4/20(土) 新横浜7時29分のぞみ9号→10時40分福山→レンタカー→鞆の浦→尾道→三原(たこ料理)→三原18時44分→20時11分広20時16分→20時26分呉20時40分(送迎車)→クレイトンベイホテル泊1
やっと実現した広島旅行。残念ながら6人→5人での出発となりました。
東京出発組2人とは、新横浜で合流。新幹線の席は、横並び5席を確保。
新幹線のチケットは、広島までありますが、鞆の浦に行きたいという希望もあり、福山で途中下車することにしました。→格安ツアー1泊3日、新横浜から2万8千円を利用したので、新幹線途中下車したら、それ以降のチケットは破棄したことになります。
同期の中の一人が、気を利かせてくれて、福山駅下車の提案、福山駅から三原駅までのレンタカーの手配をしてくれました。
早速、レンタカーに乗り込み鞆の浦へ。
鞆の浦に到着!
おなかもすいてきたので、まずは腹ごしらえ。。。

『御舟宿いろは(旧魚屋萬蔵宅)』ってどんな場所なの???
こたえ。。。私たちが、お食事をいただいた部屋が、まさに龍馬『いろは丸事件』談判をした場所です。
どうしてここが談判の場所になったの???
こたえ。。。魚屋萬蔵宅は,幕末「いろは丸事件」の際,坂本龍馬と海援隊士が宿泊した桝屋清右衛門宅と,紀州藩が宿泊した円福寺の中間にあることから,談判の地に選ばれました。対潮楼でも談判は行われました。
『いろは丸事件』ってどんな事件???
1867年(慶応3年)4月23日、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と、紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突。
鞆の浦へ曳航(えいこう→引っ張る)される途中にいろは丸が沈没。
この「いろは丸事件」発生によって、龍馬と紀州藩との談判は、鞆の浦で4日間行われたが決裂。その後、龍馬は万国公法に基づいて紀州藩から多額の賠償金をとることに成功。
このことにより、龍馬と海援隊の名は世間に知れ渡りました。(福山市ホームページより)
万国公法ってなあに???
こたえ。。。アメリカ人国際法学者ヘンリー・ホイートンの代表的な著作 『Elements of International Law』 を漢訳したもので、東アジアに本格的に国際法を紹介した最初の書物といわれています
竜馬は、世界に目を向け、論理的思考を持つ人だったのですね!

どうして???
宮崎駿監督のデザインをもとに町家を再生しています。鞆の町に色があまりなかったのでステンドガラスをはめ、アクセントにしています。ただ復元するのではなく、少し遊び心も加えて、もし坂本龍馬だったらどうデザインするだろうと想像しながら再生したそうです。
なるほど。。。
お店の方に、’’崖の上のポニョ’’のモデルになった?家の場所を教えていただきました。
行ってみましょう~

医王寺からの‘’宗介の家?’’と‘’港の景色’’がよく見えるとのこと。。。
急な坂道を登っていくと。。。


疲れも吹き飛ぶ絶景が広がりました。
次は、常夜灯に向かいましょう~



常夜灯に到着!


さあ、竜馬が談判したもう一つの場所に向かいましょう~
歩いていると。。。

‘’こちらに実際の薬草がありますよ’’と導かれ
気が付くと、自然な流れでお店の中に入っていました。


1723年のレシピでつくられており、昔は薬として、東大医学部で使われていたそうです(゚д゚)!
試飲もさせていただきました。飲むと、体が暖かくなってきます。
カラダによさそうなお土産買えてよかったね。
対潮楼に到着~



そろそろ、尾道に向かいましょう~

千光寺に行ってみましょう~



車で、尾道港まで移動~




そろそろ、三原にたこ料理を食べに行きましょうかね~🐙
レンタカーを返却。
今日は、お店の方に無理を言って17時半から、夕食を準備していただきました。

たこのサラダ、茶わん蒸し、煮つけ、お刺身、天ぷら、釜飯とすべてタコづくし。。。デザートもついていました。
一時間で食べ終われるように配慮していただき、

’’釜めしは3人分頼めば、ちょうどいいと思いますよ’’と、いろいろ気遣ってくださいました。
しかも、個室でゆっくりお食事させていただきました。
’’今日は、いいタコが入ったんですよ’’と
本当においしかったあ~

ここからはJRで移動。呉線は電車の本数が少ないので、予定の電車に乗れてほっとしました。’’よく遊んだので、疲れたね~’’あとひと踏ん張り。。。


呉駅からは、送迎車でホテルへ。
スパの時間が22時までなので、まずはお風呂に行きましょう~
欲を言えば、スパで、もう少しゆっくり出来たらよかったね!
今日のお部屋は、和洋室。じゃんけんをして寝る場所を決めました。
少しだけ、おやつを食べて
(^o^)ノ < おやすみなさい=