主人の勤続35周年のお祝い旅行の始まりです。
残念ながら、この時期に海外は行けないので、
クラッシックホテルパスポートのスタンプ制覇のため、旅行先は九州に決めました。
10/31(土) センター南7時40分→8時40分羽田空港10時JAL663便→11時40分大分空港12時03分→13時12分大分駅→ホテル日航大分オアシスタワー泊1
羽田空港行きバスはセンター北駅経由し、乗客10人で出発‼️
好天に恵まれ道路も混雑している箇所があり、60分→80分かかる予想とのことだったけれど、45分で到着❗️
ラウンジで休憩〜 ラウンジはほぼ満席。親子連れもチラホラいます。
「あくまでそれはメモだよ、Qアールコードの方を持って、分かってるよね。」彼女の声は聞こえてこない。彼氏らしき男の人がずっとこの調子でいちいち細かく指示している。
気を取られていたら、あ、もう離陸15分前だ!急いで搭乗口へ。
搭乗口に出発10分前に到着。席番号50番以降の搭乗のアナウンスが流れています。私は、席番号30番あたりなので、トイレに行く時間も充分ありました😋
9日間九州旅行の始まりです🥰
大分空港から大分駅までのバスの運賃は1550円、結構高い。バスは、海岸線を通り、高速道路を通って駅に向かいます。所要時間は65分、約63キロあります。遠いねえ〜
大分駅に到着❗️
このニワトリの像はなあに❓
運んでいる料理を見てびっくり、ボリュームありすぎ😥
「ご飯少なめでお願いします」と伝える。間に合った。。。
まだ14時過ぎなのに、チェックインさせてもえらえました。
GO TOキャンペーンの電子クーポンを取得するのに悪戦苦闘したあとに、大分城址公園・府内城跡方面に向かいましょう〜
彫刻通りを歩きます。
北村西望ってどんな人⁈
こたえ。。。長崎市の平和公園の平和祈念像の制作者です。
朝倉丈夫ってどんな人なの?
こたえ。。明治から昭和の彫刻家です。号は紅塐(こうそ)「東洋のロダン」と呼ばれました。
こたえ。。。天正少年使節としてローマに渡った伊東・ドン・マンシヨの像です。
おまけ。。。フランシスコザビエルの滞在をひとつの契機に,大分市(当時は府内と称した)は,キリスト教布教の拠点のひとつとなりました。
この地を治めていた大友宗麟(ドン・フランシスコ)や有馬晴信,大村純忠らは,ローマ教皇に少年使節を派遣することにしました。
宗麟は自身の名代として,遠縁の13歳の伊東マンシヨ(1569頃-1612)を選抜しました。
この一行が「天正少年使節」で,伊東マンシヨはそのリーダーでした。
使節団は天正十年(1582)に長崎を出港し,1584年にリスボンに上陸。1585年にローマに入り,大歓迎の中,グレゴリウス13世に拝謁しました。
伊東マンシヨは,天正十八年(1590)に帰国を果たしましたが、時は秀吉による禁教の世に代わりつつありました。
その後は隠れキリシタンへの布教活動などを続け,慶長十七年(1612)に長崎で病没しました。
(マンシヨが1585年にヴェネツィアを訪問した時に制作されたと思われる肖像画が,2014年にミラノで発見され,日本で2016年に公開されました。)
府内城ってどんなお城なの❓
こたえ。。。府内城は、海城です。豊臣秀吉に仕えた石田三成の妹婿・福原直高から竹中重利が引き継ぐ形で増改築を行い1602年に完成しました。
大分城は、別名・府内城(ふないじょう)とも呼ばれていました。
海城ってなあに?
こたえ。。。本丸・二ノ丸の本城部と連結する南北二口は廊下橋であり、これを落とせば完全な浮城となるため、海城と呼びました。