5/4(土) 8時30分→8時55分東尋坊9時50分→10時25分丸岡城→11時25分→11時40分白山平泉寺12時20分→ラブリー牧場プリンパフェ1日10食限定→1時半永平寺16時10分→17時10分刀根PA17時25分→17時50分名神名古屋京都分岐→19時50分長篠設楽原パーキング20時05分→22時00分足柄SA22時40分→23時40分自宅着
少し早起きして朝散歩〜


お次はトラ🐯 の安全柵
海を見ながら、ゆっくり朝食をいただいて出発~
まずは、三国海岸へ。

いい気持ち(≧▽≦)
東尋坊までは車で数分で到着!



遊覧船が見えます。。。

現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城 を見たくて、丸岡城へ。

クマンバチがブンブン飛んでいます。’’こわいなあ~’’と思っていたら、係りの方が、’’人は襲わないから安心してください ’’と。。。
クマンバチは、自分たちのナワバリを守るのに 飛んでいるだけだそうです。

こたえ。。。 由来は合戦時の不利な状態になると、大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説があるからだそうです。
天守閣は日本最古の 現存天守閣 なの???
こたえ。。。 2015年からの調査で、丸岡城は 江戸時代寛永年間 (1624~44年) に建てられたとみられることが、坂井市教育委員会の学術調査でわかりました。
市は「現存する最古の天守」と城の重要性を訴えてきましたが、科学分析による結果を受けて軌道修正を迫られそうです。 2019/4/4朝日新聞より抜粋

石垣は、当時の野面積みがそのまま現存しています。
この石垣悲しい伝説が残っています。どんな伝説???
こたえ。。。丸岡城を築城する際に、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかった。そこでこの時代の人達は人柱を立てる事となったのだが、城下に住む貧しい片目が不自由な未亡人「お静」が、息子を武士に取り立てる事を条件に、人柱となる事を 柴田勝豊 に申し出た。
しかし、 柴田勝豊はほどなく豊臣秀吉に滅ぼされ、その約束は果たされなかった。
それを怨んだお静の怨霊は大蛇となって暴れたと伝わる。毎年4月に丸岡城は大雨に見舞われ、人々はそれを「お静の涙雨」と呼んだ。
→’’人柱お静の伝説’’

1620年代後半以降に伐採された 木材を使っています。



どうして石のしゃちほこなの???
天守のしゃちほこは、もと木彫銅板張りであったものを、昭和15年から17年の修理の際に、当時は戦争中で銅板が天に入りにくかったので、やむなく天守閣の石瓦と同質の石材で作り変えられました。
しかしこの石瓦も昭和年の福井大地震で落下し昭和年の修復時に天守の鯱は元の木彫銅板張りに復元されました。 と書いてあります。
苔むした庭園で有名な、白山平泉寺に到着❣️


降り龍 🐲

昇り龍 🐉


越前大仏で知られる大師山清大寺 でした。
ラブリー牧場 のソフトクリームを食べに行きましょう~

今回の旅のしめは、永平寺!


「汲流千億人」 と書いてありますが、右の石碑には
「杓底一残水」と書いてありました。
こたえ。。。 (しゃくていのいちざんすい、ながれをくむせんおくにん)と読み、 「一扚の水でも元の川へ流れることによって多くの人が恩恵にあずかれる」という意味だそうです。
わずかな水でも、下流に住む人たちを潤す水になるかもしれない。一滴の水にも仏の命が宿るという禅の心です。一滴の水を大切にして、命も大切にする。日本古来からの考え→どんなものにも存在意義がある 「八百万の神々」 につながっていくのかなと個人的に思いました。






永平寺の階段なだらかなのに一段ずつしか歩けない娘 。筋肉痛だそうです。’’若いからすぐに筋肉痛も出るねえ~’’

鼻は象、目は犀(サイ)で足は虎という姿をした中国の
想像上の動物で人の悪夢を食べてくれる「獏」だそうです。



永平寺を後にして、一軒目のお店で、晩御飯をいただきます。

帰りも運転よろしくお願いします。
永平寺から、7時間余りで自宅に到着しました。
楽しい旅をありがとう~
また一緒に旅行に行こうね♡