4/12(日) 自宅→正覚寺→ 茅ヶ崎城址公園→Ikeda→自宅
花の時期じゃないから、参拝する人はいません。
裏手の階段を上がっていくと、高台に出ました。小鳥の鳴き声が響いてます。
夕暮れになる前に 茅ヶ崎城址 に着けるよう、そろそろ出発しましょう~
茅ヶ崎城址 へはどこから上がるのかな❓
茅ヶ崎城址公園入口に到着‼️
茅ヶ崎城址公園 って?
こたえ。。。 東・西・北・中の各郭(居住区域)、空堀(からほり)水のない堀、土塁、土橋(どばし・つつはし) 堀を横断する通路として設けられる土の堤 、井戸など城を構成するものの解説板 がしっかりあり、 中世城郭史の傑作ともいわれている茅ヶ崎城址を歴史公園 として整備し 茅ヶ崎城址公園 となりました。
「中世城郭」ってなあに???
こたえ。。。 天下が統一される前、戦が日常的に起こっていた南北朝時代や戦国時代に爆発的な数が築かれ、「中世城郭」「山城」とも呼ばれています。16世紀末までには城としての役目は終わります。
どんなお城なの???
こたえ。。。 自然の山を削り、掘り、盛り固めて、堀や土塁(区画や防御のための土手)、曲輪(区画された平坦地)などを造成したお城です。重要なのは、全体がほぼ「土」で築かれており、建物は木造の簡易なものだったため、遺構はほとんど残っていないことです。
茅ヶ崎城址 は、 遺構 (いこう) →『 古い建造物で今日にその一部が残っているもの 』が残っているというのが、珍しいのですね。
茅ケ崎城は小机城の 支城( 本城を補助するために配された城)だったようです。
中郭(なかぐるわ)を通り、東郭(ひがしぐるわ)に向かいます。
根小屋(ねごや)ってなあに???
こたえ。。。城下町というものがない時代の城主や重臣たちの居住地区のことです。この時代の城主は普段は本丸や主郭に居住せず、郭(くるわ)のふもとに作られた寝小屋で生活をし、いざ戦となった時のみ城にこもりました。
ここからどんな景色が見えるかなあ
やっと出口に出られました。
先に進んでいくと、お寺が見えてきました。
ちょっと寄り道!(^^)!
東急SC前を通り、
7.8キロ走りました❗️
と言っても、歩いた場所もたくさんありましたね。
4/16(木) ロンド→せせらぎ公園→早渕公園→早渕川→センター南→自宅
娘と一緒に車でロンドケーキ屋さんへ。
エクレアは娘に持ち帰ってもらい、本日はここからスタート❤
古民家のあるせせらぎ公園を通り過ぎ、黙々と走る。。。
7.76キロ走りました。
エクレアは、まわりはパリパリ、クリームはしっとり。娘と一緒に食べる!(^^)!
4/24(木) 自宅→センター北→大塚歳勝土遺跡 (おおつか・さいかちどいせき) →都筑中央公園→自宅
今日は、どこを走ろうかなあ~
センター北に中央大学付属の中高等学校ができたらしいので、見に行きましょう。
25年くらい前に、家探しで来た時には、空き地が広がってちょっと寂しい感じでした。どんなふうに変わったのでしょうか❓
楽しみ。。。
行ってみると、遊歩道も整備されきれいな街並みにかわっていました。
住宅地の向こうに立派な建物、中央大学付属中高等学校の校舎が建てられていました。警備が門の前で見張っていました。
ここまで来たのだから、 大塚歳勝土遺跡 に寄ってみましょう~
門の間から中をのぞく(^^♪
古民家もありますが、次回にしましょう。
日が沈んでしまいそうですもん。
歩道橋の前に、遺跡の説明の看板がありました。
おまけ。。。 港北ニュータウンは、弥生中期の「ニュータウン」だった。 そのわけは???
こたえ。。。 集落は縄文時代から続いたのでなく、西の方から移り住み、新たなムラを造ったことが、出土土器から判明した そうです。
公園内を抜けて、
7.54キロ走りました。
おまけ。。。
4/30(木) 自宅→泉田向(いずみたむかい)公園→市ヶ尾駅→ 『丹波甘納豆本舗 (たんばあまなっとうほんぽ)』 →牛ケ谷公園→鴨池公園→自宅
今日は、市ヶ尾駅まで走ってみよう~
泉田向公園に到着!
市ヶ尾に住んでいた時に、たまに遊びに来ていた公園です。
車道を横切り、遊歩道に入ります。
『丹波甘納豆本舗 (たんばあまなっとうほんぽ)』 のおすすめは、ぎゅうひ入りどら焼きですが、私のポケットには入らない。
柏もち2つ買いました。
帰り道、裏道を通りながら、荏田南まで戻ってきました。
5/6までの緊急事態宣言は、新型コロナが収まるまで、もうしばらく延長になりそうです。