両国〜回向院〜亀戸天神〜堀切菖蒲園〜サイクリング〜2020年6月5日〜


昨日は、白内障手術の合併症の後発白内障の治療をしました。白内障の手術をした人の約20%くらいの人が発症するそうです。一応、手術という括りになり、生命保険の手術金の給付対象になるそうです。 濁った水晶体嚢にレーザー光線で穴をあけて再びよい視力を取り戻します。 

当日だけ安静にしたら、翌日は普通に行動しても良いとのこと😊

昨晩は、ちょっと不安だったので、子供の家に泊めてもらいました。

一晩寝たらすっかり元気になりました🤗

シユン😞としていたのは、昨晩だけでした。

朝ごはんの焼きサンドを食べて、サイクリング10時半に出発^_^

まずは、水道橋から御茶ノ水方面へ

御茶ノ水駅、3路線が重なる立体交差になっています。この景色、いつもかっこいいなあと見てしまいます。
標識を確認して、亀戸浅草橋方面に向かいます。
ここは、朝日信用金庫豊島町支店です。
お店の前に、展示物があります。

ちょっと見てみよう〜

神田豊島町という地名があつたそうです。路面電車が通っていたんですね。
今は東神田となり、豊島町の名前はなくなってしまいました。しかし、豊島町支店の名前は残ってます。

豊島町ってどんなところだったの?

こたえ。。。明治の頃には、豊島館という旅館、龍角散(りゅうかくさん)の藤井薬種店、鈴木砂糖商などがあって、たいへん賑わっていたそうです。

龍角散さんってあの龍角散❓

こたえ。。。そうでした🤓明治維新の時に、藩薬だった龍角散は、藤井家に下賜(かし)されました。そして、1871年秋田藩の江戸屋敷の近く神田豊島町で藤井薬種店を始め、龍角散は一般に発売されることになったそうです。

下賜(かし)って?

こたえ。。。身分の低い人に物を与えることです。

ちょっと気になる、プランタン。。。マツコの話に出てくるお店の支店かしら?

今日は通り過ぎる。

両国橋を渡ります❗️

スカイツリーが見えるね。

高速道路が立体になり、走ってます。
橋を渡りきったところにこの辺りの説明の看板と写真があります。「両国の百本杭」だそうです。

百本杭ってなあに?

こたえ。。。 両国橋の風景を特徴づけるもののひとつに、百本杭があります。昭和5年(1930)に荒川不水路が完成するまで、隅田川には荒川、中川、綾瀬川が合流していました。そのため隅田川は水量が多く、湾曲部ではその勢いが増して川岸が浸食されました。
 両国橋付近はとりわけ湾曲がきつく流れが急であったため、上流からの流れが強く当たる両国橋北側には、数多くの杭が打たれました。水中に打ち込んだ杭の抵抗で流れを和らげ、川岸を保護するためです。夥しい数の杭はいつしか百本杭と呼ばれるようになり、その光景は隅田川の風物詩として人々に親しまれるようになりました。

東京都墨田区の歴史ホームページより

こちらは、浮世絵の百本杭
葛飾北斎の浮世絵
こちらも、葛飾北斎。昔の様子がわかって面白い。

イノシシ🐗がいる❗️

ももんじやってなんだろう❓
お店の壁にイノシシの剥製🐗が。。。😳

 享保3年(1718)創業の猪料理店で、正式な店名は「もヽんじやの豊田屋」でした。
回向院 (えこういん) の山門があります。入ってみましょう〜
山道には石碑が並んでます😊
力塚 (ちからづか) ってなんだろう❓

こたえ。。。昭和11年(1936)1月に、大日本相撲協会により、歴代相撲年寄「親方」 を慰霊するために建てられました。
新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と回向院とのつながりを示す象徴になっています。

「回向院相撲の時代」 って何年ぐらい続いたの??

こたえ。。。 天保四年(1833)より春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間 続きました。

おまけ。。。回向院は両国にあることから相撲と縁が深く、現代と違い稽古場を持たない部屋が多かった昭和前期、ここに力士たちが集まって相撲を取っていた「出稽古」をしていたそうです。

こんな石碑もあります。鳥居って何だろう?

こたえ。。「鳥居清長」 ( とりいきよなが ) のことです。

どんな人だったの???

こたえ。。。芝居絵に伝統のある鳥居家の四代目を継承した清長は、歌麿と並ぶ美人画家として活躍する一方、歌舞伎関係の作画にも献身して、浮世絵界に多大な貢献を果たしました。六大浮世絵師の一人として世界的にも高く評価されています。

どんな美人画を描くの?

こたえ。。。清長の美人は日本人とは思えない体型。「清長美人」と言われる八頭身に近い長身・優雅な美人像は「江戸のヴィーナス」と讃えられました。天明期(1700年代後半)の平均的な女性は、身長140cm~150cmで6頭身。他方、清長の描き出す女性像は身長170cm以上、8,9頭身(10頭身に描いたものもある)はあり、「非現実的」なものであくまで理想型、憧れの姿だったようです。

六大浮世絵師って?

こたえ。。。鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重 です。

回向院ってどうして建立されたの?

こたえ。。。元々回向院は、明暦の大火による犠牲者を供養するために建立された歴史があります。明暦3年(1657)、10万人以上もの命を奪ったという振袖火事が起こります。その身元不明者を合葬、供養するために建てられたのが両国回向院だったのです。以後、火災や震災、洪水などによる無縁仏も葬られるようになりました。

石造海難供養碑の説明
1789年から1857年までの供養碑があります。
これらの石碑群は、大黒屋光太夫の一件を除いて記録に残っていないため、近世海難史についての貴重な資料といえます。

大黒屋光太夫の一件ってなあに❓

こたえ。。。大黒屋光太夫 (だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) – 文政11年4月15日(1828 年5月28日)) は伊勢(三重県) 回船(運輸船) の船乗りで、天明二年(1782)の年末に遠江(静岡県)沖で嵐に遭い、船は太平洋沖合へと流されていきました。そのまま黒潮に乗り、七ヶ月の漂流の後にアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。17人のうち日本に帰ってこられたのは、光太夫と磯吉の二人のみ。寛政四年(1792)のことでした。足掛け11年もの間、大黒屋光太夫は異国の地で漂泊の生活を送りました。

おまけ。。。映画や小説になってます。映画「おろしあ国酔夢譚」では大黒屋光太夫を緒形拳さん、庄蔵を西田敏行さん、小市を川谷拓三さんが演じました。映画の原作は井上靖の同タイトルの小説(文春)です。

こちらが石碑群

裏面に光太夫の名が彫られた船の形をした墓碑もあるようですが、気がつきませんでした😔

東京が一朝にして焼土と化した大正12年の関東大震災の時、当時の住職であった第21世浄厳師は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。

おまけ。。。

関東大震災前、 回向院 は浅草にありました。どうして、両国に移ったの??

こたえ。。。 関東大震災により壊滅的な被害を受けた 回向院 は、再建困難。。。当時住職を兼務していた回向院第二十一世荘誉浄厳上人により、両国回向院の別院的存在として昭和二年市川市国府台の地において復興されました。


鼠小僧のお墓です。


「お前立ち」 ってなあに???

こたえ。。。墓石の手前にある「お前立ち」という石を削ります。そして削って出てくる粉を持ち帰ると御利益をいただけるそうです。

どんなご利益があるの???

こたえ。。。 勝負運・金運さらには合格祈願のパワーを得ることができるます。


おまけ。。。鼠小僧が長年捕まらなかった為、その運にあやかろうと、墓石を削りその粉をお守りにする風習が江戸時代から盛んだったようですねえ。

「がまごおり風土記」(伊藤天章著)には、文政期に江戸市中の大名屋敷に忍び込み、天保三年に三十八歳で処刑された鼠小僧次郎吉は蒲郡の生まれだと書かれています。

「猫の恩返し」で有名な日本最古の猫塚。病気の主人に恩返ししようとして殺されてしまった、実在した猫のお墓。文化十三年(1816)建立。
猫の恩返しのお話🐱
このお地蔵様はなあに❓

こたえ。。。塩地蔵です。

どんなお地蔵さまなの❓

こたえ。。回向院にある塩地蔵は、宝暦7年(1751年)に建立され、右手に錫杖(しゃくじょう) 、左手に 宝珠( ほうじゅ ) を持っており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから、「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。

おまけ。。。お参りするときに塩を持ってきて、身体の悪いところと同じ部分に塩を塗って祈願していたのがそもそもの由来です。このような塩地蔵は都内近郊に48箇所あるそうです。

地蔵菩薩や虚空蔵菩薩 の持ってらっしゃる宝珠( ほうじゅ ) には、 思いのままに様々な宝物を生み出し、あらゆる災いを退ける力があるそうです。

慈悲深いお顔をしてらっしゃる。

フウセントウワタ( 風船唐綿 ガガイモ科フウセン トウワタ属 )
黄色い虫は何だろう?と思ったら、アブラムシでした.。o○

紫陽花の花言葉は何だろう?

こたえ。。。 アジサイの花言葉として「移り気」や「浮気」などの心変わりを表した花言葉がつけられています(#^.^#)

イチョウの木

から垂れた乳と呼ばれる気根 →どんどん伸びていくと、 それが幹の一部となりさらに成長としていきます。
木遣塚(きやりづか)ってなあに❓

こたえ。。。元禄年間、江戸城普請の時うたい始めた、火消し達が唄う木遣節を後世に伝えるために建てたもの。
参道の猫ちやん🐱
近寄ってみたら、
ゴロンの寝転がっちゃった
両国2丁目の交差点🚥

ここから、裏道を通ってみます。

時津風部屋だって‼️

両国小学校まできました。


両国小学校 は、芥川龍之介の母校なんだって‼️
「杜子春」の一節が刻まれた石碑
旧帝国海軍の駆逐艦「不知火」の錨

駆逐艦(くちくかん) ってなあに???

こたえ。。。 多様な作戦任務につく重装備,高速の海軍艦艇です。

紫陽花の綺麗な時期になりましたね^ ^
現在の両国小学校の入り口。
両国亭って???

こたえ。。。 落語を始め、長唄や新内などの伝統芸能を披露する演芸場. 円楽一門が出演する下町の演芸場で す。

伊藤宗印(いとうそういん) 屋敷跡→将棋の名人だったのですね。


どうして三家は、転居してしまったの???

こたえ。。。江戸幕府が衰退していくにつれて、家元三家に対する支援も次第に減少していった。これにより将棋も道連れのように衰退の道を辿り、 家元制が崩壊 していったからです。


世襲 ( せしゅう )ってどういう意味???

こたえ。。。 特定の地位(官位や爵位など)や職業、財産等を、子孫が代々承継することである。

宗印 が明治時代になって、この地に戻ってきてくれたからこそ、 現在の将棋ブームにつながっているのですね。

しばらく、直進ですねー
亀戸駅に到着‼️
地図を見て、亀戸天神方面へ。
近づいてきましたね❗️
亀戸天神に到着‼️
立派な文字だ‼️

藤の季節にきたことがありました。。。
藤棚の季節の写真🤳華やかですねえ〜
ぜーんぶ藤棚‼️です😳
石灯籠の上に何かいます。。。
得意そうな顔をしたハト🐦さん

おまけ。。。この石灯篭の名前は、琴柱灯籠(ことじどうろう)

兼六園で有名な琴柱灯籠よりお大きいな石灯籠です。

どうして琴柱っていうの?

こたえ。。 足が二又になっていて、琴の弦を支える琴柱に似ていることから名前が付けられました。

立派な鳥居⛩
天神様といえば、梅の木ですね~
立派な梅の実が実っていました!(^^)!
ここは、どこからでもスカイツリーを眺められるんです⭐️

池では、

亀と鯉が競っています。。。。

鯉が速い、

亀の下を抜けて追い越していきました。個人保護のため、 「ぼかし」 入りです(笑)
太助灯籠(たすけどうろう)→ 塩原太助

しばらく走ったところに神社があります。

天祖神社(てんそじんじや)って書いてあります。
お参りさせてもらおう〜
自由に持ち帰りできる稲が置いてありました😮
溶岩の岩らしき上に狛犬がいます❗️口の中が赤いね。

社殿はいつできたの???

こたえ。。。 安政の大地震や関東大震災等により、社殿は被災を繰り返し 現社殿は昭和二年九月に反対意見の根強いなか造営会が組織され、翌三年六月起工、四年十二月七日竣工、日本で初めての鉄骨筋コンクリートの社殿として神社史に名を刻むことになりました。

参道には、稲が植えてありました。
道祖神も可愛いね😍

人情味ある、温かな雰囲気の神社でした。

天祖神社を出てすぐの路地から、スカイツリーが見えます!(^^)!

少し進んでいくと、

十間橋がありました。
スカイツリー建設時、両親と一緒にここから、スカイツリーを眺めたような気がします🙂

堀切菖蒲園は、どこかなあ?😓と思いつつ、自転車をこいでいると、古めかしい電車を見つけました。
ここは、東向島駅 の近くにあります。

この電車はなあに❓日光軌道線203って書いてあります。

こたえ。。。 東武200形電車(とうぶ200がたでんしゃ)は、 かつて東武鉄道に在籍していた路面電車車両です。この車両は昭和29年に汽車会社で造られた2車体3台車連接式の珍しい電車です。

日光軌道線ってどこを走っていたの???

こたえ。。。栃木県日光市の日光駅前から馬返までを結んでいた東武鉄道運営の路面電車でしたが、 昭和43年 廃線になりました。

けごんの電車に連結されてるよ❗️→1720系デラックスロマンスカー(1961年から1991年まで運行していました)

向島百花園の標識があります。近そうなので、行ってみましょう~

入り口があった。
昔、萩の花を見に来たなあ~
見学する時間はありません😓

入り口に、隅田川七福神巡りの看板を見つけました。
向島百花園の隣の公園😳

先を急がなきゃあ!

やっと、隅田川のほとりまでやってきました。

堤通公園❣️

ここから、隅田川沿いを走ります。もう少しで着けるかなあ〜

これはなあに❓
こたえ。。。このあたりは、牛島神社の境内だったそうです。牛島神社は移転しましたが、常夜灯だけここに残りました。

この付近には、渡し船もありました。
竹屋の渡し(たけやのわたし)

しばらく進んでいくと、なぜか桜橋が見えてきました(*_*;

が~ん😞逆走していました。。。。

もうあきらめて、帰ろうかなと思いましたが、’’負けてはなるものか’’という気持ちがわいてきて、30度の暑い中頑張ってあきらめずに菖蒲園に向かうことにしました。

しかし、高い建物に囲まれ自分の位置が分からなくなり、困っていました。そこにちょうど信号が赤になり、目の前に自転車に乗った若いお兄さんが止まりました。

勇気を出して道を尋ねてみると、地図を開いて進む方向と隅田川にかかる橋の渡り方(車道は自転車では通れません)を、信号が青になったのにもかかわらず、丁寧に教えてくれました。おばちゃんのためにありがとう^ ^

仏様のように見えました(#^^#)

この道、教えてもらわないと見つけられなかった。。。
歩道橋の上からの眺め。。。
大まかな地図でよくわからないけれど、川沿いを進んでみるとするか。

途中、家の前にいたお父さんに’’菖蒲園はどこですか?’’と尋ねたところ、’’もうそこの角を曲がったところだよ。今が満開で一番きれいだよ’’と教えてもらい、急に元気が出てきました。柴又まで余裕で行けると思っていたのに、菖蒲園までで、精一杯でした😞

堀切菖蒲園に到着~

きれいだなあ~

花菖蒲には大きく3つの系統があるそうです。

①江戸系→堀切で品種改良された品種。江戸時代より引き継がれた多様な品種のすべてを含む。集団で植えて、花菖蒲園で鑑賞される。

②肥後系→江戸時代後期松平菖翁(しょうおう)から藩主に渡った品種をもとに改良された。草丈は、江戸系よりも低く、花は大きく豪華であることから、座敷に座って鑑賞される。

③伊勢系→起源は不明。 菖翁と同じ時期に松阪の吉井定五郎という武士が改良されたものといわれる。色彩、弁の垂れ方が優美であるのが特徴です。

江戸系
肥後系
この花はなんだろう❓

こたえ。。。フェイジョア(フトモモ科の常緑低木)果物として食用に栽培される
堀切菖蒲園の浮世絵

 葛飾の菖蒲園は、江戸時代の終わりごろに始まりました。最初の菖蒲園は、明治時代に小高園と呼ばれるようになった菖蒲園で、堀切にありました。小高園には、徳川12代将軍の家慶とその子で後に13代将軍となる家定の親子が鷹狩りの際に立ち寄っています。また、将軍家の一族である尾張徳川家の当主、徳川斉荘から「日本一菖蒲」「艸花」(くさばな)という直筆の書が贈られています。その後、武蔵園も開園し、堀切の菖蒲園は江戸時代から有名になり、浮世絵にもえがかれました。

シモツケソウ(下野草、バラ科シモツケソウ属 )も咲いているよ。

キンシバイ(金糸梅、オトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉小低木) 

トクサ(シダ植物門トクサトクサ属 )
肥後系
きっと、この花は江戸系ね。
伊勢系

約200種、6000株のハナショウブ があります。

きれいに刈られたサツキ
アイスコーヒーを飲みながら、冷房の良くきいた室内で休憩~
無事に菖蒲園を見学できました(´▽`) ホッ
リニューアルされ昔の面影がなく少し残念な気持ちになりました。
娘がまだ抱っこの時に、広島の両親と柴又と堀切菖蒲園に来たのですが、昔の雰囲気とはだいぶ違ってました☹️
通常の避難橋の意味とはちょっと違いますね。
黄色い可愛い橋でした😍綾瀬川を渡りました。
渡りきると、河川敷が広がっていました。

次に見える大きな川は、荒川です。

左手に見える橋を渡り、スカイツリーの近くを通り帰路に着きます。
四つ木橋が見えてきました‼️この道が、ちゃんと四つ木橋に繋がっていますように。。。

繋がっていました。

杭がたくさんあります。流れが急なのでしょうね。

亀戸から、この道を通れば迷わなかったなあ〜

日本橋 浅草橋方面に向かいます。

と、和菓子屋さんを見つけました。お昼ご飯も食べてないし、疲れはピーク😓
東向島埼玉屋→草餅を買いました。

しばらく進むと、牛島神社をみつけました。隅田川のほとりで見た、常夜灯の神社ですね‼️

中に入ってみる元気は残っていません。
隅田川を渡ります😊

上野駅に到着❣️

上野から浅草寺の裏手を通り、どら焼きの美味しいお店『うさぎ屋』へ行ってみよう〜

ここからは、携帯充電切れにつき、写真なし😱

『うさぎ屋』どら焼き、すでに売り切れ😞

お店の前にうさぎ屋カフェかき氷🍧の文字が目に入る。。。

‘’ここから少し裏通りに行けば、まだギリギリカフェは開いているかも?’’とのこと、場所を教えてもらう。

16時ギリギリ間に合い、迷わずうさ氷を注文する🐰

大きな真っ白なかき氷が出てくる。蜜がかかっていない、どうして❓

店主曰く、「水平に食べてみてください。あんこと蜂蜜🍯と氷を重ね合わせ層になっていますよ」と。

ふわふわのかき氷の中から、うさぎ屋の美味しいあんこが出てきました。蜂蜜の味もほんのりして美味しい🥰

黙々と食べる、店主さんが、量が多いのを心配して「食べれましたか❓」と来てくれる。

その頃には、ほぼ食べ終わっていました😅

いやあ美味しかった〜

天然氷を使ってるのかと思ったら、ハワイの水を使って氷を作っているとのこと。ミネラルが多く含まれている水なので、キメの細かいふわふわのかき氷ができるとのこと❣️

写真が無いのが残念。。。

「うさぎやのどら焼きは、新型コロナの影響で15時で製造が終わってしまうので、今度買いに来るときは予約しておけばいいよ」と教えて頂きました。

今日は、うさぎやの美味しい餡と氷が食べれて満足😊

お店の中には、他に2組。同じグループの人たちらしく、ジャニーズのメンバーや芸能人のことを、あいつはどうだこうだとか話していたので、TV関係者だったのでしょうね。

かき氷を食べたら、元気が出てきました🥳

マンションに到着‼️

晩御飯は、作り置きのものもあったけれど、’’何か食べに行く❓’’と息子から連絡をもらい、迷わず‘’焼肉’’と答える😋

神保町の三幸園❗️焼肉で待ち合わせて、ご馳走になりました^ ^

餃子で有名な三幸園と同じグループのお店だそうです。

おまけ。。。1人で待ってる間のできごと。

男性がひとりで入ってきました。しばらくして女性が入ってきました。初対面のようです。

流行りのインターネットの婚活サイトでの待ち合わせ場所に居合わせたようです。こっちの方が、どきどきしてきました。

「はじめまして、宜しくお願いします。お酒弱いんで、すぐに顔に出てしまうんで、今の顔をよく覚えていてくださいね」と男性、

お肉は、上肉ばかり注文していました。支払いは、な男性の方なのかな❓

男性は大変だなあ。。。

上手くいくといいね😊

ここの焼肉屋さんは、ふつうのハラミもネギたんも美味しかったよ!なんちゃって😝

夜はすぐに眠気に襲われ、熟睡でした。。。早く寝ちゃってごめんなさい😞

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