12/31(火) 泊4→両城(りょうじよう) →ホテル10時20分→下蒲刈島→上蒲刈島→豊島(御手洗みたらい)→大崎下島→実家泊5
曇り空ですが、雨は何とか大丈夫そうです。
朝散歩は、 ’’海猿の映画の撮影場所の階段 に行く’’って決めていました。
’’ちゃんとたどり着くかな?’’と思っていたところ、心強い助っ人が二人がついてきてくれることになりました!(^^)!
ここらへんだと思うんだけど、よくわからない。。。
階段の途中に民家があり、庭に出ていた方に聞いてみました。
この階段ではなく、もう少し呉側の階段だと教えていただきました。
急にピンポンダッシュの話になりました。
ピンポンダッシュ私もしたことある…と、私を含め子供たち二人も経験あり。
暇だったんだねーと、話す。
朝礼の時に注意されたり、家に住んでいる人に怒られたりしたよね。
子供時代は、結構いたづらをして、叱られていました(-“-)
多分、主人はそんな悪いことはしないので、私の血をひいてしまったんですね。。。
案内板がありました。
何のために使われていた防空壕なの???
こたえ。。。両城小学校の西門近くに、戦争中に海軍の 資材倉庫として掘られた防空壕が歴史の証 人として残っています。昭和20年7月1日 の呉空襲では、多くの人々が犠牲になりまし たが、この防空壕に身をよせた人々は、猛火 が目の前まで迫り、防空壕から脱出して、現 在の両城公園付近まで避難されたそうです。
両城・三条地区まちづくり計画ホームページより
両城ってどんな町???
こたえ。。。 呉湾を一望できる「素晴らしい眺め」と「階段住宅」そして「呉市中心部で一番早く朝日 のあたる町」としても有名です。
朝ごはんを食べて、下蒲刈島方面に向かい出発〜
安芸灘とびしま海道って呼ぶそうです。
どうして 「安芸灘とびしま海道」 って呼ぶの???
こたえ。。。 瀬戸内海に浮かぶ島々を、庭園をわたる飛石(とびいし)にたとえて名付けられました。
朝鮮通信使つてなあに???
こたえ。。。朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。
李氏朝鮮 ってなあに???
こたえ。。。李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在し た国家のことです。
先に進みましょう~
上蒲刈島の採石場
豊浜大橋を渡り、
展望台に到着!
御手洗の町に行ってみましょう〜
年末なので観光案内所はお休みですが、街並みを歩いてみましょう~
こたえ。。。 文化3年(1806年)2月30日~3月2日にかけて,伊能忠敬が御手洗柴屋種次宅に宿泊し,大崎下島の海岸線の測量を行っています。その図はその時の様子を描いた絵図です が、
伊能忠敬が全国測量図を作成した様子を描いた実写図は,全国で2点に過ぎないといわれています。
もう一つの実写図(「浦島測量之図」,呉市入船山記念館寄託,呉市指定有形文化財)では,伊能忠敬自身の姿を特定することができず,本絵図が唯一その姿を描いている点で貴重なものです。(呉市ホームページより)
こたえ。。。 江戸から明治にかけて、風待ち・潮待ちの港として栄えたそうです。福山の鞆の浦も 潮待ちの港でしたね。
こたえ。。。 当初は芝居上演に使われ、後に映画館、さらにミカンの選果場に転用
され、現在は当初の姿に復元され一般公開されている 。現在は、様々なイベントに活用されています。
こたえ。。。地域の歴史的魅力や特色を通じて,我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形・無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。
(呉広域商工会ホームページより)
そろそろ、帰りましょう~
ここには食堂はなさそう≁帰り道に見つけましょうね。
であいの館は開いてそうですね。
早速、食堂の入り口にミカンが置いてあります。
母の米寿のお祝い旅行、喜んでくれたかな❓
姉夫婦には、たくさん案内してもらい、楽しい旅になりました❣️
義兄や姪、主人や子供達にとって前半は、江田島の思い出たどり旅になり、申し訳なかったなと思います。しかし、文句も言わず来てくれてありがとうございました😊
また来年もみんなで行けたらいいね。
新年の挨拶をして、みんな寝ます。おやすみなさい💤
今年も皆んな元気で過ごせますように!