広島帰省〜2023年9月1日〜3日〜絵下山&倉橋カフェ&鹿老渡(かろうと)&桂浜編〜

9/1(金) 羽田空港19時50分JAL267→21時10分広島空港21時20分→広島駅→主人宅泊1

東京の夜景が見える😃
 広島駅に到着🛬
まんまるお月さま🌕を見ながら、主人宅へ。

今日は、1万519歩、歩きました。

明日は、姉の車を借りることになりました。どこへ行こうかな⁇

懐かしの倉橋島(魚釣り&海水浴何度も訪れた場所)鹿老渡(かろうと)に行ってみたいなーー

おやすみなさい💤

9/2(土) 泊1 7時→実家9時→倉橋島カフェ→鹿老渡(かろうと)→桂浜→実家泊2

歩いて実家へ。。。

二葉中隣の『こども療育センター』工事中
大内峠(おおちごとうげ)へ 
どんな峠なの⁈

こたえ。。。広島城下から中山、温品(ぬくしな)、馬木、福田への往来の最初の峠が大内越峠(おおちごとうげ)です
山道を通り、実家に到着!
サルスベリ

「主人が咲いたの初めて見た」だって!!

母をデイサービスに見送って、鹿老渡に行くとになりました^ ^やっと行ける🙌

お出かけよりデイサービスを優先させたい母、施設のみんなが優しくしてくれるんだね🥰

 マツダスタジアムを通り、
この工場はなあに?
マツダの工場です。

呉方面に向かい、鹿老渡(かろうと)を目指します😄
呉まで23キロ
『JSW』日本製鋼所ってどんな会社なの❓

こたえ。。。創業1907年、設立1950年。国産兵器製造の技術・ノウハウをもとに、産業機械事業と素形材(そけいざい)・エンジニアリング事業を展開しています。(マイナビホームページより)

素形材ってなあに⁇

こたえ。。。金属やプラスチック、ファインセラミックスなどの素材に熱や圧を加えることで形が与えられた部品や部材のことを指します。(dnusホームページより)

テレビ塔が立ってる『絵下山えげざん』が見えてきた!

「大雨で山頂まで続く道路は通行止めじゃったけど、山頂まで行けるんかね」

「車で行けるか行ってみようか」

『絵下山公園』は右
山頂まで行けそう〜
まだ工事は続いてるね
道幅が狭くなった
『絵下山公園』に到着!
大きな岩が見える、登れるのかな?

私はスカートで登れん😔

主人が登る
これはなあに⁇
絵下山4等三角点(559.4メートル)

東京の高尾山が599メートル、高尾山より低いね。

宮島の弥山の標高はどのくらいだったっけ?

こたえ。。。535メートル。絵下山と同じくらいだね。

山頂からの眺め
高いビルが『広島プリンスホテル』
縦走ルートもあるね。

歩いてみたいな^ ^

『焼山やけやま』を通って、呉に向かいます。

呉の叔母の家に行く時よく通ってた道、懐かしいな。

野間八郎ってだあれ⁈

こたえ。。。 室町・戦国期、安芸国矢野を本拠とした国人領主(こくじんりょうしゅ)。

最盛期には矢野から焼山(現在の呉市焼山町)、吉浦(同じく吉浦町)一帯、そして波多見島(倉橋島北部)を領有していました。

 防芸引分(ぼうげいひきわけ)では、最終的に大内方で参戦。毛利方の海田などを攻めたが、天文二十四年(1555)四月、毛利氏に本拠・矢野城を攻められて降伏した。当主隆実は助命されたものの、多くの家臣たちが殺害され、滅亡しました。

国人(こくじん)ってなあに?

こたえ。。。主に鎌倉時代の地頭層から発し、南北朝時代 (日本)から室町時代にかけて諸国の開発を推進した武士層のことです。

川沿いを走る

主人と行った『二河峡にこうきょう』につながります。

看板も出てきました。
倉橋(くらはし).音戸(おんど)方面へ
海上自衛隊の護衛艦
昭和ふ頭の先に、
日本製鉄の工場が見えてきました。
今月末閉鎖となります。
『日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区』

この地で何年稼働していた工場なの?

こたえ。。。72年です。同地区の高炉は1951年、太平洋戦争中に戦艦大和を建造した呉海軍工廠跡地に建設されました。

解体作業にはどのくらいかかるの?

こたえ。。。10年程度かかる見込みです。

跡地の利用は?

こたえ。。。活用方法は決まっていません。

愛着のある場所がなくなるのは寂しい😔

第二音戸大橋へ
渡ります。
並行して音戸大橋が見えます。
山本造船所→大和ミュージアムの戦艦大和1/10を建造しました。

江田島を結ぶ『早瀬大橋はやせおおはし』をくぐります。

カフェの看板見つけた。

引き返し、行ってみることにする。

駐車場に車を停めて、
カフェに向かいます。
赤い橋があるよ。あとで渡ってみよう〜
「魚はおるかねえ🐟」

「ちっこいのが泳ぎょうる^ ^」

「ここを曲がるんじゃ」
「この道で合っとるんかね。。。」
あった🤭
高齢者マークの車は、近くの駐車場を使えます。
ここが入り口
予約席以外ならどこでもどうぞと、

「1番乗りじや^ ^」

水森亜土の絵を眺めるられる席もあるし、
畳の席もある
突き当たりの席
主人が、「ここにしようやー」と。
奥さんの趣味で集めたグッズが並ぶ
サトちゃん→佐藤製薬&ビヨンちゃん→エスエス製薬
カエル→コルゲンコーワ

お店のオープンはいつ?

こたえ。。。倉橋島の古民家に2018年にオープンしました。

虎🐯と

龍🐉の欄間
「なに食べようか。。。」

決めーた!

美味しそうなと野菜とスープ^_^

私はナポリタン
主人はグリーンカレーを注文
食事が終わり、主人も展示物見に行きました
「これはなんじゃろう⁇」と

「絵付けじゃろー」

追加でシフォンケーキを注文

手の込んだお料理とデザート、おいしかった😊

水森亜土のサイン
ゲゲゲの鬼太郎もあるよ。

色んなもの、たくさん集めたね😆

名刺をもらいました
帰り道、橋を渡ってみる

向こうは海👆

鹿老渡に行くぞー

朝ドラの舞台にもなった倉橋島、鹿老渡も映ってたのを覚えてます。

題名は⁇

こたえ。。『わたしは海』放送年度は1978年です。

『鹿老渡かろうと』の文字が出てきました。
桂浜を通り過ぎます。
懐かしい石垣が見えてきた。

峠の平地に田んぼが点在してた場所かな?

手入れする人がいなくなっちゃったんだね💦

あの橋までいくのかな?

『鹿老渡』直進です、
海岸沿いに出ました
向井造船所→船の定期検査を手掛けてます。
海越鉄工所

船もつくっていたのかなぁ〜⁈

橋が近づく。。。
ナマコ壁の先に
お石灯籠が見えてきた。

鹿老渡はあの橋を渡ったあたりだったっけ???

遠くに見えてた橋渡ります
橋を降りてきました。

鹿老渡はどこかな?

港の周りに宿がある。

この先はいきどりまり。

ここは鹿老渡じゃない💦通り過ぎちゃったかも?

ここは鹿島、『鹿島大橋』を渡って、次の島に来ちゃった💦

さっきいた港⚓️→鹿島上地区(瀬戸地区)
石灯籠を通り過ぎて、

倉橋島の最南端、鹿老渡の港に到着!

鹿老渡ってどんな場所だったの?

こたえ。。。風待ちの港でした。また朝鮮通信使が宿泊したり、九州の参勤交代の時の本陣も置かれた場所です。

完全に通り過ぎてた。。。

神社を通り、海岸沿いに行ってみようー

鹿老渡の地名の由来は?

こたえ。。。鹿老渡の地名は、韓泊(からとまり)の転化ともいう説があり、「石の箱」(箱式石棺)→からうど→かろうとの説もあり。

わたしが訪れていた50年前は、もっと賑やかな場所だったなあ。

黒ネコちゃん、見張られてる感じ

この先が海だね🏖️

遣唐使の船
何度も来たことのあるはずなのに、前と雰囲気変わったのかな?よく思い出せない。。。

もしかして、北波止場だったかも💦

水上バイク

私の好きな貝殻

ピンク色

神社に行ってみようか ー

狛犬さん

『伊勢社』に到着

屋根の狛犬

境内からの眺め

駐車場に戻ります

猫見つけた🐱

また黒ネコちゃんだ🐈‍⬛
ここにもお社
可愛いお目目の黒ネコちゃん🐈‍⬛
静かな町
ヘクソカズラ
ノブドウ

ヒマワリ残ってたね🌻

駐車場に戻ってきました。

石灯籠見えるね。
『鹿島』か見えるね

桂浜に寄って帰りましょう〜

鹿老渡さようなら👋

ちょっと大きな町

お立派な仕出しのお店があります

桂浜まであと少し。。。

桂浜駐車場に到着!!

ここからお山に登れるんだって!

ハイキングルートをパチリ
牡蠣小屋がある
ここはなあに⁇

こたえ。。。桂浜西洋ドッグ跡です。 

いつ作られたの?

こたえ。。。1882(明治15)年に友澤半三郎がこの地を借用し、西洋型帆船の修理に応ずるため「宝莱船渠(せんきよ)→ドック」という造船所を創業しました。

松並木を進んで
海岸にでました。
この石碑はなあに⁈どうして長門島って書いてあるの?

こたえ。。。 倉橋町は古来、長門島と呼ばれ,瀬戸内海交通の要衝でした。736(天平8)年に派遣された遣新羅使(けんしらぎし)はこの地に停泊して歌を残しています。

おまけ。。。万葉集巻十五には大石衰麻(のまろ)の歌など八首が載せられています。

遣新羅使(けんしらぎし)って⁇

こたえ。。。日本が朝鮮半島の新羅(しらぎ)に派遣した使節です。大化2年(西暦646年)の高向玄理(たかむこのくろまろ)を使節としたものをはじめとして、承和3年(西暦836年)に派遣されたものまで長く続きましたが、その目的も情勢や時代とともに大きく変わっていきました。また、その目的を果たせなかったものもあったようです。(たのしい万葉集ホームページより)

浜を歩いてみる
立派なマツカサ
鳥居があるね。あとで行ってみよう〜

もう少し歩いてみよう

『厳島神社御座船ござぶね』格納庫

御座船は,江戸時代以降,倉橋島で建造され奉納されてきました。

テン場があるね^ ^
サップレンタル
気持ち良さそう

長門こ造船所記念館入ってみよう。

200円で見学できます。
桂浜が見渡せます。
遣唐使船レプリカ

『遣唐使』 派遣はいつ?

こたえ。。。630年~ 838年 までの間、12回から20回(諸説あり)にわたり、『唐の国 (現在の中国) 』 へ派遣されてました。

どんな航海だったの?

こたえ。。。浅瀬に適した平底船が使用された為、横波に弱く、航海技術も未熟なため、基本的に風任せという、命がけの渡海でした。

一隻に何人乗れるの?

こたえ。。。100人程度です。

何隻編成だったの?

こたえ。。。4隻編成です。

どうして4隻編成だったの?

こたえ。。。400人連れていきたかったからではなく、
1隻でも目的地に付ければ良いという、大ばくちだったといいます。(歴史のまとめネットホームページより)

朝廷から、この 『遣唐使船』 の建造を命じられたのはどこ⁇

こたえ。。。、『安芸』、『近江』、『播磨』、『丹波』、『備中』 の5ヵ所です。

その中でも大半の 『遣唐使船』 を建造したのが、『安芸の国』 で、その 『安芸の国』 の建造地とはの建造地とは、『長門島 (現在の倉橋島) 』 の事です。

側面の模様『クローバー』♣️に見える。
造船記念館の壁の模様と同じだね😄
倉橋島マンホール^ ^
さっきの鳥居行ってみようやー

これはなにかねえ⁇

こたえ。。。立石と呼ぶそうです。

高さはどのくらいあるの⁇

こたえ。。。立石は高さ約40mの巨岩です。

他の岩にも名前があるの?

こたえ。。。形から亀石、鯨石、鶏石、戸棚石、重箱石、三絃石、夫婦石、
などと名づけられてます。

江戸時代以来、来島した文人達によって漢詩や和歌の題材にされてきました。

おまけ。。。国会議事堂の二階以上の外装には倉橋島の花崗岩(尾立石)が使われています。横浜裁判所、高松宮御殿にも使われています。

石橋を渡る

桂浜神社って書いてある。

八幡宮から桂浜神社に名前が変わったんだね
手すりつきの階段を上がります。
社殿
たくさんの額縁
狛犬さん
歯がたくさん
国の重要文化財があるんだって!
💁
床下
社殿をひとまわり
石灯籠の曲線がいいねえ
お手水のカーブもいいなあ
駐車場に戻りましょう➖

道路向かいの

この船はなあに⁈

御座船って書いてあります。

へえー

ここに展示してある三艘の 『官絃船』 は、実際に宮島の 『官絃祭』 で使用された、由緒正しい物です。

役目を終え,厳島神社から倉橋町へ寄贈されたものなのですね。

斜めからパチリ📷

駐車場に到着🅿️

桂浜温泉行きのバスもあるんだね。
呉市生活バス→NO1〜NO50まであります。
早瀬大橋に戻ってきました。
お馴染みの景色で落ち着く

向こうは江田島

 伊藤忠エネクス株式会社江田島油槽基地
絵下山が見える
昔と変わらない塩の山の風景
音頭大橋型の陸橋😆

倉橋島→本土に戻ります

日本製鉄の工場、広いねー
工場ってかっこいい😎
今度来たら、看板なくなってるね😢
潜水艦桟橋

潜水艦が見えるよ^ ^

呉市
呉駅を通り、広島に戻ります。
熊野筆の熊野は、この先右に曲がります。

私たちはルート31を直進

吉浦駅→駅の向こう側は、海が広がっています。

おまけ。。。野間氏は吉浦などを基地として強力な水軍を擁していたとみられ、滅亡後に吉浦を領した吉川元春はここに野間氏旧臣を入れて水軍を組織させだそうです。

瀬戸内の景色😀
絵下山のテレビ塔、どこから見てもすぐにわかるね。

晩御飯を調達して、実家に到着!!

母がディサービスから帰ってきました。

3人で晩御飯^ ^

主人も実家に泊まってくれることになりました。

親友が20時過ぎバス停まで車で迎えに来てくれ、ファミレスに直行ー

オーストリアにお嫁に行ったお嬢さん、今年、生まれたお孫ちゃんにも会えて良かったね🥰

リンツでは、自宅プールにはいったり、料理を一緒に作ったりして過ごして、テレビを見ることはなかったって、そんな生活してみたいなあ〜

チョコレートと
歯磨き粉もらいました😆

お土産ありがとう。

今日は、10546歩、歩きました。

1日よく遊びました😬

また明日、おやすみなさい💤

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