2/23(土) 泊2 8時20分市内散歩…お雛祭りイベントあり🤗三原11時02分→12時28分広島・・・モーツアルト(ランチ)・・・恩師宅・・・お墓参り・・・実家泊3
6時50分から朝食。部屋に戻って鍵を開けようとしたらどうしても開かない😨
宿主さんに来てもらいました。
宿主さん が、’’開きませんね~’’と予備の鍵で試してみたり、ドライバーを使ってみたりしながらやっとドアが開きました。😓部屋に戻れて良かった。。。
その間5分くらいでした…
荷物を置かせてもらい市内観光に出発❣️
お城の石垣を通り過ぎ、まずは漁港へ向かいます。
まずは、聖 トマス小崎 へ

長崎へ向かう途中の安芸国の三原城で母に宛てた手紙を残しています。
日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)ってなあに???
こたえ。。。1597年2月5日(慶長元年12月19日) 豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者のことです。
聖トマス・小崎から母への手紙
神の御助けにより、この手紙をしたためます。パードレ以下われわれ二十四名は、列の先頭を行く制札に書かれた判決文のように、長崎で磔刑を受けるため、ここまでまいりました。私のこと、またミゲル父上のこと、ご心配くださいませんように。パライソ(天国)ですぐお会いしましょう。お待ちしております。たとえパードレ(神父)がいなくても、臨終には熱心に罪を痛悔し、イエズス・キリストの幾多の御恵みを感謝なされば、救われます。この世ははかないものですからパライソの全き幸福を失わぬよう、努力なさいますように。人からどんなに迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように。私のふたりの弟マンシオとフェリペを、どうか異教徒の手に渡さぬよう、ご尽力下さい。私は母上のことをわれらの主にお願いいたしましょう。母上から私の知っている人々によろしく申し上げて下さい。罪を痛悔するのを忘れぬよう、再び重ねて申し上げます。なぜなら唯一の重大なことなのですから。アダムは神にそむき、罪を犯しましたが、痛悔とあがないによって救われました。
十二の月二日 安芸の国 三原城にて。


’’古くなった、たこつぼは、中にコンクリートを入れて重しに使うんよ。階段を下りて近くでなんぼでも見てきんさい。ボロのも新しいのもあるよ。’’と漁師さんが話しかけてくれます。



’’ その先に人が立っとる人がおるじゃろう。その下にウミウがたくさんおるよ。行ってみんさい’’と。
いってみたら・・

先に立っていた漁師さんが、’’こりゃあボラの子供よ。ちいそうて食べられん’’と。ウミウはお散歩中で不在。。。

こういうのを見ると、無性に網ですくいたくなる。。。


城下町散策マップに、大だるまがあると書いてあったので行ってみます。熊野神社から極楽寺を通り、大だるまを目指します。


小早川家代々の居城であった高山城の裏門を移築したものと伝えられ ています。

大だるまが見つからないと思っていたら、大だるまは、神明祭のお祭りの期間、2月の第2日曜日3 日間の時だけお目見えするそうです。 がっくり。。。


今日と明日は、ひな祭りのイベントがあるそうです。行ってみましょう~


寺院の石段にお雛様が並べてあるとのこと、行ってみましょう~




子供達もたくさん来てきて、自分の作ったお雛様を探していました。見つけるのはなかなか大変そう~


予定より1本早い電車に乗れそう~ダッシュで旅館へ向かい、荷物を受け取り、1分前に到着☺️
在来線に乗り、広島に向かう。流された橋がそのまま残って、残り半分が川の中にそのままになっていたり。。。
山は、大雨の爪痕を残したまま。
本郷から河内の間、徐行運転箇所あり。
西条で5分停止。隣に座った男性むしゃむしゃと音を立てながら美味しそうにサンドイッチを食べています(笑)
広島駅に到着!

主人と一緒に、恩師宅へ。1月に転んで怪我をされたとのこと、怪我をせずにお元気でいてください。また会いに行きます。
お墓参りに行って、電車で広島駅まで戻ります。
広島駅の回転ずし’’すし辰”でお寿司を買って実家へお泊り。
姉が車を貸してくれたので、明日は、母と3人でドライブに行くことに決めました。
’’どこにいこうかね~’’
主人が、一週間前にテレビで見た情報によると、三景園の梅の花が咲き始めているとのこと。
’’バイクでいってみようと思っとった’’というので、
車いすも借りれそうだし、行ってみることにしました。
また明日~