朝から良い天気🌞
昨晩は、餃子をたくさん作ったので、夜に息子の家に届けて、ついでに泊めてもらいました。混雑の電車を避けられるので、ありがたいです。

雑司が谷駅9時→<鬼子母神堂>→< 観静院>→<大鳥神社>→<清立院>→<清土鬼子母神堂>→<中野ビル>→< 仙行寺>→池袋駅 11時半
雑司ヶ谷の駅で友達と待ち合わせ❣️
田園都市線は混雑のため、遅れ気味だったとのこと。朝のラッシュ時の車内は、身動き取れないもんね💦

駅を出たところの看板😉

鬼子母神商店街を通ります。

両側の大木はなあに???
こたえ。。。東京都指定の天然記念物のケヤキです。 18本のうち、4本が樹齢400年以上で、天正年間( 1573-1593 )京から移り住み村役となった長島内匠(たくみ)が奉納植樹したといわれています。


「鬼」 の上の 「丿」 がない どうして???
こたえ。。。 鬼子母神という鬼は、他人の子どもを取って食っていました。
見かねたお釈迦様が、鬼子母神の子どもを隠してしまうと、
鬼子母神はたいそう悲しんで、もう子どもを取って食わなくなりました。
それから、「鬼子母神」 の 「鬼」 の字には角をつけなくなったという説もあります。

「すすきみみずく」 と呼び、 民話伝承があります。
どんなお話なの???
こたえ。。。雑司が谷に「くめ」という親孝行な娘が住んでいましたが、家が貧しく、おかあさんが働き過ぎがもとで病気になってしまい、薬も買うことのできない「くめ」は、優しいおかぁさんの病気が早く治るようにと、百度参りを始め、毎日毎日鬼子母神の御堂へと通いました。
60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。
くめが目が覚めるとミミズクが木の上で鳴いていました。家に帰ったくめは必死にすすきミミズクを作り、鬼子母神の御堂の前で売ると…なんとすすきミミズクは飛ぶように売れ、おかあさんに薬が買えるようになりました。おかあさんの病気もみるみるうちによくなり、幸せに暮らせるようになりました。』というお話です。

どうしてザクロなの???
こたえ。。。 お釈迦様の弟子となった 鬼子母神は、 お釈迦様 からその後、もしも子供を食べたくなったら、これを食べなさいとザクロを渡してもらいました。それ以降、この鬼子母神の象徴としてザクロが使われるようになったそうです。
ここでは大黒天にお参りして、まず一つ目のスタンプを押します。

観静院に到着❗️


次は、大鳥神社が近そう~

「茅くぐり」 をしました。→ 茅輪神事は、「ちのわしんじ」 というそうです。
設置期間;12月30日前後~1月10日前後 ということで、くぐることができました。
3つ目のスタンプを押します。
次は、 清立院 (せいりゅういん)に向かいましょう~

面白そうな看板が。。。。

でもその前に、お参りに行きましょう~

階段を上った先に立派な本堂があります。 清立院に到着❗️

こちらでは、 木彫毘沙門天像 にお参りをして4つ目のスタンプを押します。

雨乞いと皮膚病の祈願寺としてあがめられています。

ザ・檀家通りを歩きます。



手作業で作られてます😍
おせんべい、買えました❣️わーい😊


只今休業中。再開のめどは立っておらず😅
清土出現所鬼子母神 に到着‼️
5つ目吉祥天のスタンプを押します。

こたえ。。。鬼子母神像がこの周辺のどこかで出土し、泥だらけの鬼子母神像をこの井戸で洗った、ということです。なぜ三角なのかは不明。




こたえ。。。 東京都豊島区の新庁舎 (としまエコミューゼタウン) です。
どんな建物の仕組みになってるの?
こたえ。。。豊島区の本庁舎は地下3階、地上49階建ての高層ビルになっており、上層階にはマンションを、低層階には商業施設を入居させる全国初の方式を採用しています。
税金を1円も投入しなかった成功例として話題になってたそうです。

コンセプトは何???
こたえ。。。 「自然と建物の共存」
設計・監理は日本設計、外観(一部内観)デザイン協力を隈 研吾(くま けんご )建築都市設計事務所 が担当しました。


ここは、老眼メガネのアウトレットのお店だそうです。
前から老眼メガネ屋さんだったの???
こたえ。。。 かつてメガネの卸問屋だった倉庫(東京都豊島区南池袋)を改装して、2009年から老眼鏡アウトレットとして営業しています。
今度は、美味しそうなパン屋さんを見つけました。
自家製あんにつられ、入ってしまいます。

あんぱんをお土産にを買いました。
中野ビルの布袋尊 様に到着!

やっと、仙行寺に到着!
7つ目の福禄寿 のスタンプを押します。

雑司が谷七福神 めぐり終了~
雑司が谷七福神 めぐり っていつから始まったの???
こたえ。。。 雑司が谷七福神は、雑司ヶ谷の町おこしのために南池袋1丁目町会長の渡辺隆男氏が2010年『雑司が谷七福神の会』を結成したことにはじまり、2011年初詣より『七福神巡り』がスタートしました 。 豊島区観光協会ホームページより
池袋の駅に向かう途中に、
友達がみつけたどら焼きやさん ’’すずめ’’。。。
小さなお店なので、見つけられたらラッキーと言われるお店だそうです。

どら焼きを買ってすぐに食べました😘おいしかった♡
池袋から電車に乗って移動🚃
JR田端駅12時→<東覚寺>→<青雲寺>→<修性院>→<長安寺>→
<天王寺> →<護国院>→<不忍池弁天堂>→16時40分上野駅
谷中七福神巡りは田端駅から出発です!
北区にある 東覚寺 へ。

赤紙二王尊ってなあに❓
こたえ。。。 身体の悪い部分と同じ場所に赤紙を貼って祈願すれば治癒するそうです。病気平癒の御利益を求めた人がこんなにたくさん貼ったのですね。


ご祈願して治ったらどうするの???
こたえ。。。 悪い場所が治ったらお礼参りで草鞋(わらじ)を奉納する習わしがあります 。。。


草鞋(わらじ) は 作って奉納するの????
こたえ。。。 東覚寺で、分けてもらうことができます。

心に響く言葉が書いてあります。

お庭も見学できるの???








谷中の七福神って、江戸最古の七福神なんだね。

誰が七福神巡りを創設したの???
こたえ。。。 寛永寺の開祖である天海僧正 (てんかいそうじょう、天文5年(1536年)? – 寛永20年10月2日(1643年11月13日)) が創設者です。
天海僧正 って日光の社寺の住職さんだった方でしたよね。
僧正(そうじょう)ってどういう意味なの???
こたえ。。。 「僧正」の意味は僧綱(そうごう)の最高位のことです。聞きなれない言葉が並びます。
僧綱 (そうごう) って???
こたえ。。。 日本における仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧官の職のことです。 僧正そうじょう僧都そうず律師りっしの三役で構成されていました。
どんな人だったんでしょう???
こたえ。。。 天海の残されたご遺訓があります。「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ」とあります。これを守ると108歳まで長生きできるそうです。
七福神の信仰っていつからあったの???
こたえ。。。 日本古来の守り神は、恵比須(漁労、労働、商売などの守護神)の信仰でした。
鎌倉時代、中国を経てインドから大黒天(五穀豊穣、飲食の神)、弁財天(音楽、知恵、弁説、財福の神)の信仰が加わりました。
室町時代にかけて、この三神の信仰が庶民の間に深まってきますと、毘沙門天(人倫の道、仏法の守り神)、布袋尊(吉凶の占い、家庭円満など福徳の神)、福禄寿(幸運、生活の安定、長寿の神)、寿老人(長寿延命の神)の四神が加えられて、人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったものと一般に理解されています。 浅草名所七福神会ホームページより

どうしてこのあたりに 文士芸術家が 集まってきたのでしょう???
こたえ。。。 明治22年、上野に東京美術学校(現、芸大)が開校されると、若い芸術家が次第に田端に集まるようになりました。
西日暮里駅近くまで歩く 。次は、 清雲寺にお参りします。

どうして花見寺って呼ばれたの???
こたえ。。。 この辺りは、江戸時代の中頃から「ひぐらしの里」と呼ばれ、江戸近郊の行楽地として賑わい、また、青雲寺は、江戸時代に花見の場所として賑わったことから、「花見寺」とも呼ばれていました。

恵比須様のスタンプを押します。

こたえ。。。 「南総里見八犬伝」などで知られる江戸時代の戯作者・滝沢馬琴が己の使い古した多量の筆を供養するため築いたもの です。

次は、 修性院(しゅしょういん) へ。塀にかわいらしい子供と布袋様が描かれています。


ランタナの花(南アメリカに分布するのクマツヅラ科シチヘンゲ属(ランタナ属)の常緑性低木) )が咲いていました。
布袋天様のスタンプを押します。3つめです(^^)
本堂の布袋尊は、「ひぐらしの布袋」と呼ばれています。笑門来福、夫婦円満、子宝にご利益があり!いつまでも拝んでいたい、笑顔の素敵な布袋尊でした。
谷中ぎんざを通り、



朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん) って書いてありますね。
朝倉彫塑館ってなあに???
こたえ。。。朝倉文夫(1883-1964) は、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家です。
現在この地に残る新旧アトリエと住居等の建造物や庭園は、朝倉自らが計画・監督し、昭和10年に完成しました。

屋根頂上にあるのは、「浴光」と題された裸婦像 でした。

長安寺はまだかなあ~

壽老人 (じゅろうじん) のスタンプを押します。


境内を出てしばらく歩くと、大きな石碑が見えてきました。

岩国出身の人じゃと。。。

岩国と聞くと、田舎の地元感あり、誇らしく思える(*’▽’)
玉乃 世履(たまの よふみ)って、何をした人なんでしょう???
こたえ。。。 日本の裁判官。剛毅果断・清廉潔白な精神の持ち主で、その公正な裁きにより、「明治の大岡」と賞賛されたそうです。
大審院(だいしんいん、たいしんいん) ってなあに???
こたえ。。。 明治憲法下の日本において設置されていた司法裁判所の中における最上級審の裁判所のことです。
しばらく歩いて、護国山天王寺 に到着!

釈迦牟尼如 来(しゃかむにょらい) 坐像(露坐、元禄3年(1690)、銅像、通称「元禄大仏」) が見えていますね。

手水舎 に小鳥がとまっていました🐦


毘沙門天のスタンプを押します。いくつめだったかな?
5つめでしたね。
よく歩いたので、途中の公園で休憩〜


ご馳走様でした(^^)

川上音二郎ってだあれ???
こたえ。。。 [1864~1911]明治時代の俳優、興行師。落語家桂文之助に入門、時局諷刺のオッペケペ節で人気をえた人です。
🎶オッペケペ ♪ オッペケペ 、 オッペケペ のぺ♪ 🎶って、子供のころ歌っていたなあ~ なんで歌っとったんじゃろうね???
徳川慶喜のお墓があるんだ‼️
`’これは、行ってみんといけんね。’’と二人の意見が一致 ♡



日光東照宮に行ったばかりだったので、世の中のはかなさを感じました。
後戻りする形で、パイの店’’マミーズ’’へ。

疲れたので、ひとやすみ!

元気が出てきたよー
護国院へ。

到着しましたー


大黒天のスタンプ、6つめを押します。


残すは不忍池にある弁財天だけ。。。

やっと着いたね😆




『千と千尋の神隠し』に出てくるような神様でしたっけ???
こたえ。。。宇賀神 (うがじん、うかのかみ) さまと呼びます。弁財天さまの化身とされている神様です。

不忍池辯天堂 (べんてんどう) にて、最後のスタンプ弁財天を押しました。
やったね🙌
不忍池のほとりを通って上野駅に向かいます。

駅伝の碑がありますね。



無事に上野駅に到着!

パイの店’’マミーズ’’ に寄るために遠回りもしたので、本当によく歩いた一日でした。。。
七福神コース調べてくれた友達に感謝です♡
一番最初に一緒に行ったのは、柴又七めぐりでしたよね。また一緒に行けたらいいなあ~って思います!(^^)!
おしまい。
印刷したらどうですか?
立派なガイド本になりますよ。
素晴らしい‼️
出かけた場所の事を忘れないように、記録するくらいのことなので、ガイド本には、ほど遠いです。