広島帰省〜2023年10月26日〜29日〜縮景園編〜

10/29(日) 泊3→カフェグロウ❌→ココス→縮景園→実家→広島駅→広島空港JAL17時10分→18時30分羽田空港

お目当ての喫茶店は、駐車場が満車🈵

諦めて、『ココス』のモーニングを食べました。

『ココス』って、朝はビッフェになっていて、5人待ちでした。

母もたくさん食べてくれました😋

広島城のお隣、サッカースタジアム建設中です。

広島城では『フードフェスティバル』開催中です♪
縮景園に行ってみよう〜
車椅子を借りました。
菊の花の時期ですねえ
園内のバリアフリーは進んでいないので、入り口付近をぐるりひと回りする
マンリョウ
濯纓池(たくえいち)→園の中央の池

『流川』って、広島の繁華街の流川の地名の由来だったんですね。

見たことのある灯籠の形、なんだったっけ?

こたえ。。。

楊貴妃石灯籠だって!

こちらは油谷湾温泉楊貴館の石灯籠

おんなじかと思ったら、ちょっと形が違ってました💦

ツワブキ
赤松

あの建物はなあに?

広島県立美術館です。

入ってみよう〜

ボタニカルアートの特別展もありますね
母は、「興味がない」と、常設展のチケット購入🎫。

美術館も「わたしゃあ、あんまり興味がない」と、絵画には興味を示さず、うとうと車椅子に座って寝てました😆

被爆後の縮景園
戦争中の縮景園は、空襲はなかったの?

こたえ。。。、戦時中の縮景園は地域の避難場所になっていましたが、原爆が落とされるまでは空襲の被害はなかったそうです。広島からアメリカへ移民も多くいたので空襲はないのだろうと、当時の人々が勘違いをしていたほどでした。8月6日の当日も、広島市内でたくさんの建物疎開の作業に当たっていました。
そして原爆投下の後、被災した人々は水を求めて縮景園に集まります。しかし庭園の木々は焼失し建物は全壊、園内や周辺で数千人の方たちが命を落とし、地獄のようだったと聞いています。国際平和拠点ひろし
(国際平和拠点ひろしまホームページより)

建物疎開ってなあに?

こたえ。。。建物疎開(そかい)は、空襲(くうしゅう)による火災の延焼を防ぐために建物を取り壊(こわ)して空間をつくる作業のことです。戦時中、全国の都市で行われ、広島市では1944年11月に国の指示を受けて開始。燃えると困るという理由で市役所や県庁、軍需工場などの周りを壊しました。

美術館内のティールーム

縮景の出口でで車椅子を返却!!

広島駅方面、こちらの線路は2025年春には、なくなります。

いつものスパークで母と主人と3人でお買い物。

お天気も良くて、洗濯もよく乾きました。

衣替えも完了🙆

これで、寒くなっても大丈夫👌

また来月にねー

1万1352歩、歩きました。

おしまい。

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