1/17(金) 羽田空港19時40分JAL465→21時徳島空港→22時徳島駅徳島ターミナルホテル泊
仕事を終え空港へ。

飛行機に乗ります。
まずは音楽チェック!
JALクラッシックはベートーベンの第九の曲が入っている!
わーい。早速聞かなきゃ。。。しかし、離陸の時、タイミング悪く第九の合唱の部分で途中でアナウンス😖


着陸のアナウンスの時、この飛行機がミッキーマウス仕立ての機体だと知る…
ミッキーマウス仕立ての飛行機だと、機内もサービスのカップもミッキーマウスになるんですね。
どうして乗るときに気づかなかったのでしょう😅
アナウンス、またもや第九の合唱とかぶる 😖

飛行機を降りて、機体を見ようと思ったけど、ちょうどタラップや建物の壁で可愛い機体を見ることができず🥺初めての体験だったのに。。。残念。

徳島駅に到着‼️



今夜は格安ホテル4600円よ。どんなホテルかな?

受付で明日の第九の里の行き方を尋ねたところ、バスの時間を調べてコピーも下さいました。感じの良いホテルです🙂よかった。
明日の早朝、受付にあった絵葉書のところに朝日を見に行きたいと伝えたら、行き方と歩いては大変だからと貸し自転車のキーも貸してくれました。
これで、明日の準備はバッチリ👌

広めのお風呂にゆっくりつかり、明日の目覚ましをセットして寝ます。
部屋の中がなかなかあったまらず、隣の布団もかけて寝ました。
明日は早起きしよう~
1/18(土) 泊1→サイクリング吉野川朝日と徳島城跡→ホテル→市内ぶらり→徳島駅10時58分→11時19分板東→霊山寺1番札所→第九の里.ドイツ館→レンタサイクル→大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) →ドイツ公園→極楽寺2番札所→賀川豊彦記念館→ドイツ館16時34分→17時8分鳴門駅17時30分送迎車→鳴門ベイホテル泊2

この歩道橋から何か見えそう〜お城の方が見えるかな❓と上がってみる。

昨日いただいた地図を頼りに、


こたえ。。。1137メートルあります。
ビュンビュン車が通る。



逆の方向がオレンジ色だったから、夕日だったのかもしれませんね。



鳴門の渦潮🍥のよう🤨

渦巻でグランドを整備するんですね。
ギアがついてない自転車なので、朝からいい運動になります。








城内でもっとも古いとみられる、本丸東側の石垣。いかにも古くて荒々しさがありますね。




この下辺りが徳島駅ね。


近くに行ってみると、

こちらの標高は61メートルです。
階段と山道を下り、

どうやら、わたしが登ったのは裏道だったようです。
こちら側は、よく整備されています。

ここにはどんなお魚がいるでしょう❓
こたえ。。。↓


今は?

鷲の門(わしのもん) っていう名前がついています。

明治41年に現在の水平橋に架け替えられた 下乗橋
どうして下乗橋(げじょうばし)って名前が付いたの???
こたえ。。。 橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことから由来です。

こたえ。。。 蜂須賀 家政(はちすか いえまさ) です。
父( 蜂須賀正勝 )の代わりに阿波国の大名に任じられて徳島藩祖となりました。

石垣の緑色の石はなあに??
こたえ。。。 阿波青石(あおいし)、地元では単純に青石と呼ばれる阿波の名石 です。

昭和44年7月22日まで現役でした。


こたえ。。。徳島運転所(とくしまうんてんしょ)です。徳島県徳島市にある四国旅客鉄道(JR四国)の車両基地で、運転士・車掌も所属しており、徳島駅に併設されています。

こたえ。。。 大正10(1921)年に完成した転車台です。
徳島駅駅ビルのJRホテルクレメント徳島の客室は、転車台を含む駅構内を一望できるビューポイントだそうです。今度は、ホテルクレメントに泊まってみたいですね。


こたえ。。。 汽車ぽっぽが名前の由来で、1971年に出来たまだ新しい商店街です。


自転車を押して歩いてみます。

ホテルに戻り、昨日の食べきれなかった柿の葉寿司を食べる。
歩いて、眉山ロープウェイに行きましょう🚡



ロープウェイが今上がっていったからしばらく来ないねー

ガイドブックには、年中無休って書いてあったのに…
最新情報を調べてなかった😔

どこに行こうかな❓
観光案内所で相談してみる。近くに’’瑞巌寺っていう、お庭のきれいな場所があるけれど、もしかしたら、猪が出ているので、お庭は閉まってるかもしれません…‘’とのこと。境内には入れるそうなので、行ってみましょう〜
学校の近くに、立派な像が立ってます。

こたえ。。。 元ポルトガル神戸総領事モラエス (1854~1929年) は、
亡き妻の故郷徳島を愛し、徳島で生涯を終えました。

こたえ。。。水準点のマンホールです。色がついていて珍しいマンホールです。
学校の脇を山のほうに向かって歩いていくと、

瑞巌寺の山門が見えてきました。



鳳翔水(ほうしょうすい)って???
こたえ。。。 眉山湧水群のひとつ で 「鳳翔山瑞巌寺」境内に湧き出る名水 です。



同じように、残念そうに歩いている人がいます。奄美大島からひとり旅できたそうです。今日は阿波池田に泊まって、明日大歩危小歩危に行く予定だそうです。
‘’人の少ないところが好きなのよ‘’と。
大通りを通って、徳島駅に戻ります。

アーケードを歩いていると、


近づいてみたら、中から係の人が出てきてきました。’’どうぞ見ていってください’’と。。。声をかけてくれました。

☺️15年前から徳島県、徳島市のNPOとして運営しているそうです。
こういう時に、保育科の血が騒ぐんですよね‼️
案内してくれたれた方は、子供とたまたまこの前を通り、施設を利用するようになったそうです。
子育ては、孤独になりがちだから、気軽に立ち寄ってみんなが楽しく集まれる場所があるっていいよね❣️

見学させていただきありがとうございました🤗
駅に向かって歩いていると、パンの焼けるいいにおいが漂ってきました。

焼きたてベーグルを買いました❗️



そごうは開いてるのかな❓前を通ってみることにしました。

眉山やさらばじゃ👋






ひとつは、夜のデザートにとっておこう😉

みんなが降りたあとに気づき、急いで車掌さんに確認してみる。
’’ここですよ’’と。。。差額100円は現金で返却してくれました。
優しい〜🥰 対応をありがとうございました😞
坂東駅で下車!


同じ駅で韓国人の親子もおりて、地図を見ながら悩んでいる様子でした。
パンフレットがあったので、渡してあげました。




英語の表記がないから外国人にとっては難易度高そう~



「竺和山・霊山寺」 (じくわざん。れいざんじ)
門の前に誰か立ってるよ。






鳴門から、車で来ていた方が教えてくれました。’’この後どこへ行くの?’’と
これから第九の里と答えると、
良かったらそこまで乗せてあげるよと親切に声をかけてくれました。
歩いても20分で行ける場所なので、景色を見ながら歩いていきますねとお伝えする。
またどこかでお会いするかもしれないですねとお別れする、



足元に注目、パンプス履いてます😁

お寺の出口で、先程の方とお会いし、第九の里までの道順を教えてもらいました。
お昼ご飯は、第九の里が道の駅になってるから、そこで食べたらいいらしいです。



怖そう〜
演奏会までには、第九も、ミサソレムニスもちゃんと練習します。許して〜😖

記念館をじっくり見学しますしょう😊

私のほかに、ドイツ人のご夫婦と通訳の人と3人と、日本人観光客数人だけでした。
記念館で無料のレンタサイクルを借りて、大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) とドイツ公園に行ってみましょう~
しばらく誰も乗っていないので、乗りにくいかもしれませんと言いながら、自転車をきれいに拭いて貸してくださいました。
荷物も預かってくれました😉
行ってきまーす!


大麻比古神社 (おおまひこじんじゃ) に到着!
自転車は、綿菓子の出店のそばに置かせていただきました。


この御神木のそばで、先程の方にまたあいました。
’’ドイツ橋がこの先にあるから行ったほうがいいよ‘’とのこと。
‘’あとで行ってみよう〜‘’

神社の裏手を進んで行くと、まずは眼鏡橋を見つけました。

眼鏡橋って誰が作ったの???
こたえ。。。板東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようじょ)の所長 松江豊寿陸軍中佐(1917年以後同大佐) は、 捕虜らの自主活動を奨励した。 捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行った ため多くの捕虜が感謝しその土木技術を生かして池を掘ってドイツ式のメガネ橋を作ったそうです。同じ時期にドイツ橋も作られたそうです。
捕虜らの自主活動 ってなあに???
こたえ。。。捕虜た ちはパンを焼くことや新聞を印刷すること 楽器を演奏することはもちろん ビールを飲むことも許されていました 。捕虜たちはこうした人道的な配慮に応え 音楽やスポーツ 産業活動などを積極的に展開し、 そうした活動を地域の人々にも伝え、やがて地域の人たちは捕虜たちをドイツさんと呼ぶほど、交流が広がり友情も芽生えました。
また少し進んでいくと、ドイツ橋がありました。




こたえ。。。 日独友好と恒久平和を願い、昭和58年(1983年)標高120mの丸山山頂に建設された,ばんどうの鐘 です。

こたえ。。ばんどうドイツ橋です。👇

四国横断自動車道の鳴門と板野を結ぶ区間 にあります。
ドイツの捕虜施設があった場所に行ってみましょう〜
現在、ドイツ公園として整備されています。

日本各地で死亡した85名のドイツ兵士の
合同慰霊碑が建立されています。
第一次世界大戦当時、鳴門市の板東俘虜収容所で何人の捕虜が生活していたの???
こたえ。。。ドイツ兵約953人が暮らしていました。

こたえ。。。 。 日本赤十字社徳島県支部では 、 板東俘虜収容所跡地に、 赤十字ゆかりの地モニュメント を設置し 、 この地で展開された人道的な史実を後世に伝えています。
ドイツ記念館にいたドイツ人夫婦たちとすれ違いました。ここに来るというのは、 板東俘虜収容所 と関係のある親族がいたのかしらね。。。

収容所跡は少しだけレンガなどが残っていました。


バスの時間まで余裕がありそうなので、2番札所極楽寺に行ってみることにしました。
極楽寺に到着!



そろそろ、第九の里に向かいましょう~

道の駅まで戻ってきました。
賀川豊彦記念館のチケットを持っていました。行ってみなきゃあ。

(かがわ とよひこ、1888年(明治21年)7月10日 – 1960年( 昭和35年)4月23日 )
こたえ。。。友愛。互助。平和のために生涯をささげた人です。賀川豊彦は若き日、神戸のスラムに身を投じて貧しい人々の救済に専念しました。壮年時代には、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動に献身し、 関東大震災が発生するや、東京にて、被災者救済 に力を尽くしました。
1951年に日本生協連初代会長に就任しました。
自転車を返却に行きましょう


自転車を返却して、荷物を受け取ります。ありがとうございました。

ちょっと早めの夕飯、鳴門のわかめうどんを頂きます。
お夜食にイチゴとパンを買いました。
バスが来ました。本数が少ないので、ちゃんと乗れてよかった。


「うずしおくん・うずひめちゃん」
ホテルの送迎車までの時間、駅の周りを散歩。
お夜食にカールも買ってしまいました。


鳴門駅構内にいたら、ホテルの方が呼びに来てくれました。この時間の送迎は私一人でした。感じの良い方で、いろいろ話しているうちにホテルに到着しました。
温泉に入ってゆっくり休みます。おやすみなさい。