3/2(金) 新横浜19時46分こだま683→23時11分京都23時34分→0時37分奈良・・・コンフォートホテル奈良泊1
奈良の東大寺二月堂で、3/1から3/14までおこなわれるお水取りを見たくて、JR東海ツアーで予約を入れました。2月半ば、浜松在住の娘が’’一緒に行ける-’’と連絡がありました。娘の新幹線のチケットは、ぷらっとこだまで入手、ホテルは一人分追加料金3800×2日分を支払い、ツインルームに変更してもらいました。
娘は、浜松から乗車します。スーツから旅行の服装に着替えるのを忘れ、いったん職場に戻るというロスタイムがあり、新幹線発車10秒前ぐらいにホームに到着したそうです。しばらく、咳が止まらない様子で心配しました。よく間に合ったね~)^o^(
こんなに遅い時間に京都に到着して、本当に奈良までたどり着けるのか心配でした。しかし、奈良行き最終電車は京都発23時58分という列車もあります。初めは、混んでいた車内ですが、奈良に近づいてくると、乗客もぐっと減りました。急に車内が寒くなり、ずんずんと足が冷えてきます。寒くて眠れません。。。
やっと奈良駅に到着。電車はすぐに回送になりました。
ひっそりと静まり返った奈良駅
せんと君のお出迎えです。2日間よろしくね!3/3(土) 泊1→8時15分大和路快速→8時26分法隆寺駅・・・ゲーブル自転車(レンタサイクル4時間450円)→法隆寺→法輪寺→発起寺(ほうきじ)→法隆寺駅13時07分→13時18分奈良タクシー→奈良ホテル(メインダイニングでランチ)・・・興福寺国宝館…東大寺二月堂(修二会=お水取り)・・・コンフォートホテル奈良泊2
昨晩、計画を立てた法隆寺へ。短大卒業後、恩師といった法隆寺、百済観音と玉虫厨子が印象に残っていました。楽しみ~~
350m続く参道から、法隆寺南大門が正面に見えてきました。南大門の前に、ボランティアの方がおられ法隆寺をガイドしてくださることになりました。’’DEEPな旅’’の始まりです(笑)
法隆寺の七不思議のひとつ、鯛石(たいいし)!昔、大和川の氾濫で大和盆地(奈良盆地)に洪水の被害が出ても、法隆寺の南大門から先に水は来なかったということから、魚や川の水はこの石がある所までしか来ない、つまり水害のお守りであると言われています。
留蓋瓦(とめぶた)ウサギと波の意味。。。子孫繁栄と火除け
塀の奥に見える屋根は、大和葺(やまとぶき)です。杉皮と竹で葺いた屋根です。
伏蔵(ふくぞう)とは地下の蔵のことで、石の蓋で覆われています。中庭に3か所あり、こちらも法隆寺七不思議の一つです。さあ~拝観料1500円をおさめ、法隆寺境内へ。
七不思議の3つ目、五重塔の上部の九輪に鎌が四本刺さっています。「鎌」は雷除けではないかと言われているそうです。その下に三つ葉葵の家紋がついています。徳川家の家紋なのに不思議ですね。。。
五重塔を近くから眺めると、もう一つ屋根が。。。。 雨よけの屋根だそうです。国宝である法隆寺五重塔は、塔本体だけでなく内部に80の国宝が安置されており、五重塔初層の内側は、塑像(そぞう)の岩窟を築いて、東側から反時計回りに釈迦の生涯の重要な場面を表現しています。何度も法隆寺に来ているのに、建物ばかりに気をとられ知らなかった。。。
ガイドさんありがとうございます。
金堂にも雨よけ屋根があります。
静かな法隆寺をガイド付きでゆっくり堪能!幸せ気分♥
上部構造物は有名な「卍崩しの高欄(まんじくずしのこうらん)、卍崩しの下に人字形割束が見えました。説明も丁寧で、途中から私たち2人から5人に増えました。見どころが多すぎて時間が足りません。。。ガイドさん、娘と話しているときはとっても嬉しそう~自分の娘の感覚ですね♥
ここから国宝百済観音(観音菩薩立像)に会いに行きます。‘’ため息が出るくらい美しい’’もちろん、玉虫厨子もありました。
しかし、ゆっくりしていられる時間もなく、すでに法隆寺にて2時間経過。あと30分で法隆寺を出発しないと、三塔を巡ることができません。少し、急いで夢殿に向かいます。
あまりにも有名な法隆寺のエンタシスの柱!しかし、柱の下に注目、自然のままの石の上に立っています。
こちらは、加工した石です。どちらが古い時代のものか、よく観察すると判断できるのですね。
’’柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺‘’正岡子規がここで読んだそうです。ちなみに10月26日は「柿の日」。子規が明治28年の10月26日からの奈良旅行で、この句を詠んだとされることにちなんでいます。
ほら貝を留蓋瓦に使うのは珍しいそうです。ほら貝には、説法を遠くに聞かせるという意味があるそうです。上部、ハートの形の猪目みーつけ。11時半、ここで、ガイドさんとはお別れです。今回見れなかった、西室はまたいつかゆっくりと見に来ます。ありがとうございました。
気温も上昇中、20度近くありそうです。上着を脱いで出発です。
法輪寺到着。ゆで卵をパクリ!拝観はせず、法起寺へ向かいます。
斑鳩町にはたくさんのため池があります。ため池の向こうに日本最古の三重塔が見えてきました。
法起寺の三重塔は、現存日本最古(創建は706年)です。法隆寺とともに世界遺産に登録されています。法起寺の住職さんが???’’こっちへおいで‘’手招きしています。
‘’なんだろうね?’’と思っていたら、‘’一番いい場所で、写真を撮ってあげよう~’’と、塔をバックに写真を撮ってくださいました。そういえば、二人で記念写真一枚もとっていなかったね!
余談。。。法起寺の拝観をせずに、御朱印だけをもらう人がいました。スタンプ帳の感覚なのかな???
自転車を返却したところで、定期券がなくなっていることに気づきました(‘;’)
娘は、’’日本だから、だれか見つけて届けてくれるよ’’と全然動じません。。。
法隆寺駅前に交番がありとりあえず、届けを済ませました。なんだかんだと時間が過ぎ、奈良ホテルのランチの予約13時半、ぎりぎりの到着でした。
おまけ。。。自動チャージの定期券だったのですぐに止めなきゃあと思いましたが、パスモに自動チャージをつけている場合、自動チャージ停止できるのは定期券を発行した鉄道会社しかできないということがわかりました。本人確認ができないと鉄道会社も電話では止められないのですね。
せっかく興福寺を望めるベストポジションで、ランチを頂いているのに、心配事をひきづったままでちょっと残念な気分!でした。めったといただけないご馳走なのに。。。食事が終わった頃に、ホテルから電話がありました。‘’ご安心くださいませ。落とした定期券が届いています’’
’’どうして、ホテルに届いているの???’’
定期券の中にルームキーカードを入れていたんですね。定期券の中に入れてあった現金、カード類も無事でした(*^。^*)
わざわざ法隆寺からホテルまで届けてくださった方に感謝です。30代くらいの男性の方だったそうです。
‘’親切な人がおるもんじゃね~’’
‘’お母さん、急に元気が出てきたね’’と娘に言われました。
晴れやかな気持ちで、阿修羅に会いに行きます~
興福寺国宝館には、阿修羅のほかにも、仏頭、天燈鬼など大好きな仏像が沢山あります。‘’こんにちは、また会いに来ました’’とあいさつしました)^o^(
お水取りの開始時間まではまだ2時間ありますが、そろそろ東大寺二月堂に向かいましょう~
鹿がいっぱい~ 大仏殿拝観時間には間に合わなかったけれど、南大門と、運慶派作 金剛力士像を見れて満足♥
二月堂に到着!しばらくすると、二月堂下の広場にはロープが張られ、入場規制されました。
斜面に立ったまま待ちます。あと1時間。。。
お松明がやってきました。。。拍手がおこります。
あたりがパアッと明るくなります。
お堂の角で松明をぐるぐるまわし火の粉を散らします。
火の粉が激しく飛び散ります。お堂の真下にいたら、火の粉をまるかぶりです。
帰り道、石灯籠に火が灯っています。
興福寺五重塔餃子の王将で夕飯を食べて、ホテルに戻りました。明日の計画を立てましょう~と言いながら、私は先に寝てしましました。
3/4(日) 奈良8時00分→8時14分天理・・・9時00分石上神宮(いそのかみ)・・・内山永久寺跡・・・夜都伎神社(やとぎ)・・・大和神社(おおやまと)・・・長柄駅11時36分→11時43分三輪駅・・・大神神社(おおみわ)・・・狭井神社(さい)・・・花もり(おやつタイム)・・・檜原神社(ひばら)・・・巻向駅(まきむく)14時41分→15時07分奈良16時23分みやこ路快速→17時12分京都18時08分こだま678号→21時28分新横浜
今日もいい天気☀気温も20度を越して、昨日より暑くなりそうです。
天理駅からアーケードを抜けると、大きな建物が見えてきます。
途中、石上神宮に行くには?と地図を見ていたら、親切に声をかけてくださる方がおられ、教えてくださいました。良い空気か流れている感じがします。
天理教総本部です。
山の辺の道に入りまーす。
マンホールも山の辺の道バージョン石上神宮に近づくと、コケコッコ~とにぎやかな声が聞こえてきます。
石上神宮には、30羽くらい放し飼いの鶏がいます。 手前、鶏東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)
烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)
こちらも烏骨鶏。ニワトリはすでに『古事記』『日本書紀』に登場し、暁に時を告げる鳥として、神聖視され、神様のお使いともされています。
奈良は清酒発祥の地、春鹿は世界的な酒造の銘酒だそうです。石上神宮にてしばらく歩いていると。。。
♪へのへのもへじ♪~
のどかな道が続きます…
木蓮のつぼみ
スイセンもまだ咲いています。
夜都伎神社(やとぎ)春日大社の4神が祭られています。
梅の花も咲き始めてます。
菜の花畑で、菜の花摘みをさせて頂きました。からし味噌で食べるとおいしいよ~
大和神社(おおやまと)奈良時代、遣唐は出発に際して必ず大和神社へ航海の安全の祈願に参詣されました。また戦艦大和守護神でもあります。ここからは、電車で三輪(みわ)に向かいます。
お肉屋さんのコロッケ
大神神社(おおみわ)大神神社拝殿の奥には、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居(みつとりい)と瑞垣が設けられています。実際に見ることはできませんでした。
境内には整えられた椿の花が咲いています。
薬の神様・狭井神社への参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられており、久すり道と呼ばれています。
大美和の杜展望台から、右から耳成山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)、畝傍山(うねびやま、199m)、天野香久山(みみなしやま、140m)が見えます。家族で三山とも登ったことがあります。なつかしいな~
娘の調べてくれたお店でちょっと休憩
あんみつ600円とわらびもち500円 きなこは、目の前で大豆をすって、かけてくれます。甘味をカウンターで食べながら、マスターとお水取りや若草山山焼きの写真を見せて頂いたりしているうちに、歴史の話になりました。
お水取りのルーツは、イランイラクの拝火教(ゾロアスター教)で、宗教としては残っていないが、奈良だけにその名残が息づいている。
三輪族→大神神社(おおみわじんじゃ) 歴史を紐解くには、地名、名前は、ひらがなが重要。
藤原不比等の父、藤原鎌足は、豊璋(百済の王子)
藤原不比等は興福寺を平城京の中ではなく、東のはずれに館を構えたのでしょう???
答え。。。平城京から朝日を拝むと興福寺を拝むことになるから。
織田信長は興福寺を恐れていた=興福寺には巨大な力があった。
渡来人には秦(はた)という苗字が多い。もともとは治水の工事を教えるために日本にやってきたそうです。奈良→京都へ住み移り蚕を飼い、うずたかく絹織物を積み上げた→太秦(太秦)の地名になる。
もっと深いことをたくさん教えていただきましたが、書ききれません。ここには、大学教授、作家など、DEEP方々が訪れ、いろいろなことを教わるそうです。
奈良は知れば知るほど深くて魅力的♥
歴女も大勢やってきそうですね。
檜原神社(ひばら)の三ツ鳥居。伊勢神宮の古木を使っています。
山の辺の道 三輪→巻向まで、一駅分歩きました。とちゅう、山の辺の道をそれてしまい、お目当てのお店も見つからずお昼ご飯を食べていませーん。お腹すいたね~752年から途切れることなく続いている、東大寺二月堂のお水取り、日本のルーツ、古代ロマンの想像を掻き立ててくれる山の辺の道、神秘的な仏像、やっぱり奈良はゆっくりと楽しむ場所ですね。恩師から教わった大切な場所です。
娘と二人旅、また一緒にいこうね~