8/2(金) 羽田空港 JAL37920時40分(15分遅延)→22時10分北九州空港22時25分エアポートバス→小倉バスセンター→コンフォートホテル小倉泊1

エアポートバスで小倉駅に23時半前に到着。繁華街は、多くの人で賑わっています。
どうして?
こたえ。。’’わっしょい百万夏まつり’’で19時50分から花火の打ち上げがありました。明日は、12時からイベントが始まるようです。
8/3(土) 朝サイクリング5時40分→常盤橋→八坂神社→小倉城→旦過市場→森鴎外旧居→市営桟橋→八幡製鉄所ビューポイント→ホテル着
レンタサイクル1台あるそうです。お借りします。
暑くなる前に小倉の街をひと回りしましょう~
朝一番、黒ネコちゃんに遭遇。



川沿いに出ました。


オブジェの矢先は、ガスの灯りが点火する仕組みになっているそうです。

これはなあに???
こたえ。。。 広告塔 です。 森鴎外の小説「獨身」(独身)に広告塔は西洋から直接小倉に伝わり、「東京にないもの」のひとつとして、「常磐橋の袂(たもと)に圓(まる)い柱が立っている。これに広告をはりつけるのである。」と記されているとです。
現在の広告塔は、 平成15年に再建 されたものです。
明治23年頃に建てられたもの は、 現在の約3倍の大きさあったといわれており、高さは約12.5メートル、総幅は約4.2メートルであったとされています。

常盤橋ってどんな橋???
こたえ。。。 小倉から九州各地にのびる 「小倉の五街道」 の起点であり終点でもありました。
「小倉の五街道」 ってなあに???
こたえ。。。 長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還






小倉城って いつ頃再建されたの???
こたえ。。。1837年の火災で焼失し、1959年に再建されました。石垣は自然石を多く使った「野面(のづら)積み」 と呼ばれる手法で積み上げられています。
形の整った石はあとから補修した石垣なのですね。


小倉城内に岩松助左衛門が築いた灯籠台を模して顕彰櫓(けんしょうやぐら)→
個人の功績や善行を讃える櫓 を建立
岩松助左衛門 ってだあれ???
こたえ。。。 今からおよそ二百年前に小倉の長浜で生まれた岩松助左衛門は、57歳の時、小倉藩から難破船を救助する役に任命されました。
当時、藍島(あいのしま)沖では浅瀬に船が乗り上げ、多くの死者が出る事故が続いており、助左衛門は灯台建設の願書を藩に提出しました。許可は下りたものの、費用は助左衛門自身が募金活動と私財を投げ打って調達しました。
その結果、明治時代になって政府が灯台づくりを引き継ぎ、完成しました。
小倉北区ホームページより


天守台石垣は、約400年前の築城当時のものです…


凸凹でこぼこ凸凹

こたえ。。。 2019年3月29日、小倉城リニューアルオープンを記念して 建てられました。

幕末、長州藩が小倉城を砲撃した際に使用した大砲を復元してたもの。

このレンガ造の正門は当時のもので、明治32年6月から約3年間、第12師団の軍医部長を努めた森鷗外もこの門を通って登庁しました。

こたえ。。。 市の花ひまわりのデザインです

こたえ。。。 北九州市の木は「イチイガシ(一位樫)」の実


「中の橋」(通称=太陽の橋) だそうです。
どうしてこんなあたまなの??
こたえ。。。 頭部が筒状のものになっている人間のような7体のオブジェで、春分と秋分の前後のある時間帯になると、太陽光の影がひまわり(北九州市の花)の花と茎・葉の形になるように設計されている そうです。
マカロニ星人やペンネ人形などと呼ばれてます (笑)
誰が設計したの???
こたえ。。。 福田繁雄作 (ふ1932年2月4日 – 2009年1月11日) のオブジェで、『宇宙七曜星の精』と呼ぶそうです。



えーと、ここからどの方向に行くんだったっけ?と地図を見ていたら、、’’どこに行かれますか?’’って女性の方が声を掛けてくれました。
ニュータガワホテル🏨の場所を教えてくれました‼️
まずは、旦過市場 近くに到着!



突き当って右に進むと、アーケードが見える…
行ってみましょう〜

旦過市場(たんがいちば)だ! 朝の準備中〜
「旦過市場」 ってどんなところ???
こたえ。。。 北九州市民の台所 と言われ、今でも 裸電球の光に照らされた、
昭和30年代築の長屋式の商店街が残っています。
そんな空間に、鮮魚店や青果店、惣菜店など、およそ120店の店舗が肩を寄せ合っています。
元の路地に戻ります。



旦過市場の中を 歩いたなあー

娘は到着が遅くなるので、一人でホテルで夕食を食べることになり、まだ一人で食事をするというのが、ハードルが高くすぎて、部屋の中に持ってきてもらったのを思い出しました。甥の結婚式の時でした。。。

こたえ。。。無法松の一生 (むほうまつのいっしょう)を書いた岩下俊作の小説のシナリオが石碑の下に埋められています。
岩下俊作 (いわした しゅんさく、1906年11月16日 – 1980年1月30日)は小倉出身なのですね。


1897年(明治30年)頃に建てられた木造瓦葺き平屋建の住居。
文豪・森鴎外(1862年~1922年)が1899年(明治32年)6月24日~1900年(明治33年)12月24日まで住んでいた場所です。
ラジオ体操曲流れる夏休みだなあ
海の方へ行ってみましょうー

いやいや、その先に見えるところが船着き場ですね。。。

ホテルに向かって進んでいると、

もう少し進むと、漁船が停泊しています。。。

ホテルに戻って朝ご飯を食べましょう~
泊1→小倉9時25分→9時43分下関バス→みもすそ川バス停→関門トンネル人道→門司→みもすそ川公園→赤間神宮バス停→バス→下関12時23分→13時06分宇部→主人の実家泊2
下関に到着‼️




「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」 豪華な列車だな❓
下関駅前からバスに乗って関門トンネルへ
山口県のバスは、ほとんどがサンデン交通 です!
小学校の修学旅行の貸切バスもサンデン交通だったなあ〜


エスカレーターの中は涼しい~

夏でも涼しいと書いてあったけど、蒸し暑くて汗がだらだらでてくる。。。
しかし、往復歩く選択肢しかない。。。(#^.^#)

鈴を鳴らして走るおじいさん 、地元の方も利用しているようですね。







やっと地上へ。




みもすそ川公園内の長州砲レプリカは、明治維新のきっかけとなった攘夷戦争や下関戦争で使用された大砲を原寸大に復元したものだそうです。

ここにも宮本武蔵と佐々木小次郎がいる! ポーズは違うわね。


安徳天皇 の母、徳子が過ごした大原の寂光院を思い出しました…


「立石稲荷大明神」 🦊を横目に進んでいくと、

この岩が立石稲荷大明神の御神体をいわれています。
「立石稲荷大明神」 って何を祭ってあるの???
こたえ。。。 平家一門が京都より下ってきた際に、伏見稲荷の分霊を祀ったことが始まりとされています。屋島の戦いで敗れた平家が敗走中に軍船が神社の前にて難破して沈没したそうです。その際に神霊がこの地に留まり、海峡の船々を守護したといわれています。




壇ノ浦漁港の漁師さんを見守る蛭子神社。




耳だけお経を書くのを忘れちゃうんですよね😔

バスにて、下関駅まで戻ってきました。
主人と待ち合わせている宇部駅へ。宇部駅到着!


宇部鴻城も応援しよう〜

宇部鴻城応援の垂れ幕がありました🏳

お庭に、トマト、キュウリ、インゲンがたくさんできていて、収穫しました。
お墓参りをして、主人の両親と姉と一緒に焼き肉屋さんへ。
みんな元気で良かった〜😊
夜は、台所の小さなテレビで ’’世界の片隅に’’を主人と義母と義姉と4人で見ていました。最後まで見たのは義母と私だけでした。
空襲警報の時間をノートにつけるシーンを見て、’’‘’戦争中は、あんなじゃったよ’’と言いながら、最後まで真剣に見ました。
いつもは22時前には寝ている義母です。明日の朝は大丈夫かな?
おやすみなさい。