3/22(日) 泊3→お墓参り→HANANOWA(広島はなのわ)→病院→主人宅泊4
ウグイスの鳴き声で目が覚める。
主人は、朝一番歩いて自宅に帰りました。
私は近所に挨拶まわり。
「ウグイスは、春になり、やっと鳴き方が上手になったのよ」って😁
近所の方々は、母の家の前まで様子を見に来てくれ、テレビの音と笑い声がしたら、「あー元気じゃねと思ってピンポンせずに帰るんよ」とか、
「亡くなった父の笑い声が忘れられん。父の形見の流木を眺めていつも思い出すんよ」とか、
はっきりものを言う母の事を、「日本人におらんタイプじゃけど、裏表がないけん、大ファンなんよ。」とか、
いつも近所の方々のありがたみを感じます。
孫の行事より、地域の行事を優先させていた父でしたから、地域の方々から、愛されていたんだなあと帰るたびに感じされられます。
父を支えていた母の事も、ちゃんと見ていてくれたのですね。
午後から姉一家と主人とお墓参り。「どうか母の手術がうまくいきますように、術後、痛くありませんように」とお願いしました。
お墓参りをして、姉一家と一旦わかれて、主人の運動靴を買いに行きます。どこに売ってるかな〜
まずは、100メートル道路を通って、繁華街に向かいます。
道路沿いの原爆の爪痕を見て、戦争が起きませんようにと願う。。。
平和大通りから、バスターミナル方面に向かいます。
途中に、とうかさんって呼ばれる、稲荷大明神を通ります。
主人が欲しかった靴は、バスターミナル近くのビルの地下、好日山荘にありました。見つけられて、良かったね❣️
せっかく街の中に来たので、
広島市民球場跡でのイベントに寄ってみました。
飾り牛って??
こたえ。。。 花田植で代掻きをする牛たちを「飾り牛」「花牛」と呼びます。
花田植(はなだうえ) ってなあに???
こたえ。。。 北広島町壬生で、 6月の第1日曜日に豊作を願って行われる伝統行事です。 2011年 11月にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
あと15分で閉園するとのこと、駆け足で見学しました。間に合って良かった🤗
紙屋町電停から市内電車に乗ります 🚆
いつ作られたの???
こたえ。。。大正15年です。爆心地から1.82キロ 被爆橋梁 (きょうりょう)
広島市管理の現存する橋梁のなかでは最古のもの です。
病院に寄って、買い物をし、今晩は主人の家に泊まります。
主人の家から、母の病院までは歩いて5分。
主人が作ってくれました😋
同じ階の、親友のお家に顔を出します😝
明日の朝、お義父様の検査で、同じ病院に行くのだそうです。病院で会えるかもね❗️
3/23(月) 泊4→病院→主人宅泊5
手術もうまくいき、前回のような術後のひどい痛みはないようです。よかった。
姉と二人、集中治療室に夕方まで付き添うことにしました。
夜は、睡眠薬の注射を打ってくれるそうです。
夜は付き添わなくて大丈夫そうです。また明日ね~
3/24(火) 泊4→病院→広島駅12時→13時広島空港13時35分JAL0258便→14時55分
朝一番、病院へ。母は、昨晩は睡眠薬をもらってよく眠れたようです。
午前中からリハビリが始まりました。リハビリ担当のイケメンお兄ちゃんがきたら、母は急にしおらしくなりました。姉と思わず顔を見合わせて笑いました。
「年を重ねても、乙女は持ち続けるんじゃね。」と姉と話す。楽しそうにリハビリ出来そうで良かった‼️
姉一家には負担をかけますが、お世話になります。主人も、仕事の帰りに病院に寄ってくれました。安心して、横浜に帰ることができます。
広島駅に行くと、ちょうどバスが出発するところで、間に合いませんでした。
まあ次のでも、1時間前に空港に着くので大丈夫と思っていたら、
高速道路で事故があり、45分→90分以上かかるとのこと。もしかしたら飛行機に間に合わないかもしれない❓状況に陥ってしましました☹️
係の方が、JRで白市まで行って、そこからタクシーがすぐ来れば、そっちの方が確実ですと。白市のタクシー会社に電話をするが、タクシーの予約は出来ないとのこと😔
仕方ない。。。
ツアー会社に問い合わせてみよう。うまく電話が繋がり、新型コロナウイルスの時期なので、バスの遅延証明があれば次の便に振り替えてくれるとの事が分かりました(≧∀≦)
結局、高速道路での事故車の撤去作業は終了しており、15分遅れで広島空港に到着しました(´▽`) ホッ
もしかして、蒲郡クラッシックホテル見えるかな?
しばらく新型コロナウィルスの影響で、広島にも帰省できそうにありません。
主人も広島から横浜に帰ってくることもできません。
しばらくは、自分の行動を見直す時間になりそうです。。。