9/27(日) 泊2 9時→たろうホテル→三王岩→高台展望台→道の駅たろう→田老町中散策→新田老駅11時01分→12時33分久慈12時57分→14時42分八戸14時48分青い鉄道→15時02分向山駅→向山駅ミュージアム→カリヨン牧場→向山駅16時40分→17時34分浅虫温泉 南部屋・海扇閣(なんぶや・かいせんかく) 泊3
朝ごはんを食べにレストランに行く前に、送迎車の出発時間をフロントで確認しておきましよ。フロントに、グリーンピア田老の地図がありました。見ていたら「被災前の地図なんですよ」と。。。
🐤ホテル内にあった言葉🐤
復興に向かって航海中~
被災後の『田老』の町。。。
出発~
仮設住宅はいつできたの?
こたえ。。。2011年7月に完成しました。
仮設ができる前はどこで暮らしていたの?
こたえ。。。ホテルの施設を避難所として使っていました。
ホテルの施設は避難所としてすぐに使えたの❓
こたえ。。。「怒られてもいい」と割り切って誘導 ~「田老(たろう)の人はグリーンピアに」と避難所集約〜田老地区では、避難所が10か所ほどできていましたが、想定外で環境が良くないところもいつまでもそのままにして置けませんし、学校もできるだけ早めに再開しないといけない。ですので、1か月でみんなが住めるグリーンピア1か所に避難所をまとめ、ほかの避難所を閉鎖しようということにしました。
内閣府ホームページよ防災情報かっこ(市役所勤め男性より)
お風呂は毎日入れたの❓
こたえ。。。3日に1度、短かい時間の入浴時間しかありませんでした。班を作ってスケジュールを決めていたそうです。
宮古市田老は、2011年3月11日の東日本大震災で津波に襲われ、市街地は全滅状態で、200人近い死者・行方不明者が出ました。
当ホテルは、高台で被害も少なかったため、震災直後は避難所として多くの方を迎え入れました。
避難した方が、肩を寄せ合って過ごしていた場所です。
敷地内のグラウンドやテニスコートに約400棟の仮設住宅が建設され、多くの人が生活をしていました。また、駐車場には22店舗が並ぶ『たろちゃんハウス』と呼ばれる仮設商店街も隣接されていました。
従業員の多くも被災しましたが、今は心ひとつ復興に向けて前向きに取り組んでいます。
グリーンピア田老ホームページより
岩手県宮古市の田老地区を襲った7年前の大津波(高さ約16メートル)は、「万里の長城」とも呼ばれた長大な防潮堤を乗り越え、街を飲み込んだ。海岸沿いでは現在、令和2年度に完成予定の防潮堤の工事が進む。長さは約1.2キロで、海面からの高さ14.7メートル。旧防潮堤の上からこの防潮堤を望むと、海面が見えづらくなってきた。
産経フォトより〜
三王岩に行く途中、
向こうに見えるのは、高級旅館。GO TOキャンペーンでほぼ満室のようです。
どうやって造成した土地を振り分けたの❓
こたえ。。。土地の広さを申請して、場所は抽選で決めたそうです。
道の駅たろうまで送ってもらいました。私一人のために、町の案内もしていただき本当にお世話になりました。
おまけ。。。案内をして下さった方は、田老の町で育ったそうです。津波で、家が流されました。防潮堤は、X形だったので、真ん中の部分が弱くて津波が超えてしまったとのこと。家族はみんな無事だったそうです。
被災地熊本との繋がりが深く、お互い離れた場所でも交流があるそうです。
道の駅たろうの案内所で、新田老駅の場所を教えてもらいました。歩いても10分くらいなので、町の中を歩いてみましょう〜
防潮堤を降りて、進んで行くと、
あの建物はなんだろう?
営業は11時半からでまだ閉まっていました🥺
たろう観光ホテルってどんなホテルだったの?
こたえ。。。1986年に建てられた6階建て30室の観光ホテルで、最大160人が宿泊できました。
2011年3月11日、東日本大震災による津波でどこまで水がきたの?
こたえ。。。6階建ての建物の4階まで浸水し、1階と2階は壁も流出してしまいました。
おまけ。。。
復興庁は、たろう観光ホテルを震災遺構として保存するため、国費(復興交付金)2億1千万円を投じて整備さました。
田
ホームで1組の夫婦と一緒になりました。同じホテルに宿泊していました😳8時から町の中を散策して、たろう観光ホテルの中も見学したそうです。
2日目三陸鉄道の旅始まります。
田老駅を出発すると、すぐに長いトンネルに入ります。
摂待駅ってアイヌ語なの?
こたえ。。。そうです。アイヌ語「セッタイset-tay」セッ(鳥の巣),タイ(森)で「鳥の巣のある森」の意です。
白井海岸駅と堀内駅の間に差しかかります。
山側は、
こちらは、電車が低速で走り景色を見せてくれる安家川(あっかがわ)橋梁です。
安家川(あっかがわ)の語源は?
こたえ。。。安家はアイヌ語のワッカ(きれいな水)から来ており、安家川は清流として知られています。
鮭も遡上します。
ヘビの顔の前に携帯を近づけて写真を撮るお兄さんもいました😨
「マカプゥ」ってなあに❓
こたえ。。。東北電力のゆるキャラです。出身地が「マカプゥ島」という島です。
最後にお世話になった三陸鉄道をパチリ🤳
もっと久慈の町をアピールしてえー😝
お腹が空いたあ^^
あまちゃん、ロケ地看板がある。。。
向山駅ってどんな駅なの?
こたえ。。。向山駅は三沢駅と下田駅の間にある駅で、1992年(平成4年)に国鉄分割民営化とJR東日本への移管などにより無人化となりました。
陸橋を渡り改札口に向かうと、小さな蒸気機関車が止まってます。
このあたりが入り口のようですが、
スタッフの方が出て来て、「会員の人にしか公開してない日なんですよ」とガーン😱
「どこからお見えになったんですか?横浜ですか?種一くん、見学いいかな?」と聞いてくれる。
「作業中ですが、いいですよ」と中に入れてもらいました🙃
どうしてここにミュージアムが出来たきっかけは?
こたえ。。。きっかけは2011年(平成23年)5月に行った駅事務室の大掃除でした。
平成4年に無人化されて以来閉ざされていた駅事務室に地域の人たちの手が加えられました。
そして20数年来のほこりやごみ、くもの巣などを取り除いて出てきたものが、国鉄時代に同駅で使われていた数々の鉄道関係品でした。
関係者曰く、最初は単なるガラクタに見えたそうです(笑)
鉄道関係品はどうして残ったの❓
こたえ。。。しかし、地域の歴史を刻んだ貴重なものとして、そして、向山駅を盛り上げるために開かずの駅事務室をミュージアムにしようという構想をまとめ、駅舎を借り受け、平成23年11月に向山駅ミュージアムが開館しました。
まるごと青森ホームページより
向山駅の歴史って❓
こたえ。。。もともとは、大正11年に開設した木ノ下信号所でした。昭和11年に駅に昇格、現在の向山駅になりました。
国鉄OBの方が持ち寄った貴重な物品、向山駅が無人駅となってから保管されていた物も展示してあります。
30年以上開けられていない金庫に入っていたのはなあに?
こたえ。。。硬券差や日付印字機が入っていました。
硬券ってなあに❓
こたえ。。。自動券売機で発行する切符とは厚みが全く違い、自動改札機に通す事は出来ません。厚紙で硬い券ですので硬券と呼ばれています。
何の番組だったの?
こたえ。。。「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」 2015年4月24日(金)放送分でした。
「仕事とかで、気持ちにいっぱいになった時に、ミュージアムに来て見てるだけで、こころが安らいで、また頑張ろうって思える。」って話してくれました。
そんな場所があるって、いいね😊
私も心が安らぎました💓またいつかミュージアムを尋ねた時に覚えてくれてるような気がします。
踏切を渡り、向山ミュージアムに立ち寄りました。カリヨンで買ったクッキーをお礼にお届けしました。。。ありがとうございました😊
浅虫温泉駅に到着‼️
ホテルで夕飯を食べれるところを聞いたけど、開いているお店が少ないらしい。しばらくお店を探してみるが、なさそう😣
明日の予定変更。せっかく浅虫温泉まできたので、町の中を散策する事に決めました。
おやすみなさーい。