12/29(金)新横浜6時11分のぞみ99号→10時11分広島(雪のため徐行運転30分遅れで到着)→恩師宅→実家泊1
指定席をとっていてもちゃんと乗れるか心配になるくらい、新横浜駅のホームはすでに長蛇の列。無事に席までたどり着く。指定席の連結部分に立っている人もいます。
’’米原地区雪の影響のため列車の速度を落として走行します’’のアナウンス。15分の遅れの見込みのアナウンスあり。名古屋はうっすらと雪が積もっています。京都へは23分遅れで到着。鴨川の河川敷は白くなってます。大阪駅付近は、雪はないです。広島駅には、30分遅れで発車。

主人とお昼に広島駅で待ち合わせ、立ち食いのちからのうどんを食べる。いつ食べてもおいしいなあ~

恩師宅へ。もう歩くのは難しいかもしれないとおしゃっていましたが、つえをついて歩けるようになっていらっしゃいました。リンゴやお菓子を準備して待っていてくれました。
お会いできてうれしかった。
恩師宅から歩いて、お墓参り、そのあと主人が図書館に行きたいというのでまた30分くらい歩いて中央図書館へ向かいました。せっかくきたのにお休み。。。よく考えてみたら、年末年始の休みということくらいわかりそうなものなのに、二人してボケていました
途中で。。。

爆心地から360メートルで建物は壊れなかったの??
こたえ。。。天井や壁など大部分が崩壊しましたが、地下の金庫は無事でした。銀行として営業を続けた後、1967年(昭和42年)、タカキベーカリーが建物を買い取ってリノベーションを施し、広島アンデルセンとしてオープンしたそうです。
気を取りなおして、晩御飯の食材を買い実家に向かいました。
メニューは海鮮鍋。みんなで食べるとおいしい~
国産ハマグリ4個で700円だったので、買うのをやめようと思ったところ、「おまけしてあげるけん、国産のハマグリにしんさい」と3個足してくれたので、買いました。
12/30(土)泊1→安芸グランドホテル→送迎バス→宮島口→宮島→ホテル(鳥居付近へナイトクルージング)泊2
10時過ぎに姉一家と待ち合わせてホテルに向かいます。
娘夫婦と息子は、浜松から直接宮島に行き、今日は弥山にロープウェイで登るとのこと。宮島か、ホテルで待ち合わせることにしました。(息子は28日から浜松に行ってました)
私たちは、12時前に宮島口に到着。宮島にわたると、人も混んでそうだったので、宮島口でお好み焼きを食べることにしました。カープソースを使っていたんだと食べ終わった後に気づきました😞。。。

主人は、家の近くの大吉のお好み焼きのほうが好きだそうです。オタフクソース使ってるもんね。

桟橋に到着~


宮島に到着~
宮島の観光案内所へ直行。車椅子を借りることができました。よかった~
主人と姪が母の車いすを押してくれます。

食べ歩きの人が多いので、店内はゆっくり座って食べることができました。
姉がシカを見て、’’じいちゃんも、車いすできたときにシカに襲われそうになってたよ’’って教えてくれました。

厳島神社まであと少し。。。

’’今日は、入らんでいいね’’と、写真だけ撮る。

満潮、干潮の時刻も出ています。

シカちゃん、どうしたの?

そろそろ、桟橋に向かいましょう。

姉たちは、’’初めて通った、こんな道があるんじゃね’’と喜んでくれました。


裏道を抜けて、出たところが桟橋でした。
3人にはあえなかったね。。。




18時前に3人も帰ってきて全員集合しました~
お食事タイム。。。
お食事の一品一品に紅葉や、鳥居がのっていました。
しかし、この形はみんなで’’なんだろう~’’と悩みました。。。
何の形でしょうね~

どうしてけん玉なの???
こたえ。。。広島県廿日市市は、けん玉発祥の地(大正時代、けん玉の量産がここ廿日市の本郷木工所で開始されました)だそうです。
夕食の後、楽しみにしていたナイトクルージングの始まり〜
りゅうの船に乗ります。
子供の頃、りゅうの船で宮島に渡っていたのを思い出しました。
あの頃は、宮島に渡る人も少なかったんだねー

ホテルの方が、9人の記念写真を撮ってくれす。
おまけ。。。
白りゅうが宮島に住んでいるという伝説があり、りゅうの船を社長自ら手作りされたそうです。
熱ーい想いの込められた船だったのですね。
部屋の中からそとをみると、プラレタリウム⭐️のように、星が綺麗に見えました。
部屋は、男性、女性チームに分かれます。
明日は、お兄さんの考えてくれた大三島に行く予定です❣️
楽しみ。。。
宮島は昔、一度だけ訪問しています。そういえば大学の時、先輩に宮島出身の人がいました。広島弁、懐かしいです。確か蒲田さんという先輩で可愛がってもらいました。
広島弁のイントネーションは、いまだに抜けません