1/2(土) 泊4→博多旧市街→博多市内→博多駅15寺31分のぞみ170号→20時08分新横浜
6時半から朝食をいただきます。

チェックアウトの時間まで、主人と一緒に朝散策へ。

さて、どこに行きましょうかね。





こたえ。。。『若八幡宮』は、別名『厄八幡』とも呼ばれ、厄払いで有名な神社です。

2014年4月にできた新しい門です。
この先が寺社エリアです。

案内板もしっかりあり迷いません😊

承天寺に到着❗️
承天寺は博多織の発祥の地としても知られています
どうしてここが博多織の発祥の地になったんだろう?
こたえ。。。。鎌倉時代に承天寺の聖一国師 (しょういちこくし) と共に宋に渡った満田弥左衛門が広東織や緞子織などの織物技術を学び、博多に持ち帰ったことから博多織発祥の地と言われるようになりました。
聖一国師 (しょういちこくし) ってどんな人なの?
こたえ。。。栃沢(静岡市葵区)の米沢家に生まれ、1235年、宋に渡り禅宗の修行に励み、帰国後は、京都に東福寺を創建しました 。
国師ってなんでしたっけ?
こたえ。。。国師とは国の師を意味する称号で、日本では鎌倉時代の高名な禅僧、聖一国師(円爾・えんに・1202~80)に初めて贈られています。
おまけ。。。博多祇園山笠の起源は、鎌倉時代の1241年(仁治2年)に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖であり当時の住職である聖一国師(円爾)が町民に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説とされています。


こたえ。。。お清めの塩と同じような意味という説もありますが。。。

弁円は托鉢の途中で親切にもてなしてくれた茶店の店主栗波吉右衛門に酒饅頭の作り方を伝授し「御饅頭所」の看板を与えます。栗波吉右衛門は「虎屋」の屋号で酒饅頭を売り出しました。弁円の「御饅頭所」の看板は現在東京の虎屋に保存されています。 (博多の魅力ホームページより)
羊羹の虎屋につながっていくんですねえ~

波目の美しい石庭をなんて呼ぶの?
こたえ。。。「洗濤庭」(せんとうてい)です。砂は玄界灘を表しているそうです。
次のお寺は?

承天寺の塔頭の一つです。



このお寺はなあに?
こたえ。。。「妙楽寺」です。


こたえ。。。「博多べい」です。
どうして色々なものが埋め込まれているの?
こたえ。。。戦国動乱の兵火をくぐった焼け石や焼け瓦などを粘土で塗りこめて作られました。博多独特の土壁も残っています。

次のお寺はどこかな?

聖福寺に行ってみましょう~

立派な鐘楼が見えてきました。

聖福寺(しょうふくじ)ってどんなお寺なの?
こたえ。。。建久(けんきゅう)6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝公よりこの地を賜り、
栄西禅師(ようさいぜんじ)を開山として創建された日本最初の禅寺です。(聖福寺 ホームページより)

座禅会にも参加できますが、1年以上継続して参加できる人に限られます。
会費は1か月1000円です。

三世(さんぜ)仏 っって???
こたえ。。。仏教でいう過去世・現在世・未来世 の仏さまです。

おまけ。。。昔、筥崎八幡宮の御供え物を調えた(必要な物を取り揃えた)ので、「御供所」という名が付いたとされています。


福岡市内では2019年7月20日から約15分間隔で天神・博多駅とウォーターフロント地区を結ぶ循環路線で運行されているそうです。連節バスと呼ぶそうです(*’▽’)
東長寺の大きな建物が見えてきました。
入り口に大きな石碑があります。

こたえ。。。 秘密仏教の略称です。
どうして秘密なの??
こたえ。。。神秘主義的な教義を一人の弟子に対して一人の師匠がついて教えを説く、“口伝”によって伝えることが特徴で、一般人の理解を超えているという点で“秘密の教え”と呼ばれています。密教と呼ばれる宗派は天台宗(台密)と真言宗(東密)があります。

東長寺の美しい朱色の五重の塔も見えてきました。
ここ東長寺には高さ10.8m、重さ30トンある日本最大級の木造坐像が鎮座しています。



昭和63年より彫刻が始まり,4年の歳月を経て完成した 「福岡大仏」にお参りさせていただきました。



東長寺を出てすぐに、もち吉本店の看板が見えます。本店ならば行かなきゃ。

そういえば、東銀座のもち吉も本店って書いてあったなあ😞
「勘違いしますよね」とフォローをしていただきましたが、がっかり。。。
このあたりから地下を歩いてみましょう~


ホテルに到着!
チェックアウトの手続きをして、ホテルでいただいたチケットでケーキセットをいただきましょう~
息子の彼女も来てくれました(^_-)-☆


ここで、息子たちとお別れ。。。。
荷物はホテルに預けて、博多の中心地目指して歩いてみましょう~
竜宮寺のネーミングにつられ入ってみる。。。。


当時は現在の境内までが海辺でだったそうです。


しばらく歩いていると、


ふるさと館が見えてきました。


2年前に主人の両親と一緒にお参りに来ましたねえ。



主人の母が嬉しそうに福おみくじを引く姿を思い出します(笑)

アーケードがあります。通ってみよう~



どうしてアンパンマンのタイルがあるの?

こたえ。。。アンパンマンこどもミュージアムinモール」が2014年4月18日に博多リバレイン(下川端町)にオープンするのを記念したもの です。


商店街を歩くのは楽しい~


博多祇園山笠の八番山笠が1年中飾られている上川端商店街の広場で、週末に限り、名物のぜんざいを味わうことができるそうです。

博多祇園山笠はいつ行われているの?
こたえ。。。例年7月1日~15日間行われています。


商店街を抜けると、川上音二郎の像がありました。


筑前黒田藩(福岡藩)出身の「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、新派劇の創始者 です。
新派劇 ってなあに??
こたえ。。。歌舞伎(かぶき)と対立し、また新劇とも一線を画して、大衆的な現代劇として発展した日本演劇のことです。

大洋映画劇場前へ。歴史を感じるビルです。

こたえ。。。戦後間もない昭和21年4月3日「大洋劇場」は、セントラル【アメリカ映画メジャー9社を擁する映画協会】 日本第一号契約館として 華々しいスタートを切りました。







こたえ。。。三條栄三郎(さんじようえいさぶろう1872年−1935年)です。
太宰府天満宮楼門(大正1年竣工)も設計しました。



こたえ。。。ルネッサンス時代のフランス建築(12世紀に生まれたゴシック建築を徐々に置き換えたもの)です。
おまけ。。。15世紀にイタリア中北部の大都市を中心にして興った美術・建築様式は、ルネサンス様式とよびます。
変わった形の建物が見えてきました。何だろう?



やっと見つけたのに、お休みでした😞


道路向かいに神社の鳥居が見えます。






こたえ。。。日本生命保険株式会社九州支店として明治42年(1909)に竣工された建物でした。

こたえ。。。明治時代の我が国を代表する建築家・辰野金吾と片岡安の設計です。



天神の繁華街を抜けると、




ハウステンボスで1日2回の公演を見たばかり。。。見覚えのある顔もありました。驚いた😳


歩いて、博多駅に到着!

主人はお酒とおつまみ、私は夕飯のお弁当を買いました。
たまったポイントで私はグリーン車、主人は1時間ぐらいだから普通車でいいと、車両を分かれて座りました。私だけのんびり席ですみません🙇


窓越しに「またねー」と手を振りお別れしました。
お互いに明日は一日ゆっくりお休みしましょう〜
今度はいつ会えるのでしょうね。
おしまい。