広島帰省~呉・江田島~ その壱 ~2018年6月8日~6月10日~

6/8(金) 新横浜6時18分のぞみ1号→9時49分広島9時58分快速安芸路ライナー500円→10時32分呉・・・入船山記念館・・・呉港フェリー390円12時20分→12時40分江田島(小用)こよう12時50分バス150円→12時55分術科学校前・・・海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)見学13時~14時半・・・術科学校前14時36分バス・・・14時42分江田島(小用)14時47分フェリー・・・15時07分呉港・・・本通り4丁目交差点・・・呉駅16時40分バス820円→17時30分広島本通りバス停・・・広島国際ホテル泊1

出発の前日、朝6時新横浜出発だったと切符を確認すると、あら!東京往復になっています。。。ネットでツアーを予約したので、間違えていたようです:-(

今週は、6/21の合唱の発表会を控えての練習が、2回+通常の合唱練習があり、余裕のない毎日を過ごしていました。またもやいつものように準備がぎりぎり。。。2時間しか寝れないと思っていた矢先の出来事だったので、逆に少し気持ちにゆとりができました!(^^)!

新幹線では、富士山を拝んだ後、熟睡しているうちに広島に到着!

広島駅構内のロッカーは既にいっぱい。あきらめて、呉駅にてロッカーへ荷物を預ける。帰りは、呉→江田島→広島港と思っていたけれど、またここへ戻ってくるしかないですね。

今日は、江田島サイクリングの予定で電動自転車を事前に予約していましたが、あいにくの雨。週間天気予報は見事にはずれました😞まず、呉駅にて自転車をキャンセル。観光案内所にて今日の予定を決めることにしました!

13時からの海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)見学に決まり😊

12時20分のフェリー出港まで、時間もたっぷりあるので、入船山記念館へ行きます。ずっと気になっていた場所でした。

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呉駅を降りると、灰ケ峰737メートルが見えます。車で山頂まで行けます。
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線路を横切り川沿いにしばらく進みます。今は引き潮(干潮)ですね。
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いち
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にの
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さーん
彫刻のある美術館通り(「手づくり郷土賞(ふれあいの並木道)」と「日本の道100選」に選ばれています。)を通り、入船記念館へ。

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入船記念館に到着!観光客は一人だけ。。。旧呉鎮守府司令長官官舎。
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金唐紙(きんからかみ)1905(明治38)年に再建された旧呉鎮守府司令長官官舎には、廊下や応接所、客室、食堂の壁や天井などに5種類、約250平方メートルの金唐紙が使われています。
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旧呉鎮守府司令長官官舎の客室。壁は金唐紙が貼られています。金唐紙が使われている現存する建物は、国会議事堂、旧岩崎家住宅(東京)など10カ所前後だそうです。
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屋根に使われている石は、東京駅丸の内駅舎にも使われている宮城県雄勝産(おがつ)の天然スレート
お昼ご飯を食べる時間も買う時間もないままフェリーへ乗船。

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カキいかだを見ると、先日映画館で見た『孤狼の血』(ころうのち)のワンシーンを思い出します。
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雨でかすんでいますが、軍港ならではの景色です。
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わーい♥江田島が見えてきました。港が大きく、立派になっていました。
江田島は、約7年間、週末と春、夏、冬の休暇を過ごしてきた場所です。久しぶりに、やってきました。自転車で懐かしい場所に行けないのが残念です。。。

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フェリー到着時刻に合わせて、バスも出発します。
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小用港にてパンをゲット!バスが出発する前にパクリ
海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)見学 始まり~

今日は、戦艦陸奥が沈没した75年目にあたる日だそうです。(1943年6月8日12時10分柱島付近にて謎の爆発にて沈没。死者1211名)

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まずは、江田島クラブ内にて係の方から、注意事項を聞きます。砂利道には入っちゃあいけませんよ。これから疲れた~と言っても帰しやあしません(笑)
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本来、建物の後方に古鷹山(394メートル)見えるはずなのですが、今日は残念ながら見えません。この山は、海軍自衛隊員の訓練に使われるそうです。私も、一度登ったことがあります。天気が良かったら登りたかった。
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ここで入学式、卒業式が行われます。2000人収容できます。建物には、大黒神島(おおくろかみじま)の御影石が使われており、マイクなしでもよく声が響くそうです。壇上で卒業証書を授与してもらえるのは上位4名だけだそうです。
大黒神島はどこにあるの???

答え 瀬戸内海にあります。瀬戸内海の数多くある島の中では最大の無人島です。かつては農耕や石材の切り出しなどが行われていました。磯釣り場として知られています。私も、釣り船で両親と姉とで上陸したことがあります。魚がうようよ泳いでいた記憶があります。しかし、石切り場があったかどうかはよく覚えていません。

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シャンデリアは船のハンドルを表しています。
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長い廊下が続きます。テレビ等の撮影にもつかわれるそうです。入口にドアは付いていません。ここ旧海軍兵学校生徒館には入ることはできません。
(明治9年)、改称されて海軍兵学校が築地に開校。(明治21年)に築地→江田島に移転されました。「本校舎の赤煉瓦は一つ一つ紙に包まれ軍艦でイギリスから運ばれた」と伝えられています。世界三大士官学校のひとつにも数えられ、全78期、総計1万2433名の卒業生を出しています。通称’’赤レンガ’’と呼ばれています。

そのころの学生は特に優秀で、一番頭の良い人が海軍兵学校、2番目が東大だったそうです。

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戦艦「陸奥」の主砲
旧海軍兵学校生徒館

見学の終わるころ、同じツアーのご夫妻から、大和ミュージアムへの行き方を聞かれました。広島港に戻ろうと思っていたけれど、呉港に行く船があるのなら呉に寄ってみたくなったそうです。奈良から来られ、明日は12時頃の広島発の新幹線で帰る予定にしていたので、’’大和ミュージアムには行けないなあ~’’とあきらめていたそうです。大和ミュージアムの館長さんとお知り合いのようで、明日なら館長さんが案内してくれるんだけれど、今日は不在にされているとのことでした。

大和ミュージアム付近まで、ご一緒しました。

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正面に、てつのくじら館、左手にあるのが、大和ミュージアムです。
呉の市内めぐり、はじまり。。。父の本籍のあった’’本通り4丁目’’へ。和菓子屋を営んでいたそうですが、ここらへんかな???まだまだ、思い出の場所はあったんだけれど、サンダル履きだったので、足も痛くなり、今日はあきらめました。

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ここから商店街に入ります。
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『孤狼の血』の映画宣伝があちらこちらにあります。
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このあたりが本通り4丁目、町の中心部あたりです。父の好きだったフライケーキの店を探すが見つからず、残念。
宿泊予定のホテルが、広島駅の近くではなく、街の中心部あたりなので、帰りはバスで広島に向かいます。

バス停(裁判所前)から乗ってきた男性2人、広島に到着するまで私の座った後ろでずっーと喋っていました。経済学とは、人間が合理的に生きるための学問からはじまり、「泣く子と地頭には勝たれぬ」から地頭の話に移り、鎌倉時代の話になり、結局、鎌倉時代は領土争いで滅びちゃうんだよなあ~と、話は延々と続きます:(

地頭ってなんでしたっけ???

答え。。。地頭とは、平安・鎌倉時代に荘園を管理し、税金を取り立てていた役人のこと。権力を振りかざして横暴を働いていた。

つぎは日本人のルーツの話になり、放牧民モンゴルの話になったところで、急に‘’買い物大丈夫?’’’’ビアガーデンに行く前に寄ってから行く?’’と急に現実の話題へ。と思ったら、私が降りる一つ手前のバス停で仲良く二人降りていきました。

気になって、寝られなかった。。。

降りてゆく二人の姿は、想像していた感じの20代くらいの方々でした。

ホテルにチェックイン。

19時半から、独身時代の職場仲間と夕食会!

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リーズナブルなお値段で、広島焼き、府中焼きも頂けます。お腹いっぱい食べました。
ホテルに戻り、おふろにも入らずしばらくそのまま眠っていました。

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