたところ、みんな親切で、一緒に走って忘れ物カウンターについてきてくれました。

○○ちゃん、心配してくれて待っていてくれました。本当にありがとう。。。

ということもあり、乗り継ぎ飛行機ではぐったり。。。

反省点。。。検査の時、前にいた人が、すごく焦っていました。’’パスポートがない’’と。。。パスポートはカゴの側面に立っていて、私が見つけてあげました。自分の荷物を取るときに、’’一瞬これだけだったっけ?’’と思ったのに’’大丈夫、大丈夫’’と勘違いして、確認不足でした(ー_ー)!!

ホテルに到着~

’’部屋にホテルのサービスでヨーグルトがあります。ない人は言ってくださいね~’’と、

私の部屋にはなかったけれど、もうそんな元気は残っていません。おやすみなさーい。

 

11/24(土) 泊1バス→蘭州(らんしゅう)中国語読み→兰州(ピンイン) 8時36速鉄道→11時26分張掖(ちょうえき) 中国読み→チャンイエ →バス→張掖丹霞地貌(ちょうえきたんかちぼう)第2号展望台→(シャトルバスと徒歩)1号→5号→4号→鼎和国際大酒店泊2

ニーハオ♥

今日のモーニングコールは6時。朝ごはんは、ヨーグルト2個食べちゃいました。ご飯は食べすぎないことに気をつけます。

○○ちゃん、同室の方が、洗面所からずっと出てこず、お風呂に入れなかったとのこと。可愛そう~

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駅に到着!駅近くは渋滞はありません。。。
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今にも動き出しそう~何をしているのかな?
これから、中国高速鉄道に乗車します。2011年の高速鉄道事故のことが頭をよぎります。無事に着いてね~

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日本円で2700円くらい
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駅構内で、何をしていますか?
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ドアが開きました。
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荷物が取り出せてよかったね。
新幹線は添乗員さん(23歳の可愛い女の子)+このツアーで一番の若い女性と同じ席でした。

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車窓から~ゴビ砂漠へ向かっています。
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黒く見えるのが、ヤクです。
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湖は凍っています。
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現地の方と思われる人、カップラーメンを私たちのテーブルに黙っておきます。大陸的な行動!
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車内は日本の新幹線に似ています。しかし、トイレは和式。。。お気をつけあそばせ。
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張掖(ちょうえき)に到着!
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張掖は、祁連山脈(きれん/チーリェン-さんみゃく)の北麓に位置した、オアシス都市です。
張掖(ちょうえき)をもっと詳しく。。。

。。。人口119万9515(2010)。河西(かせい)四郡の一つとして、酒泉(しゅせん)、敦煌(とんこう)、および武威(ぶい)郡とともに、紀元前2世紀末ごろ、前漢の武帝によって張掖郡がこの地に設けられて以来、河西回廊の要衝として栄えた場所です。甘粛(かんしゅく)省中部に位置しており、かつて三蔵法師玄奘や法顕が仏典を求めて渡った場所です。。。

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お昼ご飯のお店近くに、マルコポーロの象があります。
どうしてマルコポーロの象があるの?

こたえ。。。マルコポーロは、この町に、13世紀の後半元の時代に1年間滞在しました。

どうして1年も滞在したの??

こたえ。。。当時の元の初代皇帝フビライ・ハーンに謁見許可を得るために
滞在した街がここ張掖だったとか。見許可を得るために滞在した街がここ張掖だったとかと言われています。

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ケーキ屋さんのウィンドウ♥
張掖丹霞地貌(ちょうえきたんかちぼう)入口に到着!

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ラクダさんのお迎え・・・
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地球の歩き方を買っても半ページしか紹介されていない未知の世界へ
張掖丹霞地貌(ちょうえきたんかちぼう)ってどんなところなの???

こたえ・・・丹霞地形が発見されたは2002年。一般公開されたのが2008年。まだ新しい観光地です。2016年6月16日、正式に国土資源部に「甘粛張掖国家地質公園」と認定されました。海底が隆起した地形で、隆起した鉱物が酸素に触れて化学反応を起こして、赤→鉄、黄色→りん、青→銅になりました。丹霞は赤い霞がかかった山という意味です。

特質は?

山は砂や泥といった地質で形成されており、白亜紀(約1億4500万年前~6600万年前)に該当する1億年前から長い時間をかけできたもので、表面は非常にもろい。

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シャトルバスと徒歩で、山の中を観光します。
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見たこともない景色に圧倒される。。。
 

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向きが同じ。隆起するときに両側から圧力がかかったのが理解できます。
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東西45キロ、南北10キロにもわたります。
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閑散期とあって、丹霞地形を独り占め気分です。
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自由時間をたっぷりとってくれます。自分の影が山肌に映るのが面白い・・・
そろそろ夕日の時間です。一番人気の展望台へ移動!

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夕日に照らされます。
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しばし、夕日の時間を楽しみます。
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尾根に道が続いています。歩いてみたいなあ~
 

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もう日が沈んじゃう~
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最後にパチリ♥
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バス乗り場に戻ります。
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ここは、標高1800メートルあります。
 

夕食を食べてホテルに戻ります。翌朝も7時30分出発早いので、町の中を散策する時間はなさそう~寝坊しないように、気をつけましょう!