浜松市に住んでいる友達が、日帰りで遊びに来てくれました。
等々力渓谷と飛鳥山公園に行ってみたいとリクエストあり、10時過ぎ
等々力駅 で待ち合わせをしました。
昨日は悪天候だったけれど、今日は晴れてよかったね☀

等々力の地名の由来は???
こたえ。。。 等々力渓谷に流れ落ちる「不動の滝」の轟く音に由来するという説 が有力です。
標識に従って歩いていくと、5分で溪谷入り口に到着!


ゴルフ橋ってなあに???
こたえ。。。 谷沢川に架かる赤い橋です。昭和の初めに 旧下野毛、等々力村に東急電鉄が開発した約8haの広大なゴルフ場があったことに由来しているそうです。






稲荷大明神を通り過ぎ、 階段を登っていくと、

「三鈷剣 (さんこけん) の石像」


どうして、 三鈷剣 (さんこけん) の石像があったんだろう???
こたえ。。。 三鈷剣 (さんこけん) は、 倶利伽羅剣(くりからけん)とも呼ばれ、不動明王が右手に持つ剣として知られています。 へえーそうなんだ!
三鈷剣 (さんこけん) ってどういう意味があるの???
こたえ。。。 三鈷剣 は、仏教で根本的な煩悩とされる「貪(とん)」「瞋(しん)」「癡(ち)」 の三毒(さんどく)を打ち破るといわれています。
- 貪(とん)・・・必要以上な事を求める心
- 瞋(しん)・・・怒りの心
- 癡(ち)・・・真理に対して無知なこと


おまけ。。。 このお寺の不動明王像は1300年前の作で、修験道の開祖とされ「役行者/えんのぎょうじゃ」とも称される飛鳥時代の山岳修行者’’役小角(えんのおづの)’’が自ら彫ったものと伝えられています。
役小角は、 石鎚山(1982メートル) を開山した人でしたね。


川を挟んで、日本庭園があります。








等々力駅から大岡山で乗り換え、目黒線に乗ります。
友達が、東大にハチ公の心臓が展示されているのをテレビで見たので、行ってみたいとのこと。目的地を変更しましょう~
東大前で下車。
まずは、農学部弥生キャンパスへ。

ハチ公像のそばに東大の博物館があります。

ほかにも、無料で見学できる大学の博物館があるので行ってみましょう~

内田ゴシック ってなあに???
こたえ。。。 東京大学建築学科の建築家で後の総長となった内田祥三(うちだ・よしかず1885-1972 ))の手掛けた建物です。
1923年の関東大震災 に 震災復興計画 を託されたのが、 内田祥三 でした。
建設工事を迅速化するため、建築の構成・規模を共通化して、明治のゴシックの伝統を継承した建物群です。
内田ゴシックの代表建築、安田講堂に到着!

→ “安田講堂”は、安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付により建設 され、建物には、寄付をした人の名前が付けられますと。。。

東大の食堂で、お茶をして、





手前にあるのは噴水→ 関東大震災の教訓を生かし、防火 用水槽の役割も果たすものとして 作られました。

1897-1968 大正-昭和時代の彫刻家の彫刻です。


真ん中の門は閉まってるから、ちょうど見えるね🤗
赤門の先に、東京大学総合研究博物館があります。

ただの卵ではありません。ニュージーランドで絶滅した巨大な鳥モアの卵です。
きれいな形にうっとり〜


クレステッド・ダック( トサカのあるアヒル )

世界1小さな品種の馬 「ファラベラ」 🐴

博物館の館長の集めたものは写真はOKだそうです。
おまけ。。。 博物館は、耐震工事のため2019年8月10日(土)から長期休館になります。
この辺りはかつて旧加賀藩主前田侯爵家の敷地だったところです。当主前田利嗣は、明治40(1907)年の明治天皇行幸(ぎょこう)に合わせ西洋館と庭園を竣工します。
行幸 (ぎょこう) →天皇が外出されること
大正12(1923)年の関東大震災の後、建物と庭園は東京大学へ移り「懐徳館」として大学の迎賓施設となります。
しかし、昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲で炎上し、その後、取り壊されました。

平成6(1994)年に総合研究資料館の増築のため発掘調査をしたところ
、解体して土中に埋められた
懐徳館の遺構が発掘されました。
ゆっくり見学をしているうちに16時過ぎになりました。
なかなか楽しい一日になりました。また、東京に遊びに来てね♡